第67話 三善結生子(大学院学生)[3]

 「甲峰こうみねの古老が自分の祖父から聞いた話として伝えていると言った」

 おお。

 甲峰といえばうちのご近所じゃん。

 高校生のときまでの、だけど。

 「お夏は狡猾こうかつで利を好む女だった。まず相良易矩やすのりに取り入り、易矩もお夏を気に入ったが、やがてお夏は易矩の推挙すいきょで行喬の正妻となった。易矩とお夏が出世のために力を合わせたのである。そのためその後もお夏は行喬とはよそよそしい間柄あいだがらで、一方、お夏と易矩のねんごろな仲は続いた」

 こんな話をしたのは甲峰のどこの家だろう?

 讃州さんしゅう易矩を悪役にしているのだから、たぶん還郷かんごうりゅうのどこかなのだろうけど。

 ここから、後に暗殺される行稚ゆきわかという若君が、じつは行喬の息子ではなく易矩の息子だったという根強い噂につながるのだろうな。

 でも、この章にはその話は出ていないようだ。

 「滑川地出身の女は岡平の町には多かった。子守こもりとして出て来て、そのまま商家などに奉公することが多かった。出戻る、というのは誤りである。そうやって奉公していた女が、親に村に呼び戻されて急に店から姿を消すので、そのような誤解を招いたのである。出戻るのではなく、結婚するために村に戻るのである」

 だれの発言か書いていない。でも、まあ、これはあり得ると思う。

 「滑川地の古老が言った。乱行で有名な行喬公の妻が滑川地の出身だというが、そんな話は村ではきいたことがない。いったい、この狭い村のどの家の出身だというのだろう。村を一軒ずつまわって確かめてほしい」

 なるほど。

 で、確かめたのだろうか。

 「岡平出身で東京で新聞記者をしている某氏が言った。私のきいたところだと、夏姫はたしかに行喬の正妻であったが、行喬の奇行が目に余るようになって離縁を求める心を起こし、行喬の江戸でのおしめの際に正式に離縁された。私も東京で調べてみたが、行喬の押込め以後、江戸に夏姫がいたという証拠は何もない。夏姫は離縁されて滑川地に帰ったのだ。これが「滑川地の美人はかならず出戻る」ということばの真相である」

 「きいたところ」ってどこできいたんだよ?

 「中学校で教える某氏が言った」

 このころの中学校というといまの高校ぐらいのステイタスだろうか。

 「なつひめが離縁されたというのはあり得る話だ。あの若くして事故死した行稚ゆきわかには形ばかりの妻がいた。この妻さえ院号いんごうを与えられて正式に泉家の一員として葬られている。ところが夏姫にはその形跡がない。夏という名すら本名かどうかわからない。夏姫は、行喬ゆきたか蟄居ちっきょの前のいずれかの時期に離縁された。だれかと再婚したのかも知れない」

 これは、その新聞記者の話があやしいので、「裏」をとったのだろうか。

 「岡平おかだいら警察署警部某氏が言った。行喬の正妻夏姫が滑川地出身だという話はほんとうである。そのため、相良さがら讃州さんしゅう易矩やすのりが東伊豆いずから移住民を招いたとき、甲峰こうみね愛沢あいざわ花沢はなざわでは従来の住民を山間地に追いやって新住民を住ませたのであるが、滑川地なめかわじでは古い住民を追い出さなかったのである。夏姫が懇願こんがんしたからである。これは唐子からこでも同じである。なお某氏の出身は岡平花見はなみまち、岡平城中ではやまがち奉行ぶぎょう与力よりきであった」

 そうだそうだ。

 滑川地と唐子の共通点はこれだ。讃州易矩が新しい住民を移住させたにもかかわらず、旧住民を追い出さず、旧住民と新住民が混ざって、その区別がなくなったということだ。

 滑川地は行喬の正妻の出身地だったからという。

 では唐子はどうなのだろう?

 この書きかただとやはり夏姫が懇願したからということになるが、唐子と夏姫の縁というのはわからない。

 それとも、やはりあの讃州易矩に近い有力者がだれか唐子の味方をしたのだろうか?

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