第21話お遣いフェンリルのエプロン
刹那、厨房を静寂が支配した。
数秒の間をおいて、セインが「ぶっはあ!」と噴き出し、げらげら笑う。
「やるじゃん、オヒメサマ……っ! フェンリルのリーダーつかまえて、い、犬呼ばわりって……!」
「フレデリカ様はまだ幼く、ましてや人間です。見目から似た種族を連想するのは、いたって自然なことかと。それよりも、"犬"にも惜しみない慈愛を注ぐそのお優しさ……! 俺はいま、心からの感動を覚えています!」
腕で目元を拭うシドルスは、どうやら感激の涙を浮かべているよう。
「あ……わ、私……っ!」
羞恥にかっと顔が熱くなる。
サミルをはじめとする火蜥蜴たちも、必死に顔を背けていたり、拍手をしていたり。
ともかく、自分の発言がとんだ失言だったのだと嫌でもわかる。
すると、「ん~~~~」とアーヴィンがゆるく首を振った。
「あ、ごめんなさい」
あまりの衝撃に、離してあげるのを忘れていた。
跳ねるようにして掴んでいた鼻先から手を退くと、アーヴィンは私をスンスンと嗅いで、
「美味しい甘いのと、同じ匂いがする?」
「あ……私も一緒に作ってたから、そのせいかもしれないわ。それでね、アーヴィン。私、けしてあなたを侮辱するつもりじゃ……」
「フレデリカ、作ったの?」
「へ?」
(私が"犬"って言っちゃったの、気にしていないのかな)
面食らう私に、アーヴィンははたりと尻尾をひとつ振って、
「さっきの、美味しい甘いの。作ったの、フレデリカ?」
首を傾げるアーヴィンに、コホンとひとつ咳ばらいをしたサミルが口を開く。
「先ほどアーヴィン様がお召し上がりになられた"スイートポテト"だけではありません。こちらのトーストも含め、近頃はフレデリカ様の考案されたレシピによって、魔王城の食事は随分と豊かになられました」
「フレデリカが、考案……。あ、そうか」
アーヴィンは首をぐるりと曲げると、自身の身体を鼻先でこすり、「あった」と小さく呟く。
「これ、フレデリカの?」
「それは……、エプロン!?」
突き出された黒い鼻先で揺れるのは、間違いなく渇望していたエプロン。
ただ、ナーラ達が使っているものとは少し異なっていて、白地に赤い薔薇の刺繍が施されている。
更には黒いリボンがアクセントになっていて、明らかに他のものよりも凝ったデザインになっているのだけれど……。
「どうです、フレデリカ様! お気に召されましたか?」
「! もしかして、シドルスがデザインを考えてくれたの?」
「いえ、俺が考えたわけではないのですが、出来得る限り可憐でドレスに見間違う、豪華なものをと注文をつけさせていただきました。これならば、フレデリカ様が着用するに値するエプロンですね!」
腕を組み、うんうんと満足げなシドルス。
「色々と考えてくれてありがとう、シドルス。けれど、素敵すぎて汚してしまうのが申し訳ないわね」
「べっつにー、汚れたらまた仕立てたら良いじゃン。"星食い池の魔女"なんて、基本ヒマでしょ。それよりも! どーしてくれんのさ、ボクのスイートポテト!」
「え……ね、ねえセイン! 今、"星食い池の魔女"って言った!? このエプロンは、その人が作ってくれたものなの?」
「そーだよ。なんか趣味らしいけど。なに? 興味あンの?」
「あ、ある! とっても、あるわ!」
("星食い池の魔女"って、勇者カイルの幼少期に関わる重要人物じゃない……!)
魔王レスターの討伐に関与する勇者一行は誰も彼もが、魔物や魔王を恨むに至った悲しい過去を持つ。
勇者カイルもその一人。"黒翼の森"と隣接する貧しい村で生まれ育った彼は、幼少期、女手一つで育ててくれている母が"黒魔中毒"を患ってしまう。
黒魔中毒というのは、魔境で過ごした鳥や鹿などの生物が、その身体に黒魔力をため込んでしまい。
知らずにその肉を食べた人間が拒絶反応を起こし、高熱と共に身体が弱り、命を落とす奇病のこと。
(たしか"黒魔中毒"にかかった人は、お腹に黒い斑点が現れるのだっけ)
"黒魔中毒"を治すには、聖教会の司祭による白魔力での浄化が必要になる。
けれど司祭の数は限られているし、治療費だって高額。
そのため、治療を受けられるのは貴族ばかり。
平民は治療を受けられず、苦しみながら命を落とすことになる。
(だけど、ひとつだけ。白魔力での浄化以外に、治癒を期待できるモノがあった)
それが、魔境に暮らす"星食い池の魔女"が育てている、"奇跡の花"。
(カイルは勇敢にも"奇跡の花"を探しにいくのだけれど、魔物に邪魔をされて……。運よく花を手に入れることが出来たのに、家に着いた時にはお母さんはもう、手遅れの状態だった)
そのことをきかっけに、カイルは魔族に強い恨みを持つ。
そしてそれが、勇者となった彼が魔王の討伐を誓う強い動機になっているわけで。
(つまり――私がその"動機"を変えれば、カイルは魔族を恨まなくなる?)
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