第46話 三善結生子(大学院学生)[3]

 岡平おかだいら藩の三人の藩主を次々に不幸が襲った。そこには、相良さがら讃州さんしゅう易矩やすのりの改革が何か関係しているのか?

 「公式見解」ではまったくわからない。

 ただ改革への不満がたまっていたのは事実だろう。

 その改革に抵抗した者を讃州易矩は容赦なく処罰した。嗷訴ごうそ一揆いっきを実際に起こせばもちろん、少しでも不審な動きがあったというだけで、その村のおもった者や疑いをかけられた者を捕えて拷問にかけ、厳しく罰した。

 いくつかの漁村では、もともと住んでいた住民を山奥に強制移住させて山地の開拓に従事させ、そのあとに、相模さがみ伊豆いず、東駿河するがなどで募集した新しい住民を住み着かせた。また、一部の村では、前の住民を移住はさせなかったが、やはりそういう地域から集めて来た新しい住民を住み着かせた。

 そういう讃州易矩のやり方に藩内には不満がたまらないはずもない。それが騒動にまったく影響していないとしたら不自然だろう。

 この一連の事件、行喬ゆきたかの乱心から従達よりさと不審ふしん死、行稚ゆきわか横死おうしまでを『向洋こうよう史話しわ』では「玉藻たまもひめ騒動」と呼んでひとまとめにしている。

 地元では、この二番めの事件で、城中で藩主従達に毒を盛り、発覚して処刑されたとされる女が「玉藻」とか「玉藻姫」とか呼ばれることが多いからだ。

 「玉藻姫」という名は「両陵りょうりょう始末しまつ」をはじめ当時の記録にはまったく出て来ない。

 だから、事件自体も「玉藻姫騒動」と呼ばれることはなかった。「玉藻姫騒動」という呼びかたも「玉藻姫」というお姫様の名まえも、この『向洋史話』より前の文書には一つも出て来ない。

 ところが、この『向洋史話』では、この玉藻姫騒動が他のすべてのトピックを圧倒する一大トピックだ。

 この本が編集された当時、この玉藻姫騒動は、岡平・岡下おかしたの人たちに「大事件」として記憶されていたのだ。

 しかも、いまの岡平にとってもこのできごとは「大事件」だ。そのせいで結生子ゆきこの人生が狂ってしまったくらいの……。

 それは、いい。むしろ、その思い出と対決するために、逃げたくなる自分自身に対決するよう強いるために、結生子はここにいるのだから。

 いま、記録のこの部分を読むのが億劫おっくうなのは、ただ、分量が多いからだ。

 ここまで、二時間足らず、つまり大学の授業一コマ分よりちょっと長い時間で四百ページを片づけたのだ。めてもらってもいい。

 褒めてもらってもいいのに、ここからさらに五百ページ以上の玉藻姫騒動篇を読まなければいけないのか。

 ふっ、とため息をついて顔を上げると、向こうでも先生が顔を上げた。

 そのまま先生の顔をうつろな目で見ると、先生も結生子の顔から目を離さない。

 「あらあら結生子ちゃん、もう集中力が切れちゃったの? だめよ、そんなことでは」と説教されるか、それとも……。

 「そろそろいちどお茶でも飲んで休憩しましょうか?」

 可能性が小さいと思っていたほうを先生が言ってくれたので、正直なところ、結生子はほっとした。

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