(52) 裂け目-6
手入れした物には、豊かで美しい生命が宿る。
どういうつもりでどうなって行くのかは分からないけれど、生まれてからそうしてきたのが、私の魔女としての流儀だった。
(────来た時よりも美しく、残すものは感謝のみ)
私は居館3階の作業部屋で使用した器具類の手入れを進めてゆき、本から教わった言葉を思い返して考える。
何かを守りたいと思うのは、きっと理屈じゃないのだろう。自然であろうと、魔女であろうと、他の何であろうとも。綺麗なものを壊したくはない。きっとただ、それだけの事なのだろう。
何時の時代であっても、更に良い時代を後に続く者達に残す。そんな意味があの言葉には込められているのかなと、考えを巡らせている時だった。
扉を軽く叩く音が、とんとんとんとんと鳴り響く。
それは不思議と懐かしく、けれども何処か物柔らかな調子の音だった。
私は一旦作業の手を止めると、扉の前へと進み歩く。そして確信めいた予感を抱きながら、
「心配していたのだけれど、調子が戻った様で何よりね」
押し開きの扉を開いて来訪者へと口を出した。
魔女、ダーチャは気まずさと恥ずかしさが入り混じった複雑な表情で、頬を薄く染めている。しかし、その表情に悔しさの色はない。
「面倒をお掛けしてしまいましたわね、この恩は何れお返しいたしますわ。────それからこれは、わたくしからの餞別ですの」
彼女はそう言いながら鞄から丁寧に中身を取り出して、私へと向けて差し出した。
────それは伝統的な、ミドル丈のケープコートだった。黒色の中には2列に配置された金装飾の留め具が並び、無駄の無いすっきりとした意匠は簡素ではあるが、高い気品を備えている。
私は触れた事の無い上品な衣服に目を奪われながらも、猜疑の目を向けながら、
「高そうだけど後で返せとか言わないわよね……」
「相変わらず変な所で脱力させますわね……、────とにかくお気に召した様で安心しましたわ」
ダーチャはやれやれという風に、力なく笑った。
「さて、通すべきところは通しましたの。貴女の旅の幸運を、陰ながら祈っておりますわ」
立ち去ろうとする彼女に声を掛けて引き止めると、机の上に置かれた小瓶を手に取って感謝の気持ちを形にする。私は鮮やかに色付いた赤を閉じ込めた小さな香油瓶を、初めてをくれた彼女へと差し出した。
「感情を諦められるのは、それはそれで寂しいもの。────だからまた手合わせしましょう、ありがとうダーチャ」
「────負け続けるのは性に合いませんの。ハルマリ様、わたくしも、望む所ですわ」
魔女は両の手で小瓶を大事そうに包み込むと、わだかまりはなく、すっきりとして明るい表情をしながら、私の正面を見据えて大胆不敵に笑っている。
そうして私達は、つられて笑い合いながら、強かに、そして綺麗に別れていった。
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