第2話 再会

 キーンコーンカーンコーン


 4時間目が終わったと同時に桐谷美優きりたにみゆは、お弁当が入った巾着袋を持って自席から離れた。

 中学2年に進級した4月のこと、まだ親しい友達がいないし、いたところで、流行しているウイルス性の風邪のせいで黙食を強いられたランチタイムは、美優にとっては息苦しい時間帯だった。

 美優は学校の中庭にあるビオトープに野良猫が住み着いていることを知ったので、猫にお弁当を分けてあげる名目で、天気の良い日は中庭でランチタイムを過ごす。

 この日も中庭のベンチに腰かけると、猫がピンとしっぽを立てて「ニャー」と、甘えてすり寄ってきた。


「さあ、ご飯にしようか。猫ちゃん」


 美優がお弁当を広げていたら、こちらへ近寄ってくる誰かの足音がふと耳に入った。

 ビオトープは3面を校舎の壁に囲まれたコの字型の中にあり、出入りできるのは一方向しかない。その方向をじっと見ていたら、隣のクラスの中西が仲間の男子1人を連れてやってきた。


(今日に限って、嫌な連中が来ちゃったなぁ)


 心の声が美優の表情にありありと出ていたようで、美優の前に立った中西は、頬が引きつっている。


「桐谷、今日こそは良い返事を期待してきた。俺様の彼女にしてやると言っているのだから、こんな名誉なことはないだろう?」


 中西は気を取り直して、偉そうにふんぞり返った。

 中西は、大きな会社の社長令息らしい。四角い顔と大きな体躯。突き出ているお腹は主に肉と生クリームの大量摂取によるものと見受けられる。

 美優自体は平凡な見た目で、とりわけ目立って可愛いところもないはずなのに、何故か中西に気に入られてしまい、近頃は辟易していた。


「中西君、私はまだ彼氏とか考えられない。気持ちは嬉しいけど、特別な人を作りたくないの」


 美優はベンチに座ったまま、前に立つ中西を猫のような目つきで見上げた。

 何度目かのお断りだっただけに中西の唇がワナワナと震えている。美優から見れば甘やかされて育ったお坊ちゃんだ。否定される事が嫌いで、否定すれば逆上されると知っていた。でも、美優だって自分の心に背いてまで受けるわけにはいかないのだ。


「――なるほど。桐谷は照れ隠しの拒否なのだな。俺様には分かる。お前は天邪鬼だ。俺様がこれだけ好意を示して靡かない女はいなかったし、本当は俺様に惚れているんだろう?」


 どこをどう取れば美優が中西に惚れていることになるのか、美優は唖然としてしまう。

 これはキッパリ言わないと後々面倒なことになると悟った美優は立ち上がり、中西に向かって大声で言い切った。


「頭の中がお花畑なの!? 私は嫌だと言ったの。中西君のことは彼氏にできません。もっと言えば、あなたの事は、好きか嫌いかで言えば、嫌いです!!」


 美優の剣幕に押されて中西他1名はあんぐりと口をあけてアホ面を晒している。


「ニャーオ、ニャーオ」


 美優が大声を出したことで、野良猫が逆毛を立てて威嚇し始めた。きっと、中西のことを美優の敵と認識したのだろう。

 中西と一緒に来た男子が「なんだこいつ」と猫をシッシと追い払ったが、逆に猫に手を引っ掛かれて悲鳴を上げる始末。それを見た中西はカッとなり、猫の首根っこを後ろから摘まみ上げると、池に向かって放り投げた。


「ああっ! 猫ちゃん! ――なんて、ひどい事をするのっ!!」


 猫は水に弱い生き物だ。ザブンと水しぶきが上がると同時に必死になって足をジタバタ動かしている。直ぐに助けなければ溺れてしまいそうだ。

 中西達は猫が藻掻く様子に流石に後ろめたい気持ちになったのか、「桐谷のせいだ!」と美優に責任を押し付けると、急いで立ち去ってしまった。


「猫ちゃん、待っててね、今助けるから――っ」


 中西になんて構っていられない、美優は素早くローファーを脱いで、池に入ろうとした。

 その時、美優の肩を後ろからグイっと強く引く者がいた。


「俺に任せろ」


 美優が驚いて振り返ると、1学年上の3年の男子だった。一度も聞いたことがない低めの声の持ち主は、確か、いつも女子が騒いでいる人気の先輩だったはず。


 その男子は靴と靴下を脱いで制服のズボンをまくり上げると、決して綺麗ではないビオトープの池に一瞬の躊躇もなくザブザブと入っていき猫を持ち上げた。

 彼は自分が濡れることも厭わずに猫を助けると慎重に地面に下ろす。

 猫は地面に安心したのか全身を小刻みに震わせながら毛の水分を飛ばし、まるで水場からは一刻も早く離れたいといわんばかりに、瞬く間にどこかへ行ってしまった。


(猫ちゃん、無事で良かった)


 安堵して改めて彼を見た途端、サーっと血の気が引いた気がした。

 彼は猫の救出にシャツまでずぶ濡れになっていて、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。


「あのっ、有難うございました。こんなものしかないのですが、良かったら拭いてください」

 美優はピンクと赤の苺柄のハンドタオルを彼に差し出した。


 彼は口角を上にあげると、「今でも苺が好きなんだね」って意味深なことを言い、美優からハンドタオルを受けとって濡れたシャツを拭き始めた。


 美優は頭上に幾つもの「?」が浮かび上がる。

 もともと学年が違うし、顔を見合わせたのも、話しをしたのも今が初めてなはずだ。

 身長は美優の頭一つ分ほど高く、優しそうな表情をしているが、時々射るような強い眼差しをする。とってもクールな男子で、笑う時のアヒル口が印象的だった。

 美優は彼のアヒル口を見つめるうちに、いつの間にか遠い昔によく遊んだ男の子を思い出していた。


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