第41話 堀川龍乃(中学生)[1]

 アスファルトの道路は砂の下に隠れて終わっていた。

 その先まで自転車を押していくのも疲れるだけだ。そのアスファルト道路の終わりのところに自転車を置いた。

 「いちおう、行こうか」

 波打ち際まで、ということだろう。

 「うん」

 砂は深く、柔らかくて歩きにくい。でも、靴の下で、靴をわざと横に滑らせると、その砂が、じゃっ、じゃっと音を立て、きゅるきゅると摩擦する感覚が足の裏に伝わって来る。

 その感覚を楽しんで、ふと、正流せいりゅうに顔を上げると

「そんなことやってると靴の中が砂だらけになるぞ」

と言う。

 その正流は砂の上に靴の底をそっとつけて慎重に歩いていた。それでも正流は横で龍乃たつのがどんな歩きかたをしているか気がついていたのだ。

 くすぐったくなって、くすっと笑う。

 海の色が暗い。

 永遠寺の裏から見下ろす海はもっと明るい。きらきら輝くのはそちらから太陽が照らしているときだけだが、青くき通って、海の底のようすまではっきりわかるときがある。

 空は晴れているのに、どうしてここの海はこんなに暗いのだろう?

 砂が海の波で湿ったところまで来た。ここまで来るとかえって砂がしまって歩きやすい。歩きやすいが、湿っているということはそこまで波が寄せて来るということだ。

 龍乃と正流はそこで立ち止まった。

 波打ち際まで来ても、自分たち以外の人の姿は見あたらない。

 湾の奥で、波は穏やかだった。右側にはさっきのバス停の先から続く竹藪たけやぶが続いていた。左側は砂浜が続いて、その先は岩場になっていた。

 「ほんと、なんにもないな」

 正流が言う。

 「うん」

 龍乃も言う。

 「それに、だれもいない」

 「そうだな」

 正流は、穏やかに言うと、波が寄せてくる沖のほうに目をやった。

 こういう表情を見ると、こいつ、将来お坊さんになっても自然だな、と思う。

 おきょうを唱えてこの横顔を見せれば、悲しみや不安に耐えられなくいるひとだってきっと安心するに違いない。

 波が寄せてきたが、二メートルぐらいまで近づいたところで、その波は海のほうに戻って行く。しゃーっとすばやく何かが走るような音が残る。

 「ねえ」

 龍乃はふと思いついて正流に言ってみた。

 「せっかく夏に海来たんだし、泳いで行こうか」

 「冗談じょうだんだろ?」

 平静な、落ち着いた反応だった。

 「見てみろよ」

 正流は、いちど龍乃の顔を見てから、海へと顔を戻す。

 「下、海藻かいそうだらけだぞ。泳いだりしたらべちゃべちゃ体に絡みついて、気もちが悪い」

 言われてみればたしかにそうだ。

 のぞき込んでみると、波の下には暗い緑色の海藻がびっしりと生えていた。波打ち際にも緑の海藻や赤い海藻が打ち上げられていた。それに、ここまで歩いてきた砂のなかには赤い針金か糸のようなものが見えていた。それはその海藻が乾いたものなのかも知れない。

 さっきから海の色が暗いと思っていた。それは、底がこの海藻に覆われているからだ。

 これは、海水浴に来るお客さんもいないわけだ。

 納得する。正流のことばに納得はした。

 でも、へんだと思う。

 「でもさ」

 だから言ってみる。

 「へんだよ」

 「何が?」

 「普通、いきなり泳ごうなんて言ったら、えーっ、水着なんか持って来てないよ、っていうもんでしょ?」

 「そういうもの?」

 正流は普通に驚いている。

 「それはそうでしょ」

 「だって、泳ぐのに、水着って絶対必要なもの?」

 「は?」

 龍乃は、ことばが継げない。

 「あ、えっと……その……」

 理屈りくつから言えば、もちろん、人間の体は水着がなくても浮く。だから、泳げる。

 でも、いまのばあいは、そういうことではなくて……。

 つまり、泳ぐためには、ここで、二人で、服を脱いで……。

 その説明をしようとしたら、頬がかあっとしてくる。

 でも、正流は、龍乃のそういう反応を待ち構えているようでもあるし、最初からそんなことは想像もできないようでもあるし、つまり、よくわからない。

 どう反応しようかという思いが胸の途中から喉のところまで上がって来て、ぐつぐつぐつぐつかき混ざっているようだ。

 ふと正流が振り向いた。

 だれかが来る!

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