第66話 三善結生子(大学院学生)[2]

 「唐子からこの古老が言った」

 ふうん。唐子か。

 興味あるな。

 ここはとくに玉藻たまもひめ伝説が多く残る場所で、どうやら『向洋こうよう史話しわ』にすら載っていない伝説がいろいろとあるらしい。この村の伝説は村出身の人がまとめていて、それはネットで読める。それをまとめた人にメールで問い合わせたら「私も知らない伝承がほかにもたくさんあるようです」という返事が返ってきた。

 その唐子の人が何を言っているのか、

 「滑川地の美人はかならず出戻るとは、瀚烈かんれつこう行喬ゆきたかの妻(院号いんごうは伝わらない、本名はなつだったというが確かではない)が滑川地の出身であったことと関係がある。行喬の妻は悪妻であった。行喬のあの百姓一家への乱行も、玉藻姫の殺害も、すべてもとはといえばこの夏という女が望んだためのできごとである」

 なんだそれは?

 結生子は続きを読む。

 「また夏は美人であった。滑川地の者たちは、滑川地の美人は必ず出戻るが、夏は美人なのに出戻っていないから、夏はわが村とは無関係だと主張したかったのである」

 はあ?

 それ、なんか無理があると思うんだけどなあ。

 しかし、唐子と滑川地には何か気になる共通点があったはずだ。思い出せない。

 いまはそれをぼんやりと覚えておくことにして、次を読む。

 「岡平おかだいら古老ころうが言った。おなつは岡平の町場まちばでお客にしゃくをする女であった」

 なんだ、同業者じゃん、昔の自分の。

 「美人のほまれは高かったが、嫉妬しっと深く、嫌われていた」

 そういう業界で、嫉妬深いって評判が嫌われる原因になるのかなぁ?

 嫉妬深くて陰湿いんしつなら嫌われるかも知れないけど、もともと競い合う関係なのだから、本人たちもお客も嫉妬は「りこみみ」だと思うんだけど。

 「あるとき、おしのびでやってきた行喬ゆきたかの目に留まり、妻となったものである」

 わっ。

 うそくさ……。

 だいたい、これ、「滑川なめかわの美人はかならず出戻る」と関係ないじゃない?

 「この話をきいた加納かのの老人がことばを厳しくして言い返した。夏姫は押場おしば家の姫である。町で客に酒を飲ませていたようないやしい女ではない」

 いいじゃんべつに店で客に酒飲ませてたって!

 加納野というのは山間部の村で、相良さがら家と縁が深い。

 したがって家老びいきと考えていいだろう。

 この押場家というのは藩主家のいずみ家のいちばん格上の分家だ。家としては岡下に支藩を作った分家よりも格が高い。家格が高すぎて、家老など実際の藩政にあたる政治家は出さない。主に、儀式に上席じょうせきの者として関わるのと、藩主家に妻妾さいしょうを出すのが役割だ。押場家出身の藩主家の正妻や身分の高い妾というのは江戸の中ごろに何人かいたと思う。押場家出身で他藩に嫁いだ女性も多い。

 「これに対して、岡平の古老、別の岡平の古老、乾葉ひいばの古老は、夏姫は滑川地の出身で、酒場で働いていたのだが、行喬ゆきたかに嫁入りすることになって、そのままでは格が釣り合わないので、まず押場家の養女となってから行喬に嫁入りしたものであるという。押場家ではなく相良さがら家であるという説もある。また、まず相良家の養女となり、そこからさらに押場家の養女となったという説もある」

 「岡平の旅館沢永さわながの主人は言った。夏姫が働いていたのはわが店である」

 「岡平の菓子店久美瀬くみせの女主人は言った。夏はわが店で働いていた。そのころの帳面ちょうめんも残っているから確かである」

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