目を覚ますと、視界に白い天井が広がっていた。周りを見渡すと、腕に点滴が刺さっていた。そして、医療用のオシロスコープ。

 なにが何だか分からなかった。上体を起こして改めて見るとここは病院だと一発で分かった。とりあえず部屋から出ようと立ち上がろうとした時に右腕に痛みが走った。見ると点滴の管が刺さっていて俺の移動を邪魔していた。どうしたらいいのか分からなかった。ふと思った。ナースコールがあるはずだ。

 俺はベッドの周りを探すと押しボタン式のケーブルに繋がれたナースコールを見つけた。ボタンを押すとしばらくして40代半ばだろうか。背の低い男の看護師が現れた。

「目がさめましたか」

「はい」

「今、お医者さんとお母さんを呼んできますね」

 すると看護師は部屋を後にした。

 改めて部屋を見渡す。ここは1人部屋のようだ。全て清潔感があった。

 しばらくすると白衣を着た30代くらいの背の高いセンター分けをした男が現れた。

「こんにちは。私は、医師の金子です。気分はどうですか?」

「はい、気分はとてもいいです」嘘ではない。とても、爽快な気分だった。

「何か痛みを感じる箇所はありますか?」

「特にありません」

「そうですか」と言いながら金子カルテに何かを書いた。

「あの、ここは何病院ですか?」

「川崎警察病院です」

「警察病院?」

「そうです。あなたは事件に巻き込まれましたから」

 急に思い出した。自転車で人を轢き相手から襲われた事を。

「実は外に刑事さんがあなたに聞きたいことがあるみたいで、今大丈夫ですか?」

「え、はい」大丈夫なわけない。思い出しただけでパニックになったのだから。

「本当は、未成年の場合は親と同席しなくちゃいけないのですが、私も同席するので安心してください」

「母は今どうしてますか?」

「家に帰っているところです」

「そうですか」

「ショックを受けないでくださいね。1週間意識のない状態でしたから。その間ずっとお母様は付き添っていましたよ」

 あの母親が1週間も付き添っていたことに少しびっくりした。なんだかんだで目をかけてくれているのだと実感した。

 ドアからノックの音が聞こえた。「刑事さんが来たみたいですね。大丈夫です2人とも優しい人なので緊張せずにあの時にあった事を言えば大丈夫です」

「はい」

 金子先生が、ベットから離れてドアを開いて、2人の男女が入ってきた。男の方は若く20代だろう。どこかチンピラのような印象を受けた。女の方は40代だろう。刑事には見えなかった。どちらかと言えば小学校の塾の講師のような印象を受けた。

 俺は急に緊張した。自転車で轢いた上に相手を刺してしまったからだ。刑務所に行くのではないかと。だが、違った。最初に口を開いたのは女刑事だった。

「こんにちは。桐谷雅人くんだね」

「はい」

「体調の方はどうですか?」

「痛みもなく体調はとてもいいです」

「それはよかった」と男の刑事が言った。喋り方からして元不良だったと確信した。

「自己紹介がまだだったんですね。私は北野恵梨、そして彼は栗原清です」

「よろしくね。雅人くん」

「よろしくお願いします」

「では、これから1回目の調書を取りたいと思います。まあ、最初なので緊張せずに答えてください」と言うと北野がカバンからSurfaceと録音マイクを出した。

「録音しますけど大丈夫ですか?」

「はい」本当は録音などされたくなかったが言い出せなくて了解してしまった。

「あの晩のこと話してください」

「あれは、友達の家から帰る途中でした」

「友達というのは誰ですか?」

「鈴木、鈴木洋平です。調布市に住む」

「随分遠いところに友達がいるんだね」と栗原が言った。

「はい。去年まで調布市に住んでいましたから」

「それで、どうしましたか?」

「自転車を運転している時に、急に横から人が現れて轢いてしまいました」

「それで?」

「僕は倒れ込み、相手はうずくまっていました。それで、僕は立ち上がり彼の元へと近づきました。すると、彼が僕に襲いかかってきたんです」

「なるほど、相手は何か凶器を持っていませんでしたか?」

「包丁を持っていました。いや、正確には左の脇腹に包丁が刺さっていました。それで、、、」

「なるほど、それでどうしたんですか?」

「相手が襲ってきて、男が馬乗りになって襲ってきたんです。それで、脇腹に刺さった包丁を思い出して、包丁を抜いて刺しました」

「なるほど、それから?」

「すぐに119に電話しました。その間に2回目の攻撃を受けました」

「1回目で相手は死んでなかった?」と不思議そうな顔をして栗原は言った。

「はい、僕も彼を刺した時に殺してしまったと思っていたんですが。再び起き上がって襲われました」

「それで、2回目に襲われた時はどうだったですか」

 ふと思い出した。あの半透明の紫色のナマコのような生き物のことを。これを刑事に話せば怪しまれると瞬時に思った。本能的に言わないほうが良いと。

「それからは記憶がありません」

「なるほど、覚えているのはそれだけですか?」

「はい」

「わかりました。今日は目が覚めたばかりです。深いことはまた後日に話しましょう」

 急に俺は怖くなった。栗原は相手が死んだと言っていた。人を殺してしまった。このままでは刑務所に入るかもしれないと思った。

「あの、聞いて良いですか?」

「どうぞ」

「相手は死んだんですか?」

「はい」

「僕は殺人犯てことですか?」

「とんでもない」と栗原は言った。続けるように北野が言った。

「あなたの場合は正当防衛です。それに、あなたのおかげで事件が解決しました」

 何を言っているのか分からなかった正当防衛はわかるが。

「事件を解決したというのはどういうことですか?」

「3ヶ月前に一家殺人件があったのを覚えていますよね?」

「はい」

「あの時、同じ事件が起こっていたんです」

「同じ事件が?」

「そうです。あなたはその犯人とたまたま自転車で轢いたおかげで犯人が特定できました」

「じゃあ、脇腹に刺さっていた包丁はなんだったんですか?」

「そうですね。おそらく被害者が抵抗した時に刺さった包丁です。指紋からも被害者の指紋が検出されました」

「じゃあ、僕は正当防衛で人を殺してしまったんですね」

「そういうことになります」

「あまり気を落とさなで。君のおかげで事件は解決した。このまま、奴を野放しにしていたら、また犠牲者が増えるだけだった。よくやったよ君は」と栗原は言った。

 北野は咳払いをした。恐らくデリカシーの無いことを言ったせいだろう。

「でも、僕は人を殺してしまったんですよね?」

「その点は大丈夫です。正当防衛だから罪に問われることはありません」と北野。

「そう、君が落ち込む必要はないよ。事故だった。それに、連続殺人事件を解決した英雄と言っても過言ではない。自信をもって良いんだよ」

 しばらく雑談をして2人の刑事は部屋を出た。

 それから2時間後に母親がやってきた。

「雅人、大丈夫?」

「うん、なんとか」

「よかった。不幸中の幸ね。あなたはヒーローよ。連続殺人事件を食い止めたんだから」

「うん。ありがとう」

 それから1週間後に退院して、メディアが「少年が連続殺人鬼を倒した」と報道合戦が行われた。家にはしばらく記者がはっていてインタビューの申し込みが殺到した。俺は乗り気ではなかったが、母親が了承したことにより顔出しNGでインタビューに答えた。顔出しNGの割に俺の顔はネット上に散布された。ネット上では英雄視された。

 事件については前回と同様に稲戸区で起きた。稲戸区に住む2世帯住宅、萩原邸で6人が殺されて死体を損壊し食べた形跡があったそうだ。そのうちの、旦那である萩原洋二がキッチンにあった包丁で応戦して犯人の脇腹に数箇所刺したが、犯人は犯行を続けたそうだ。犯人についてだが未だに身元不明。顔写真がテレビ、ネットなどに公開された特定には至らなかった。

 学校が始まると、それまでクラスに友達など居なかったのに、クラスの全員が友達になっていた。みんな調子が良いもんだと思った。みんなから犯人を殺した時のことを聞かれた。俺は波風を立てたくなくてそれなりに対応した。

 菅はというと、俺を利用して今まで連れて行ってくれなかった会社のバーベーキュー大会に呼んで「この子が我が自慢の息子です」とアピールした。それが功をそうしているのか分からないが、役職が上がったらしい。

 俺は後味の悪い思いをしていた。 

 急に、それまで親しくなかった奴が友達と名乗り出たり、それまでゴミクズのように扱ってきた菅には手のひら返しされ「自慢の息子」と調子の良いことを言われる始末だ。

 それに何より一番気になっていたのは、自分が人を殺してしまったことだ。相手がどんなに凶悪な殺人犯だとしても人を殺してしまったことには変わりない。それがショックだった。

 そして眠れない日々が続いた。何もやる気が起きず。学校に行っても上の空だった。最初に気づいたのは学校の先生の武井だった。

 武井は母親にそのことを相談した。母もやっとそのことに気づいたみたいで、俺を心療内科に連れて行った。診断によれば俺は鬱を患っているらしい。先生曰く、あまりにショックな出来事に遭遇すると人は鬱になることが珍しくないようだ。そして、2学期の中盤から引きこもることになった。

 俺は長期休暇に入ることになった。いつまで続くか分からないが今は休むしかない。何もやる気が起きないのだから仕方ない。

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