第34話 星淳蔵(農業)[2]

 「いえ、わたしの出身のところでは、そのひめがた還郷かんごう家老かろうがた帰郷きごうっていうんですけど、いまだに対立が続いていて、それで、わたしの家は還郷家なんですよ」

 それは……?

 姫方を還郷家、家老方を帰郷家……ということは、姫方か。

 たしかに、よかった。

 「で、わたしはいいんですけど、こんどいっしょに住む父がですね」

 そこで、ちょっと相手の女の人は言いよどむ。

 「すごく気にしてまして、帰郷家、あ、いや、その、家老方の人たちとはなかなか仲よくできないみたいなんですよ。それで、ちょっと気になりまして」

 「まあ、まあ」

 希美のぞみさんが貫禄かんろくたっぷりに答えている。

 「ここではそういうことは気にせず、のびのびとやってくださいな」

 「ええ。ありがとうございます!」

 そう元気に答えると、あと、また少し挨拶めいたやり取りがあり、相手の二人は帰って行った。

 安全だとわかったのだから、畑に出ようか。

 コップを持って立ち上がる。台所にコップを返して、外に出ようとしたとき、いま玄関を出た二人が、おもてがきの向こうを通りかかるのを見た。

 男のほうはどうでもいい。印象になんか残らない。

 だが!

 白い肌、淡い色で軽くカールした髪……。

 巻き上がったまつげと、黒い瞳……。

 楽しげに体を上下させて、うきうきと話をしながら歩いている。

 髪の毛がその動きに合わせて揺れる。ときどき、あのばっちりした目を閉じ、また開いて、歩いて行く。

 目の下が熱くなった。

 いけないものを見たと思った。

 赤いバラの花束を持ってあのひとを呼び止めたら、あのひとは笑って受け止めてくれるだろうか?

 いや、そのためには、こちらもぱりっとしたスーツを着て……。

 たとえば、白のタキシードとか。

 あのひとは、どんな服が好きだろう? いや、何をプレゼントすれば気に入ってくれるだろう?

 ああ、いけない。

 いけない。いけない。

 何をバカなことを考えているんだ。あのひとは二十歳台、こちらは七十の老人だ。

 しかも、あそこに家を建てて住むとすれば、これからご近所さんとして暮らすんだ。

 トラブルなんかけっして起こしてはいけない。

 ああ! 落ち着け。落ち着こう……。

 まずは畑に出よう。朝の放射能騒動で、ろくに今日の仕事はしていない。

 いや、放射能ではなかったのか。

 しかし、いったいあれは何だったのかな?

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