第18話 天羽佳之助(元造船所社主)[2]

 ひめまつりというのは、この甲峰こうみねの村の還郷かんごうりゅうだけの祭りだ。

 帰郷きごうはそんな祭りがあることさえ知らない。

 もともと、帰郷家が村の権力を握っていた時代に、その帰郷家に気づかれないようにひそかにやっていた祭りなのだろう。いまはそんな時代ではなくなったが、いまでも、還郷家の家の中だけでひっそりと行う。還郷家流のなかで当番を決めて、その家に設けた姫神様の祭壇さいだんというのにお参りする。

 そして、各家の当主はその家に残って、夜中まで宴会をやる。

 その年は、山越やまこし家の当主がだいわりして、新しい当主がはじめて祭りに参加していた。

 山越のじいさんは、もうだいぶ前から、いまさら還郷家流だけで集まって祭りをする時代でもあるまいと、祭りに姿を見せなくなっていた。

 けっして悪い人ではなかった。白いひげをたくわえて磊落らいらくに笑ういい老人だった。

 そのせいで帰郷家流からも人望があった。

 それで選択を誤ったのだ。帰郷家流で三善みよし家に次ぐ実力者の鳥浜とりはまのじじいに丸めこまれたともいう。

 その年、やって来た当主というのは、そのじいさんの孫だった。

 あきれたことに、その山越家の若造わかぞうは、帰郷家流と還郷家流の区別さえ知らないらしかった。あのじいさんがちゃんと教えなかったのだろう。それで、帰郷家流と還郷家流の区別を、そのあく家老がろう相良さがら讃州さんしゅうのところからいまの時代まで、きちんと教えた。そして、最後に

「でもいい気味だぜ! その帰郷家のなかでも、あの三善なんて家はりがよかったのによぉ、あんなことになって、いい気味だ! いい気味だぜ! まさに天罰てきめんってやつだ、はっはっはっはっはっ!」

と笑った。

 酒が入っていたせいもあるだろう。その笑い声は大きく響き渡った。

 場がしんとしずまりかえった。

 その年の当番で、主人の席に着いていた鹿又かのまた祝部ほうりの祝部惣一そういちが、難しい顔をして座ったまま、脅すような低い声で言った。

 「そう、ひとの家の不幸を笑うものではない」

 「何をっ!」

 天羽あもう佳之助かのすけ氏は思わず言い返した。

 酒の勢いもあった。山越の若造への教育の意味もあった。

 後ろには引けなかった。

 「三善の家が没落して村からいなくなったんだ! これほどめでたいことがあってたまるかってんだ! あってたまるかってんだよっ! まったくよ! 先祖代々の悪業あくぎょうってやつがよ、あの三善家三代に降りかかったんだ! 娘はハレンチ! じじいはアル中! それで一家破滅だってよ! ざまあみろ! へっ! ざまあ見ろってんだ!」

 その場にいた全員が佳之助氏に注目した。もっとも、見返すと、そらぞらしく目をそらす者もいた。

 けっ!

 そういう弱気が帰郷家流につけ込まれるのよ!

 「ひとの家の不幸を笑うものではない」

 しかし、祝部惣一は低い声で繰り返した。

 「いまこの村はそんなことで争っていられる状況じゃない。わからんかな」

 言って、自分の猪口に手酌で酒をつぎ、あおっている。

 佳之助氏のほうを振り向くどころか、目を合わせもしない。

 かっとなった。

 「何をっ!」

 佳之助氏は立ち上がった。自分のぜんっ飛ばし、その祝部の当主の前に出て立ちはだかる。

 「何を! きさま! 帰郷家流の肩なんぞ持ちやがって! おう! おまえが帰郷家流の鳥浜なんぞと仲よくしてやがるのは先刻ご承知なんだ! おう! 裏切り者! つらよごし! よくも還郷家流四百年の歴史をけがしやがったな!」

 祝部惣一は、それでも、自分の膳の前にじっと座ったまま、手酌てじゃくで酒を傾けていた。

 顔も上げずに酒をしまいまで飲んでから言う。

 「四百年ではない。いまで二百五十年ほどだ」

 何をいってやがる!

 「へっ! しったかぶりを! いいか? 江戸時代だぞ! 江戸幕府ができたのは四百年前なんだ! ちょうど西暦一六〇〇年! 西暦一六〇〇年だ! 四百年前じゃねえかよ! こっちはちゃんと知ってるんだぞ! いいかげんを抜かすな劣等生野郎!」

 だが、ぐうの音も出ないように言ってやっても、祝部惣一は落ち着き払っていた。

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