第47話 星淳蔵(農業)

 岡平おかだいら岡下おかした永遠ようおんちょう西にし一丁目のほし淳蔵じゅんぞう氏は昼食が喉を通らなかった。

 朝の放射能への恐怖はすっかり牛糞ぎゅうふんへの恐怖に置き換わっていた。

 あの牛糞が舞い上がった時間にこの昼食を料理していたのだったら、どうだろう?

 だが、食欲のないところを希美のぞみさんに見せることはできない。

 食欲がないところを見せれば、また熱中症を疑って気づかってくれる。話が牛糞かられて行ってしまう。

 ええい! 去年、熱中症に倒れたりしなければ!

 だから、さばの塩焼きと、ブロッコリーと小エビと何かよくわからない浅緑あさみどりの野菜のサラダと、冷ややっこと、おの味噌汁とご飯という食事を、なんとか口に入れた。

 どんな味かもわからなかった。ただ、自分の苦手なものが一つもなかったのが幸いした。

 だが、やっぱり気もちが悪いのだ。

 だが、気もちが悪いと訴えたり、吐きそうになっているところを見せたりすると、希美さんはまた熱中症だと心配するだろう。

 そこで、昼ご飯の片づけをしている希美さんに声をかけた。

 「あの。今朝、その、ぎゅうふ……」

 「はい?」

 このままだと「今朝の牛乳ですか?」というほうに話が行ってしまう。

 「いや。あの、今朝のブルドーザーのことで、ちょっと疲れたので、今日は昼寝をします。クーラーをかけて部屋で寝ていますから、起こさないでください」

 「ああ。それでは、お布団ふとんを敷きましょうか?」

 そこまでしてくれなくていいのだ。

 「いや。暑いので、たたみの上のほうが気もちいいのだけど」

 「いけませんよ」

 希美さんはほんとうに親切だ。

 「クーラーをつけて畳の上で寝たりすると、かえって冷えてしまいます。体に悪いですし、それに畳の上では疲れがとれませんよ。短い時間でも、お布団敷いたほうがいいです」

 そう言って、さっさと部屋まで布団を敷きに来てくれた。

 布団をばたばたすれば、またあの牛糞の粉が……。

 考えると気分が悪くなる。しかし希美さんの前で気分の悪いところなんか見せられない。

 淳蔵氏は、自分の前で希美さんがきれいな姿勢で布団を敷くのを、部屋のすみで小さく正座しながら見ていた。

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