(67) 追憶-4

"森"はいつもと変わらずに、今でもそこに在り続ける。

あの頃とは何も変わらずに、そして優しくて温かい。



帰りたいと願った"森"は、ものの数時間で着いてしまった。けれど、"森"に帰ったはずなのにどこか日常とはかけ離れているようで、不思議と心がふわふわした。



────"森"の奥部の拓けた場所に、蔦の茂る一軒の小屋がある。

小屋の周りには"森"の動物達が集い、あの頃と変わることなく私達を迎えてくれた。


色取り取りの草花が迎える玄関の前で、大事にしまっていた小屋の鍵を取り出して、鍵穴へと差し回し込む。続けてかちゃりと錠の外れる音がして、扉を開くと木の香りがふわりと鼻をくすぐった。



「────どうぞ中へお入りください」


私は魔女、ホワイトサングリアを小屋の中へ招き入れると、


「────じゃ、遠慮なく」


彼女と一緒に玄関を通り抜ける。


入口の空間を進んでゆき、私は居間に通じる白い扉に手を掛ける。暖炉や椅子、並び揃えられた空き瓶まで、縁の深い年代物の家具や装飾品は変わることなく在り続けており、懐かしい温もりに包まれた。


それらは知らず知らずのうちに固まった、私の心を溶かしてくれる。────それでいい、そのままでいい。そう思わせてくれる何かが、この"森"には詰まっていた。



*



私は用意できる一番の茶葉を用いて、沸騰したお湯をポットへと注いでいった。蓋をし終えると乾燥した茶葉が浮き上がり、お湯を含むと葉が開いて、ひらひらと落ちてゆく。蒸らしを終えた紅茶のポットを手にしながら、濃さが均一になる様にカップに回し注ぎ入れる。


私はトレイに乗せたティーセットを机の上に並べ終えて、魔女、ホワイトサングリアに手を翳した。


彼女は3本の指で持ち手を摘んで持ちながら、傾けたティーカップに口を付ける。紅茶を飲む姿には品位と教養が現れると言われているが、その全てが気品漂う、洗練された仕草だった。



魔女、ホワイトサングリアと紅茶を囲みながら、私は静かに彼女に語り掛ける。



「────────私は、実の親の顔を知りません。"森"に生まれ落ちてすぐ、母、タルト オ シトロン様に養い育てて貰いました」



あれは、いつ頃だっただろうか。タルト オ シトロン様の前で泣くのが恥ずかしかったから、涙を必死に我慢した。お母さんの遺して行った書物の筆跡を見ては、机に突っ伏して泣いていた。────私はそんな事を思い返しながら、紅茶のカップに口を付ける。



「子供は親が育てるのが真っ当な事でしょうし、親も子供を手放したいなどとは思わないでしょうが、────中には様々な事情から、それを誰かに託す親だって居るのも確かな事実なのでしょう」



辛くて、苦しくて、


流れていく時間と共に、寂しくて、悲しくて、泣きそうになりながら。そして残された者はどうするべきなのか、子供は問いを突き付けられる。



「けれど、────この"森"には、私がお母さんに愛されていたという想いが、余りにも溢れています」



言葉と一緒に、ずっと我慢していた、堪え切れない想いが流れ落ちていく。


それは当たり前の様に、ちょっとした事、大したことない事でも。聞いてみたい、そして相談してみたい。そう思った時に浮かぶのは、いつでもお母さんの記憶だった。



魔女、ホワイトサングリアは言葉を遮る事も無く、否定する事も無く、ただただ黙って私の話を聞いてくれている。



私はきつく目蓋を閉じたまま、大きく息を吸って吐く。



「どうしてお母さんは居なくなってしまったのか、その理由は分かりません。タルト オ シトロン様にも、それは聞いてはいけない気がして、相談することは出来ませんでした」



正解なんて程遠くて、確かなものなんてない。

何かに不安になりながら、声にならない声で、救いを求めて繰り返す。


だから今この瞬間も、きっと多くの魔女が祈っている。


何かを祈る事で、苦痛になる時もある。


けれど何かを祈る事が、一番魔女として、魔女らしく生きる瞬間なんだろう。



私はやがて顔を起こして、魔女に小さく微笑みかける。



「別れを告げ終えてしまったら、もう振り返る事は出来ないでしょう。────────私はお母さんが生きた世界を、思うままに見てみたい。そして私も、誰かの為に、生きていたいと思っています」



だからきっと、この世界の、


まだ見た事の無い沢山に、触れてみたいと祈っている。



*



ベッドの端で小さな寝息を立てて、魔女が穏やかに眠っている。



魔女、ホワイトサングリアは彼女の頭を優しく撫でながら、そっと敷布を掛けなおして、その部屋を後にした。



小屋には蝋燭の明かりだけが灯っている。

魔女、ホワイトサングリアは窓から見える"森"を見渡しながら、


(余白を意図的に入れて空間を内包する、────通りで見付からない訳だ)


そこにあった椅子に腰掛ける。


そして魔女は一冊の写本を手にすると、蝋燭に灯った灯りがその表情を変えていく。写本のページをゆっくりと捲ってきながら、何処か懐かしさを覚える様に、その思いを手繰り寄せる。



「────魔女は無数の過去を背負っているが、子供の過去はまだ軽い。自分の過去までも、子供に背負わせる事はあってはならない、か。────あんたらしい答えだよ、アッサム・カルカッタオークション」



魔女、ホワイトサングリアは取り残された中、ただただ寂しさを受け入れて、何処か悔しそうに笑っていた。

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