第19話 天羽佳之助(元造船所社主)[3]

 「江戸時代と言っても宝暦ほうれき年間だ。だから二百五十年と少し前。それでいいんだ」

 そして祝部ほうり惣一そういちはちらっと佳之助かのすけ氏に目を上げる。

 「今日は姫様の無念に思いを致し、穏やかに飲む日だ。還郷かんごうりゅうならばそれぐらい……」

 佳之助氏はがまんならなかった。

 相手のことばをさえぎる。

 大声で言い返した。

 「何だと? おう! 説教を垂れようってのか? 姫様だ姫様だって、ふんっ! そんな姫様が俺たちの役に立ってくれたことが一度でもあるか! え? 一度でもあるかってんだよ? ねえだろうが、ばぁか! それがことあるごとに姫様だなんて、大の大人がよぉ! 女々めめしいってんだよ! みみっちいってんだよ! そんな、いたかどうかわからない女に頼るんじゃなくてよ、自分の力で帰郷きごうから村を取り戻すんだよ! それに、なんだか知らねえが、還郷かんごうりゅうが帰郷家流の不幸を笑って何が悪い!」

 佳之助氏のそのことばが終わらないうちに、その祝部惣一は立ち上がっていた。

 「おう、なんだ、やる気か……!」

 しかし最後のほうで息をんだ。

 残念ながら、立つと、この祝部惣一のほうが背が高いし、恰幅かっぷくもよい。

 小学校のときから、体力でも成績でも、佳之助氏はこいつに勝てたことがなかった。

 だいたい祝部惣一のほうが学年が二つ上だ。

 押される。

 さすがに言い過ぎたかと一瞬思った。そしてわれ知らず愛想笑いのような笑いが顔に浮かんだ。

 それがよくなかった。

 その祝部の当主は、今度は佳之助を見下しながら、さっきから変わらぬ、脅すような低い声で言った。

 「帰れ。きさまなんかとのつきあいは今後一切いっさい御免ごめんこうむる」

 佳之助氏の体じゅうの血が沸騰ふっとうした。

 ひとが下手に出ればいい気になりやがって!

 「何をっ!」

 佳之助氏はつかみかかろうとした。

 だが、その佳之助氏は後ろから乱暴に引き留められた。

 引き留められただけではない。何人かがかりでそのままひきずって行かれた。

 「おい、おい、おい! 何をするんだ乱暴者! こら! 放せ! 放せと言ったら放さんかい! おい! おれをだれだとかんちがいしてる? 甲峰こうみねスター造船所の天羽あもう佳之助だぞ! おまえらのうち一人でもおれの足もとに及ぶやつがあるか! おれ様の足もとにすら及ぶやつがいるかってんだよ! そのおれ様だぞ! おれ様が放せと言ってるんだ! ええい、放さんかい!」

 放してもらえるどころか、玄関からどすんと乱暴に引きずり下ろされた。

 それでも終わらない。門まで引きずって行かれて、靴と、自分が持って来たかばんといっしょに外へとほうり出された。

 見ると、自分の後ろでいちばん強く引っぱっていたのは、帰郷家流と還郷家流の区別も知らなかったあの山越やまこし若造わかぞうだった。まっ赤な顔をして、激しく息をしている。

 「何をこの野郎っ!」

 憤ってもういちど玄関から突入しようとした佳之助氏の前でドアが閉められる。

 「待てっ卑怯ひきょうものっ!」

 佳之助氏がはね上がってドアの端をつかんで引っぱり戻す。向こうは穏やかにドアをまた少し開いた。

 顔を見せたのは、いや、間抜け面を見せたのは、あの山越の若造だった。

 「きさまっ!」

 「あ、それと」

 山越の若造はまるで感情のこもらない平板な声で言った。

 「一六〇〇年は関ヶ原の戦いの年で、江戸幕府開設の年じゃありませんから。江戸開府かいふは一六〇三年ですから」

 は?

 何を言っている?

 すっ、と扉が閉まる。鍵をかけた音がかちゃんとした。

 「なっ、何を言ってやがる!」

 佳之助氏はわめいた。

 「関ヶ原の合戦があっての江戸幕府だろうが! 関ヶ原の合戦一六〇〇年! それから四百年で間違いないだろうが! ははぁ、さては、自分らの無知がばれると思っておれを追い出したな! ばぁか! 言いふらしてやるぞ! いいから開けろ! 開けて堂々と議論しやがれってんだ!」

 だが反応はなかった。引いても押してもがちゃがちゃやっても開かない。

 「どろぼう! 裏切り者! つらよごし! ばか! 劣等生! 恥知らずーっ!」

 佳之助はあらん限りのののしりことばをそのドアの前で並べ立てたが、何にもならなかった。

 そして、その日から佳之助氏は孤立した。

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