第83話 三善結生子(大学院学生)[8]

 「岡平おかだいらの古老が言った。私は先に言った。讃州さんしゅう易矩やすのり永遠ようおん玉藻たまもひめを訪ね交わろうとしたが厳しくこばまれたと。讃州が永遠寺浄土じょうどいん焼亡しょうぼうさせたのは、ここにその証拠が残っていたからである」

 これは、さっきのところで、讃州に関係を迫られて、なつひめは応じたが玉藻姫は拒否したとか言っていたおじいさんだな。

 これも信用できないな。

 そんな証拠が残っているならば、讃州易矩という人の性格からしたら、何年か後ではなく、すぐにでも湮滅いんめつしようとするだろう。

 しかも、この説だと、易矩は以前から永遠寺に出入りしていたことになる。しかし、たとえ従達よりさと没後は主人顔で永遠寺に出入りしたとしても、行喬ゆきたかや従達という殿様がいて、藩主家がまだしっかりしていたころには、易矩が主人顔で永遠寺を訪れることはなかっただろう。

 「岡下おかしたの古老も言った。讃州はたしかに永遠寺をたびたび訪ねていた。それは玉藻姫を訪ねてきていたのである。姫が瀚倫かんりんこう弑逆しいぎゃくしたのもじつは讃州が教えそそのかしたものである。その証拠を隠すために、讃州は姫を殺し、浄土院を焼き払ったのである」

 瀚倫公とは従達のことだ。姫の父親とも、行喬「乱心」後に姫を引き取って養女にしたとも伝えられている。

 そんなばかな、と思ったところで、突然、また背筋から寒気が襲った。

 ほかの言い伝えとは切り離して、この岡下の古老の発言だけ読むと、讃州がたびたび永遠寺を訪ねて来たのが、姫が従達を殺したすぐ後のこととも読める。

 そして、浄土院の火災が行稚ゆきわか暗殺による讃州失脚の直前だとすれば、そのあいだには三年ぐらいの時間がある。

 姫は、多くの伝説では、従達が倒れた少し後に自ら首をくくって自殺したことになっている。

 「両陵りょうりょう始末しまつ」では、讃州易矩が「成敗せいばい」した、つまり処刑したことになっている。ただし、そこには「女」と書いてあるだけで、それがこの姫なのかどうかはわからない。

 姫の存在自体があやふやだが、いつ、どうやって死んだかはさらにあやふやだ。

 捕えられたまま、殺されず、生かされていたら……。

 永遠寺の地下の石の牢屋に閉じ込められ、「主家の祭祀」にかこつけてときおりやってくる讃州易矩のなぐさみものにされていたのなら!

 この讃州易矩という男は真正のSなのだ。

 いまプリントされて大机に載っている「加幡かばた村有そんゆう文書もんじょ」という文書には、この加幡むら一揆いっきを計画していると疑いをかけられたときのこの易矩の調べの様子を詳しく記録している。

 疑いをかけられた家の者を女子どもまで連れて行き、冬に石の上でひと晩正座させ続け、そこに川の水を引き込んで腰まで水に浸したとか、子どもの手足を縛ってつり下げて鞭で打ったとか、女を縛って床に並べてその上で男どもに踊りを踊らせ、女の体を踏みつぶさせたとか、そんなのばっかりだ。そしてそれを見て側近一同で酒をみ交わして笑っていたという。

 これが『向洋こうよう史話しわ』のように後の伝聞ならば、ああ、この家老、最後の失脚したせいでひどいことを書かれていると思うところだが、この文書は同時代の記録だ。つまり先生の言う「一次史料」だ。しかも、同じような話は、ここまで具体的ではないが、ほかの文書にも出てくる。

 とくに、この讃州のばあい、その暴力が女子どもに平気で向かう傾向がある。

 温厚で愉快な人物なのに?

 いや。表ではそういう姿を見せている人物が、それを見せる必要がなくなったときに、残酷だったり子どもっぽかったりする一面をいきなりあらわにすることは、よくある。

 結生子は身をもって知っている。

 前の仕事をしていたときに。

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