AIが全ての歌姫を消し去るとき
kinomi
第1話
『ゴスペルたぬき ラストライブ開催決定!!』
何度も見た、でも最近見ていない、そう、今は何だか見たくないバンドの名前がネット記事のタイトルに踊った。よくない知らせが続くことは分かっていた。案の定、一番恐れていた文字がくっ付いていた。大好きなボーカル『たぬ子』率いる『ゴスペルたぬき』が、ついに音声合成AI『Diamrem(ダイアムレム)』に屈するのだ。
* * * *
しがない会社員生活ももう2年目になる。慣れた分だけ新しい仕事が増えて責任も少しだけ増した。一人任された後輩には柔らかい笑顔を心がけながら自分なり先輩社員から学び取った“乗り切り方”と“最低限これはやっておけ”を伝えながら、見えるんだか見えないんだか曖昧な『昇進』の二文字を目指して今日も働く。「渋木課長」か、似合わないな。本当に数年後なんだろうか。
金曜日の20時過ぎ、誰と飲みに行くのでもない俺は帰路の途中にある比較的大きなCD屋に寄っていた。昨今の“サブスクリプション”の大波に呑まれたCD屋は小さな物から姿を消しつつある。世間の皆も俺もそれは感じ取っていた。だがそれよりも、昨今ネットを賑わせてる音声合成AIなり作曲AIの話の方が今は重要だ。新進気鋭のアーティストは世の中に送り出せるはずの曲を大きく制限され、古参の大物たちは既にその“価値”の一部なり大部分をAIに奪われつつある。そんな流れの現場――見たって良い気分になることは無いはずなのに、今日俺はそれを見に来たのだ。改めて確認しに来たというか。
音声合成AI『Diamrem(ダイアムレム)』は突如インターネットに現れた。そして大袈裟ではなく全ての歌い手を脅かした。あっという間に、劇的に、それはもう破壊力抜群に。過去の歌い手もこれからの、未来の歌い手も等しく。
Diamremは主要なフリーソフト公開サイト全てにほぼ同時にアップロードされたらしい。その辺りは詳しくないが、コピー可能、改変可能なことを示すライセンスを引っ提げて。使い方は俺にでも分かるくらいに簡単で、まずは自分が“再現したい歌手”の音源をいくつか取り込ませる。後は歌って欲しい歌詞や曲調を素人の言葉で入力すればいい。「勇気の出る曲」「爽快ロック」「曲名○○のアレンジver.」といった具合に。するとまだ世に出ていない、全く新しいその歌手そっくりの歌声を備えた曲が出力される。一度聴いてみてから「かっこよく」「悲しく」とか「憂いを」「共感を」とか書かれたコントロールバーを上げ下げすればこれまた器用に、瞬時にそれを反映した新曲が出来上がる。一昔前のボーカルソフトウェアに見られたような息継ぎや抑揚の違和感は全く無い。ある程度の曲数を取り込めばだが、いやはや、これがともかく……とんでもなく“それっぽく”生成するのだ。Diamremが生み出した曲は爆発的に増えていった。
言い忘れていたがDiamremの作者名は『Z』、身元の特定は未だできず。Diamremの語源は『Mermaid』――つまり人魚を反転させたものだと噂されている。歌声を失って人間の脚を得たんだっけ。じゃあ、人間の歌声を得たら何を失うんだろうな。
「1,2,3,4……7。次は…」
俺はアーティスト『三日月』のシングルCDの数を数えていた。やはり9枚。最後の曲は1年前だったか。聴いたことはないがお隣の『四面楚歌』もそのお隣の『4次元パトリオット』も7枚に8枚。
「ってか『123』の棚でいいのか三日月に四面楚歌……『サ行』じゃないの」
っと、そんなことより。やはり“20曲の壁”だ。間違いないだろう。Diamremの解析には原曲――元データが要る。買ったCDでもネットに公開されている動画でもいい。どんな仕組みなのか線引きは分からないが、4分程度の曲ならば20曲を目安に一気に解析精度が上がる。それ以下だとDiamremが『不十分』を示す。5曲くらいでも新曲を生成できないこともないけれど、根っからのファンはすぐに“偽物”だと気付くだろう。例えばそうだな、まだファーストアルバムの7曲しか世に出していないアーティストがいたとしよう。Diamremに作曲させても情報源がその7曲しか無いから、どうしても違和感のある再現性になってしまう。
さてここで心苦しいことが起こる。アーティストは新しい曲を次々と世に出したい。しかしたくさん出せば良からぬことを企む誰かがDiamremに曲を解析させてしまう。20曲目を取り込まれたが最後、解析は完了してそのアーティストを凌駕するAI製の曲が次々と――それこそ無限にインターネットの海に送り出される。曲数の少ないアーティストは安全なのだ。言い換えると、そう、皮肉なことに。
ネットでアーティスト名を検索しようとすると候補に何が出ると思う? さっきの三日月なら『三日月 Diamrem』だ。実のところDiamremの解析が完了したアーティストをまとめたサイトも無数にある。曲が少ないならゲージは赤、ちょっと増えれば黄色、20曲近く集まった最後は緑。何がオールグリーンだよ。で、20曲を超えたら、というかDiamrem登場前から曲を出しているアーティストもそうだけど、彼らは“別名”を付けられる。Diamremが作った曲を区別しつつそのアーティストの曲を集めるために。『トルコ石ネクローム』というバンドは『ターコイズネクローム』になった。オリジナルの曲を知りたければ『トルコ石ネクローム 曲』でネット検索すればいい。Diamremが作ったトルコ石ネクロームそっくりな声の――すでに曲数も知名度も指示数も彼らを超えた曲たちを探したければ、『ターコイズネクローム 曲』で検索すればいい。ご察しの通り、逆引きできるようにこの対応表を載せているサイトもいくつもある。
以上のようにDiamremはすごすぎた。過去形じゃない今も、進行形で。後はそう、残念ながら法の整備は追いついていないのが現状だ。そっくりな声は取り締まれない? (局所的ではあれど)AIの進化が早すぎた? 言い訳はあるのだろうが、俺たちファンはたまったもんじゃない。アーティストたちが18曲くらいでリリースをやめてしまうから。アーティストの方はもっとたまったもんじゃないはずだ。最近は『EVE(イヴ)』―― Emotional Variable Engine だっけ――という名前の曲に“エモさ”を付与しちまうソフトまで出てきて、これを適用した曲は『+eve』マーク付きで、Diamremの模倣版も出始めて……例のアバター文化とはあっちは身元があるから悪魔合体しないだろうけど、それも時間の問題かもしれない。
とまあ……俺がやけにDiamremに詳しいのはDiamremを敵だと思っているから。EVEも同じさ。よく調べたよ。それに……自白しよう、自分でもちょっと使ってみた。この脅威を知るために。可能なら対策を考えるために。Diamremが作曲した曲にEVEでエモさを加えて、俺の青春時代を支えたアーティストの一つである『カナリア』の新曲を作った。曲名『サルバメタファー +eve』。恐る恐る聴いた。ぐちゃぐちゃになった。一瞬で度肝を抜かれて、すぐに涙が出そうになって、言葉にならない感情の高まりを叫びそうになって、何度も何度も聴いた。何度聴いても俺の知っているどの曲よりも素晴らしかった。芯に響く。魂を貫く。でもそれだけじゃない、簡単にAI感化される自分が情けなくて、カナリアに申し訳なくて、この曲を受け入れていいのか分からなかった。Diamremは……最悪で最高だった。
最近のアーティストはCDショップの棚にきっちりと収まっていた。そりゃそうだ、アルバムなら下手すりゃ3枚、シングルで延命しても10枚ときた。
「はぁ……」
その日は意図的に“ある棚”を避けて帰った。折角そうしたはずなのに、何を思ったか帰宅してコンビニ弁当を食べた俺は安い缶ビールをノートパソコンの横に置くと、検索サイトにそのバンド名を入力していた。
『ゴスペルたぬき』
たったの二口で酔い始めた頭の中に火花が散った。「は?」と、間抜けな声が出た。
『ゴスペルたぬき ラストライブ開催決定!!』
『ゴスペルたぬき このご時世に前代未聞のライブ決行!』
『ゴスペルたぬき ラストライブ、全部許可はAIも黙認?』
『新曲8曲以上!? ゴスペルたぬきラストライブ』
一挙に8曲も新曲披露? それはいい、目に入ったのはそこじゃない。録音録画全て許可、ライブストリーミング配信あり、後日映像も音源も完全配布。Diamremが蔓延り始めた今、それでもライブをやるアーティストたちは皆この手のことを全て封じる。手荷物検査で録音機器を持ち込ませないのだ。スマートフォンすらも事前告知なり専用ロッカーなりで封じる始末。熱心なファンはそれにも応じる。彼らに邪な心など無いから。そうやって皆で作り上げた聖域で、自分の心のレコーダーに、心のビデオカメラに、目で見て耳で聴いて魂で感じた大好きなアーティストの全てを一生懸命に記録――記憶する。それを……しなくてもよいと、それどころか、
「なんでだよ……それじゃあ、」
それじゃあ、Diamremに解析させろと言っているようなものじゃないか。ゴスペルたぬきが終わってしまう。Diamremに――AIに、たぬ子の歌声が成り代わられてしまう。『AIたぬ子』? ふざけるな。それを認めるのは誰だ? そうさせるのは俺たち……俺自身なんじゃないのか?
ワンコインのおつまみセットを開けるのも忘れて検索を続けた。『ゴスペルたぬき』は高3の頃に知ってドハマりしたバンドだ。大学生の間には活動休止を経験したものの無事復活して俺の大学生活を彩り、灰色の就職活動を支えてもくれた。そんな矢先、奴が、Diamremが登場した。幸か不幸かリミット20曲まではあと2曲、解析はギリギリ不十分で止まったものの、そこからゴスペルたぬきは長い沈黙を余儀なくされた。――そのうち、ゴスペルたぬきの曲で固めた昔のプレイリストを思い出して、探して見つけて、ノートパソコンにスマホ付属の安物イヤホンを刺していた。……昔の俺に帰ろうとしている。缶ビールにはもう口を付けなかった。どこかにしまい込んだ音楽プレイヤーも高級イヤホンも今は探す気力が無かった。
「『漸く』~『暫く』~…… 『SUN』が『暫』~……』」
それで、気付けば口ずさんでいた。そうそう、俺の名前は『渋木 漸一』なんだけど、名前のこの『漸』が「ぜん」なのか「ざん」なのか教えてくれる歌があるんだよ。『漸次』『暫時』って紛らわしいだろ。『SUN(サン)』……つまり漢字の『日』がある方が『暫(ザン)』。俺は『ゼン』の方。皆にはくだらないネタだと思うけどさ、誰が興味を持ってくれるでもない自分にボーカルの『たぬ子』がちょっかい出してくれたというか、ゴスペルたぬきが少し有名になった時にはこの歌詞でさ……
* * * *
『わたくしども“ゴスペルたぬき”と申しますが、音楽ジャンル“ゴスペル”のことはほとんど分かりません!』
思わずにやけてしまった。サイトの紹介文が当時のままだ。ボーカルのたぬ子が「響きがカッコイイから」とかで付けたバンド名。実際彼女らのジャンルは少しロックテイストを混ぜたポップスなのだ。
「さて……」
そのままスマホの画面をスクロールしていく。当然、ライブの告知が目立つところに載っている。
「……え? キツ姉!? マジで?」
たぬ子からギターを取り上げてボーカルに専念させる、超絶テクニックの、でもライブには時々しか現れない神出鬼没の……そりゃそうか、ラストライブに来てくれないわけがない。『キツ姉』は白銀のショートカットに切れ長の目、長身でミステリアスで、一回だけキツネ耳のカチューシャを付けたんだよな……まさに『たぬ子』と対照的だ。たぬ子は黒髪ロングで華奢で小柄で、でも歌声はパワフルで……タヌキ顔。二人が例の赤と緑のうどんそばを好きなのかどうかは永遠の謎。
『ベース:ぎんじろー』
『ドラム:ゴリ助』
気付いたらメンバー紹介のページに飛んでいた。これこれ、二人も変わってない。あ、でも近況報告とか増えてるな。
土曜日の昼過ぎ。俺はラストライブのチケットを買ってしまっていた。会場のキャパ1200人らしい。どのくらい埋まっているのかは見なかったが、運のいいことに申し込み開始が今日だったので無事チケットが取れた。そのまま流れでゴスペルたぬきのWebサイトに飛んで、告知なりメンバー紹介なりを改めて見ていたところ。ライブは約一ヶ月後。見届ける覚悟は徐々に固める。船にはもう乗り込んだつもりだ。
「そう言えば、あれ残ってるのかな」
いわゆるファンサイト――あった。じゃあトピック掲示板も……ある。
『今回のライブでDiamremに解析されますよね?』
『たぬ子たちは諦めたんだと思うよ』
『ラストライブ嬉しいけど悲しい』
『Diamrem駆逐できないの?』
思った通り『Diamrem』や『AIたぬ子』のトピックが乱立していた。ファンサイトであって公式サイトじゃないからゴスペルたぬき本人様たちが反応を示すことはないのに、彼女たちに向かって叫ぶようなトピックタイトルも書き込みも多数ある。……以前にも増して。
“見届ける覚悟”などと考えていたけれど、そうだな、俺は俺でDiamremに対する姿勢をハッキリさせておこう。たぬ子たちが音声合成AIにどう向き合うのかまだ分からないが、それも自分なりに想像しておこう。きっと、ライブ当日にたぬ子が示してくれる。白旗じゃないといいな。あのタヌキな笑顔が悲しむ顔に変わるのも悔しがるのみ見たくない。たぬ子なら、キツ姉とぎんじろーとゴリ助と……俺たち皆が支えるゴスペルたぬきなら、なんとかAIをやっつけてくれないだろうか。……やっぱりそうなんだろうな、俺は、AIが歌い手を潰してしまうことが嫌なんだ。
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