(32) 知恵の実-9

食卓を後にした私は、気持ちが入り混じる中で、居館の階段を登ってゆく。緊張感は時間の経過と共に薄れていき、代わりに疲労感が押し寄せて来る。他者との距離感に戸惑いを感じながらも、私は先程の魔女達との会話に思い巡らす。



(……妙な事にならないと良いけれど、まあ今更あくせくしても始まらないよね)



暫くして、私は客間が連なる階層へと辿り着くと、人気のない廊下を進んでいった。目当ての部屋の前にて歩みを止めると、若干の躊躇いを残しながらも扉の前に手をかざす。意を決するように私はその手を振り下ろすと、閑散とした廊下に無機質な扉を叩く音が響き渡っていった。



────────私は扉越しに声を掛けるが、反応も無ければ返事も無い。扉の向こう側にも、人の動く気配は感じられなかった。しばらくの間立ち尽くすも、手がかりのないまま、一向に状況は変わりそうもない。それ以上の詮索は控える様にして、私は扉に背を向けて、その場から立ち去ろうとしたその時だった。


先程まで全く反応が無かった部屋の、扉が開く音がした。



半開きの扉から、魔女、コタダが顔を覗かせる。彼女は腫れぼったい目を隠す様にして、


「────こんにちは、ハルマリ様」


怯えるように、痛みで声を絞り出すように、慎ましく振る舞う。



「こんにちは、コタダ。────雨も上がった事ですし、気分転換に散歩でもいかがですか」



コタダへ誘いの言葉を投げ掛けると、彼女は踏ん切りが付かず躊躇いがちな有様であったが、やがて決心した様子で、


「準備しますので、少々お待ち頂けますか」


私の誘いを受け入れたのだった。



*



コタダは泣き腫らした顔を誤魔化す様にして、


「気を遣って頂いてすみません」


そう言って笑顔を見せようと振る舞う姿は、とても健気で、そしてまた、いじらしかった。



「自分の事を心配する程、他者の事は心配出来ないものでしょう。ですから、気にされる事はありませんよ」



会話を繰り返しながら、私達は"学園"北西の丘陵地へと足を進めてゆく。私は作業部屋の原料や素材在庫を書き留めた羊皮紙を携帯鞄から取り出しながら、


「それにしても、結果的に採取に付き合わせる形になってしまって宜しかったのですか」


彼女へと尋ねるように、伺うように放った言葉に、


「何時までも塞ぎ込んでいたら心配を掛けてしまいますから。自生地も教えて貰った事ですし、善は急げ、です…!」


コタダは笑いながら、虚勢を張る様にして返事をする。


私は彼女の心情や兆しを見逃すことの無いように心に留めながら、


「素材の在庫が切れ掛かっていたので助かりました、コタダとヤミーという魔女に感謝しなければなりませんね」


「わたしが"学園"に居るずっと前から、ヤミーは"学園"に籍を置いています。余り口数の多い魔女ではありませんが、"学園"に関する事は博識なんですよ」


コタダは自分の事のように嬉しく、そして自慢気に語る。


言葉を掛け合いながら、関係を深め合いながら、目的地へと足を進め続けてゆく。


やがて私達は、幾つかの谷で分断された、緑の丘陵地帯へと辿り着く。私は豊かな自然環境をもたらす肥沃な土壌を歩き進めながら、


「イノンドは古来より、毒除けや毒消しとして知られている植物です。花の色は白から黄色となっておりますが、その大きさは非常に小さく、小花を傘状に咲かせます」


植物に関する知識を言い添えてゆく。話を続けながら採取の準備を進めてゆき、


「この花には鎮静効果、消化促進、利尿作用等、数多くの薬効を持っています。────その花言葉は、"知恵"。今となってはもう昔のことですが、きっと人々は、その薬効の多さからイノンドは健康の知恵を持つと思われたのでしょう」


私はコタダの気持ちを探るように、そして、試みる様にして、


「私一人では十分量を採取するのに時間を要してしまいますし、────折角ですから、コタダも少し経験してみませんか」


そう言って彼女に提案をしたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る