第79話 三善結生子(大学院学生)[4]

 「岡平おかだいら一成いっせいまちでこの永遠ようおんのことを質問した。激しい議論となり、決着しなかった。一方は言った。この永遠寺の焼亡しょうぼう事件が讃州さんしゅう易矩やすのりの没落の予兆であった。すると他方がそれに応じて言った。讃州易矩こそ、永遠寺に火をかけた張本人ではないか」

 讃州易矩が火をかけた張本人?

 易矩も家老なのだから、自分で出かけて行って、自分にたいまつに火をつけて永遠寺境内の小寺院に火を移す、というようなまぬけなことはしないだろう。

 もし易矩による放火にしても、だれかに命じてやらせたのだ。

 こう主張している者は、その実行犯について、また実行犯と易矩の関係について、何か心当たりがあったのだろうか。

 「編集は言う。岡平では永遠寺全体が焼亡したと信じているひとが多かったという。現在ですら、岡平では、永遠寺はこのときの火災で全焼し、いまはすでに存在しないと信じている者がいる」

 現在というのは明治の後期だ。この焼亡事件というのがあったとして、その百年以上も後だ。

 その時代にも、岡平の人たちは、この火災を記憶していた。

 火災があったのは確実なようだ。

 でも、まだわからない。

 火災があったからと言って、それがいま問題の場所とは限らない。

 だいいち、二百五十年前の火災跡が、そんなに長く残っているものだろうか?

 「自らも岡平藩に仕えた経験のある士族しぞくの某氏はまいを正して言った。讃州易矩が永遠寺に放火させたというのはいつわりである。相良さがら家の菩提ぼだいはここではなく、藩主家が永遠寺に参詣さんけいする際にも相良家の者は随行ずいこうしなかった。随行するのはいずみ家およびその分家の者または泉家と同じく永遠寺を菩提寺とする者と決まっていた。讃州易矩の悪政は非難しなければならないが、事実無根の罪を押しつけるのは間違った態度である。なお、某氏は、最後の藩主となった行済ゆきずみ氏の近くに仕えたひとである」

 いやまあどっちでもいいんですけど。

 士族ってこういう堅苦しいことを言うよね。

 そのわりにあまり情報がない。

 いや。

 相良讃州易矩が永遠寺に行く習慣はなかった、というわけだな。

 これは判断材料になる。

 たとえば、さっきの、讃州易矩が永遠寺に行って玉藻たまもひめに会い、関係を迫ったが拒絶された、とかは、嘘だと判断できる。

 まあ、このひとが嘘をついていなければ、だけど。

 記事は続く。

 「岡平藩の家老の家格を持っていた家の当主某氏は言った。わが家に伝わっている話によると、この前年のころより、讃州易矩の側近に事故が相次ぎ、讃州はたいへんそれを気にしていた。讃州に長年付き従い、讃州の譜代ふだい自任じにんする者たちが相次いで亡くなったのである。また、従達よりさと公に仕えていたころには、門閥もんばつ制度はかたきであるというような態度をとっていた讃州が、同じころから、非常に家格かかくを気にするようになり、しきりと朋輩ほうばいに家格の由緒ゆいしょをたずねるということがあった。不審を持つ者がいたが、この年の夏、ついに変事が起こってしまったのである」

 この讃州易矩は「権力がほしければカネ持ちになりたまえ」と言い放つような政治家のタイプだ。「門閥制度は敵である」という態度を取るのはよくわかる。

 だから、こいつが家柄を気にするというのは、たしかに違和感がある。

 「この話を、同じ格の別の家の当主某氏に確かめた。某氏ははたと膝を打った。私の家に伝わる話は少し違うが、とことわって、言った。変事の一年ほど前から、讃州易矩は細かい異変を気にするようになった。前日に置いたすずりや筆の場所がずれていると言って騒ぎ、だれがそれを動かしたか確かめるために(掃除のために動かしたと確かめたいのである)、屋敷ぜんぶの下女げじょを呼び集めることもたびたびあった。窓のすだれがはずれて落ちたのが、風が吹いたせいに違いないのに、今日は不吉であるからと評定ひょうじょうを中止したこともあった。城内の男女は、あれは玉藻姫のたたりを恐れているのだと噂しあった。この年から讃州と諸寺院との往来が激しくなった。祈祷きとうを依頼しているのだといわれた。なかでも、永遠寺にしきりに密使を送っているという噂があった」

 永遠寺に密使か。

 しかし、これは噂だから、まだ何とも言えない。

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