第61話 三善結生子(大学院学生)[12]

 「岡下おかしたいずみ家の家風がもうがちがちに保守的だったから、っていうのは、どう?」

 先生が意見を言う。

 「それは、そうなんですけど……」

 たしかに、そうなのだ。同じ泉家でも、岡下と岡平おかだいらでは気風が違い、岡下のほうがずっと保守的だ。

 その悪家老の相良さがら讃州さんしゅう易矩やすのりというのがやったのは、市場革命とか商業革命とでもいうのだろうか、ともかく何でも商売人の手に渡して、売り買いをさかんにさせて、そこに税をかけて増収を図るというやり方だった。「諸色しょしきだか米価べいかやす」ならば、百姓には米以外の「諸色」の売買でもうけさせ、百姓自身がその儲けで安い米を買って、それを納めろ、というわけだ。そのかわり米ではない「諸色」で儲けているんだから、税率は高いぞ、と。

 やり方はかなり強引だった。しかもこの悪家老は性格に問題があった。それも、非常に。

 しかし改革家には違いない。少なくとも、ひたすら倹約けんやくを強制して重税を取り立てるよりはセンスのある政治家だと思う。

 しかも、この相良家というのは、九州の戦国大名相良家の分家を名乗っているけど、つまりは「よそもの」だ。たしかに旧家ではあるのだけれど、泉家家臣団のなかでは上から三番めくらいのグループに属していて、トップではなかった。

 それが改革の主導者でいられたのは、やはり、岡平藩主家が改革に理解があったからだろう。

 これに対して、支藩の岡下藩は何の改革もやっていない。

 支藩は人事もほとんど家格かかく順の年功序列だ。もっとも、この支藩で形式張って「管領かんれい」などと呼んでいた家老層には三つぐらいしか家がなく、そのなかでじゅんりに回して行くしかなく、それがいちばん平和だったのだろうけど。

 本藩に改革が必要だったのは、ご多分に漏れず、財政が赤字だったからだ。

 では、支藩はそうではなかったのだろうか?

 支藩は岡下という町一つだ。町に特産品があるわけでもない。永遠ようおんの門前町ではあるが、その永遠寺だって、全国から参拝客が押し寄せおカネを落としていくような大寺院ではなかった。

 ところが、さっきプリントした史料の一つの「かずらいま左衛門ざえもん日記」には、岡下の商人は鷹揚おうようでカネ離れがよい、ということが書いてある。『向洋こうよう史話しわ』を含めて、ほかの史料にも似たような話が出てくる。

 岡下の町は豊かだった。

 たぶん、本藩の岡平の町以上に。

 この支藩の財政、どうなってたんだ……?

 「ねえ」

 甘えたような声だな、と自分で気づく。いまはそれでいいだろう。

 「この大膳たいぜんってひとが、いや、岡下藩ってところが、そのがちがちの保守的な気風で守りたかったものって何なんでしょう?」

 もし玉藻たまもひめというお姫様が実在したとしたら、その「守りたかったもの」と引きえにその存在を消されたのかも知れない。

 還郷かんごう本村ほんそんりゅうやまがえりがもとの村に戻ることをには認められなかったとしたら、その「守りたかったもの」と引き替えに……。

 お姫様がほんとうにいたとすれば。

 そのお姫様をいなかったことにしたかったのは、お姫様を憎んでいたという讃州易矩だけではなかったのだ。

 大膳従容よりかたは普通は讃州易矩と対照的に「いい人」とされる。

 結生子ゆきこは卒論を書くときに従容や行熾ゆきおきやその「狐」という行熾の妻の手紙を読んだ。

 手紙から受けた印象では、たしかにみんな「いい人」だ。その従容は、行熾という藩主にとっては「いいお父さん」だ。

 けれども……。

 「うん……」

 千菜美ちなみ先生は、カップを置き、口をとがらせて、その唇の下に右手の人差し指を持って行った。

 思わせぶりなしぐさで何をしな作ってるんだ……!

 「まあ、それはまた考えましょう」

 おもむろに言う。

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