29
夜、監視3日目。昨日練馬の男の部屋を遠近くににある公園ベンチに座り監視していた。公園は街灯がブランコや滑り台を照らしていた。外は凍てつく寒さに早く帰りたいという気持ちもあったが、水川と一緒にいたいという気持ちの方が遥かに大きかった。コンビのシフトを短くしてもらって7時から終わったので早めに着いた。男はアパートの2階の道路側に住んでいる。
8時になると40代くらいのスーツを着た男がアパートに入って行き、部屋の明かりがついた。iPhoneのメモに帰宅した時刻を打った。
「男が帰ってきましたね」
「そうね、だいたい8時には家に着くみたいね」
獲物の男の消灯時間はだいたい12時だ。今日もそれを確かめるべく、あと4時間監視を続けることになる。
俺はとても楽しかった。職質されないようにカップルのように振る舞うことにしていたからだ。もし、本当にカップルになれたら良いのにと思った。会話はほとんどないが関係ない。普通なら気まずくなるところだがそうはならなかった。一緒にベンチに座っているだけで幸せだった。このままずっと監視を続けられたら良いのにと思った。
水川は、リュックサックからハイネケンの缶を取り出した。監視中にビールを飲むのは珍しい。
「ビール飲む?」
「でも、監視中ですよ」
「良いわよ。どうせ、これから12時まで獲物は眠らないから」というとリュックサックからもう一つハイネケンの間を出して俺に渡した。
缶のプルタブを開けると、水川は「乾杯」と云ってビールを飲んだ。俺はハイネケンの缶のプルタブを開けてビールを飲んだ。この前飲んだビールより薄くて飲みやすかった。
「このビールおいしいですね」
「ハイネケンがタイプなのね。薄い味がこのみか」
「そうかもしれません」
「好みにうるさいのね」
「いや、そんなことはないですよ」と俺はいうともう一度ハイネケンを口に含んだ。美味しかった。もしかするとビールに慣れたせいかもしれない。
「それにしても、監視するのも楽じゃないわね」
「そうですね」
「ねえ、暇つぶしに話でもしましょ」と水川はタバコに火をつけた。
「良いですよ」
「そういえば、桐谷くんの作った曲を聴いたわよ」
「本当ですか?」
「うん、みんなで聴いてみたの」
「それでどうでしたか?」
「うーん、私には少し分からないわ。ダークな曲調だったから私には合わなかっただけ」と普通に水川が云った。俺はショックだった。「でも、桐谷くんらしくて良い曲だと思うよ。実際に霧島くんは絶賛していたよ」
「ありがとうございます」と霧島が見つけ出したに違いない。できれば知り合いには聴かせたくなかった。下手だし、歌詞も何が言いたいのか分からないし。とても恥ずかしくなった。
「そういえば、桐谷くんは恋人はいるの?」
俺はビールを吹き出しそうになった。いきなり恋バナから始まるとは思っても見なかった。
「いません」
「そうなの、最初会った時は垢抜けないと言うかオドオドしていた印象があったけど、最近は落ち着いた雰囲気になったからモテるようになったのかと思っていたわ」
「そんなことないですよ」
「じゃあ、好きな人は?」
「いません」と嘘をついた。実は水川さんのことが好きですなんて云ったら気まずくなるだけだからだ。それに告白する勇気もない。
「そうなの、その年頃にしては珍しいね。草食男子なんだ。もしかして嘘ついてる?」
「いいえ、多分、前にも話したかもしれませんが母親が恋愛体質なので、逆に反面教師になって恋愛に興味が持てないのだと思います」と云った。それは確かだ。恋愛は時として破滅への道へとつながっている。父や母親を見ればそれを無意識にも意識的にもそう感じている。だが、水川だけはなぜか例外だ。なぜなのか自分でも分からない。美人だから?境遇が似ているから?とにかくその答えは未だに分からないでいた。
「そうなの。変わっているわね」
「そうですか?」
「そう思うよ。その年頃の子は恋に落ちるなんて普通よ」
「学校では全くモテないの?」
「最近、ある女子から告白されました」
「なんだ、モテるようになったじゃないの。良かった。それでどうしたの?」
「断りました」
「もったいない。付き合えば良かったのに」
「タイプじゃなかったし、それに今は忙しいし」
「美人だったの?」
「はい、美人でした」
「そうなの。なんだか勿体無いね。今のうちに女慣れしておいた方が気が、この先楽に暮らせるのに」
「そうですかね?」
「遅く来た初恋は地獄から来た犬て言うでしょ?」と水川は笑いながら云った。
「水川さんも僕の年頃の時に恋に落ちていたんですか?」
「そうしよう。中高生の時はよく恋に落ちたものよ。全然興味もない男子と付き合ったこともあったよ」
「それって、楽しいですか?」
「楽しい時もあったし楽しくはない時もあった。なんと言うか好奇心見たいなモノ。普通の女子高生ってどんな生活をしているんだろうって気になっただけよ。相手は、どいつもこいつもツマラナイ奴だったけどね」
「そうなんですか。今は恋人とか好きな人はいるんですか?」
「恋人はいないけど、好きな人はいるは」
俺はショックを受けた。少なくともその相手は自分ではないと自信があった。俺になんかに振り向くはずはない。前々からもしかすると恋人くらいはいても、おかしくはないかもしれなと思っていたがやはりショックだった。
「その人は職場の人ですか?」
「違う」
「じゃあ、誰ですか?」
「それは秘密かな」と勿体ぶった言い方をした。
俺は混乱した。職場の人じゃないとすると、マッチングアプリやSNSで知り合った人だろうか?もしや、考えたくもないがこのグループの中にいるのではないかと考えた。もし、このグループの中にいるとしたら相手は誰だろう。北山には失礼だが北山ではないのはわかっていた。すると、霧島だろうか?でも、霧島だとするとどうもしっくりこない。もしかすると高橋なのではないかと思った。常に人に優しく礼儀正しく、イケメンでカリスマ性を持っていた。もし、俺が女子ならおそらく高橋を好きになるだろう。そう思うと急に情けなくなった。所詮、俺にとって水川は高嶺の花だ。どうアガ得ても手に届かない存在だ。例え、高橋が存在していなかったとしてもきっと俺なんかに見向きもしてくれないだろう。
テンションが下がってうつむき加減でハイネケンをちびちび飲んでいると水川が口を開いた。
「ねえ、空をみて。お星様がとても綺麗よ」
俺は空を見上げた。黒い空に燦然と輝く星々。
「私、星を見るのが大好きなのよね」
「そうなんですね」
「星を見ていると、自分の悩みなんて大したことことではないと感じるの」
「なにか悩みでもあるんですか?」
「悩みがない人間なんている?」
「いや、いないと思います。ちなみになんですがどんな悩みがあるんです」
「軽い悩みよ。これまで殺してきた人の事に全く罪悪感がなくなってしまったこと。まるで、人間の感情が消えていく感じかな」
「なるほど。僕も最近、罪悪感がなくなってきました」
「そう、それが正解よ。私たちはユニークだから。いちいち罪悪感を感じていたら狂ってしまうか死んでしまうからね」と云って2本目のタバコに火を付けた。「桐谷くんも罪悪感を感じる必要はこれっぽっちもないよ。相手はクソ野郎だし、生きるためには仕方ないから」
「はい」
水川が時計を見た。「そろそろね」
俺もチープカシオを見ると12時になっていた。男の住んでいるアパートを確認した。すると、部屋の電気が消えた。
「きっかり12時に寝るのね。規則正しい獲物ね」
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