第77話 三善結生子(大学院学生)[2]

 「甲斐かいたき村の古老は言った。村に伝わっている。その年の春はなかなか山の木が芽を出さず、冷たい風が吹いて、森からもの悲しい高い声がいつまでも響いていた。村人は何か悲しいことが起こるのだと恐れ、戦慄せんりつした。編集は言う。それは虎落もがりぶえである。葉のついていない細い枝に強風が当たると音が発生する。とくに恐れるべきものではない」

 甲斐滝村というと、軽登山のガイドブックに出ているトレッキングコースをずっと行った先だったと思う。「甲斐滝村のり橋」というので有名らしい。

 その村の古老の話に、それは科学的に説明できるんだ、と、わざわざつっこみを入れている編集部も、なんだかかわいい。

 ところで、その「甲斐滝村の吊り橋」がなぜ有名かというと、もともと、あの還郷かんごうりゅうとかやまがえりとか本村ほんそんりゅうとか言われている人たちが讃州さんしゅうに強制移住させられたのが、その吊り橋の向こう側だったからだ。

 あの人たちは、軽く登山の装備をして、いまの条件でも駅から一時間以上かかるところに移住させられていたのだ。

 それを考えると、その人たちの子孫が、自分たち帰郷きごうりゅうに向ける敵意も、わからないではないと思う。

 思うけれど……。

 短くため息をついて、次に行く。

 「その年の七月、北天ほくてんから岡平おかだいらの暗い空を二つに切りいて大星たいせいった。岡平の市井しせいの者たちは兵変へいへん凶事きょうじの兆しかと恐怖戦慄した」

 「大星降れり」を「大星れり」と読むのか「大星れり」と読むのかはよくわからないけど。

 これ、あれだ。

 流星群とかそういうのだ。

 千菜美先生はなぜかそういうのにも詳しい。

 前に、読んでいた文献に出てきた「客星きゃくせい」ということばの説明のついでに、星がどういう仕組みで光るかも明してくれたこともある。

 星は、生まれたときから光り始めて、その最期まで、一生、光を放ち続ける。子どものころにどこかから光を与えてもらって、後でお返しするというわけではないらしい。光をひたすら与えるばかりで、それで一生を終わる。

 その説明が印象に残った。

 で、この「大星」というのは何だろう?

 あとできいておこう。

 自分の専門以外で、千菜美先生の詳しい分野っていくつあるんだろうか……?

 そういう疑問は後まわしにして、先を読む。

 「同じ七月、愛沢あいざわで、長い大きな黒海鼠なまこがとれた。長さは半じょうに及ぶ。全身に大きなうろこがあり、村の者たちはこれは何だろうと恐れた。合議ごうぎしてこれは海蛇うみへびではないかという話になったが、新たに村に入ったすなどり奉行ぶぎょうが、これは海鼠であると断定した。このような大海鼠は、昔、隣の宮永みやなが藩にも出現したことがあるとのことだ」

 はあ?

 また海鼠?

 だから、なんでこんな記事がここに載ってるの?

 話題が永遠寺の火災から海鼠にシフトした?

 永遠寺のなんとか焼亡というのは、いまひとつ信頼性の高くない「岡下の麩商」の証言しかないのか。

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