7章 F#%k Your Ethnicity
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iPhoneのアラームが鳴った。大きな黒電話の音だ。カトウは手探りでiPhoneを探しアラームを切った。画面を確認すると5時40分。ベッドから出てリビングに行きインスタントコーヒーをいれた。コーヒーの不味さを隠すために多めに砂糖とクリームを入れ飲み干すと少し早くシャワーに入った。今日のシャワーの順番は最初の6時から15分間だ。いつもより温度を熱く設定してシャワーを浴びたが目が覚めない。眠くて仕方ない。もっと眠りたいのだが、二段ベッドの上のタニグチという、自分より3つ下の青年のイビキがウルサく熟睡出来ない。耳栓を買うことを考えたが、そうすると目覚ましの音が聴こえず寝坊するかもしれない。それに、耳栓を使うと体中を駆け巡る血液の音が聴こえてそっちが気になって眠れなくなる。きっと、自分のベッドの前の住人はタニグチのイビキのウルサイので恋人達の住居棟に逃げる為に必死に恋人を探して、このベッドから抜け出したに違いないとカトウは思った。
シャワーを済ませると、電気シェーバーでヒゲを剃りリビングへ行った。リビングではタニグチと室長のサカシタが椅子に座ってテレビを観ていた。
「外の世界は怖いな。しかも、この事件現場は昔僕が借りていたアパートの近くですよ。本当に怖い」
「本当に外の世界は怖いね。良かったねタニグチ君。もし、このコミューンに来なかったら殺されていたかもしれないよ」とサカシタが画面を見ながら言った。
タニグチとサカシタの視線の先にあるテレビを見ると、ニュース番組だった。画面の左上に「大学助教授通り魔事件」と表示されていた。
「何か?あったんですか?」とカトウは聞いた。するとタニグチが言うには、大学の助教授をしている男が杉並区の夜道で1週間で3人を襲い内2人が死亡したとのことだった。カトウは別に驚かなかった。コロナパンデミック以降、会社がドミノ倒し式に潰れて行って職にあぶれ、最近は生活保護費も削ると議会で強行採決されたからだ。その御蔭でそれまであった日本の安全治安神話が崩壊し始めている。生活が出来ないのであれば泥棒や詐欺や強盗が増えるのも当然の摂理だと考えていた。しかし、この事件はそれには当てはまらない。容疑者の男は大学の助教授というちゃんと仕事があるからだ。しかも、1週間に3人も襲うとは。ストレスでキレてしまったのだろうか。コロナパンデミックの前から世界は狂っていた。しかし、コロナパンデミックを上手く乗り越えられなかった時に、そのベールに包まれていた狂った部分が浮き彫りになっただけかも知れない。
カトウは、フライパンに油をひいて焼いて食べるのが大好きだった。母親にも友人たちにも、この305号室の人たちも理解してくれなかったがこの方法が一番美味しいトーストの焼き方だと考えている。程よく油が染み込み揚げパンのようで美味しい。なぜ皆この方法で食べないのか理解できなかった。更に焼いたベーコンがあればもっと良いが、ここの売店のベーコンは高級志向なのか外で買うより2倍の値段がした。仕方ないので、無料で配られるイチゴジャムを塗って食べた。自分が間接的に関わっている事もあるのだろうが普通のイチゴジャムより美味しく感じた。昼と夜は食堂が開いているが、朝は自分たちで作らなくてはいけない。トーストは無料で提供してくれる。美味しいかと聞かれれば不味いと言う他ないようなトーストだったがジャムを塗れば食べられるレベルの物だった。回りの皆は特に気にせずにトーストにジャムを塗って食べていた。慣れなのだろうか。それとも、本気で美味しいと思って食べているのだろうか。皆が大好物な食べ物を食べるように食べていた。もしかすると、フライパンで焼かずにトースターで焼いたほうが美味しいパンなのかも知れないと思った。
8時に団地の集会場に行き、アカギの説法と言うべきか説教と言うべき分からに演説が始まった。初めてアカギの説教を聞いた時には入眠剤より効く演説だと思っていたが、慣れたせいか彼は真っ当な事を言っているように思えた。今日の説法は朝、ニュースで取り上げられた助教授連続通り魔殺人事件だった。
「皆さん、このコミューンの外は狂気に満ち溢れています。今週、2人の人が通り魔によって殺されました。とても恐ろしいことです。我々、選ばれしパズメ教会の信者だけが人類の救いです」とアカギが言うと会場内の信者が拍手した。カトウはアカギが言うことにも一理あると思っていた。確かに、このコミューンに来てからというもの、カトウ、いや、タナカは酷い目に遭っていない。最初の3日だけは別としてだが。今、外の世界は狂った事になっている。アメリカではトランプが再選し改憲して任期を増やし人種間の分断が進み、日本では前総理のコモリ政権の亡霊達が政府の中枢でふんぞり返ってその狂信者達が普通の人々まで巻き込みおかしな国になりつつある。株価が上がったところで、別に生活の水準が上がるわけでもないし治安もどんどん悪くなってきている。生活水準が上がらないフラストレーションを金持ちや政治家ではなく、移民や障害者や弱者にぶつける。このままタナカとして暮らすのが一番良いのではないか。そんな事を考えているといつの間にか9時になり仕事の時間になった。
カトウはイチゴの栽培場へ向かい、ガラス張りの温室内で虫がついてないか確認している時の事だった。ガラス越しに歪んで見える外にミキタニと監視官のスギモトが何やら話している。時折2人はこちらを見るので、監視されているようで嫌だった。カトウはまた何かのテストなのではないか考え、いつも以上にイチゴに虫がついていないかを熱心にチェックした。すると、スギモトのが温室に入ってきてカトウに向かってくる。マズイ。もしかして、潜入がバレたか?それとも、昨日のリク君を助けた時に知らずに何か不手際でもあったのだろうか?
カトウはスギモトが近づいて来るのを気が付かないフリをして必死にイチゴをチェックした。スギモトは明らかにカトウに向かってくるのを背中越しに感じた。もし、潜入がバレたらどう言い訳すればいいだろうか?正直に話すべきだろうか。それとも、リク君の件かだろうか。助けた時に完璧とまでは行かないがちゃんと振る舞ったつもりだったが。まだ、パズメ教会の全貌やマナーについてはわからない事が多い。そのどれかに触れた可能性もある。すると、後ろから肩を叩かれた。振り向くとスギモトだった。どうして良いか分からにカトウはそのまま固まって何も言えなかった。最初に口を開いたのはスギモトだった。
「どうしましたか?驚いた顔して」
「すみません」
「謝る事はないですよ。それでですが、タナカ様。貴方はこの仕事はクビです」
もしかするとバレたのかも知れない。そうだ、リク君を助けた時に変に注目されて素性を調べられてバレたに違いない。これからどうなるんだ?警察に突き出されるのか?いや、弁護士のサノは大丈夫だと言っていた。だとすると、集団リンチに遭うかも知れない。なにせカルト教団だ。カルト教団に限らずこういった閉鎖的なコミニュティーではリンチに遭ってもおかしくない。
「怖がる必要はありません。タナカさんは階級が上がりました。クシャトリヤになったんだ。スゴイ事ですよ。異例の出世だよ。タナカさん」
意味が分からなかった。なんでだ。カトウはネガティブな事を言われるものだと思っていたのでどう返していいか分からなかった。すると、スギモトが口を開いた。「タナカ様、貴方は昨日タマキ・リク様を助けました。とても素晴らしい行いです。貴方は人の命を救ったのです。しかも特別な子供を。とても、異例な速さではありますが貴方をクシャトリヤにする事に決めました」
「その、クシャトリヤになると、どうなるんですか?」元信者の中でクシャトリヤだった者に会ったことがなかったので何をやらされるのか検討がつかなかった。なにか、ヤバイ事をやらされるのではないかと少し怖くなった。
「タナカさん、大学で英語の授業をとっていましたよね?」そうだ、本物のタナカは文学部で英語の授業を取っていた。彼曰くあまり成績は優秀ではなかったそうだが、そこまでこの宗教団体はタナカの事を調べているのかと思うと怖かった。もしかして、もう素性がバレていて何かの罠かと考えた。もし、このまま暴力やリンチに遭ったらどうすればいいだろうか?しかしいくら何でも今メガネに仕込んだカメラで暴力を受けた映像と音声が隠れ家のアパートにいるオゼキに届けばパズメ教会の違法性や異常性が暴露出来るし裁判にも有利になる。いくら狂った宗教団体だとしても殺すまでにはいたらないだろう。そうすればこの仕事も終わる。覚悟を決めて、タナカと話した事を思い出しながら言った。
「はい、大学で英語の授業を取っていました。まあ、あまり自慢できる成績ではありませんでしたが」
「そうですか。やはり、サクラ様とリク様の言う事は本当だったんですね」
サクラちゃんとリクくんが言う事は本当だったってどうゆうことだ?
「あの、すみません。僕は何をすれば良いのですか?」
「サクラ様とリク様の英語の家庭教師をしてください。英語以外にも教えられることがあれば、その他の教科も教えてください」
「でも、僕は」
「大丈夫です。貴方の経歴なら高卒試験レベルの学力は教えられると2人は言っていました。そんなに緊張せずにリラックスしてください。では、これから向かいましょう」
スギモトに連れられて温室を出た。ミキタニはカトウが誇らしいと言ってイチゴ農園の係の者たちは彼に拍手した。農園を出て8号棟の707号室へと向かった。その間、スギモトから聞き出した情報によるとリク君とサクラちゃんの指名だったそうだ。リク君はカトウに助けらた事の恩を返そうとしたのだろう。リク君を医務室に運んだ後に母であるリカにリクとサクラが「タナカさんを家庭教師にして欲しい」としつこくねだったそうだ。そして、朝の朝礼の後に母のリカが事務所に行きスギモトとアカギにカトウを家庭教師にして欲しいと頼み込んだとか。それに、サクラとリクの成績は悪くはないが、集団で授業を受けるより家庭教師の方が気が楽だと言うことでカトウが家庭教師になることが決まった。それはそうだ、スギモトの話を聴く限りでは12歳を越えるとイキナリ高卒試験の勉強をやらされるのだ。それは混乱するに決まっている。どんなに頭が良くても物事には順序がある。突然高校の勉強をすれば訳がわからなくなって当然だ。
「そうだ、タナカさん。事前に注意しておいて欲しい事があります」と8号棟の7階にエレベーターでたどり着いた時に言われた。
「なんですか?」
「2人の前で、絶対に嘘をつかないほうが良いですよ」
「もちろん、嘘を付くつもりはありませんけど、何故ですか?」
「なんと言いえばよいか。これは、他の信者の方々には絶対に言わないでください」
「はい、約束します」
「あの双子は特別な能力があります。なんというか見透かす能力というか」
「見透かす能力ですか?」
「はい、なので嘘を付くとスグにバレますよ」
何を言っているんだと思った。見透かす能力があるんだとすれば、自分がタナカではなくカトウであると分かるじゃないか。きっと、あの双子は人を意識的にか無意識的に誘導したり表情や声色で性格や考えている事が分かるメンタリストの才能があるのかも知れないかと考えた。ましてやカルト宗教内での話だ。そうゆう集団心理でそう見えるだけだと。
「それと、これからは貴方が双子の家庭教師をしていることを絶対に誰にも言わないでください。室長にも同じ部屋で暮らしている信者にもです。約束してくれますね?」
「はい、約束します」
カトウはスギモトについていき階段の踊り場から奥にある707号室のドアの前でに立った。
「心の準備は出来ましたね?」とスギモト。
「はい」何をバカなことを真面目な顔をしながら言っているんだとカトウは心の中で笑った。
スギモトがチャイムを押そうとした瞬間「ガチャ」と鍵が解除する音が聞こえた。ドアが空き、中からサクラちゃんとリク君が玄関に立っていた。
「こんにちわ。サクラです」
「こんにちわ。昨日はありがとうございました。リクです」
「どうも、タナカです」と言ってカトウはお辞儀をした。なんで、チャイムを押す前にドアをいいタイミング開けたのだろうか?インターフォンにカメラでもついていたのだろうか。
「じゃあ、タナカさん。リク様とサクラ様を頼みますね」と言ってスギモトは帰っていった。
「さあ、中にはいってください」とリク君が言ったので部屋へと入った。間取りはカトウの部屋と同じ広さの3LDKだが、2段ベッドが6台もないせいか余計広く文化的な生活をしているように見えた。
「あの、英語の授業をしたいですか?ドコからはじめますか?」
「この辺がわかりません」と高2レベルの英語の教科書をサクラがカトウに手渡した。13歳でこれは無理だろうとカトウは思った。むしろよく中学校も行かないでここまでやれたことに感心した。サクラちゃんもリク君もどちらも13歳には見えなかったが言葉遣いはとても大人びている。
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タナカに会った時に、彼の本名はカトウであるとわかった。
なぜカトウなのかサクラとリクには分からなかった。今まで送り込まれてきた侵入者はだいたい1週間で身元がバレ追放されてしまうか、彼はその1週間を無事に通り過ぎる事が出来た。過去にサクラとリクと母を奪還する為に4人送り込まれたが、いつも失敗に終わった。途中で泣き出し素性を自らバラす者もいたし、警備にバレた者もいた。他の子供たちの親族が送り込んだ探偵やヤクザまで様々、計40人が忍び込んだが奪還するまでに至らなかった。赤ノ書、青ノ書、緑ノ書で本気になってしまい、そのまま入信してしまう者、気づくと取り込まれて狂信者になる者までいた。現在、サクラとリクが感じているだけでこのコミューンに大体15人の侵入者が居た。目的は様々。親族が奪還の為に雇った探偵や、タブロイド誌の記者、それに違う宗教団体のスパイまでいた。それと気になるのが半年前からこのコミューンに来ているある男だ。名前すら分からないが全く心が読み取れないし何者なのか検討もつかなかった。とても不気味な感じもするが、こちらには危害を加えるつもりはなさそうだ。
サクラとリクは、侵入者がいても決してチクらなかった。それに、他の10人の子供たちとドクターには自分たちの能力を隠していた。侵入者など感じない能力だと思い込ませていた。しかし、もしかすると10人の子供たちの中で、それに気づいている者が居るかもしれない。双子は彼らと普通に接した。自分たちはあくまで相手の考えや記憶を見透かす能力だけだと思わせているが、これも時間の問題かも知れない。
この3日間、カトウを注意深く観察し覗いたが特に能力があるわけでは無いようだ。何か能力があるのかと双子は疑ったが別にそうゆうわけでも無さそうだ。それに、なんで彼だけバレずに侵入させることが出来たか分からなかった。もちろん、皆にバレないように双子たちは妨害電波を出していた。これはアカギやドクターや10人の子供たちの罠なのかも知れない。でも、もう彼しかいない。双子はそう信じるしかなかった。
カトウが、今まで来た者たちと違った点は特になかった。幸福と苦しみがバランスよく取れた人生を送っている。頭は良い方だがずば抜けている訳でもない。それに少し怠惰な所もある。許される程度の怠惰さだ。それに倫理観は普通。特別正義感が強い訳でもない。どちらかと言うと臆病な方だ。それと彼は韓国朝鮮系の血を引いているが、特にそんなの何の関係もない。人の能力や才能に人種も国籍も関係ないと双子は知っていたからだ。そのせいで、彼は苦労しているのを知って彼の事を不憫に思った。教会内も外界も大和民族という言葉に支配されている。占いに来る政治家や官僚や資本家達に金持ちに成金達に文化人に芸能人は大和民族という、あやふやなカテゴリーを取り憑かれている。双子からしてみたらそれがどんなにバカげたことか知っている。自分を大和民族だと信じ切っている奴のルーツにはいろんなカテゴリーの民族の血が入っているからだ。それはもう時々占いの儀式の時に笑いそうになるくらいだ。しかし、その狂ったナショナリズムに取り憑かれた奴らが国の中枢や資本家に多い事が怖くなる時もあった。そして教祖のアカギはそんな馬鹿な連中を利用して金を儲けてドクターはその一部のお金で実験を繰り返していた。もう、辟易している。儀式の時はただ気持ち悪いし恥ずかしい。
ドクターは12人の子供達の事を解剖する勢いであらゆる所に注射針を挿しサンプルを取った。慣れたとは言え、いい気はしない。モルモット状態だ。いつかドクターの実験で死人が出るのではないかと怖くて仕方なかった。でも、ドクターもバカじゃない。1人でも死ぬような実験をしたら、このコミューンがどんな恐ろしい事になるか一番分かっているはずだ。だからといって、ドクターの好奇心には底がない。いつか、一線を越えるのではないかと双子は思っている。たぶん、他の10人の子供達も同じ意見だろう。
サクラとリクは時々、アカギとドクターが可哀想に見える事があった。アカギは先祖代々金と権力に取り憑かれている。幽霊とかスピリチュアル的な事ではない。彼はその親たちの悪しき家訓と教育方針に取り憑かれていた。ドクターも同じだ。先祖3代に渡り宗教と科学に取り憑かれていた。ドクターの場合は非常に特殊だ。大きな自責の念を彼から感じる。昔に何か取り返しのつかない事をしたに違いないが、それが何なのかまで探る気をなかった。彼引き続いだ宗教、いや秘密結社は非常に危険なモノを持っている。それが、何なのか双子には分からなかったし、他の10人の子供たちにも分からないはずだ。それに、ドクターにも分かっていないのではないかと考えている。双子は霊は信じなかったし、あの世も来世も無い事を知っていた。しかし、あの邪悪なモノはかなりヤバイ。双子には全く検討がつかない。ある時「リック&モーティー」を観てパラレルワールドという概念がある事を知った時、もしかすると異次元から来た、ナニカなのではないかと2人は考えた。実際にそんな物があれば全てが説明出来る様にも思えるが、謎は深まるばかりだ。
母は完璧に宗教に依存している。それが、双子には苦しくてたまらなかった。こんなインチキで気持ちの悪い得体の知れない宗教を抜け出した先に母は平静を保っていられるか心配だった。それに、元はと言えば自分たちのせいで、ここに居る事になってしまったのだから、どうしたら良いか分からなかった。だが、母もそのうち取り返しが付かないことになるのは分かっていた。それが、早くやって来るのか遅れてやってくるのか時間の問題だった。
カトウは海外で長く暮らしていて、英語教室でアルバイトをしていた経験もある為、とてもわかり易く英語を教えてくれた。それに、彼は数学が苦手だったこともあり逆に何が難しいのかを理解していて、その御蔭で数学が苦手のリクもカトウと一緒に手探りで数学をする事によってだんだんと数学の事が理解するようになった。
カトウは古文も苦手だった。「こんな物は学者が勉強すればいい」と言ってサクラは彼にシンパシーを感じた。もちろん、わからないながらもカトウは一生懸命寝る間を惜しんで古文の勉強をして教えてくれた。
3日目の授業の最中にサクラはカトウがしている秒針が黄色、長針が赤、短針が青で黒いプラスチックの腕時計に改めて注目した。
「ねえ、タナカ先生。その時計いいね。カワイイ。私も欲しいかも」
「俺も欲しい。何ていう時計?」とリクも食いついた。
「これかい?Swatchていうメーカーのスイスの時計だよ。見た目はオモチャみたいだけど結構高いんだよ」とカトウは焦っているのが双子には分かっていた。「ねえ、先生その時計ちょうだいよ」
「駄目だよ。贈り物なんだから」
「もしかして、彼女から?」とリクが調子に乗って言った。リクはこうやってふざける癖があった。カトウには随分恋人がいないのを分かっているくせにと、サクラはリクを怒ろうか迷ったが、カトウは気にしていない様子なのでそのままにすることにした。
「君たちだっていい時計を持ってるじゃないか。サクラさんはGショック、リクさんはスイスミリタリー。羨ましいくらいだよ」
「じゃあ、交換してよ」とリク。しかし、サクラはここでガツガツすると不味いと思いリクに合図をして止めさせた。
それから、授業は3時間続いた。気づくと18時だった。
「今日はここまで。また月曜日にね。宿題忘れないように」
「先生は土日外に出るの?」とリクが羨ましそうに聞いた。
「うん、そうだよ。息抜きに」
「え、息抜き?」とリク。
「いや、その、外の世界がどんな酷いことになってるかを確かめに行くんだよ」とカトウは言った。もちろん双子にはそんな事が嘘なのは分かっていた。
「じゃあ、楽しんでね」と言って玄関までカトウを見送った。カトウは微笑みながらじゃあね。と言って集会場へ向かった。
ドアが閉まってから1分ほど沈黙が続いた。二人とも考えていることは同じだった。
「ねえ、あの時計は使えるね」とリクは言った。
「うん、使える」
「でも、どうやってアレを2つ用意してもらえると思う?」
「どうだろう。でも、あの事を言っても信じてくれないかも知れないよ。だって、彼は私たちの事を疑ってるよ。カルト教団で育った頭が狂っている子供と思ってるのわかってるでしょ?」
「うん、確かに」
しばらく、サクラとリクは考えた。どうしたら、あの時計を2つ用意出来るだろうかと。双子は同時に思いついた。
「あれしかないか」
「でも、可哀想な気もする」
「だけど、彼は苦しんでる。早く知らせなくちゃ」
「でも、どうしよう。彼なりに折り合いを付けるのには今は早すぎるじゃないの?」「大丈夫だよ。タナカさんは俺らが思っているより強い」
サクラは少し懐疑的だった。もし、あの事を告げたら逆に自分たちを怖がってしまい最悪逃げるのではないかと。
「姉ちゃん。タナカさんなら大丈夫だよ。きっと」リクは言ったが自信は無かった。だけど、なるべく早くやらないと。サクラもそれには気づいているはず。それに、今日の午後の休みに1人侵入者が警備にバレたのが感じた。彼の目的はどうやら奪還でもスパイでも無さそうだ。少なくても彼からは遠い位置に居るので彼がどんな目に遭っているのかは想像できなかった。
3
この、3日間いろんな事が起きてどうしたらいいものかナカノは頭が一杯になりパニックになりかけた。まず、都合が良い事にカトウはリクを熱中症から救い双子の家庭教師になるし、言語学者のスズキの助手のタダノは通り魔事件を起こすし。どうなっているのだろう?何かこの2つの事柄は関係はあるのだろうか?腐っても元刑事のオゼキに聞いても彼も困っている様子だった。そして、4日目の土曜日の事。カトウがコミューンから出る日だ。今回はナカノの父に協力してもらうことにした。ナカノは息子のレンと父とでカトウとの合流地点のベンチに座った。すると、5分前回りをうろちょろするカトウと、それを追うオゼキが居るのがチラチラと視界の中で現れては消えた。
5分後、カトウがナカノの隣のベンチに座りiPhoneを彼女のハンドバックに入れた。しばらくするカトウは外にある喫煙所へと向かった。それを追うオゼキも見えた。どうやらナカノの見る限り尾行はついていないようだ。
ナカノはカトウのiPhoneを父に渡した。父にこの作戦の協力を求めた時に、まるで少年の様にはしゃいでいるのがわかった。自分を「ミッション・インポッシブル」のトム・クルーズと重ねたのだろう。ナカノがパズメ教会のアプリを見る限り位置情報は記録されるが録音はされていないようだったので、ナカノ家族が住む住居には絶対に行くなと父に注意した。父は「了解」と満面の笑みで答えた。父とレンは映画を観に行き、その後に外食をしてもらう計画だ。ちゃんと、指示通りに動いてくれれば良いが。
ナカノはJRの改札を抜け中央線の電車に乗り、高円寺へ向かった。予定の10分前に着いた。改札を抜け駅を出ると、スズキからメッセージが届いた。今、ナカノさんの後ろにいます。
ナカノは振り向くと、大きなサングラスをかけたスズキが居た。スズキは憔悴しているようだった。頬はコケて顔色が良くない。たぶん、マスコミに追われ大学内で色々と有ったのだろう。それにタダノの事がショックに違いない。大手メディアはスズキにインタビューを取ろうと躍起になっていた。彼女が地上波のテレビで顔を曝されてはいないが、ネット上ではスズキの写真が出回ていた。
「どうも。お久しぶりです。スズキさん大丈夫ですか?」
「はい、まあ一時期よりは良くなりました。マスコミも私のマンションから撤退したし。一緒にコーヒーを飲んでくれませんか?この前に行った喫茶店で話しましょう」
ナカノとスズキはこの前に話し合いをした喫茶店「グルーチョ」へ行った。
喫茶店内は土曜の朝のせいか人は1人の老人が窓際でKindleを使ってニュースを読んでいた。ナカノとスズキはアイスコーヒーフロートとホットケーキを注文した。10分も経たない内に席に届いた。
「この度はなんと申し上げてよいか。本当にすみませんでした」とナカノは沈黙を破った。本心だった。もしかするとあのパズメ教会の謎の言語がタダノを狂わせてしまったのではないかと思っていた。もちろん、直接的にはなく間接的にだ。「なにが引き金で人を殺すか分からない」とあの元刑事のオゼキも言っていたように、タダノもそれだと思った。意味不明の言語を解読しようとするがあまりに気が狂ってしまったのだと。
「いえいえ、謝らないでください。あの言語が人を狂わせる様なモノではありませんよ。多分」そう言うと、スズキはサングラスを外した。目が充血していた。やはり相当ショックだったのだろう。
スズキの話によると、タダノはずっと研究室に籠もりあの言語を解読しようとしていたらしい。スズキは「仕事中に解読するのは止めなさい」と言って止めたが、タダノはスズキの目を盗んでは解読しようとしていたとか。そして4日前、タダノは通り魔として逮捕された。マスコミ報道で分かっている事は夜に突然後ろからタックルして凶器を使い殺したとか。しかも日曜から3日間続けてだ。その内の最後の被害者の一人が襲われている時に、たまたま通りかかった高校の野球部の少年たちが目撃。少年たちは金属バットでタダノの頭を殴り脳震盪を起こしてその場に倒れた。3日間スズキもタダノの事を警察に事情聴取されたとか。
「警察てなんであんなに威圧的なんですかね?私が事件を起こした訳では無いのに」とスズキはタバコを吸いながら言った。警察は何時だって威圧的だ。きっとそうゆう組織体質なのだろう。威圧的な方が事件を解決出来ると本気で信じているに違いない。それは、元刑事のオゼキにも通じるモノが有った。彼は警察を辞めて随分経つのに意図的なのか或いは警察組織に入った後遺症なのか、それとも元々なのか相変わらず威圧的だ。ナカノは警察の威圧的な態度が好かなかった。
「あの、タダノさんはおかしい所は無かったんですか?なんというか前兆といいますか」
「特にありませんでした。いつも通りの彼でしたよ。学者に多いんですが、何かに熱中すると手がつけられないと言うか。そうそう、仕事中によく私の目を盗んでスマフォでゲームに熱中したりしていました」
「こんな事を聞くのは、学者の方にこんな事を聞くのは大変失礼な事だと思うのですが。人を狂わす言語て存在しますか?もしかして、それがアノ謎の言語が原因なのではないかと推測しまして」
「難しい問題ですね。というのも、例えば戦前のドイツがヒットラーの演説によって当時のドイツ国民がユダヤ人を迫害したり。最近だとルワンダ大虐殺がそうです。ルワンダでは当時、テレビやラジオを使ってヘイトスピーチを繰り返して大虐殺につながりました。それに日本も例外ではありません。関東大震災の際に朝鮮人が井戸に毒を入れたと噂が流れ、実際に朝鮮人大虐殺に発展しましたし。まあ、言葉と言うのは一種の洗脳や集団ヒステリーを起こすのに使われることがあります。しかし、あの言語の場合は意味がありません。意味の無い言語にそんな力が宿っているとは言えません」とスズキは虚ろな目をしながら言った。ナカノは彼女が可哀想になった。なんで、助教授が犯罪を犯したからと言ってマスコミは追い回され、ネット上で叩かれなくてはイケないのか理解に苦しんだ。
「なにか、私に出来ることはありませんか?私、仕事柄カウンセラーに知り合いが多いんです。もしよければ紹介しますよ」とナカノは言った。スズキは何とか気にしていないフリをしているが、おそらく自責の念を抱えているはずだ。それはナカノもそうだった。因果関係は分からないがアノ謎の言語を解読したせいでタダノが狂って2人を殺してしまったのであれば、直接的には関係なくても自責の念を感じるからだ。ましてや自分の部下が起こした事件であれば無意識にもそう思うはずだ。
「大丈夫ですよ。私、実は随分前からカウンセリングを受けているので。まあ、違う理由ですけどね。毎月カウンセリングに行ってるんですよ。行くと気分が良くなります。それに、ナカノさんと話すと楽しいですよ。今日は来て頂きありがとうございます」とスズキが言った。
「いえいえ、私もスズキさんと話せて安心しました。それにスズキさんと話すの私も好きですよ。知らないことを沢山知れるし」
「そうだ、ナカノさんてお子さんがいるんですよね?」
ナカノはビックリした。自分に子供が居る事を教えた記憶が無いからだ。
「すみません。iPhoneの待受画面が男の子だったもので。もしかして触れては行けないことに触れてしまいましたか?」
「いや、ビックリしましたよ。確かレンについて言っていなかったと思っていたので、なんで知ってるんだろうと思って。もしかして超能力者かと思いましたよ」
「レン君ていうんですね。写真見せてくださいよ」とスズキが言うのでナカノはiPhoneを渡した。
「可愛い子ですね。何歳ですか?」
「5歳です。今はやんちゃでイタズラばかりして困ります」
「いいですね。私も子供が欲しかったですけど、前の旦那が嫌がってね」
「そうなんですか。私も離婚をしてるんですよ」
「そうなんですか。仲間ですね。私、子供が好きで養子でも取ろうかと思っていたんですよ。でも今回の事件でクビになったら、それどころじゃなくなりますけどね」
「あの、クビになる可能性があるんですか?」
「連帯責任ていう奴ですよ。まあ、大学側はそんな言い方はしないですが。ありえない話じゃありません。そうゆう古い考え方をしている役員や教授が結構多くて困ります。まあ、今回の場合はなんとも言えませんけど。評判を気にしてクビになるかもしれません」
ナカノは言葉を失った。
「まあ、クビになると決まった訳じゃないし。もしそうなったら弁護士を雇って戦うつもりですけどね」
「弁護士を紹介しましょうか?」
「いいえ、大丈夫です。知り合いに腕のいい弁護士がいますから。ただ、性格が悪くて。嫌いな奴なんですけどね。まあ、元の旦那の事ですけどね」と言うとついナカノも笑ってしまった。それに、スズキも駅で会ったより表情が明るくなっているのが分かって安心した。
それからお互いの元旦那の悪口合戦が始まった。気づくと5時間は話していた。アイスコーヒーフロートも4杯目に突入していた。
「そうだ、実は、ナカノさんに頼みたいことが1つあるんですが。もちろん断ってもいいですよ」
急に何だと思った。スズキの顔つきが元旦那の悪口の時とは違って暗く虚ろな目をしていたからだ。
「なんでしょうか?」
「あの、タダノくんと面会に付いてきて欲しいです。彼は確かに2人殺して1人を怪我させました。しかし、良い助手でした。こんな事を頼むのも恥ずかしいのですが、一人では心細くて」
ナカノは少し考えた。深入りしていい問題だろうかと。でも、これも何かの縁だ。行くことに決めた。付いていくとスズキに言うと彼女は安心した様に見えた。土日は面会出来ないので月曜日に一緒にタダノの留置所のある杉並署へ行くことになった。
スズキが腕時計を見た。
「ごめんなさい。こんなに長く話しちゃって」
「いいんですよ。私も良い気晴らしになりました」
「休みの日なのにすみませんね。そのうちレン君も連れてきてください。彼にはまだ、アイスコーヒーフロートは早すぎるかもしれないですね。でも、ココアフロートもあるので。もちろん、子供が居る前ではタバコはすいませんよ」
「はい、是非とも。何かあったら、いつでも連絡してください。職業柄、返信が遅れるかもしれませんが」
「わかりました。変なスタンプ送るかも知れませんがよろしくおねがいします」
2人は会計を済ませ、駅へ向うために商店街を歩いた。すると、突然スズキが思い出したかのようにポツリと言った。
「そういえば、タダノくん。子供の頃、見える子だったて言っていたのを思い出した」
「見える子てなんですか?」
「つまり、幽霊を」
スズキの話によると、タダノは小さな頃に霊感があり幽霊が見えたのだという。しかし、年を重ねるに従って見えなくなっていったと言っていたそうだ。
「幽霊はいると思いますか?私はいないと思いますが」とナカノはスズキに聞いた。「私は幽霊を信じませんよ。何かの勘違いだと思っています。昔、脳科学の学者と話した時の事ですけど心霊スポットてありますよね?そうゆう所は大体が磁場が変らしいんですよ」
「磁場が変とはどうゆうことですか?」
「磁力の事です。磁石とかの。その磁場が変というのは磁力が強い場所の事です。脳の中にはもう使っていない器官があるらしいんです。伝書鳩や渡り鳥の使うような方位磁石の様なモノが昔の人間或いは人類に進化する際にその器官退化したそうです。しかし、中にはその器官が退化していない人が居て、その人がその磁場の異常な場所に行くと五感に変なモノを感じて見えたりするらしいんですよ。それが幽霊の正体ではないかというんです」
「そんな事あると思いますか?」
「さあ、幽霊がいるよりは信憑性はあります。ただ、脳に小さな針で電極を作り脳に指して微弱の電流を流すと、映像が見えたり、違うニオイを感じたりするそうです。ただ磁場の方は色々な説が有って仮説に過ぎません。それに、私が考える幽霊は多分、無意識で考えている恐怖が意識に流れ込んでくる現象だと思います。まあ、私は心理学者ではないのでなんとも言えませんが」
「そうですか」
「それに、タダノくんはに会った時、パラレルワールドが、どうとか言っていたじゃないですか?」
「はい、覚えています」
「アノ時から、イヤ、もっと前から少し変だったのかもしれません。たまに居るんですよ。オカルトにハマっちゃう学者が」
「そうなんですか?」前にスズキさんの紹介で会ったイガワも同じことを言っていたのをナカノは思い出した。
「学者も普通の人ですからね。どうしても立証出来ない時は、自分の都合の良いように解釈したがるんですよ。もしかすると、普通の人以上に学者はわからない物に対しては怖いだと思います。世の中には分からない事だらけなのに。まあ、仮に幽霊が本当に存在したとしたら、まず証拠を掴んで立証しなくちゃいけません。まあ、専門家ではないのでどうやって証拠を掴むのかは検討も付きません。ゴーストバスターズみたいに簡単に現れてくれれば簡単ですけどね」
「例えば、占いとかはどうです?」
「占いは、なんというか今でいうと心理カウンセラーみたいなポジションだったと思います。これは自分の解釈ですよ。私は全く信じませんが、人に悩みを聞いてもらうだけで人は安心するものです。例え、占いの結果が外れていても貴方の行ないが悪いで済みますからね。良い商売だと思いますよ。私も大学をクビになったら占い師でも始めようかしら」とスズキは笑いながら言った。
「その時は是非、一番最初のお客さんになりますよ」とナカノは言った。
「きっと、私の占いは当たりますよ」とスズキは砕けた感じで言った。ナカノはスズキと友達になれるのではと思った。と同時に月曜日の再会する際にはどうすればいいだろう。なにか差し入れでもすべきだろうか?それに、タダノに何を言って何を聞くべきだろうか。彼は、なにか突破口になるような事を知っているのかもしれない。
5
「何が食べたい?」とオゼキが聞くと「ステーキが食べたいです」と即答でカトウ。
オゼキはカトウを連れてTボーンステーキが美味しい店に行った。オゼキは胃もたれするので嫌だったが、カトウは若いだけあって一番大きなTボーンステーキとマッシュポテトを大量に注文した。それに、カトウのコミューンの食堂でTボーンステーキが出る気配は無さそうだ。仕方ないのでカトウに少々値段が張るがステーキのご馳走を振る舞うことにした。それに、彼はやっと奇跡的にサクラとリクと母のリカに接近出来たのだ。これは素晴らしい功績だ。運が良かったとは言え、こんな短期間で対象者に接近できるとは思っても居なかった。もしかすると、思っていたより早く事件は解決するかもしれない。だが、同時に早く解決してしまったら次の依頼が無いのでどうしたものかと思っていた。
カトウはTボーンステーキを焼き方はレアでポン酢と大根おろしのソースをかけて夢中で食べていた。見る限り先週より元気そうだった。
「どうだ、美味いか?」
「当然です。久しぶりのステーキですから。当たり前です」
オゼキは胃もたれするのが嫌で一番小さいサイズのステーキをミディアム・レアで頼んだ。思っていたより量があったので食べきれるか心配になった。
「双子とはどうだ?上手くコミュニケーションとれているか?」
「映像を見てますよね?まあまあです」
確かに、映像を見る限り、まあまあな感じだった。家庭教師と生徒という関係以上でも以下でも無かった。普通の少年少女達に見えた。双子は13歳にしては幼く見えたが、言葉遣いはとても大人びていた。しかし、時折年相応の無邪気な事を言ったり仕草をしていた。
「信頼関係は築けそうか?」とオゼキが言った。まず、信頼関係を築いて洗脳を解く、そして何より大事なのは母親のリカだ。リカが親権を持っている以上どうにもならない。リカの親権を剥奪出来る証拠か、或いは一番皆にとって平和的なのはリカとサクラとリクの洗脳を解いて逃がすのが一番だが。
「どうでしょうね。僕がリク君を偶然、熱中症から救ったので、その線で行きたいと思います。しかし、あのマインドコントロールの解き方て本当に使えるんですか?」
「さあな、俺には見当もつかない」確かに、オゼキが紹介した精神科医のクボのマインドコントロールの解き方は本当に使い物になるものなのか分からなかった。なぜならマインドコントロールを解いた事が無いからだ。それに、カトウが軽くレッスンを受けた程度の話術で狂信者、特に母親のリカに通じるだろうかは疑問だった。「サクラちゃんとリクくんはどんな教会ではどんな様子だ?」
「まあ、結構権力を持っている様です。どうやら他人の心を読み取る。いや、見透かす能力があるようで」
「それでお前はどう思う?」
「2人には悪いけど、そんな感じは受けないですよ。普通の子供ですよ。もし、見透かす能力があれば、スグにでも僕がタナカではないと気づくはずですし。多分ですが超能力とかじゃなくて、何ていうんですかメンタリスト的な才能はあるかもしれませんがね」
「まあな。確かに」
「なんですかオゼキさん。もしかして双子に本当に能力があると思っているんですか?Xメンじゃあるまいし」
「いや、一応聞いてみただけさ」
考えすぎだ。最近変な事ばかり続いて何が本当の事なのか分からなくなっていた。睡眠薬も効かなくなってきているし。眠りも浅い。判断力が鈍ってきているのかも知れない。
「お前、リカさんとは会えないのか?映像を見る限りだとリカさんが殆ど映ってないぞ」
「リカさんは、ジャムを作る工程に居るんですよ。なかなか会えないですね。時間帯が違いますから」
「そうか、なあ、食堂でリカさんと会うことは無いのか?」
「無いですね。特に家族世帯は自分たちで食事を作って食べるのが習慣みたいで、たまに、家族連れで来てる人も見かけますけど。タマキ親子は自分の部屋で食事しているみたいです」
オゼキには、どうしたら良いか分からなかった。良い所まで行っているのに八方塞がり状態だ。だが、急に思いついた。
「なあ、カトウ。お前が夕飯に招待されるようには出来ないか?」
「確かに、その手がありましたね」
「それなら、奥さんのリカさんとも親密になれる。それに、自分の子供を救ってくれた男だ。サクラちゃんとリクくんを上手く利用すれば、きっとうまくいく」
「確かにそうですね。やってみますよ」
それから、スグにカトウはTボーンステーキとお茶碗1杯分のマッシュポテトを平らげた。オゼキはというと、胃もたれするのと思っていたよりステーキの量が多かったのでチビチビ食べていた。
「どうしたんですか?食力がないんですか?」
「ああ、胃もたれがするんだ。どうだ、残り食べるか?」
「いいんですか。いただきます」
オゼキが半分残したステーキに手を付けるカトウ。相当コミューンの飯が不味いのか量が少ないのか分からないがとても美味しそうに食べていた。
オゼキは急に思い出した。彼に聞こうと思っていた事を忘れていた。
「なあ、カトウ。最近、杉並区で連続通り魔殺人事件があっただろ?何かコミューン内で噂になってないか?」
「いや、特には。ルームメイトの一人が前に住んでいた近所で起こった事件だったので気味悪がっていましたよ。それと、報道があった朝に教祖様のアカギが説法と言うか説教であの事件について少し触れただけですけど。なにか、関係あるんですか?」
オゼキは言おうか迷った。偶然だと思うがリンクしているようにも思えたからだ。それに、ナカノが言ったように何が事件解決の糸口になるか分からない。
「実はな、お前があの謎の呪文を書き起こしただろ。それを言語学者に見せたことは言ったよな?」
「はい、適当な言語だって言ってましたよね」
「実は、通り魔の犯人なんだが、その言語学者の助手をしていた男で、独自にアノ言語を解読するのに夢中になっていたらしい」
しばらく沈黙が続いた。カトウは血の気が引いているのがわかった。だがそれから急に笑いだした。
「オゼキさんそれ本当ですか?」
「ああ、本当だ」
「本当だとして、もしかしてオゼキさんアノ呪文が人を狂わせて通り魔に変身したっていうんじゃないですよね?」
「いや、そこまでは言っていない。ただ、アノ呪文には気持ち悪い逸話があってな」
「なんですその逸話て」
「成仏師て殺人鬼を覚えてるか?」
「はい、随分前の事件ですよね?何となく覚えてます」
「その、成仏師の叔母がパズメ教に入信していて、死に際にあの呪文を彼に教えたそうだ」
「本当ですか?」
「まあ、多分偶然だと思うがな」
「オゼキさん大丈夫ですか?なんだか、とても疲れているように見えますよ」
オゼキはカトウに見透かされていると思った。どんなに疲れを隠そうとしても自分もいい年だ。完璧には隠せない。
「オゼキさんは明日はゆっくり寝たほうが良いですよ。寝るのが一番だってドクターも言っていたし」
「最近、寝付きが悪くてな。あの部屋暑くてたまらん。それに湿気も高いし。クーラーの効きも悪いしな」そうだ、自分は疲れているだけだ。なんで、他に仕事がないとは言えこんな面倒くさい依頼を引き受けてしまったのだろうと後悔した。それに、あの呪文は無関係なはずだ。偶然起きた事だ。関連性は無いに決まっている。
5
月曜日、昼の14時にナカノは南阿佐ケ谷駅で言語学者のスズキと共に杉並署に収監されている容疑者、タダノと面会を行った。受付係の恐らく10代後半、高卒で警察官になったであろう青年に面会用の書類を書き込み提出した。スズキは事柄に同僚とナカノは友人と書き込んだ。まだ、警察官になって日が浅いのだろう。警官独特の威圧感は無かった。
「先方の許可が出ました」と青年警官が言うと隣りにいた古狸の様なオッサン警官が「先方じゃなくて容疑者だろうが」と軽く叱った。
そのうち彼も組織に染まり威圧感を醸し出すようになると思うとナカノは少し悲しい気持ちになった。
ナカノとスズキは面会室に通された。それはテレビドラマや映画で見るモノとソックリで部屋の中央にアクリル板が設営されていた。面会者用のパイプ椅子が2つ置いてあったのでナカノとスズキは座った。先程の青年警官の話によれば時間は15分だけだという。15分でいったい何が分かるのだろうと疑問に思ったが、スズキにとっては貴重な時間だろう。かなり心配していたからだ。タダノが人を殺したとしても元部下だ。そんな上司が今の社会にどれだけ居るのだろうとナカノは思った。一瞬だが2人は特別な関係、つまり恋愛関係かもしれないと思ったが恐らく違うだろう。本気でスズキは元部下であるタダノを心配しているのだと目つきや表情や会話の節々でそれを感じた。ナカノは何を聞こうか未だに迷っていた。あの言語を解読したのか。解読したとしたら、何が書かれているものだったのかを聞くべきだろうか?
5分すると容疑者側のドアが開きタダノが腕を後ろに回し手錠をはめられ、手錠にはヒモをで結ばれていて監視係の警官がそのヒモを持っていた。タダノの頭に包帯が巻かれていた。確か高校野球部の少年に金属バットで殴られたのを忘れていた。タダノは椅子に座ると、監視係の警官が彼の腕にはめてあった手錠の鍵を施錠を解いた。監視係の警官はドアの真横にある机の椅子に座り、ノートに何やら下記ごんでいる。
「なんだ、ナカノさんまで来たんですね」とタダノは微笑みながら言った。
「はい、スズキさんの付き添いで」ナカノはそれ以上言えなかった。なんで3人を襲い2人も殺した男が1週間もしない内に普通に微笑みながら話していられるのか理解に苦しんだからだ。それにしても、元気そうだった。自責の念のようなものが全く感じられなかったのは、とても薄気味悪かったが元気そうで良かったとも思った。それはスズキも同じみたいだ。ナカノが彼女を見る限りではだが。
「タダノ君、いったいどうしちゃったの?」
「それが、わからないんですよ。でも、スッキリしました」
「スッキリしたってどうゆうことよ」とスズキは怒っているのを感じた。
「僕にもわかりません。なんであんな事をしたのか」とタダノは言った。ナカノには少なくても嘘をついているようには思えなかった。
「ご飯はちゃんと食べてるの?」とスズキは心配そうに言った。
「ちゃんと食べてますよ。よく臭い飯ていうでしょ?そんな事なかった。大学の校内にある食堂とあまり変わりませんよ。美味しくもなく、不味くもなくです」
「そう、よかった」とスズキ。
「なんだか、すみません。教授に迷惑かけちゃって」
「そんな事は別にいいわ。あなたはこれからは、どうやったら遺族に償えるかを考えて、それを実行して。あなた弁護士は?」
「分かっています。自分なりに償うつもりです。それに、弁護士は知り合いに頼みました。なかなか良いやつです。それに腕もいい」
「あの、聞いてもいいですか?」とナカノが会話に割って入った。
「はい、どうぞ」とタダノ。
「あの、タダノさんは謎の言語、或いは暗号を解いたのですか?」
「ああ、あれね。アレはマズイですよ」とタダノ。
「マズイといいますと?」
「深い内容まではわかりません。ただし、人を狂わせる何かが、あの言語にはあります。だから、絶対に、特にスズキさんは絶対にあの言語の研究をしないでください。もし研究したら、僕のようになるかも知れないです」
「あの言語を解き明かすと人を殺すと言うことですか?」
「さあ、多分ですが人によるのかもしれません。僕の場合は人を殺す方向へ持っていきましたが、違う人は違う方向へ行動を起こしていたのかもしれません」
「そんな恐ろしい言語なんですか?」
「本当の所はわかりません。解読出来なかったです。それに僕自身が元々変だっただけかもしれません。殺している間、楽しくて仕方ありませんでした。なんというか、開放された気分でした。スズキさんのせいではありませんよ。随分前から僕は自分を自分で抑圧していたんです。知らず知らずのうちに。それが一気に解き放たれた感じです」
ナカノはタダノが何を言っているのか分からなかった。スズキも同じようだっった。
「何か、私にできる事はある?」とスズキは言った。
「特にありません。差し入れは弁護士を通して親から貰ってますし、そうだ約束して欲しい事があります」
「なにを?」
「大学のパソコン内にある、あの言語のデータを全て消してください。そうしないと大変な事になります。第二、第三の僕のような人間が生まれてしまうからです。約束してください」
「わかった」とスズキは言った。彼女がとても困惑しているのが分かった。おそらく、ナカノと同じ考えなのだろう。タダノは完璧に狂っていると。
面会時間の15分あっと言う間に過ぎ去った。面会室をタダノが出る際に深々とお辞儀をして去っていった。少なくてもナカノは二度と会わないだろうと思い彼に向かって深々とお辞儀をした。
それから、30分かけて歩いて喫茶店「グルーチョ」へ、ナカノとスズキは行った。席につくとアイスコーヒーフロートを2つ頼んだ。
「あの、どうでしたか?」とナカノは聞いた。
「とても、元気そうでした。あんなに元気そうな姿は初めて見ました。タダノ君はどちらかというとアンニュイな感じなので。だから余計怖かったです」とスズキは戸惑っていた。
しばらく沈黙が続いた。気づくとアイスコーヒーフロートのアイスが溶けていた。「あの言語に人を狂わせる力はあると思いますか?」とナカノは聞いた。
「そんなモノはありえないと言いたい所ですが。気味が悪いですね」とスズキは虚ろな目をしながら言った。
「実は、これは調査段階で分かったことなんですが、成仏師ていう連続通り魔殺人事件を覚えていますか?」
「はい、覚えていますよ。ウチの近所でも被害に遭われた方がいます」
ナカノは、その成仏師と言われる犯人の男の叔母がパズメ教会に入信していて死に際に当時少年だった男に呪文を教えた事を伝えた。それが原因かは分からないが、男が成人になってから成仏師にという連続通り魔殺人鬼に成ったことを説明した。
スズキはナカノの話しを聞いて、無表情だった。怒っているようにも見えたし、考えているようにも見えた。それとも、ナカノが狂っているのでは無いかと思ってどう反応していいのか分からないのかもしれない。
「なんだか、スティーブン・キングの小説みたいな話ですね。なんというか怪談を聞かされているようです。背筋がゾッとします」
「すみません。変な事を言って」
「いいんですよ。悪いことや嫌なことが続くと何かのせいにしたがるし、何か運命めいた物に飲み込まれていくような感覚になることがあります。私もそうです。実は、あの言語なんですが、私も少し解読してみようと思っていたんですが、タダノ君の一件があってからデータを消してしまいました」
「そうなんですか」
「すみません。勝手に消してしまって。一言いうべきでした」
「いいえ、構いません。気持ち悪い言語ですから」
「まあ、アレが原因でタダノ君が狂ったという証拠はありませんが。気味が悪くて」
「いいえ、大丈夫です。お気にせずに」
「学者なら本来ならそれがどんな危険なモノであっても研究しなくちゃイケナイと思っていたんですが。もう、この話は止めましょう。被害に遭われた方々や遺族には申し訳ないけど、もう起こってしまった事です。取り返しがつきません」
それから2人は、マーベルの配信ドラマについて話した。スズキはマーベル好きらしい。ナカノはそんなに詳しくなかったが、息子のレンが毎日の様に観ているので話題にはついていけた。とにかくスズキは「ロキ」の大ファンらしい。これならマーベル博士のレンもスズキと難なく会話できることだろう。
「レンくんもマーベル好きなんですね。じゃあ、今度会う時は是非ともレン君を連れてきてください」とスズキは言った。
もちろんです。とナカノは答えたが少なくても依頼を片付けてからだ。今はレンはマーベル博士、その前はポケモン博士、そのまた前はゴジラ博士だった。レンがスズキに会う時にまだマーベル博士でいられるだろうかと少し心配になった。
6
月曜日、朝からアカギのツマラナイ説教を聞いて眠気がぶり返してきた。売店に行きレッドブルの缶を買って胃の中に流し込んだ。本当に効いているのかは半信半疑だったが、ここに来てからというもの説教の後にレッドブルを飲むのが習慣になっていた。他の信者にも同じ考えの者が数名いるらしく、いつも売店でレッドブルを買う者とは顔なじみになったがお互い悟れないようにか、それともタダ目覚めが悪いだけなのかは分からないが言葉を交わすことは無かった。
8号棟の707号室に行くと、サクラとリクが出迎えてくれた。
「ねえ、お土産は?」とリク。
「そんな約束はしていないはずだよ」とカトウは言ったが、もしかすると何か約束したかも知れないと思った。最近環境急激な変化のせいか物覚えが悪い気がしていたからだ。
「そんな、約束してないでしょリク」とサクラが言った。
良かった。もし、何か約束していたら信頼関係を失うところだったからだ。
「じゃあ、今日はドコから始める?」とカトウは聞くとサクラが中学3年生の英語の教科書を出した。もう中学3年生の英語レベルの事はとっくに習得しているはずなのに。予習なのかと考えた。
「先生、ここが分からない」と教科書の英語の例文をシャーペンの芯を出さずに、ナゾッた。be quietと書かれている箇所だった。なんで、こんな簡単な事がサクラに理解できないのか分からなかった。
「これはね」とカトウが言おうとすると、もう一度ペンで教科書を叩くようにして同じ箇所をナゾッった。「静かにしろ」というのか?
「タナカさん、俺ここが分からないんだ」とリクが同じくシャーペンの芯を出さずにナゾッた。それは中学2年生の英語の教科書だった。
「ここと、ここがわからないい」とリクが複数のページをシャーペンでナゾッた。続けて読むと、I Know your real name, your name is katoとページをめくりながらなぞった。
なんで、サクラとリクは俺の名前を知っているんだ?これは罠か?ハメられたのか?ヤバイことになった。パニック状態に陥りそうになったカトウは叫びそうになった。するとサクラがもう一度「先生ここ」とbe quietという例文をシャーペンでなぞった。
「ねえ、先生、こことここが分からない」とリクが英語教科書の例文を使ってページを何度もめくり何度もなぞった。This room is being monitored。この部屋が監視されているだと。
「ねえ、先生。私はここが分からない」というと数ページに渡っていろんな箇所の単語をシャーペンでなぞった。続けて読むと Dont Panic Make it Normal パニクるな、普通にしろ。カトウはビックリした。本当にこの子達は能力を持っているのか?だが信じられない。何かのマインドトリックの可能性もある。カトウは深呼吸をした。もし、本当に監視されているのであれば双子がいうように普通に振る舞わなければ。でも、監視されているのであればどうやって双子に自分の意志を伝えれば良いのだろう。そうだ、こっちもノートに英語で書こうと思った瞬間。サクラがカトウのもっているペンを取り上げた。
「だから、先生。ここがわからないのよ」とペンの後ろの部分で数箇所の単語をなぞった。Don’t write Don’t evidence 書くな、証拠を残すな。そんな所までチェックされるのか。一体全体どうなっているんだ。
「それと、ここと、ここ」とリクがなぞっている所を続けて見ると I know what you are thinking. You don’t have to say what you think。何を考えているか分かっている。思っていることを声に出す必要はない。本当に、サクラとリクは相手の心を見透かす。いや覗き見る力を持っているということなのか。それとも自分が狂っているのか?そうだ、猫の事を考えよう。それで当たっていたら信じてみる事にした。黒猫の事を考えた。するとサクラが、教科書をめくりいろんな単語をなぞった。つなげてみると Are you still suspicious? anyway, its a cute black cat。まだ疑っているの?それにしてもカワイイ黒猫ちゃんね。カトウはビックリした。今までの事が全部筒抜けだったということか。なんだか混乱した。もしかして、ついに自分は気が狂ってしまったのではないかと思った。タバコが無性に吸いたくなった。
「先生、ここは?」とリクが例文を使ってシャーペンでなぞった。can somoke on the balcony。ベランダでタバコ吸っていいよ。
「ちょっと先生急に眠くなったからベランダでタバコ吸ってきていいかな?」
「いいよ先生」とサクラは言った。
カトウはベランダに出てタバコを箱から取り出そうとしたが指先が震えてなかなかタバコが掴めない。一旦深呼吸して、タバコを一本掴んで咥え火を付けた。アレは、本当だったのか。だとすると、いったいあの双子は何をしようとしているのか?もしかして、双子はこのコミューンから出たがっているのか?しかし、どうやってこの事をオゼキやナカノや依頼人達に説明すれば良いのだろうか。それに、もしかしたら、自分の勘違いで狂っているのかもしれない。気がつくとタバコを3本も吸い終わっていた。
カトウは意を決して部屋に戻った。
「タナカ先生、タバコ吸い過ぎだよ。タバコを吸うとモテナイらしいよ」とリクが微笑みながら言った。
「目は覚めた先生?」とサクラ。
「ああ、ごめんね。たまにすごく眠くなる時があるんだよ」とカトウは言って椅子に座った。
「じゃあ、これとこれはどういう意味?」とサクラは英語の高2の教科書を使って単語をなぞった。You still don’t believeit,right? I'll set the dinner you're planning.Ask my mom。まだ信じてないでしょ? あなたが計画している夕食のセッティングをするわよ。私がお母さんに頼んでおく。
「こんなのもわからないのか?」とカトウと演技しながら、なんでそんな事を知っているんだと思った。そうだ、心の中で念じれば双子に届く。このコミューンを出てパズメ教会から出たいか?と心の中でつぶやいた。すると、Yesと書かれた例文をナゾッた。でも、何かの偶然かもしれない。それにやっぱり信じがたい。
「ねえ、先生。ここなんだけど」と言ってシャーペンでナゾッた。I know where your father is 俺のオヤジの居場所を知っているだと?どうゆうことだ?生きているということか?と思ったが、サクラは少し悲しい目をしながら例文の中からDead in a car accident。車の事故で死んでいる。
すると、リクは教科のページの35ページと載っている前にNと書き、139ページを開きページ数の139ページの前にEと書いた。最初何のことを言っているのか分からなかった。もしかして、緯度経度の事かなのかと思った瞬間にサクラは教科書に載っているYesと書いてある所をナゾッた。それから、カトウがパニクっているのがわかったのだろう。今日はここまで。普通の授業をしましょうと、例文を何度もナゾッて普通の授業を再開した。
それから、カトウはお昼時間食堂で天ぷら蕎麦を食べた。あの双子が言っていた事は本当だろうか。何か騙されているのではないか。もしかすると自分はマインドコントロールされている証拠ではないかと思いはじめた。何が本当かわからない。そんな事を考えていると蕎麦は伸び切っていて汁を吸い膨れていた。食べたがとても不味い蕎麦だった。もし、本当なら父は死んでいることになる。それに、意味の分からないことが同時に起こってパニックになっている。正直、双子の家庭教師をするのが怖くなった。このまま逃げ出そうかとも思ったが。ドコまで本当か気にもなった。
お昼休みも終わってカトウは勇気を出して再び8号棟の707号室へ行った。午後の部の授業を始めた。いつも通りの授業だった。さっきの異常な事は起きなかったが、質問される度に何かの暗号ではないかとヒヤヒヤしながら注意深く見たが特に普通の事を質問された。数学や古文だ。特に、深い意味もない普通の質問だった。このまま、いつも通りに授業を進められるかと思った矢先、それはおやつ休憩の10分前の事だった。
「先生、タナカ先生。ここがわからない」とサクラがまた英語の教科書を出してきた。しかも、さっきと同じ様にシャーペンの芯を引っ込めて単語をナゾッた。I want two of the same watches you have。俺の持っている腕時計が2つほしいだと?どうゆうことだ?するとリクが英文をナゾッた。カメラが付いている事は知っている。この教団の違法性を証明する証拠を提出が出来る。つなげて読むと書いてあった。しかも、電波式ではなくSDカードのモノで記録するようの腕時計が欲しいとの事だった。そして、証拠を揃えたらスグに自分たち双子と母のリカを、このコミューンから脱走する手伝いをするように約束してくれと言った。カトウは教科書を使ってYesと答えた。
今日はそれで終了、英語の例文を使った暗号でのやり取りは終わった。
「じゃあ、先生またね」とサクラとリクはシンクロして言った。
「寝る前にちゃんと今日やった所を復習するように」とカトウは双子に言った。それは自分にも言い聞かせている事に気づいた。
食堂で夕飯を食べて、カトウが自分のベッドに戻ると赤いメモ帳をメガネに取り付けてあるカメラのレンズに近づけた。それからメモ帳に書いた。
1、双子はココを出る意志有り。
2、カメラ付きの自分のしているSwatchの腕時計を2つ用意して電波送信式ではなくSDカードで映像を記録出来るタイプを!違法性を示す証拠を双子が隠し撮りする事に協力的。
3、緯度35、経度139の場所に死体が在り。至急調べること。
と書きメモ帳を5ページほど引き抜いた。後で鉛筆でナゾッて筆圧で証拠が残らないようにだ。5ページ分を丸めてグシャグシャにしてベランダに出た。灰皿代わりに使っているキャンベルスープの空き缶にメモ帳を入れるとライターで燃やした。これで証拠は残らないはずだ。果たして、オゼキやナカノにこのメッセージが伝わっただろうか?それに、監視されていると双子は言っていた。もしかするとこの部屋も監視されているかも知れな。だとすると、もしかして、ココを追い出されるかも知れない。
7
ナカノから言語学者のスズキと共に容疑者、いや犯人のタダノのとの面会で得られた極わずかの情報が書かれたレポートに目を通した。たいした情報は書いていなかった。まあ、無理もない。ただのこじつけにしか過ぎない。偶然が重なった結果だ。だが、偶然の中に糸口がある事もある。オゼキはこの報告書を依頼人に見せるかは別にしてとりあえず、ファイルに保存した。経費としてアイスコーヒーフロートを4杯も飲んでいた。若干イラっとしたが仕方ない。ここでナカノを怒らせても特はない。報告書の明細には情報源との接触の際の経費として依頼人に請求することにした。それぐらいで怒る依頼人では無さそうだったからだ。
依頼人には、タマキ親子に接近した事を報告しメールでキャプチャー画面を送ると偉く喜んだ様子で立て続けに電話がかかって来た。依頼人の双子のお婆さんであるタマキ・ヨウコは電話口で泣いて喜んでいた。LINEでスタンプまで送って来た。もうひとりの依頼人、キリタニも同様孫の元気そうな写真と動画を観て偉く感動した様子で、依頼に来た時の重苦しい雰囲気を微塵と感じさせない明るい声で感謝の意をオゼキに述べた。
感動させといて何だが、これからが勝負だ。どう、洗脳を解いたら良いか。とりあえず、もう一度精神科医のクボに聞いたが同じことしか教えてくれなかった。仕方ないのでKindleで「洗脳のかけ方、解き方」という電子書籍を購入したのはいいが、クボの言っていた内容が長々と活字に成っているだけで意味はなかった。
今日一日、相変わらずカトウはただ家庭教師に徹しているだけだった。特に問題は無さそうだった。これで、双子の洗脳を解けると思っているのか。それともあまり先走り過ぎると相手に怪しまれると思ってのことだろうか、仕方ない。オゼキにもどうしたらいいのかわからないからだ。時間を見るとそろそろ、カトウの消灯時間だ。カトウは自分のベッドの上で寝っ転がっている映像が見えた。3つのPCモニターで画面をチラチラ見ながら今日の双子の様子を簡単に予備のMacBookProで報告書を書いている時の事だった。画面一杯が急に真っ赤になった。一瞬バグったのか、電波が途絶えたのかと思った。よくよく見るとそれは赤いメモ帳だった。
オゼキはマズイと思った。ついに正体がバレたかと思った。どうしよう。これからカトウを救いに乗り込むベキかという考えが頭の中をよぎった。でも、どうやって?そう言えば緊急時の時にカトウを救う計画を建てていなかった事に気づいた。
すると、画面は赤いメモ帳の表紙を開き何やらページに書き込んでいる映像が流れた。
1、双子はココを出る意志有り。
2、カメラ付きのSwatchの腕時計を2つ用意する事。電波送信式ではなくSDカードで映像を記録出来るタイプを!違法性を示す証拠を双子が隠し撮りする事に協力的。
3、緯度35、経度139の場所に死体が有り至急調べること。
それは10秒間の映像だった。すると、彼はメモ帳を丸めてくしゃくしゃにして、ベランダにある灰皿代わりに使っているであろう缶詰の空き缶にそれを入れてライターで燃やした。
サクラとリクはコミューンを出る気でいるのか。そんな素振りは映像を見る限り全く無かった。一瞬カトウが血迷って頭がおかしくなったのではないかと思った。
何度も今日の映像を見てもその様な事を示す会話や、仕草は一切見つからなかったからだ。それに、同じ時計を2つ用意しろだと?違法性がある証拠があの教会にあるということか。しかし、サクラとリクはどんなに頭いいといえ13歳だ。そんなわかりやすい違法性のある行為を日頃見ているということか?それに3が一番気になった。死体ありとはどういう事だ。緯度経度まで書いてある。誰の死体があるというのだ?
オゼキはとりあえず、2から始めることにした。探偵事務所のお抱えのあの胡散臭い例の電気屋だ。コイツは昔、盗聴マニアだった。ある、女性の依頼で家の音声が盗聴されていてネット上に曝されているという内容だった。コイツを捕まえたのがオゼキだった。コイツはかなり気持ち悪い奴だったがかなりの腕のあるエンジニアだった為、裁判では示談金を払ったが会社にバレてクビになった所をオゼキがフックアップした。今では実家の電気屋を継いで立派に更生しているはずだ。奴に至急カトウと同じswatchの腕時計2個にカメラとマイクを仕込みSDカードで記録出来るものを注文をメールで送った。すると5分もしない内に費用と納品日時が書いた内容のメールが返信してきた。木曜日受け渡しとの事。値段は相変わらず高かったが仕方ない。腕は確かだからだ。
それから刑事時代の後輩のフジオカに電話した。5コール目で彼は電話に出た。
「なんですか先輩。こんな時間に」とフジオカは明らかに不満そうな声で言った。時計をみると22時を超えていた。
「すまない。時間を忘れていた」
「別に良いですけど。なんですか?パズメのことですか?」
「何かわかったか?」
「噂程度の事です。みんなそこの占いが当たるとか。そればっかりです」
「そうか、実は至急、調べて欲しいことがあってな」
「なんです?」と面倒くさそうにフジオカは言った。
「今、手元にパソコンあるか?」
「いや、無いですけど。iPadならありますよ」
「ネットに繋いで地図を開いてくれ。今から言う緯度経度の所を調べて欲しい」
「はい、どうぞ」
「緯度35、経度139」
「ここは、神奈川県ですよ。相模原ですね。ウチの管轄じゃありません」
オゼキは今気づいた。そうだ。神奈川県だ。
「いや、ある情報があってな。そこに死体があるらしいんだ」
「それ、何処からの情報です?」
「いや、ある筋からとしか言えない」
「そうですか。一応、神奈川県警の知り合いに調べてもらいますけど、それってパズメ教会と関係あることですか?」
「いや、今はなんとも言えない。それとパズメ教会の事は他の警官や神奈川県警には絶対に言うなよ」
「分かってますよ。あのパズメ教会ですが、相当権力持っているみたいで。正直あまり関わりたくないし」
「そうか」そうだ、助教授のタダノの事を聞くのを忘れていた。何か突破口になるかもしれない。オゼキはタダノの事件について聞いてみた。
「アレですか。気持ち悪い事件で。これはまだマスコミには公表していないですけど、被害者をタックルして突き飛ばして両目に鉛筆を刺して殺したみたいですよ。それに何やら念仏の様な事を唱えながら殺していたみたいで、随分前に成仏師ていう連続殺人鬼がいたでしょ?あの事件に手口が似ていて模倣犯じゃないかって話で持ちきりですよ。オゼキさん、これもパズメ教会の仕業ですか?」と皮肉ぽい感じで聞いてきた。
「世間話さ」とオゼキは答えたが本心は違った。もしかすると関係あるかも知れないと思い始めていた。それから、何となくメモ帳をペラペラめくっているとセキグチ・リョウタと書いてあった。そうだ、例の失踪したソーシャルワーカーだ。彼の事をすっかり忘れていた。
「それと、元ソーシャルワーカーのセキグチ・リョウタという人物を調べて欲しい」
「誰です?そのセキグチて奴は?」
「東京で元ソーシャルワーカーをしていた人物らしい。分かっているのはそれだけだ」
「分かりましたよ。世間話するんだったらもっと明るい話題にしてくださいね」とフジオカの電話口の奥から子供が笑っている声が聞こえた。
「おい、まだ子供が起きてるのか?」
「そうなんですよ。なかなか寝てくれなくて困っているんですよ。何か良い方法ありますか?」
「早く寝ないと、カルト宗教団体に連れて行かれて虐待されるぞと言えばいいんじゃないか?」
「確かにそれは良いかも知れませんね。ではおやすみなさい」と言って電話がキレた。オゼキは念のために緯度経度とセキグチ・リョウタの娘のナツキから聞いた彼の情報をメールで送った。すると10秒もしない内に「了解」と返信してきた。
とりあえずは、今オゼキが出来ることはここまでだ。この教団を知れば知るほど頭が痛くなってきたし眠れなくなった。偏頭痛を伴うがウイスキーをいつもの倍は飲んでから睡眠薬を飲んだ。こうしないと眠れなくなった。今度心療内科に行った際はもっと強い睡眠薬を処方してもらうことにしようと薄れゆく意識の中でオゼキは思った。
8
イイジマは4号棟へ行き、1階のスーパーでハーゲンダッツの抹茶味とレッドブルとクロワッサンを買ってスマフォ決算で買った。職務中休憩中は支給されたスマフォで決算するのがルールだった。時々、スマフォ決算できないお店では必ず領収書とレシートをもらう決まりだった。彼は階段で2階にある食堂で昼休みを取った。ロレックスの腕時計を見ると14時30分。あと30分しか無い。お昼休みに45分は短すぎると心の中で愚痴った。回りはガラガラでイイジマしか居なかったせいか、夏用のスーツのジャケットを着ていたにも関わらず少し肌寒いと思うくらいだった。ハーゲンダッツを買ったのは失敗だったと思った。
今日の午前も疲れた。相変わらずネズミは、つまり侵入者は口を割らない。本当は何者なのかすら分からないでいた。マイナンバーカードが出来てからというもの、入信の際にカードを持っている者は軽くしか調べない。マイナンバーカードの偽造など簡単に出来る。少々値段が張るが。何度もアカギにはマイナンバーカードを持っている入信希望者への調査を徹底してくれ、と言っているが彼は特に気にした様子は無いようだ。それに、一人だけでも調査するのに金がかかる。アカギは天秤にかけて、誰でも良いからコミューンで働かせ洗脳した方がいいと思ったのだろう。
このコミューンでの収益はバカにならない。パズメ教会の全体の4割は、農業と家具作りで良い収益を上げている。客は様々。外にすむ入信者にイケアの6倍の値段で家具を売りつけ、農作物も無農薬の作物の相場の6倍で売りつけ、余った家具は家具メーカーに卸しパズメ教会が作ったのを秘密でメイド・イン・ジャパンとタグを付けて売ると錬金術の様に売れるとか。余った作物も同じだ。それに、水。500ミリリットルのペットボトルで教祖様のアカギの顔写真が載ったラベルの水は敷地内にある湧き水を利用している。それを1本1000円。3ダース3万6千円円で毎月届くコースまで作っている。これらが結構な利益を上げている。そろそろ、第2コミューンのキャパオーバーになりかけているので調布区の10棟からなる団地を買い上げる計画まで出ているくらいだ。入信希望者はうなぎ登り増えていっている。そんだけ、世間は不景気だということなのか、それともみんな狂いは始めているのかは分からなかった。
残りの6割がお布施だ。それがスゴイ額だろう。例の12人の子供達の占いは相当、当たるらしい。本当の所はイイジマにはわからないが、もしかするともっと占いの利益は相当な額なのではないかと考えている。コミューン内に来る者たちは大物政治家に期待の新人政治家、官僚、大金持ち、大手企業の社長、それに文化人テレビのワイドショーの司会者とコメンテーターたち、右翼や左翼の大物、それに違う宗教団体の教祖まで占いに来ていた。それに、占いに関しては一度も見たことがなかった。自分にはその権限が無かった。占いの時に付き添うのは教祖のアカギとドクターのイシイ、そして占いを受ける者だけだった。たまに、出張でベンツ6台しかも全部防弾ガラス付きで高級ホテルへ行き、スイート・ルームで金持ちや政治家達に占いをした。その時に車で子供たちを見るが、上は16歳、下は8歳の性別もバラバラな、ごく普通の子供たちだった。トイレに行きたいと言えば、アカギに無線連絡してコンビニに立ち寄った。なぜ、防弾ガラスの付いたベンツに乗せるほど危険な目に合うのかと思っていたが、少なくてもイイジマが警備に付いてからは特に銃撃や暴漢に襲われたことは無かった。何をそんなに怖がっているのか理解に苦しんだ。
イイジマがロレックスの時計を見ると後、20分で休憩が終わる。残りの時間に食堂で座って居るのもいいが外に出て喫煙所でタバコを吸うことにした。外は信じられないほど蒸し暑かった。ルール上仕事中。特に屋敷の外ではスーツの上着を脱げないので倒れそうに成りながらタバコを吸った。いくら身体を鍛えていても暑さには耐えられない。12人の子供たちの1人、タマキ・リクが倒れるのも仕方ない。最初、ネズミはリク少年を救ったタナカだと思った。彼の経歴は元ホームレス。バイト先が潰れて職と住居も失った為、調べるのが厄介だったがITセキュリティ部門の話によると彼の経歴には特に問題は無さそうだ。ホームレスが入信してくるパターンは結構多い。それは今も同じだ。アフターコロナ、いやコロナパンデミック以前からこの国の社会は壊れかけていた。コロナでそれが浮き彫りになっただけの事だろう。しかし、タナカという青年には何か引っかかる事はあった。入信して1週間そこらで、多額の寄付金ナシでクシャトリヤの称号をもらった人物はそれまで居なかったからだ。もちろん、12人の子供たちの1人を救った例も無いので気にすることも無いのかもしれないが。謎の電波は彼が来る前からこの敷地内から送信されていた。発信源の特定も出来たのでタナカという青年の事は後でじっくり調べることにした。
とにかく、12人の子供たちに逆らえる者はこのコミューンにはいなかった。もし逆らえる者がいるとしたら、子供達の事を知らない人物くらいだろう。それに、入信者にも12人の子供達の事はトップシークレットだ。時々、アカギとイシイが12人の子供達と話をしているのを盗み聞きしていると、どっちが位が高いのか分からなかった。昔、警備部の中で子供達が車内であまりうるさく騒ぐので怒鳴った者がいるらしい。するとその場でクビになったとか。それは、イイジマが来る前の話しなので何処まで本当かは分からなかったが、アカギとイシイの子供達への対応を見ていると嘘や噂ではないように思えた。ロレックスを見ると休憩時間は残り10分だ。アカギ低に戻ろう。灰皿に吸ったタバコを入れて、北にあるアカギ邸へ向かった。
アカギ邸はコミューンの団地から100メートル離れた北側、傾斜15度の斜面に建っていた。外観は洋館で1階に付き10部屋有った。2階の中央に40畳ほどの儀式に使う儀式部屋がある。その部屋は床に畳があり中央に大きな赤い座布団、回りに12個の座布団が時計の文字盤の様に配置されていた。イイジマは数回しか見たことが無かったので詳しい事は分からないが天井には、あの気味の悪いパズメのシンボルマークが描かれていた。
イイジマはアカギ邸に付くと裏に回った。裏には大きなトレーラーハウスが置いてあって、トレーラーハウスの入り口の横に喫煙者用の灰皿が置いてあった。時計を見るとまだ8分あるのでタバコを吸うことにした。中は禁煙だ。タバコを半分吸い灰皿にタバコを捨てた。トレーラハウスのドアの横に付いている出歯た白いプラスチックのカバーを下にスライドして下げて暗証番号を入力した。すると、「ブー」という低い電子音とともにトレーラーのドアのロックが解除する。ドアを開けてトレーラーハウスに入ると大きな机と椅子。ユニットバスにキッチン付きで一番左奥の部屋にダブルベッド、右奥に運転席があった。ガソリンを入れたら動くのかは不明だ。イイジマが来てからこのトレーラーハウスを動かした所を見たことが無いからだ。そして、椅子に座った50代の警備員が立ち上がりイイジマに向かって敬礼した。
「お疲れ様です」
「いいよ、敬礼なんてしなくて」
「いえ、そうゆうわけには」と言って警備員は机の下を手探りでボタンを探し当てボタンを押した。するとトレーラーの室内の床の収納入れから「ガチャ」という音をたてた。
「ご苦労さま」と言ってイイジマはその音をした床の収納入れを開けると階段へと繋がっていた。
この地下室の入り口はアカギ邸の下にあった。アカギ邸より広いという噂だ。地下室は核シェルターを兼ねているという。地下1階は、ITセキュリティー部門の連中が15人ほど。責任者はオオキという若い女だ。外部の会社にもITセキュリティーを頼んでいるので計40人近くは居るのではないだろうかと考えられる。常にコミューン内外で異変が無いかを調べている。一番奥の部屋は大きなサーバー室になっていて停電してもバックアップ用の自家発電が動くようになっていた。イイジマですらITセキュリティー部門に数回しか入った事が無いので分からないが、主にコミューン内でのインターネット閲覧記録や内外へのメール、メッセージの解析などがメインだ。ITセキュリティー部門の話によると、コミューンから出ている謎の無線、3G回線、4G回線、5G回線、6G回線、WiFiは40件ほどらしい。大抵は、信者が無断で持ち込んだスマフォでゲームをしたりアダルトサイトを閲覧している物だと分かっている。特にパズメに対して不信感やネガティブキャンペーンを行っていなければ問題はないので放ったらかしにしている。しかし、そのうちの20件が暗号化されている電波だった。アカギとイシイの考えではネズミだと思っているようだが、教団内で不和が起きると困ると考えているらしく、確実な証拠を掴むまで踏み込むなとの命令だった。その点はイイジマはアカギ達は頭が良いと思った。このコミューンにスパイがいるとしたら信者達が疑心暗鬼になり下手をするとベクトルの方向が信仰そのものへ向けられる。そうしたら大変だ。1人去り、また1人去りと連鎖的に起こると事だ。それに内ゲバやリンチに発展する可能性だってある。アカギもイイジマもパズメ教会の前身であるフレア教会の教訓を活かし、また「ガウス寺院事件」の事を相当研究したのだろう。どうすれば信者をコントロール出来るかを心得ている様だった。そして、事件にならない様に細心の注意をしていた。だから、パズメ教会はそこそこ自由を認めている。他の宗教の様に厳しい戒律を作らない事にしたらしい。
地下1階の半分はイイジマの管理する警備部だ。警備部は主に、入信の儀式の際にギブアップした者を車で家に返したりする。関東圏内なら車でどうにかなるがそれ以外の関西や九州や北海道から来たものは空港まで送って旅行券を渡し、秘密保持契約書にサインをもらい、修行の時間分の平均時給を渡して返す。他にはアカギと12人の子供達たちの警備、それとネズミ退治だ。このネズミ退治がなかなか苦労する。ITセキュリティーと合同でやらなくてはならないからだ。ITセキュリティーの連中はとてもスキルのある者ばかりらしいが、イイジマや他の警備員を怖がっているらしく時々、コミュニケーションが噛み合わない事もある。仕方ない。自分も当てはまるのだろうが、他の警備員は素性の知れない者が多かった。それに威圧的だ。自分でも分かっていたがどうにも治らなかった。それにイイジマですらドコから来て何をしてきたのか分からない連中ばかりだった。中には恐らく、元ヤクザや明らかに人を殺した事のあるような目つきをした者も居た。
そして、地下2階はドクターことイシイの管轄だった。普段イシイは1号棟で医者として、医務室に居たがパソコンで地下2階を監視し研究員に指示を送っていた。イシイは医師免許は持っていなかったが、患者が病院へ連れて行くか行かないかの判断くらいは出来た。それに、その辺の町医者より人体の構造に詳しいようだ。イイジマは地下2階は2度しか行ったことがない。普通の研究室と変わらない印象を受けた。何の研究をしているのか未だに不明だ。アカギ曰く農作物の研究らしいが本当の所は研究員にしか分からない。それに、地下2階は明らかに地下1階より面積が狭かった。どうやら地下を走る貨物用列車が関係しているらしく、アカギの権力を持ってしても建築基準法の審査が通らなかったらしい。
イイジマは、警備室の事務所に入った。机は人数分の12台。格机にSurfaceProと30インチの外部PCモニターが置いてあり、椅子はとても座り心地の良いものだった。SP時代の事務所とは大違いで座り心地が良すぎるがあまり眠くなる時があるくらいだ。今は、5人ほど座っていて事務処理やら、報告書をまとめている。一番奥に座っているキクチという2年前に入ってきたイイジマより5歳年下の女性に話しかけた。
「どうだ?ネズミの方は?何か吐いたか?」
「いえ、ずっと黙秘してます」
「そうか。キクチ、お昼休み取っていいぞ」
キクチは椅子に掛けていたスーツのジャケットを取って着て事務所を後にした。イイジマの考えではキクチは元自衛官ではないかと思った。しかし、お互いの事を話さないというのがイイジマが責任者になる前からの暗黙のルールだった為に本当の所は分からなかった。
イイジマは事務所の奥にの部屋に通じるドアを開いた。廊下がある。右のドアは男の更衣室、左のドアは女の更衣室。廊下は更に5メートル先にドアがある。そのドアを開くと、更に横に広がった廊下がある。左は尋問室だ。イイジマは右の部屋のドアノブの上にある数字に暗証番号を入れた。電子音と共にロックが解除された。部屋に入るとイチノセがメンテナンスしていた。
「イイジマさん、ご苦労様。もう、休憩終わったんですか?」とイチノセ。
「まあな。45分じゃ休憩をした気に成らない」と言ってイイジマはジャケットを脱いだ。彼はショルダーホルスターからGLOCK17ピストルと予備のマガジン2個と予備のGLOCK26ピストルをイチノセに渡した。
「尋問室に行くんですか?」
「そうだ。なかなか、口の割らないヤツで困っている」
「そんなに手強いんですか?新記録じゃないですか?」
「確かに、もう5日は経つな。新記録かも知れない」
イチノセの後ろをチラリと見ると壁にGLOCK17の30丁入る置き場に20丁、それにベネリM4オートショットガンが壁に5丁、HKMP7サブマシンガンが20丁、HK417バトルライフルが20丁にIWIタボールブルパップ式アサルトライフルが20丁。左側を見ると射撃場がある。50メートル奥まった場所に的の紙がぶら下がっている。射撃練習は2週間に1回行われる。各自アサルトライフルで100発、サブマシンガン100発、ショットガン50発、ピストルで100発だ。イチノセ曰く銃も車も使わないと壊れやすくなるとの事だった。初めてこの武器庫兼、射撃場を見た時はイイジマは驚いた。どう見ても法律違反だからだ。95年の「ガウス寺院事件」の事だってある。カルト宗教が銃を所持するなんて明らかにヤバイ。でも、彼には選択肢が無かった。
イイジマがこの仕事に就いたのは5年前の事だった。当時32歳、警察で要人警護、つまりSPをしていた時だった。その当時に警護していた副大臣のススメでこの教団の警護の仕事に就く事になった。彼は二つ返事でこの仕事に就く事を選んだ。当時彼には金が必要だった。彼は裁判に負けてボロボロだった。離婚裁判だ。
彼は25歳の時に2つ年上の女性と恋に落ちて結婚した。2人の女の子を無事に授かり幸せそのものだった。彼にとってはだが。31歳の頃、浮気がバレた。毎回メッセージの履歴は消していたが感づかれて探偵を雇われ密会している所を写真に押さえてられた。しかも、相手は警視庁のお偉いさんの娘だった為に職場でもバカにされ信用を失い居場所が何処にも無かった。我ながら馬鹿なことをしたと反省している。だが、浮気をした所で離婚は免れなかっただろうと考えている。
イイジマは普通に妻や子供に接していたつもりだった。だが、違った。家庭裁判所で争った時の事だった。妻は部屋中にカメラと録音機器を仕掛けてあった。証拠として提出された映像や録音には酷いものが映し出されていた。妻には暴言を吐き、時に平手打ちをし、それは2人の娘にも同じだった。彼はシツケのつもりだった。自分が父や母にされたようにしていただけだった。だが改めてそれを映像で見た時に自分がしていた行為はDVに近い、いやDVそのモノだった。その時、自分が狂っている事に気づいた。それにこのくらいの暴言は警察内ではよくある事も原因だった事も原因の1つではないかと思う。後輩に対しては同じ様な暴言を吐き、先輩からは同じ様な暴言を吐かれていた。それに、父からは殴られ暴言を吐かれ育てられた。それが普通だと思いこんでいた。それに、浮気も重なり離婚が成立した。相手は凄腕の弁護士だった事もあってか、毎月、給料の半分は持っていかれた。それに、2人の娘の学費もかさみ接近禁止令まで出された。しかも、警視庁のお偉いさんの娘に手を出したのだから昇進も無理だろう。当時借りていた3LDKの調布区のマンションも家賃が高すぎた。もう少し家賃の安いところに引越し、転職しようとしていた時の事だった。現、法務大臣のオクヤマ、その当時農務省の副大臣から「いい職場がある。給料もいいし待遇もいい。どうだ?」と言われた。「ヤリます」とイイジマがいうと3日後にニュー帝都ホテルのスィートルームでアカギとイシイと面談をした。イシイは口を開かずに履歴書を見るばかりだった。アカギは面談の際に3つの事を質問してきた。
1、本当にこの給料でいいのか?
2、絶対に仕事の内容を秘密にできるか?親類、友人、知り合い、マスコミにバラさない事が出来るか?
3、神や宗教は信じるか?
1は2年分の給料で慰謝料と養育費と娘の学費を支払える額だったので「もちろんです。大丈夫です」と答えた。2も仕事の内容は一度もバラしたことはありません。保証しますと真実を述べた。3に対しては困った。イイジマは全く宗教を信じていなかった。自分の家系がどの宗派さえ分からないレベルだった。しかし、宗教団体の面談だ。どうしたら良いか分からなかったが正直に「信じません」というと、アカギとイシイはニヤリとしてそれ以上何も言わなかった。そこで面談は終わった。たった10分でだ。
恐らく最後の3番目の答えを間違えたのだろうと、面接に落ちたに違いないと思い帰り道にバドワイザーのビールをコンビニで買って飲もうとプルタブを開けた時、アカギから電話がかかってきた。「明日、退職届を出して有給を使い切てからウチの教会に来るように」と。
それから40日間有給を使い終わり、改めてアカギとイシイの居るコミューンへ行った。アカギとイシイはイイジマに握手した。「これで、君も僕たちの仲間だ。よろしく」
「ありがとうございます」とイイジマはぶっきら棒に言ったのを覚えている。
「悪いが君のことは色々と調べさせてもらったよ」とアカギ。
「何か問題でもありましたか?」
「いや、特に問題はない。ただ、君の家庭内では大きな問題を抱えているみたいだね」
「すみません。聞かれなかったもので」
「別に、怒っているわけじゃないんだよ。家庭内の問題は仕事に支障をきたす。ねえ、教祖様?」と初めてイシイが口を開いた。
「そう、そこで提案があるんだ。慰謝料も高いし、子供に接近禁止令まで出てある。どうだ?解決してもいいよ」とアカギ。
「そんな事出来るんですか?」とイイジマは思った。裁判所命令なんてそんな簡単に覆せるのか?
「うん、簡単さ。慰謝料を安くする事も出来るし、親権を君にあげる事も出来るよ」「しかし、慰謝料は身から出た錆です。それに、この職場の給料なら余裕で払えます。だけど、娘に対しての接近禁止命令は確かに辛いです」
「君はたいした男だ」とアカギ。
「素晴らしい考え方だ。中には慰謝料を安くするようにせがんで来る者も居るのに君は素晴らしい」とイシイ。
「いいでしょう。子供の接近禁止命令は少し時間はかかるけど、どうにかしましょう」
「本当ですか?」とイイジマは言ったが、どうせそんな事が出来るはずは無いと心の中で思った。
「それと、君、そのスーツだが」とアカギ。
「すみません。汚れていますか?」イイジマは今日の為にワザワザ新品を買ったのに何か文句があるのかと思った。
「いや、私達は文句は無いよ。だけど、これからはVIPと仕事しなくちゃいけないものでね。大丈夫、スーツはこちらで用意する。さあ、隣の部屋に行きなさい」とアカギが指差す方向のドアをノックすると、中に仕立て屋の初老の男が居た。
黒とグレーのトム・フォードのスーツ2着ずつ、計4着。夏用の黒とグレーのジャケットが2着ずつ計4着。スーツに興味の無いイイジマですら驚いた。相当高いスーツだ。それと、ジョンロブのヒモの革靴を黒を2足、茶色が2足。後でネットで調べたら一足20万円はするものらしい。
仕立て屋にスーツとシャツを脱ぐように言われて、インナーシャツの姿になったイイジマに対して「まずこれを着てください」渡されたのは防弾チョッキだった。相当薄くて丈夫で9ミリ口径弾くらいなら数発は耐えられるほどのタイプの最新型だった。イイジマは何をやらされるのかその時不安で仕方なかった。
それからスーツの寸法を測ると、警備室の武器庫に行った。GLOCK17と予備の小さいGLOCK26を渡された。最初、モデルガンかと思ったが違ったスライドと銃口が明らかに金属だ。
「ピストルを常に持ち歩くように。コミューン内にいる時と、外に子供達を送る時には必ず携帯すること。家に帰る時と尋問室に入る時は絶対に武器庫に戻してください」とアカギ。「はい」イイジマは取り返しのつかない事に巻き込まれるのではないかと思って後悔した。
「君、SPやっていたんだって?ピストルは何を使っていたの?」とイチノセ。
「HKのP2000です」とイイジマは答えた。
「そうか、使い方が違うから最初は少し戸惑うと思うけどすぐに慣れるよ。使い方はシンプルだしね。もしかして不満かい?」とイチノセはイイジマの目を覗き込みながら言った。
「いいえ、不満ではありません」
「そうか、良かった。中にはピストルにこだわりを持つ者が結構いてね。ベレッタがいいとか、SIGがいいとか、45口径がいいとか、ストライカー式は信用できないとか、ポリマーフレームは信用できないとかね。ウチはピストルはGLOCK17とGLOCK26で統一してるから。もし不満があればアカギさんに言ってくれ」
「いえ、大丈夫です」初めてGLOCK17ピストルを使うので若干は緊張した。握った感じちょうどよい大きさだった。前のHKP2000は小さすぎて自分には合わなかった。
「それと、これはプレゼントだ」とアカギは箱を取り出した。
「なんです?」
「開けてみなさい」
イイジマが箱を開けると、ロレックスの腕時計だった。
「君のGショックもいい時計だが、君にはこれがよく似合う」
それから5年。慣れとは恐ろしいモノだ。入信?いや入社してから2ヶ月後に娘たちへ対する接近禁止命令は解けた。月に1回だけだったが仕方ない。イイジマは何か恐ろしい権力をアカギ達が持っていると確信した。それに、占いをする子供が当時6人だったが12人に増えた。ドクターは「予言通りだ」と1年前喜んでいた。「予言通り」とはどうゆうことだろうか。
アカギは明らかにビジネスとしてこの宗教団体をやっているのは分かった。しかし、ドクターの考えている事はよく分からなかった。イイジマは宗教と科学は相反するものではないかと思っていたからだ。だが、ドクターにその事を聞くつもりも無かった。アカギもドクターもこの宗教についてはあまり触れてほしくないのだろう。だから自分の様に宗教に興味のないモノを警備部に入れたに違いない。
イイジマは武器庫を出て左にある部屋に入った。そこは6畳ほどの小さな部屋で監視室と呼んでいた。コーヒーメーカーと椅子が3つと長机に液晶画面が2つ置いてあった。2人の警備員が座り大きなガラス張りでマジックミラーでしかも防弾も兼ねている。戦車用のロケットランチャーで撃っても耐えられ程の頑丈さだ。なんで、そんな物が必要なのかイイジマには未だに理解出来なかった。マジックミラーの向こうは尋問室になっている。部屋の大きさは8畳ほどで長方形。壁は防音で床はセラミックのタイル張り。これは前任者の趣味だった。イイジマがは警備部に入った時の責任者はクマカワという元フランス外人部隊の男だった。フランス外人部隊を除隊後は海外の民間警備会社でアフガン、イラクで活躍したと自慢していた。とても、印象のいい男だったが度が過ぎていた。ネズミに対しては容赦無い拷問を行っていた。水攻めは勿論、電気を使い、歯を抜き、様々な拷問をしていた。拷問中、ネズミは小便大便を漏らし、血を流す。掃除しやすい様にセラミックのタイルにしたのだ。
さすがのイイジマもこの拷問には疑問を感じた。明らかに違法だし、見ていて良いものじゃない。それにクマカワはどうも胡散臭かった。それに何より彼は楽しんで拷問をしているようだった。初期メンバーだった事もあり、それに加えて人柄の良さから周囲の同僚やアカギやイシイには怪しまれなかったが、感が働いた怪しい。なのでイイジマはアカギに彼を再調査するようにとアドバイスした。すると、クマカワの経歴に偽りあるが分かった。フランス外人部隊に在籍していた事は本当だったが1年で脱走したとか。それから、3年ごとに世界中の会社に転職を繰り返していたらしい。アフガニスタン、イラクには行っていなかった。カナダでオモチャのセールスマンをしていた事もある程だった。結局彼はクビになり、今はオーストラリアに移住したとか。どうやら、どんな汚点を残そうともちゃんと退職金を払うようだ。ある意味では根回しが徹底している。それからクマカワの件を見抜いた事を買われてイイジマが警備部の室長になった。
マジックミラー越しにネズミは椅子に縛り付けられ、警備員のサトウが帽子とゴムマスクとゴムエプロンとゴムのツナギと長靴姿で、ネズミの顔をタオルで覆い聖水としても教団が売っている湧き水で水攻めをしている最中だった。クマカワの拷問に異を唱えたはずのイイジマだったが、結局カレと同じ方法で拷問をする事になった。アカギもドクターもそろそろ、来月にあるパズメ教会10週年の記念パーティーがあるのでピリピリしている。こいつが何者なのか検討もつかない。彼の部屋のベッドにあったパソコンからは特に不審なデータのやり取りをした痕跡は無いし、彼を取り押さえる際に、彼が隠れて個人所有していたスマフォは、SDカードにデータを記録するタイプで、そのSDカードも彼は口に入れボロボロに噛み砕いてしまった。ITセキュリティーの者の話だと修復不可能らしい。
「どうだ、ネズミは吐いたか?」とイイジマは2人の警備部のアマノとアラカワに聞いた。
「無理ですね。フェーズ3に入っても何も吐きません」
この男は、イクシマ・シンヤという半年前に入信して来た信者で階級はヴァイシャ。テーブルを作る係だったらしい。上司の評価はA。手先が器用で新人に仕事を教えるのも上手で社交的で先輩からも可愛がられ、信仰心も強いとの事だった。なぜ彼が疑われたかというと、彼の部屋周辺で、スマフォから暗号化して3G回線で外部と連絡していたとを見破ったが、具体的にドコのから送信されているのか分からなかった。そんだけ、手の混んだ技術を使っているのか、それともIT部門がサボっていたのかの、どちらかだと思っていた。今はもしかしたら前者かもしれないと考えている。フェーズ3まで来たものはイイジマが警備室長になってから初めてだった。大体がフェーズに行く前の尋問で素性がバレた。なぜだかここに忍び込むネズミは口が軽いやつが多い。尋問で吐かない頑固者にはフェーズへと突入する。大体の者がフェーズ1かフェーズ2で心が折れる。
最初は最新式の嘘発見器にで探るのが恒例だ。ここで相手の嘘を探る。だがこのネズミは全く反応が無かった。こんなの初めてだ。
フェーズ1は、目隠しとヘッドホンを付けて大音量でホワイトノイズを聞かせ部屋の温度を寒くしたり熱くしたするのを繰り返す物だった。対象者のネズミが寝そうになったり気を失いそうになったらドクターを呼び、目を覚ますクスリを注射する。これで6割の者が落ちる。
フェーズ2は自白剤の投与だ。ここで、4割は解決する。大体が、信者の家族親戚友人が雇った探偵か、或いはフリーライターだ。中にはヤクザの者もいたし、本当に信者でたまたま持ち込んだスマフォやパソコンがセキュリティモードになっていて暗号化されているケースもあった。
フェイズ2を越えると恐ろしい事が待っている。水攻めだ。タオルで口と鼻を覆い水をかけると息ができなくなる。ちゃんと、ドクターが心拍数を図る機材をネズミに取り付けてあるので死にそうになったらその場で一旦休憩を入れるのがルールだ。それから、もう一度フェイズ2を繰り返す。
しかし、このネズミ。イクシマ・シンヤは一切吐かない。何者なのだろうか?早く吐けば良い物をとイイジマは思った。この拷問で吐いた者はご褒美と言ってはなんだが、結構なお金をもらえる。それは、裁判で要求されるであろう慰謝料の値段の倍は払うのだ。もちろん、秘密保持契約書にサインしなくちゃいけないが。探偵事務所の場合は依頼額の2倍は払うそうだ。アカギは金で世の中はどうにでもなると思っているらしい。それに、値段を倍払っても余裕のある資金源を持っているらしい。
なぜ、最終的にイクシマがネズミだと分かったかというと、本物のイクシマ・シンヤが死亡したからだ。死因は交通事故らしい。雇用主がパズメ教会だった為に警察から連絡が来た。どうやら、このネズミは、給料を全て本人のイクシマ・シンヤに全額払っていたそうだ。イクシマ・シンヤは32歳。コロナ不況でリストラされてホームレスをしていたらしい。ここからは推測だが、そこに目を付けた、このネズミはかマイナンバーカードを本人のイクシマ・シンヤからもらい写真を偽造して口座にお金を振り込んでいた。本人のイクシマ・シンヤは国分寺でアパートを借りて、ほそぼそと毎月振り込まれるネズミがパズメ教会で働いた分の給料で生活していたに違いない。
このネズミ、何者なんだ?身長は170センチ、体重は60キロと平均的だ。顔はよくある顔で目立ちすぎず薄すぎず。よくよく見ると32歳にしては若すぎる。20代に見えるが、人の年齢なんて有って無いようなモノだ。人によって老け方が違うからだ。それに、指紋を警察時代の同期に送って身元を調べてもらっても該当者ナシだった。もしかすると、何かの組織の者だろうか?今までで一番な強敵なネズミには間違えない。
「フェーズ4に行ったほうがいいじゃないですか?」とアマノはコーヒーを飲みながら行った。
「だが、アレは危険だ」とイイジマは言った。フェーズ4はかなり危険だ。脳に強力な電流を流すからだ。ドクターも推奨していない。下手をすれば精神が壊れ何も聞けなくなる。それに死ぬかもしれない。クマカワが警備部を仕切っていた時代は何度か死人が出たらしいが、イイジマはそれだけは避けたかった。倫理的な問題だ。それにまず、死体の処理が大変だ。死体の処理の方法はいっぱいあるが、今いる警備部の連中はイイジマが室長になってから一新したため処理の仕方を心得ていない。それにコイツが何者か分からない。もし、例えば国のイイジマが知らない機関の者だった場合は尚更だ。この宗教団体存続に関わる。警備部の全員がこの謎の男を恐れた。自白剤が効かないケースはあるとドクターは言っていた。もしかすると相当な訓練を受けた者かもしれないと冗談ぽく言ってはいたが、完璧には感情を隠しきれていないのをイイジマは感じ取った。もしや、国内外のスパイではないかと考え始めていた。CIA、CBP、MI6、KCIA、北朝鮮、中国共産党のスパイか。それとも公安かもしれない。だが公安のトップとアカギはお友達だ。公安だとしてもあんだけの拷問に耐えられるほどの訓練を受けた者は居ないだろう。もしかすると日本政府のスパイ組織かもしれない。警察にいた時に日本にも各省庁とは連携していない独立したスパイ組織が存在すると噂は聞いたことがあったが。しかし、だとしたらなぜ各国のスパイがここに送り込む必要があるのだろうか?確かに、この宗教団体はヤバイ。銃を所持しているし、自白剤は使うし、政治家や権力者や金持ちやセレブたちとお友達だ。だが、それだけの事でスパイなど送り込んで来るだろうか?
「もう、17時ですよ。どうします?」とアラカワが言った。
「そうだな。上と掛け合ってみる。ネズミが死んでは困るから飯を与えろ。ウィダーinゼリーとカロリーメイトとポカリスエットを」ホークとナイフと箸を使う食い物は自殺する可能性があるからだ。
イイジマはどうしていいか分からなかった。中に居る尋問人に尋問中止と伝えると。拷問人はネズミを衆ていた濡れたタオルを剥がした。ネズミは笑っていた。目の奥まで笑っていた。まるで、何かジェットコースターでも楽しんでいるかのようだった。拷問人が部屋に入ってきてゴムマスクとゴム手袋とゴムエプロンを脱いでいた。
「どうだ、サトウ。手応えは?」とイイジマ。
「どもこうもありませんよ。こっちが怖くなるくらいです。最初は泣いているのかと思いましたけど、やればやるほど、アイツ笑ってましたよ。もしかして、自白剤を打ちすぎて気が変になったじゃありませんか?あのネズミ」
イイジマは余計怖くなった。そろそろフェイズ4をしなくては行わなければならない段階に来ているのかもしれない。
9
木曜日。ナカノは下北沢の事務所であの怪しい例の電気屋から、腕時計が届くのを待っていた。時間指定で午前中に届くそうだ。それまでの間、特にすることが無かったので事務所でテレビを見ていた。例の大学助教授通り魔事件はあっと言う間に飽きられたのか。今は芸能人の不倫や、歌手が大麻所持で捕まった事件や領土問題の話しばかり報道していた。ナカノには何が面白いのか分からなかった。
火曜日に隠れ家のアパートに行った際に、双子がパズメ教会の違法性を示す証拠を腕時計で隠し撮りするという意志が有ると聞いてビックリした。それに、死体が埋まっていると言う場所の緯度と経度を教えてくれたとなかなかの急展開だった。誰の死体なのかは分からなかったが、何か糸口になるに違いない。オゼキの後輩の刑事に任せることにした。それから特に進展は無かった。カトウが寝る前にカメラに映すメモ帳の色は青色。異常なしだ。
水曜日、ナカノもオゼキも頭がこんがらがっている状態なのでパズメ教会の事を整理する必要があった。なので、一番アナログな方法。下北沢から大きなホワイトボード持ってきて、時系列に沿って相関図を作った。それから付箋にこれまで仕入れたどんな異常な情報や小さな情報を書き込んで貼り付けた。まずは、セキグチという元ソーシャルワーカー。おそらく、今自分たちの情報で一番最初にこのパズメ教会の異常に気づいた人物だ。彼の足取りはネット上では分からなかった。SNS上からは消えていた。あったとしても友人のSNSの投稿写真に小さく写っているくらいしか残っていなかった。偽名でSNSをやっている可能性はあるが、何処から調べて良いものか分からなかった。なので、これはオゼキの後輩刑事と情報屋を頼ることにした。
それから、すっかり忘れていたがプロテクトの事だった。都市伝説レベルの事だが調べる価値はありそうだ。情報屋も刑事の男もプロテクトの事を言っていた。しかも、サイバー犯罪課の刑事が言っていたのだから、もしかすると冗談で言ったかもしれないが、調べる価値は有るかも知れない。少なくともアカギは現法務大臣のオクヤマと強いパイプがあるようだからだ。なので、ナカノは昔プロテクトの事を言っていたアオキをSNS上で探し当てた。職業欄に無職と書かれていたので心配だったがメッセージを送ると、会っても良いと返信がスグに返ってきて安心した。今日の午後、時計を受け取ったらスグに吉祥寺へ向うとメッセージを送ると、OKとだけ返信が返ってきた。
それから、パズメ教会の前身である、フレア教会ではなくイシイの実家の神社について調べることにした。それはオゼキが地元の図書館で、ナカノは国会図書館で調べた。ただ記述が少ないがオゼキが地元の図書館で文献を見つけた。表向きは普通の犬神信仰の神社だが、裏では秘密結社は「赤青緑会」という秘密結社だとか。その文献によると太古の今で言う中東辺りから伝わる宗教と書いてあった。それに、パズメ教会のマークと似た狼の顔した背中に鷲の羽が生えた物だった。その文献によると、古代メソポタミアのパズズという悪魔が由来ではないかと書かれていたが、それ以上の記述は無かった。それに密教とも書かれていた。戦前のタブロイド誌だったがこれくらいしか手がかりは無かった。「赤青緑会」をインターネットで調べたがドコにもヒットしなかった。
それと、稲戸研究所の文献も読んだが、確かにイシイの祖父の名前があった。しかも、遺伝学者。何処までのレベルの研究かは定かではないが、捕虜を使って人体実験をしていたらしい。噂によると研究所は産婦人科医も兼ねており、近所の妊婦が皆そこに通った結果、妊婦全員が女の子を出産したと書かれていた。本当かどうかは怪しい。なにせこの研究所、戦争に負けた後、アメリカ、イギリス連邦、中華民国からなるGHQが資料を全てアメリカに運んだらしい。当時、神奈川県川崎市の稲戸区はアメリカの管轄だった。公文書を30年から50年以内に開示する法律があるらしいのだが、稲戸研究所の公文書に関しては1973年にミズーリ州セントルイスにある公文書館が火災の際に全て燃えてしまったと書かれていた。都合が良すぎる気がしてならなかった。調べれば調べるほど全ての事柄が怪しく見えた。自分も知らない内に陰謀論者の仲間入りをしているのかも知れないとナカノは思った。
それから、映像を見ていて気づいたがリク君が熱中症で倒れた際にドクターイシイは点滴を打っていた。調べる限りではイシイは国内では医師免許を持っていない。これは、医療行為に当たる。医師免許が無いのに医療行為をすれば法律違反だ。この件訴える事も出来たが、オゼキ探偵事務所のお抱え弁護士サノに問い合わせた所、その線で訴えれば裁判には勝つが、サクラとリクと母のリカを奪還するのは難しく長い道のりになるだろうとの事だった。もう少し確実な虐待をされている証拠が必要だと言われた。なので、あの双子が押さえる映像証拠だけでどうにかするしか無さそうだ。それがいったいどんな違法な映像が写っているのか想像の余地も無かった。
テレビのワイドショーがあまりに退屈で寝落ちそうになったその時インターフォンが鳴った。ドアを開けると宅配便だった。受領書にサインをした。箱は思っていたより大きなダンボールに入っていた。中を開けると、公式のSwatchと書かれた紙袋に透明なプラスチックのケース入ったカトウがしているSwatchの秒針が黄色、分針が赤、時針が青で黒いプラスチックの腕時計が入っていた。まず使えるかどうか確かめることにした。時計の裏蓋を軽く横にスライドすると中に小さいUSBコードの差込口と記録用のmicroSDカード。ちゃんと充電してあるようで部屋にあるiMacにSDカードを差し込むと。2つとも、ちゃんと映像はパソコンに写っていた。
時計は11時40分を指していた。アオキにこれから向うと連絡するとOKとスグに返信が返ってきた。事務所の電気を落として鍵をかけて井の頭線に乗って吉祥寺へ向かった。アオキと会うのは何年ぶりだろうか?コロナの前だから7年以上前のことか。彼は確か車内では一番のプログラマーだったが、果たしてノイローゼの方は治っているのだろうか。それとも、ただの陰謀論者では無かろうか。不安で成らない。
急行電車で15分で吉祥寺についた。ナカノは今つきましたとメッセージをを送るとOK10分後にJR北口改札前でと返信してきた。
ナカノはJRの北口改札前で待っていると後ろから肩を叩かれた。振り向くとそこには筋肉ムキムキで頭は刈り上げたヒゲを生やした男がいた。エイフェックス・ツインのTシャツと黒いズボンに色あせたコンバースのワンスターのスニーカー。一瞬誰だと思った。
「お久しぶりですナカノさん。アオキですよ」
「お久しぶりです。アオキさん」最後に会った時のアオキはガリガリの色白で長髪の髪型をした青年だったが、確かにアオキの面影がある。とても健康そうだった。
「どうしたんですか急に?なにかあったんですか?」とアオキは言った。明らかに前に会った時より元気そうだった。あの時もっとか細い声で少しでも怒鳴ろうものなら倒れてしまそうなくらい繊細そうな青年だった。
「あの、実は昔アオキさんが言っていた言葉を思い出して。その、プロテクトについて聞きたくて」と言った瞬間アオキの目つきが鋭くなった。
「何が知りたいんですか?」
「いや、実は私、今は探偵をしていまして」とナカノは名刺をアオキに渡した。
「なんの関係があるんですか?」
「その関係があるか、知りたくて聞きに来たんです」とナカノは言うとアオキが更に鋭い目つきになった。
「いいですよ。ただし条件があります。今スグにスマフォの電源を切ってください」「はい」と言ってナカノはiPhoneの電源を落とした。
「論より証拠です。これから、僕の家に行きます。いいですよね」
「はい」このままついていって大丈夫だろうかとナカノは思った。
「大丈夫です。変なことはしませんよ」とアオキは言った。果たして信じて良いものか迷った。ナカノが知っている当時のアオキは気の小さい青年で虫も殺せないほどの弱く繊細だったが、ここ何年かで変わっているかも知れない。でも最悪、職業柄護身術は習得している。男の急所は心得ている。付いていくことにした。
彼のアパートまで吉祥寺駅から南に徒歩15分の場所に在った。その間、歩きながらお互いの近況を話し合った。ナカノは前の会社に嫌気がさして辞めて、探偵事務所で働いている事を、アオキはフリーランスでプログラマーし、在宅で海外ソフトウェアの会社のプログラミングコードを書いて小遣い稼ぎをしている事を話してくれた。
とにかく元気そうで良かったと思った。当時突然仕事を辞めた時は職場でアオキの自殺説が流れたくらい陰々滅々とした印象を周囲に与えていたからだ。
「それに、そのうちカナダかアイルランドに引っ越すつもりです」
「そうなんですか?」
「まだ、どっちにするか決めてないけど、アイルランドに親戚が居てね。親戚がいると永住権を取るのが簡単なんだよ」とアオキが言った。
そんな、簡単なモノかと思ったが、アオキのプログラミングのスキルならもしかすると可能かもしれないとナカノは思った。
途中で、コンビニに寄ってアオキはコンソメ味の2つポテトチップスを買いビニール袋まで貰った。現在ビニール袋の値段は1枚20円になっているのに、結構金銭的には余裕はあるようだ。歩きながら食べた。「経費で落ちますから私が払います」と言ったがアオキは大丈夫、と答えた。
「たべます?」とアオキが聞くので「いりません」とナカノは答えた。
アオキがポテトチップスをポテトチップスを食べ終わるのにそう時間はかからなかった。最後は袋に手で掴めない程の欠片となったポテトチップスを口に流し込んだ。
「すみません、ここにiPhoneを入れてくれます?」ビニール袋をナカノに渡した。
「なんでですか?」とナカノは言っている意味が分からなかった。
「電源を切っていても完璧とは言えない。とにかく入れてください」
アオキの言われるままビニール袋をにiPhoneを入れてアオキに渡した。アオキはビニール袋を更に先ほどポテトチップスの入った袋に入れた。
「こうすると、中のアルミにフィルムが電磁波を遮断するんです」
「そうですか」とナカノは言ったが、アオキは少しおかしくなっているのではないかと考え始めた。本当に彼の部屋に行っても大丈夫だろうか。
しばらく、彼の指示で遠回りをしてアパートを目指した。
「ここが僕のアパートです」とアオキが指差す方向に木造のボロボロのアパートが在った。
部屋は2階に在った。ドアを開けると整理整頓された部屋だった。左の壁にブルーの大きな棚が在り書籍、プログラミング関連からノンフィクションや小説、ゴジラや恐竜やブラックパンサーやバットマンやスターウォーズのフィギュアが飾ってあった。右の壁に60インチのLGのテレビが組内付けてあり、その下に長く細いテーブルが置いてあった。床の隅に身体を鍛えるためだろう鉄アレイと簡易のベンチプレスあった。その上にパソコンが6台。MacBookProとiMacとSurfaceProとThinkPadのディスクトップパソコンにBTOのパソコンが2台。
「すみません。客人なんて来ないもので。散らかっていてすみません」
「いえいえ、お気にせずに」とはナカノは言ったが、塵1つ無い部屋でドコが散らかってているのか分からなかった。逆に居心地が悪かった。だが、壁紙は長年の喫煙の証拠だろう。真っ黄色に変色していた。
「ドクターペッパーでいいですか?」と聞かれたので瞬間的に「はい」と言ってしまった。彼はガラスのコップを2つ洗剤に付けたスポンジでゴシゴシ拭いて、水道水でゆすぎ冷蔵庫から2リットルのドクターペッパーを出してコップに注いだ。ナカノは何かクスリをもられるのではないかと自然と疑ってしまった。
「大丈夫ですよ。クスリは入れてないよ」と言うと、コップでを飲んでみせた。「そんな、疑ってないですよ」といいつつも、ナカノは怖かったので一口だけドクターペッパーを飲んだ。普通の味がした。特に変な味はしないし、変なニオイも無かった。
「プロテクトについて話しましょう」とアオキは言った。
「本当にプロテクトはあるんですか?」とナカノは聞いた。
「あるよ」
「なんで、断言できるんですか?」
「それは、僕たちがいた会社でプロテクトのプログラミングを書いていたからですよ」
「どうゆうことですか?そんな事やった覚えはありませんが」
アオキが言うには、プロテクトのプログラミングコードはあらゆる会社が知らず知らずの内に違うプログラミングコードとして分散し政府が秘密裏に分散して発注して、そのプログラミングコードを掛け合わせてプロテクトが出来上がったと言う。ナカノは信じられなかった。あの時アオキが辞める前にやった仕事は確か、大手家電メーカの冷蔵庫と連携するAndroid用、iPhone用のアプリケーションで、食材のバーコードをスマフォの写真に撮ると人工知能を使い食材を判別し、冷蔵庫の中に入れた食材の賞味期限の管理と入っている食材で何の料理を作れるかのメニューの提案するアプリだったはずだ。
「あの、冷蔵庫のアプリのことですか?」
「そう、あの冷蔵庫のアプリです」
ナカノは驚いた。というのもそんな当時そんなに変なコードが混じっているようには見えなかったから。と言っても当時ナカノは新人プログラマー。しかもナカノが仕事で使っていた違う言語のプログラミングコードだったので記憶は定かではない。それに、残業続きでミスも連発していたのであまり良い思い出は無い。
「そのアプリがプロテクト、つまり監視用のプログラムコードが入っていると気づいたんですか?」
「それは、先方から送られてきた指示書。設計図が異常だったからさ。しかも、あまり冷蔵庫管理のアプリケーションにしては必要ない。セキュリティーコードが書いてあったからね」
「でも、普通のセキュリティーコードの可能性だってあるかも知れませんよ。いくら冷蔵庫アプリとは言え、セキュリティは必要です」
「僕も最初はそう思った。システムエンジニアが間違えたのだろうと思ったけど、知り合いのプログラマーに相談したら、そいつもフィットネスクラブのアプリに謎のセキュリティコードが仕込まれているのを知ってね」
「社長には相談しなかったんですか?」
「あの社長に?別にプログラミングが出来ない人間をバカにする気はないけど、WindowsもMacもロクに使えない奴ですよ。興味があるのは金だけだ。そんな奴に言ったてバカにされる、精神科に連れて行かれるだけだ」
確かに、前に勤めていた会社の社長は金にしか興味が無かった。パソコンはインターネットしか使わないし、Excelが入っているパソコンで「どうやったらExcel開けるんだ?」とナカノに聞いたくらいだ。
「結局、それが原因で僕は気がおかしいくなったのさ」
「そうですか」といいながらナカノは、アオキの目を覗き込んだ。嘘を言ってはいなそうだが、嘘や妄想を本気に思っているだけかも知れない。
「そうだ、論より証拠だ」と言うと、MacBookProとiMacとSurfaceProとThinkPadのディスクトップとBTOのPC2台を起動してネットブラウザでSNSのサイトを開いた。両者同じSNSだが、アカウントは別らしい。
「ここにあるパソコン6台はそれぞれ違うIPアドレスが割り振られている。ナカノサン調べてみて」とアオキが言った。ナカノはMacOSとWindowsOSとLinuxOSでターミナルを起動してIPアドレスを調べると全て違った。
「ちょっと、違法なやり方なんだけどね。まあ、いろんなプロバイダとサーバーを経由してるし暗号化されているから大丈夫だよ」とアオキが言った。
「証拠ていうのは?」
「そうだな、ここから最低3台のパソコンのSNSに現政権の悪口を書いてみてください。なんでもいいですよ。首相はバカとか、あの大臣はクソとか」
ナカノはMacBookProとSurfaceProとBTOのPCで、それぞれ違うアカウントに「ハラグチ首相はバカ、法務大臣はクソ」と打ち込んで。アオキは、iMacとThinkPadとBTOパソコンでその3つのSNSのアカウントにアクセスした。すると、MacBookProとBTOのPCでそれぞれ作った3つのSNSのアカウントの方の書き込みは他の端末では見えなかったがSurfaceProのアカウントの方は、どの端末でも表示されていた。
「どうゆうことですか?」
「これが、プロテクトの正体だ」
アオキが言うにはこのプロテクトは、政府に不利ななる情報やネガティブな書き込みをすると自動で非表示にシステムらしい。
「でも、このMacとBTOの方の回線がおかしいだけじゃありませんか?」
「ターミナルで通信状態を確認しながら、ブラウザを更新して見てください」
ターミナルを開き通信状態を確認しながら、ブラウザを更新したがSNSの投稿上には現政権の悪口が表示されている。
「どうゆうことですか?もし、プロテクトが本当なら全部表示できなくなるのではないですか?」
「そこが、ここのスゴイ所だ」
アオキが言うには、プロテクトの存在を知られないためのトリックだという。自分の使っている端末やIPアドレスが同じ端末から、SNSで政治的な批判をした投稿をすると自分持つPCとタブレットとスマフォからはSNS上では見えるが、他のアカウントのSNSからは見えないようにしてあるらしい。それで、全てを非表示になると逆に怪しまれるので1/3の確率で現政権の悪口やネガティブな発言が表示されるようになるらしい。
「違う端末で同じことしてみてください」とアオキが言うので、ナカノはターミナルで通信状況を確認しながら現政権に対してネガティブなSNSで発言を書き込んで他の端末で確認した。確かに1/3の確率で他のアカウントから見えるようになっていた。
「家に帰ったり、探偵事務所で確認するといいよ。でも、あまり書き込みするとマークされるかも知れないから気おつけて」
「なんです?マークて?」
「さあ、そこまでは僕も分からないよ。もしかすると、そのうち戦争とか起きた時に日本政府にネガティブな事を書き込むと、スパイと見なされて収容所送りになるかもね」
「本当にそうなると思いますか?」とナカノはまだ半信半疑だ。この部屋にあるパソコンやタブレット全てにアオキが仕組んだプログラムコードかもしれない。なにせアオキはとても優秀なプログラマーだったからだ。
「さあね。戦前の日本政府もスパイ罪的な法律があったでしょ?もしかするとありえない話じゃない。それに最近は外国人排斥運動のデモが盛んでしょ?ネット上でも?それにロシアと中国と領土問題でキナ臭い関係でしょ?もしかしたらあり得るかも知れない」
「そうですか。もし、仮にこのプロテクトが宗教団体が使う事は出来ますか?」とナカノは言った。なぜなら「パズメ教会」のネガティブな発言はネット上やSNS内で見かけたことが無いからだ。
「さあ、そこまではわからないね。でも、大臣が所有する関連企業の悪口もプロテクトされているんだよ。もし、プロテクトを使えるくらいの宗教団体だとしたら国の機関に相当仲の良くて身分の高いお友達が居るに違いない。じゃあ、ちょっと打ち込んで見ようか?」
ナカノはSurfaceProでSNSに「パズメ教会は嘘つき。アカギはバカ」と書き込み、アオキはiMacで「パズメ教会はキモい。アカギはペテン師」と書き込んだ。すると、他のSNSアカウントでアクセスするとどちらの書き込みも表示されなかった。全ての端末、PCの他にiPad、Kindle、Nexus12のタブレットやスマフォで確かめたが表示されていない。
「おかしいな。こんなはずはない」とアオキが言うとBTOのパソコンでSNSの別アカウントで、ナカノはiPadでSNSでパズメ教会の悪口を書いた。確認のため全ての端末の別アカウントで表示を確認するとどれも表示されていない。試しにナカノはNexus12のタブレットのSNSアカウントで、アオキはMacBookProのSNSアカウントで「パズメ教会は素晴らしい」と書き込んだ。すると、全ての端末のSNSで表示されていた。
「これって、どういうことですか?アオキさん」
「相当ですね。かなり権力を持った宗教団体に違いない」とアオキは少し怖がった表情で言った。
「100%プロテクトされた企業や政治的な発言は自分の知る限り無い。相当やばいよこの宗教団体」とアオキは早口で言った。
「パズメ教会にハッキング出来たりしますか?」
「いや、プロテクトが100%されているような管理をしている宗教団体なんてハッキングしようがない。多分無理だ」
「でも、アオキさんなら出来るんじゃありませんか?」とナカノは揺さぶりをかけた。ハッカーの中には侵入困難なセキュリティーであれば有るほど突破しようとする者がいると聞いた事があったからだ。
「いや、無理だ。僕はハッカーじゃない。それに相当ヤバイよ。この宗教」
「でも、アオキさんプログラマーとしてかなり優秀じゃないですか」
「いや、無理無理。僕は日本ではA級でも世界ではB級C級プログラマーだ。無理だよ。それに、身の危険を感じてきたよ。今スグにイギリスかカナダに逃げたいぐらいだ」とアオキは声が震えながら言った。見るからに怯えていた。
そこで話は終わった。また、前の職場を去る際の表情にアオキがなっていた。ナカノは申し訳なく感じた。やっと元気そうに生活していたのに、自分が再び彼の心を壊すきっかけになってしまったのではないかと。
帰り道、アオキがナカノを駅まで送った。その際にも彼は無口だった。吉祥寺駅に着いたのは15分後。来た時と違うルートだった。駅の改札に着いた時17時10分前くらいだった。すると突然アオキが口を開いた。
「今日は、たいして協力が出来なくてすみませんでした」
「いえ、お気にせずに。プロテクトが本当に在ったことは分かりましたし」とナカノは言ったが本当に存在するかどうかわからない。アオキがワザと自分の仮説を信じ込ませる為に細工した嘘かも知れない。
「これ、ナカノさんのiPhoneです」と言ってアオキはポテトチップスの袋からビニール袋を取り出し、ナカノのiPhoneを渡した。
「それと、これは忠告です。この依頼は断った方がいいですよ。相当危険です。おそらく相当な権力を持っています。もし、なんか遭ったら逃げたほうがいいです」とアオキ。「すみません。信じられませんよね。僕だって信じられない。気が変になりそうです」
「いいえ。大丈夫です。アオキさんもお身体を大切にしてください」
「そうですね。もう少し鍛えて上腕二頭筋を太くしようと思います」と言って口角を上げた。では、またと言って彼は駅を離れた。アオキが人混みに消えるのを確認して、iPhoneの電源を付けた。iPhoneからはコンソメのニオイがした。
しかし、プロテクトの事が気になる。ナカノは駅前にあるネットカフェに行きパソコンを開き、先程のアオキの部屋に有ったパソコンのメモしたSNSアカウントのアドレスを開いてみた。やはり、パズメ教会の書き込みが表示されていない。もしかしたら、アオキがスグに家に帰って投稿を削除したのかも知れない。自分で確かめよう。ネットカフェのパソコンを使い、適当なアカウントを作りたメビウス444という名前だ適当な事、天気の事や音楽の事を書いて最後にパズメ教会のネガティブな事を書いた。それをiPhoneで確認しようと思ったが、もし本当にプロテクトがあるのだとしたらマークされる可能性があると思い、ネットカフェを出た。次に1ブロック離れた場所に有る違うネットカフェに入り、そこで更にクラッシュ933という適当なSNSアカウントで、先程作ったメビウス444のSNSアカウントを覗いた。すると、パズメ教会の事が表示されていない。試しに、メビウス444でログインして投稿を見ると、パズメ教会の悪口が表示されていた。
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