第9話 天羽佳之助(元造船所社主)[1]

 岡平おかだいら岡南おかみなみちょう甲峰こうみね在住の天羽あもう佳之助かのすけ氏は、つけていたテレビを消すと立ち上がった。

 テレビから流れてきた内容があまりに不愉快だったからだ。

 芸能人に大金を与えてラスベガスで豪遊ごうゆうさせ、その一部始終を追いかけてレポートするという。

 立ち上がってから、佳之助氏は

「何がラスベガスだこの野郎」

悪態あくたいをついた。

 縁側えんがわまで出て、たばこをふかそうとした。

 でも、たばこもライターも茶の間のさらに向こうの居間に置いてある。

 「おーい、たばこを持ってこい」

と声をかけると、たばこだけでなくライターまで持って来てくれた妻は、もういない。

 取りに行こうか、と思ったが、汗がにじんで顔に垂れてきた。

 めんどうくさい。立ち上がってさらに汗をかくのもばからしい。

 そのうえ、健康診断のとき、医者から、たばこはひかえるよう、できればやめるようにと厳しく言われた。

 「なあにたばこやめるくらいなら死んだほうがましだ」

と軽く言い返したのだが、医者は

「いまやめないと、ほんとうに命が縮みますよ」

なんてさらに言い返しやがった。

 「最初は、吸っても吸わなくてもいいけどとりあえず吸うか、と思うようなときに、それだったらやめとこう、というふうにするのだけでいいんです」

と言う。

 じゃあ、いまがそれだ。

 やめとこう。

 でも、縁側に座っても、何かすることがあるわけでもない。

 外はしんとしている。

 前は子どもたちの遊ぶ声ぐらいは聞こえたものだ。いまではそれも聞こえない。

 せみは鳴いている。でもその蝉の声さえ昔と較べるとまばらになった。

 することがない。

 することがないので、

「何がラスベガスだこの野郎」

とかすれた声で繰り返す。

 六十五というこの歳、自分がこのちっぽけな村の家の縁側で一人でたばこをふかしていようとは、若いころには思っていなかった。

 たばこはふかしていないけれど、それはどちらでもいい。

 六十を過ぎて引退した自分は、ラスベガスに豪邸ごうていを構え、そこでカクテルのグラスを手にアメリカ美女に囲まれている。

 そういう老後が来るはずだった。

 それが、それと正反対の老後になってしまったのは。

 「あの三善みよし祥造しょうぞうのおいぼれめが!」

 佳之助氏はれた声でもはっきりとののしる。

 「三善の言うことなんぞききやがったあの鹿又かのまた祝部ほうりのたぬきめが!」

 それと。

 「そんなときにバブル崩壊なんか起こしやがったばかどもめが!」

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