第2話
――季節は10月、ライブ当日。8曲目の『砕け流星群』を歌い終わった時、会場全体の熱気がピークになったまさにその時に、たぬ子が珍しく沈黙を作った。
『ちょっとだけ待ってね』
たぬ子は振り返ってキツ姉の方を見て、ぎんじろーとゴリ助も見て……。3人ともゆっくりと頷いた。たぬ子はマイクスタンドからマイクを取り外して、一歩、二歩、俺たちの方へと歩み寄った。右隣の黒縁メガネの青年も、左のカップル二人も、前も後ろもファン全員が何かを察知してきっちりと静寂を作り、守っている。立ったまま、たぬ子をじっと見て、たぬ子が発する言葉を待っている。
『みんな気になってると思うから、例のAIについて少しだけ話させて』
会場全体が無言で肯定する。頷きで、身振りで。みんな慣れている。ゴスペルたぬきと俺たちは以心伝心だ。
『Diamremね、私たちも試したよ。EVEも試した』
やはり……そうか。
『私の声そっくりの“AIたぬ子”ができた。すごいねアレ。なんなら私より上手いし、AIたぬ子は疲れないし、かと思えば疲れて懸命に歌うフリもできる。ボーカル以外の楽器の音も全部、よく分からないのにめちゃくちゃエモかった』
そう……その通り。たぬ子は絞り出すように続ける。
『でもね、でもやっぱり私が歌いたかった。後一回でいいから皆の前で歌いたかった。……もちろんAIたぬ子が生まれても新曲を出し続けることはできるんだけどね。けじめというか、このライブの後は一旦姿をくらませようかと、4人で相談して決めたの』
たぬ子たちゴスペルたぬきはDiamremが生み出すはずの『AIたぬ子』を静観すると、そう言った。それで自分たちが消えるならそれまで。オリジナルの復活を求められても、それがたとえ一つも失われていないこれまでのファンの声――魂そのままだとしても、もう一度“自分たち人間であるアーティストの意義”を考えたいと。
『AIたぬ子の誕生は受け入れます。かかってこい、Diamrem!』
一瞬間があって、会場が湧いた。たぬ子の言葉は「やせ我慢」じゃない。立派な決意だ。
『ということで、ここから先は新曲を歌います! 8曲って発表してたけどあれは嘘! 私が力尽きるまで歌えるように30曲くらい用意したよ! 途中休憩アリで終了時間が会場クローズ時間になっているのはそういうことだからね!! …ん? キツ姉なーに?』
キツ姉がたぬ子に何かを訴えて、そのままマイクを借り受けた。まさか、寡黙なキツ姉が?
『あー、どうも皆さん。えっと……』
よく通る綺麗な声。
『この後、流石のたぬ子でも声は枯れるだろうけど、どうか我慢して聴いてほしいです。……これ、録音なり録画なりされてるんですよね』
そうだよ、とマイク無しのたぬ子。
『だよね。そこに、私たちは残ります。もちろん皆さんの心にも残ります。人間の記憶は心もとないし、それを補うはずの電子の記録も、正直AIに使われるのは嫌です』
『キツ姉』
『ごめん、たぬ子』
実は一つ年上のたぬ子が制した。
『4人で話して私も渋々認めました。確かにAIには敵いっこないのかもしれない。でも、それでも、今から記録と記憶に残る本物の方が、これから先に出てくる偽物よりもずっと良いと、私は思います』
……俺も、俺もそう思う。会場にも声にならない同意が、いや、頷きが僅かに漏れ出したように、小さな波が起きた。キツ姉は軽くお辞儀をしてたぬ子にマイクを返した。
『……しけちゃったね! 一旦忘れよう、AIのことも常日頃の嫌なことも。もう一度言うけどこれで終わるわけじゃない。そんなローテーションじゃあ今から歌う99曲についてこれないぞ!』
(増えた……?)
『じゃあ、新曲1曲目、いきます! タイトルは【AIに反逆せよ!】』
いきなりそうきたか! ゴリ助のドラムが火を噴いた。ぎんじろーのベースがキツ姉をはるか上空に打ち上げる。スポットライトを遮った一瞬でたぬ子が本気の表情に変わる。
『反撃の狼煙の上げ方も分からない!』
俺が用意した“Diamremに対する姿勢”は、ほとんどゴスペルたぬきの二人が代弁してくれた。言葉で、歌声で、ギターとベースとドラム――音楽で。考えても調べても思い付かなかった。俺たちにできることなんて、本物のたぬ子が歌うゴスペルたぬきのCDを買って、応援して、AIたぬ子の曲がネットに出てきても聞かないことくらいだろう。
『勝てるわけないさ私たちゃ生身の人間だものっ! でもね!』
たぬ子のパワフルな歌声が響く。
今まさに、音声合成AI『Diamrem』が全ての歌姫を消し去らんとしている時。いっぱしのバンド『ゴスペルたぬき』はタヌキ顔に隠していた小さな牙をむいた。もちろんそんなことでは、小さな牙ではAIの大波は止められない。ゴスペルたぬきと俺たちに起こったことがこれからも他のアーティストに起こる/起きているはずだ。それに、事態は音楽だけじゃない。イラストや小説や映像なんかも含めた創作の世界全般で同じようなことが起きていくだろう。法の整備はきっと細部に手が回らないしそもそも追い付かない。ゴスペルたぬきの皆が積み重ねてきたものを無意味にしないように、俺たちにもっとできることは?
『思考を止めるな、自分を失うな、世界のタヌキたち! 負けてもいいさ誇りは捨てるな!』
この歌詞――きっとゴスペルたぬきもAIに対する在り方を懸命に考えたんだ。
熱気、汗、身震い、圧縮されたような時間と空間――ライブの熱量。それだけじゃない久々に頭が回転して、懸命になっている。ゴスペルたぬきの生み出す感動に乗って、それ以上に。ライブ会場のタヌキたちがペンライトとサイリウムを振り上げる。俺も振り上げた。これを牙にしよう。これが消えたら思考の牙を、行動の牙を磨こう。
『私に続け! タヌキたち!』
「おぅ!」
『アドリブ入れるねーっ! AIなんかにーーっ! 負けるかぁあああ!!』
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