第10話 天羽佳之助(元造船所社主)[2]

 もともと、この甲峰こうみねには、帰郷きごうりゅう還郷かんごうりゅうの対立がある。

 還郷家流というのは昔からこの甲峰に住む由緒ゆいしょ正しい家柄だ。

 ところが、江戸時代、相良さがら讃州さんしゅうという野心家のあく家老がろうが、その由緒正しい家柄の住人を村から追い出して山奥に追い立て、自分の息のかかった者をよそから連れてきて村に住み着かせた。これを帰郷家流という。

 悪家老は悪事の報いで切腹し、山に追いやられていた由緒正しい住人たちが戻って来たのに、帰郷家流は村に居座った。それどころか、その悪家老と結んでもうけたカネでこの村を支配し、還郷家流を搾取さくしゅした。おかげで、明治、大正、昭和と、帰郷家流はカネ持ち、還郷家流は貧乏という構図が定着していた。

 若かった時代には――と佳之助かのすけ氏は思い起こす。

 還郷家の仲間には、社会主義だ、革命だ、なんて叫んで回っていた連中もいた。

 そんなことを叫んだって、現実が何か変わるわけではないのに、だ。

 そのなかで、自分は正道せいどうを歩んだ。

 大学では造船学科に進み、一念いちねん発起ほっきして港に漁船のための造船所を造った。

 造船所と言っても、近海で操業する漁船の整備と修理を行うだけの小さな工場だったが、それでも需要はあったのだ。

 当時は還郷家流と帰郷家流で漁協も別々だった。だが、漁船の整備をする工場は帰郷家流の三善みよし家のところしかなかった。還郷家流は、よその浜の造船所に整備を依頼するのでなければ、この三善の造船所に漁船の整備を依頼するしかなかった。

 その状況を佳之助氏が変えたのだ。

 造船所を立ち上げるために家や土地まで抵当に入れて借金をしたが、それぐらいはすぐに回収できた。

 愛沢あいざわだの花沢はなざわだの、よその港の船の整備も請け負い、また注文を受けて漁船を建造した。目が回るほどに忙しかったが、そのぶん儲かった。

 預金よきん通帳つうちょうの数字が一晩で倍になったこともあった。

 その儲けの一部を株式に投資すると、これまた面白いように儲かった。三十歳台にして佳之助氏は億万長者だった。

 だが、それはつかの間の夢だった。

 油断だった、と、佳之助氏は思う。

 還郷家流の事業の成功を黙って見ている帰郷家流ではなかったのだ。

 なかでも帰郷家流のリーダーの三善家は、最初の勢いのよかったころには佳之助氏の事業を指をくわえて見ていたが、やがて妨害を始めた。

 仕入れの共通化だの、社員の合コンだの、あらゆる手で佳之助氏の工場の事業の利益も社員も奪い取ろうとしてきた。すべて門前払いにしてやったけれど。

 ところが、ほかにも妨害工作をしていたらしく、還郷家流でも整備の契約を三善の造船所に変えるところが出た。

 理由をきくと、三善の造船所のほうが安上がりだからという。

 「へっ! どうせ安かろう悪かろうだろう! そんな理由で契約先を変えて、後悔すっぞ!」

 そう忠告してやったけど、その流れは止まらなかった。愛沢や花沢からの注文もなくなった。

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