第31話 三善結生子(大学院学生)[2]

 結生子ゆきこは、もちろん人間のお葬式をしたことはない。

 でも、友だちのために、猫のお葬式をしてあげたことはある。猫の死骸を見た友だちが取り乱し、お葬式をしないと落ち着いてくれそうもなかった。結生子がその死骸しがいを埋めて、そのお寺にいて覚えたお経を唱えてあげた。

 もし、いま見つかったそこが防空ぼうくうごうで、その戦時中という時代から何十年も行方不明だった人たちの遺骨がすすのなかから見つかったとしたら、その人たちのお葬式を、いま、だれかがしなければいけないのか。

 そんなことにはなってほしくない。

 あ、でも、と、結生子は思いついた。

 「いや」

 同じように流し目で先生を見る。

 自分のはちょっと横目で見ているだけにしかならないな、ということもわかっている。

 このひとの「美しさの演出」には勝てないのだ。

 いまそんなことを考えてもしかたがない。

 「江戸時代の遺跡だとしても、黒げってことは、やっぱりおんなじような何かがあったってことじゃないですか? 失火とか、放火とか……」

 千菜美ちなみ先生は、今度は伏し目でも流し目でもなく、まっすぐ結生子に向けてその目を見開いて目をぱちぱちさせた。

 「結生子ちゃん!」

 千菜美先生が大声を立てる。目を輝かせて結生子を見る。

 「はい?」

 結生子も同じように背を伸ばして先生を見返す。先生は続けた。

 「そう! 『向洋こうよう史話しわ』から、永遠ようおんか、その近くで起こった火事の記事を探してちょうだい!」

 「はいっ?」

 結生子は眉をひそめて先生を見返した。

 『向洋史話』というのは、いまから百年以上前に、岡平おかだいら藩と岡下おかした藩についての聞き書きを集めてまとめた本だ。

 ある事件や人物について調べるばあい、その事件を直接に体験した人の記録やその人物の日記、その人物と直接につきあいのあった人の記録などを最初に調べる。こういう史料を「一次史料」という。

 それ以外の史料は一次史料を補うために使うのが原則だ。

 一次史料がないのならともかく、それがあるのに、一次史料以外から手をつけると、普通はこの先生には怒られるのだが……。

 この『向洋史話』は一次史料ではない。岡平藩や岡下藩がなくなってから三十年経ってから集められた聞き書きだから、藩がなくなる時点についての記事でも、もう三十年近く前のできごとについての思い出話だ。

 もちろん、厖大ぼうだいな一次史料にいきなり取り組むと何が何かわからなくなってしまうから、最初に年表や簡単な編年史から入るということはあるが、『向洋史話』は「簡単な編年史」などではない。

 「いいのよそれで。前に見たときなんかあったと思うのよ」

 「どのへんにですか?」

 「それを覚えてたら自分で探してるわよ!」

 あのなあ……!

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