第20話 天羽佳之助(元造船所社主)[4]

 帰郷きごうりゅうとはもともと口もきかない。顔を合わせても会釈えしゃくもしない。

 それに加えて、還郷かんごうりゅうの連中とも口をきかなくなった。

 最初は佳之助のほうで避けていたのだが、佳之助がそろそろ仲直りでもと考えても、相手が顔を合わせてもくれなかった。

 あの山越やまこしの若造などは、声をかけても、何かきたないものでも見るように佳之助を見て、しかも佳之助の横をわざわざ半円を描くようにして避けて通り過ぎるのだ。

 それだけではなかった。

 娘の佳愛かあいもそういう帰郷家流還郷家流よってたかってのいじめに耐えかねたのだろう。どこか遠くの大学を受験して一人暮らしをすると言って出て行った。

 佳愛が大学に行って、二人暮らしになった最初の夏、妻が夕食どきにふと言った。

 「お父さん、いいかげん、祝部ほうりさんたちと仲直りしなさいよ。今年ももうすぐ姫祭りでしょう?」

 「何をっ!」

 頭に血が上って、体がぶるぶる震えた。

 「やつらは、このおれだけでは気が済まずに、佳愛までいじめて村から追い出したんだ!そんなやつらに頭を下げろってのか!」

 「だから、それ、違うから」

 妻は言った。

 「あなたがそんなことで意地を張るから、佳愛が嫌気がさしたんでしょう? だいたい大学生になって……」

 「黙れえっ!」

 佳之助は立ち上がった。

 「おまえはあの祝部だの山越やまこしだのの肩を持つのか! おのれっ! 見下げ果てたやつめ! 黙れ! 黙れ! 黙れっ!」

 右手が茶碗ちゃわんに当たったので茶碗を投げた。なかに三分の二ほど残っていたご飯ごとだ。汁椀しるわんに当たったので味噌みそ汁が入ったままの汁椀も投げた。魚が載っていた皿にも右手が当たったのでそれも投げた。箸も投げた。箸置きも投げた。炊飯すいはん器は投げられなかったので、コードを引きちぎって、コードをまるめて投げた。そうしたら、妻の体に当たってはね返ったそのコードの先端が食器棚のガラスに当たり、ガラスが砕け散った。

 妻は、食器棚のガラスも片づけず、背筋をしゃんと伸ばした姿勢ですっすっすっと玄関に向かうと、ご飯粒も味噌汁も魚についていた味噌もぬぐわずそのまま出て行った。

 実家に帰ったという話だ。

 妻の父親が電話してきて、妻には別居をさせると言った。

 「なあにが別居だ! あんなひどい女育てやがって! おう! おまえの娘なんざなあ! くだりはんだ! 三くだり半! おまえは知らねえだろうけどな、昔はなあ、ひどい女が相手だとかんたんに離婚ができたんだぞ! おまえの娘にも三くだり半してやるから、楽しみにして待ってろってんだ!」

と告げて電話を切ったら、それっきりだ。それ以来、妻がどこで何をしているか知らない。

 造船所を始めたころに、花沢はなざわという村の漁師の紹介で会い、結婚した。

 造船所が忙しかったころには妻も目を輝かせて仕事を手伝ってくれた。工員とのトラブルや、工員どうしのトラブルも、妻がうまくさばいてくれた。

 そして、あの三善のおかげで造船所がつぶれると、その妻が街のスーパーのパートに出て、パートと言ってもほとんどフルタイムで働いて、家計を支えてくれた。

 妻が去り、その収入も絶えた。いまでは収入は手もとに残した株の配当だけだ。利息はほとんどつかないという。そんなはずがあるかと銀行に何度も文句を言ったが、やっぱり利息は増えない。どこの銀行に預け替えても同じだった。だから預金は少しずつ減っていく。残ったのは二千万だった。

 そうだ。

 その二千万で岡下おかしたに土地を買い、家を建てることにしたのだ。

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