第45話 三善結生子(大学院学生)[2]

 行喬ゆきたかの時代は、「米価べいかやす諸色しょしきだか」、つまり、米は値段が安く、そのほかのものは値上がりするという時代だった。

 年貢ねんぐは米で取り立てるから、米の値段が安いと藩の収入は減るし、米以外のものは値上がりしているから支出のほうは増える。それで藩財政は破綻はたん寸前だった。

 そこで、行喬は、相良さがら讃州さんしゅう易矩やすのりという家老を取り立て、改革を断行させた。改革は、いろいろと問題は引き起こしたけれど、藩の財政を改善するという目的についていえば、成果を上げていた。

 ところが、その行喬という藩主は、城下を離れて領内の巡視に行ったとき、そこの村人に非礼ひれいのふるまいがあったとかで殺してしまった。

 藩主といっても、よほどのことがなければ、庶民を手続きなしに殺すことなど許されない。しかも、このことで、行喬が以前にも城内で乱行らんぎょうに及んだという事件が発覚してしまった。これも詳しいことはわからないが、一度だけのことではないらしく、城内で刀を振り回して暴れたこともあるらしい。

 家臣団は、そこで、行喬を「乱心」を理由に江戸藩邸はんてい蟄居ちっきょさせた。いわゆる「主君しゅくんおしめ」だ。

 その行喬の跡を継いだのは、行喬の実弟で、支藩しはん岡下おかした藩の藩主家に養子に出て岡下藩を継いでいた従達よりさとだった。

 従達もやはり相良讃州易矩を重用して兄の改革を続行した。

 ところが、ある年、参勤交代で江戸から帰国した直後に倒れ、口がきけなくなってそのまま亡くなった。城中で女に毒を盛られたという。「女」とあるだけで、どんな女かは、この「公式見解」には何も書いていない。

 相良讃州易矩は、この女を捕えて成敗せいばいした。つまり処刑した。

 そのあと、讃州易矩は行稚ゆきわかを迎えて藩主にした。行稚は江戸で蟄居していた行喬の息子だ。

 ところが、この行稚まで、やはり領内巡視中に、今度は女に襲われて殺されてしまった。殺したのは、もちろん讃州易矩に成敗されたのとは別の女だ。

 そのとき、讃州易矩は行稚の近くにいたにもかかわらず、その犯人の女を取り逃がした。

 若い藩主を失った岡平泉家は断絶し、易矩は家中の取り締まり不行き届きをとがめられて失脚した。もっとはっきり言えば、讃州易矩が女を使って藩主を殺し、女をわざと逃がしたと疑われたのだ。

 本藩の本家が断絶し、支藩の藩主家が本藩を継ぐことになった。

 従達が本藩の藩主に転出したあと、支藩の岡下藩は大膳たいぜん従容よりかたが継いでいた。従容は岡下藩主家の者だったが、母親が町人身分だったという理由で、藩主の地位を本家出身の従達に譲っていたのだ。それが、従達が本家に戻ったために岡下藩主になり、さらに行稚の横死おうしで本藩を継ぐ立場になった。自分で本藩の藩主になると本家の不幸に乗じることになると言って自分は出家し、自分の息子の行熾ゆきおきを岡平藩の藩主にした。しかし、実際には従容が藩政の主導権を握って立て直し、幕府には、改易かいえきも領地の一部召し上げもしないように懸命けんめいに働きかけた。

 この従容の下で、「公式見解」の「両陵りょうりょう始末しまつ」も作成された。

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