第78話 三善結生子(大学院学生)[3]

 少し、読み飛ばそうか。そう思った次の項目が

岡下おかした沼前ぬままえいち薬種やくしゅ商は言った。焼亡しょうぼうしたのは浄土じょうどいんと語り伝えられているようだが、しん浄土じょうどいんである。真浄土院とするのがよい」

だった。

 いきなりその話題に戻る。

 何それ?

 「シン」がつくの?

 最近の映画とかじゃあるまいし……。

 「岡下の織物商藍屋あいやの店主は言った。浄土院だと思っていたが、祖父母が言っていたことばを思い出すと、真浄土院だったかも知れない。もう子どものころのことなのでよくわからない、と。この店は寛永かんえい年間まで永遠ようおんへのおろしを専門にしていたという」

 寛永……?

 それは江戸時代初期で、ずいぶん時間が飛ぶ。

 まあいい。

 「これについて永遠寺の住職にたずねた。住職は言った。わからない。わが寺に、過去、浄土院、真浄土院などという塔頭たっちゅうは存在したことがない。もちろんいまもない」

 「永遠寺の住職はかさねて言った。わが寺はそのすべてが浄土への往生おうじょうを願って建立こんりゅうされたものだ。したがって、その一部に、浄土院、真浄土院などという塔頭があるというのは、馬上でさらに馬に乗るようなもので、荒唐こうとう無稽むけいである。そんな塔頭があるはずなど絶対にない」

 いや、これは何だろう……?

 当事者の永遠寺がここまできっぱり否定するのだから、たしかにそんな塔頭は存在しなかったのかも知れない。でも……。

 徹底的否定と言えば。

 「ねえ、幸織さちお、さっきここにどら焼き置いてたんだけど、知らない」

 「知らないよ。わたし食べてないよ。ぜったい食べてないよ! ほんとだよ!」

 小学生や中学生のとき、そういうできごとがあった。

 何度もあった。

 もちろん、そのどら焼きは、鳥浜とりはま幸織という、長い三つ編みのチャーミングなその子が、誘惑に耐えきれずに食べてしまっていたのだ。どら焼きだったり、ワッフルだったり、エクレアだったり、あんパンだったり……って甘いものばっかり……。

 そして、食べておいて、徹底的に否定するのだ。

 幸織か……。

 あの猫の死骸しがいに心の底からおののいていた、あの子だ。そして、そのあと……。

 まあ、いいけどね。

 幸織にも、一度、ちゃんと会っておこうか。

 いや。

 幸織はそれでいい。

 でもいまのこっちのはあんまりよくない。

 この永遠寺の住職、ここまでしつこく否定するということは、やっぱり何か隠しているのではないか?

 その疑いはまたぼんやりと頭に置いておいて、先を読む。

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