第25話 天羽てる美(元スーパー店員)

 やることもないけど、どうしよう、と、てるは思った。

 家を追い出されたのか、自ら出て来たのか。

 その後も続けていた岡平のスーパーのレジ打ちの仕事も、今年の春、なくなった。スーパーの店舗てんぽ自体がなくなり、仕事が消え失せたのだ。

 いまは、退職金というのか何というのか知らないけれど、その仕事がなくなったときにもらったおカネで生活している。

 隣の阿倍あべさんのおばさんに、秋に国道沿いにできる大型ラーメン店の店員さんの仕事をしないかと誘われているが、まだ迷っている。

 体力にも、客商売にも自信はあるといえばある。でも、いつまでできる仕事かということは、もう少し考えたほうがいいと思うのだ。

 どうせ、歳をとっても年金はもらえないし、もう娘にも養ってもらえない。

 養ってくれと言える義理でもない。

 それに、その仕事をするにしても、始まるのは秋だ。

 先のことを考えれば不安になるけれど、ともかく、いまは何もしなくていい生活だ。

 こういうのを「ニート」とか言うんだっけ?

 ともかく、落ち込んだりふさぎ込んだりしないで、楽しまなきゃ!

 パートで働いていたとき、てる美はそう言って若い子たちを励ましたものだ。

 「うるさい」、いや「うざいおばさん」と思われていただろう。でも、そう思ってもらえるだけでもいいんだ。その子たちは、てる美を「うざい」と思っているあいだ、その落ち込んでいる原因を忘れられるのだから。

 それで、浴衣ゆかたに着替えてみることにした。

 去年は着なかった。

 浴衣で花火なんて年頃でもない。だいたい、浴衣を着て、だれに見せると?

 でも、そんなネガティブな考えはやめよう。

 だれに見せることもない。涼しくて、肌触りがよくて、何より、着てみたい。久しぶりに浴衣を着た自分の姿を見てみたい。

 どんなにうきうきするだろう?

 うきうきするとは限らない? そんなことはない。いま、久しぶりに浴衣を着ることを想像しただけで心が浮き立っているのだから。

 昼間っからお酒を飲んでもいい。どうせ、だれに迷惑をかけることでもないのだから。

 いや。

 それより、久しぶりにあの花沢はなざわという村まで行ってみようか。

 自分と、あの夫、いまでも法律上は夫であるはずの人物とを引き合わせてくれたひとが住んでいた村だ。

 でもそのひとはもういない。

 いまも、地球上の、おそらくこの国のどこかにはいるのだろうけれど、てる美はその行き先は知らない。

 そのひとが住んでいればとてもこの村に行くことなどできなかった。

 会ってしまったら何をどう説明すればいいかわからない。事情が事情なのでてる美を責めることはしないだろうけれど、あるいは、あの夫との仲を取り持とうと奮起ふんきしてくれるかも知れない。それはかえって迷惑だ。

 廃村になったからこそ、行くことができる。

 非業の死を遂げたそのお姫様のたたりなのか、それとも、家老の悪業あくごうがいままで尾を引いているのか。

 あの夫に嫁ぐまで、江戸時代の中ごろに起こったというその事件がこの二十一世紀にまで尾を引いているとは夢にも思わなかった。

 だが、その甲峰こうみねという村では、そのときのひめがた家老かろうがたの対立が生きていた。

 村のなかで何をするにも、その相手が姫方の家なのか家老方の家なのかどちらでもないのかを考えなければいけなかった。そういうのができないわけではないので、やっていたけれど、でもわずらわしいには違いなかった。

 しかも、みんな、とは言わないけれど、どちら方の家の人たちも、もうそういう対立はばからしいと思っているのに、それが続いていたのだ。

 甲峰の南の愛沢あいざわでもそうらしい。

 そして、この滑川地なめかわじの隣村にあたるその花沢という村は、その対立の果てに村が崩壊した。

 なんでも、台風か何かで漁船と漁港の施設が大きな損害を受け、復旧しなければならないのに、その対立のせいで費用の負担の調整がつかず、みんな次々に村から出て行ってしまったという話だ。

 次はどこが崩壊するんだろう?

 あの甲峰かな?

 そう思うとなぜか気が軽くなった。

 その軽くなった勢いで、てる美は浴衣に着替えるために二階への階段を上がって行った。

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