第38話 三善結生子(大学院学生)[2]

 ただ、と、結生子ゆきこは長く息をつく。

 その歴史の空白を埋めるかも知れない遺跡が、この岡平おかだいら市にはじつはある。

 それも、二つも。

 一つは、昔の鉄道工事で一部が破壊されてしまった岡平城の跡だ。

 その破壊されていない部分は、岡平城が廃城はいじょうになってからなしくずしに段々畑や果樹畑になり、そのせいでそのどこがだれの土地なのかわからなくなってしまった。

 先生の調査についていったとき、そこで働いていた人たちやそこに住んでいる人たちは口々に言った。

 「そこの土地はあの家がたがやしているが本来はうちのものなんだ」

 「こっちの土地はうちのものだがずっと隣の果樹園の一部になっている」

 「そこからここまではうちのものなんだけど、あそこの家にはおばあちゃんが入院したときに世話になったからねぇ、なんか言い出すのも悪くて」

 「ここって権利関係整理しようとするとはちをつついたような大騒ぎになるからねえ、できないのさ」……。

 そんな状態では発掘調査なんてできない。市の土地になったところは発掘調査をし、そこは公園になっているけれど、それ以外は手をつけられない。

 もう一つ、その城跡よりも大規模で、しかも謎が多いのが、この研究室で「唐子からこはまみなみ遺跡」と呼んでいる遺跡だ。

 唐子という村の南側、人の住んでいない入江いりえに、大規模な集落の遺跡が眠っている。

 しかも、そこの地下には、正体のよくわからない石の遺跡がある。

 この地域にはない石材が使われている。戦国時代の城郭じょうかくの石垣の石などと較べてもきれいに切り出してある切石もあるらしい。たしかに人間がどこかから運んできて造ったものなのだけど、それが建造物になっていたかどうかはまったくわからない。

 集落の遺跡は、予備調査で見つかった土器などから、中世の終わりから近世の初めごろの遺跡とわかった。つまり、戦国時代から、遅く見ても江戸時代初期あたりまでだ。

 集落の遺跡とその石の遺跡は関係があるのかないのか。同じ時代のものなのかどうなのか。それもわからない。

 石の遺跡が下なのだから、石の遺跡と集落の遺跡が同じ時代か、そうでなければ石の遺跡が古いのだが。

 では、その石の遺跡は古墳時代にまでさかのぼるのだろうか。

 わからない。

 この唐子浜南遺跡が見つかったのはバブル経済とかいう時代のことだ。

 この入江を開発して巨大なリゾートタウンを造成しようという計画があった。

 それで、工事に着手したら、この遺跡が現れた。

 開発会社は初めは遺跡の存在を隠して工事を続けようとした。

 あの会社ならやりそうなことだと結生子は思う。

 ところが、現場で働いている人をはじめ、工事の関係者に事故が相次いだ。「姫様のたたり」といううわさが広がり、労働者の一人が市役所に遺跡の存在を知らせてしまった。

 どうやら、当時、市も内々ないないにはその遺跡の存在を知っていて、開発会社が遺跡を破壊することは見て見ぬふりをする段取りだったらしい。

 でも、正式のルートで報告されるともう知らぬふりはできない。

 工事は中断され、調査が行われた。

 その予備調査に行ったのがこの明珠めいしゅ女学館じょがっかん大学の日本史研究室だった。

 そのメンバーに、たぶん当時からチャーミングだっただろう女子学生がいた。

 そのころは「小岩こいわ千菜美ちなみ」という名まえだったはずの、現在の大藤おおふじ千菜美先生だ。

 予備調査までは行ったのだが、この遺跡は規模が大きすぎて、当時の明珠女学館の予算では発掘調査ができなかった。市の予算でもできなかった。大きな発掘プロジェクトを組もうとしたが、中世後期の遺跡よりは古代の遺跡のほうが優先されるし、外国での発掘調査も入って、いつまで経っても実現しなかった。そうこうするうちにバブルが崩壊し、ここでの開発計画は中止になった。開発計画がなくなった以上、発掘は急ぐ必要がなくなって、なおさらめどは立たなくなった。

 この開発計画のその後の展開はまた別にあるのだが、結生子はそれは思い出したくない。それに、いま自分に課せられたミッションを考えると、そんなことを思い出している余裕もなさそうだった。

 結生子はまた『向洋こうよう史話しわ』のページを後ろから繰り始める。

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