(35) 知恵の実-12

厨房空間は主に4つの部屋から構成されており、それとは別に葡萄酒の貯蔵庫が存在する。4つの部屋のうち2つは主に菓子作りに用いられ、もう1つは下拵え等の準備部屋、そして主要な厨房と分けられていた。


魔女、ピーチメルバは卓越した感性と心配りで、手間暇をかけながら、丹精を込めて菓子を作り上げてゆく。見た目や彩りの美しさに拘りながら、手にした時にほっとする温もりや優しさを感じる彼女の料理は、口に含めば小さな幸せを運んでくれるような、満ち足りた気持ちにさせてくれる味だった。



調剤の作業の合間に厨房へと足を運んだ私は、ピーチメルバから紅茶と軽食を受け取って食卓へと進んでゆく。食卓の中を見渡すと数名の魔女の姿が見て取れたが、見知った顔でありながら、今まで見た事の無い様相の魔女が目に留まる。


4人掛けの食台に静かに佇むただ一人の魔女、ロゼ ロワイヤルは紅茶に口を付けながら、ゆったりとした動作で広げた本をめくってゆく。彼女の格好は普段身に付けている青と白のリトルドレスとは異なっており、暗青色のケープコートで着飾った姿においても、変わることなく圧倒的な存在感を放ち続けていた。


彼女は食台へと近付く私に気が付いた様子で、


「あら、不思議な巡り会わせね」


本に添えられた細長く繊細な指先を静止させながら、優雅に微笑んで相席を差すようにして手をかざす。


私は居座る魔女に声を掛ける様にして、


「空腹では良い結果を得ることは出来ないでしょう?────と言うのは表向きで、"学園"の料理が美味しくてつい、ね」


苦笑いで誤魔化しながら、対面の席へと腰を掛ける。私が彼女が開いている本へ何気なく意識を向けていると、ロゼ ロワイヤルは察したかの様にして、本の背表紙を向けながら答えを示した。


────それは私が予想していたものと食い違っており、意外にも誰かの回顧録の様らしい。



「たまには息抜きも必要でしょう?」



彼女は淡く微笑みながら、栞を挟んで読みかけの本を閉じる。続いて彼女は物事の進捗状況を確認する様にして、


「調剤の具合はどう?」


「差し当たり問題も無いかな。原料や素材も大分揃い終えたから、────思い通り事を運べば後数日と言ったところ」


返答をしつつ、私は紅茶へと口付ける。



気を遣う事も無く、自然体のまま惹かれ合うようにして、役目を離れて時を過ごす。気の合う友人と会話に花を咲かせるように、適度な距離感と決して踏み込み過ぎない配慮の中で、私達は互いについて語り合ってゆく。



私が"森"に生れ落ちてからの事。


彼女が"学園"で生まれ育ち、幼少の頃からカイルベッタ ウインターフロストに師事する間柄であった事。


"学園"の創始者達、カイルベッタウインターフロストとシュリードゥワリカの2人の魔女に関する事であったりと、話題が尽きる様子はない。



食台を囲む様にして、お互いの意見や心緒を話し合いながら、思い思いの一時を過ごす。役目を忘れて交流を楽しめる事に感謝しながら、私達は互いの理解を深めていく。分かり得なかった事が触れ合う喜びへと変わっていく感覚は、何よりも得難い物だった。



魔女が取り扱う魔術の話をロゼ ロワイヤルから聞きながら、私は遠く離れた"森"に思いを馳せる。


魔導書や古文書の知識だけであった魔術の世界は、現実味を帯びた、身近な物へと変わってゆく。魔力や魔術の扱いに関してからきしであった私は、


「箒で飛べない魔女というのは何とも格好が付かないけれど、魔女も多種多様、その違いも様々ね」


羨むように、笑いながらそう口にする。



私が口にした言葉にふと彼女は思索に耽りながら、暫く遠くを見るような表情で黙り込む。


そして良案を思いついたと言わんばかりに、


「魔術に触れる良い機会ね。私達は一生勉強なのだから、何事も経験しておくべきでしょう」


そう言って愉しげに微笑んだのだった。

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