4章 パラノイアへ


 朝の5時にナカノは起きた。今日は火曜日だ。シャワーを浴びてから台所に行くと母がソファーに座っていた。

「早いのね?仕事?」

「違う。今日の朝ごはんは私が作るから、母さんは適当になにかしていて」

「そう、レンの送迎はどうする?」

「送迎はおねがいするわ」

「分かった。それで、何を作るの?今日の朝ごはん」

「ホットケーキよ」

 母は苦虫を噛み潰したような表情になった。「ホットケーキなんてアメリカのジャンクフード」というのが母の口癖だった。特に、平日は、イングリッシュマフィンとエッグベネディクトと決めていた。

「母さんには普通のマフィンとエッグベネディクトを作ろうか?」

「いいわよ、ホットケーキで」と不機嫌に答えた。「ところで、何かあったの?急にホットケーキなんて作るなんて」と母が言った。

「いや、最近レンと会えないから埋め合わせるよ」

「そう、たまには私にも埋め合わせして欲しいモノだけどね」と言うと、ソファーに座りティーカップに紅茶を入れてイヤホンを付けてiPadでNetflixのアプリを開き韓流ドラマを観始めた。母は神戸出身だ。朝は必ず紅茶を飲んだ。イギリス占領下の名残だろう。日本の西側の人はコーヒーより紅茶を好む傾向にあった。

 埋め合わせね。ナカノなりにしているはずだった。iPadもAIスピーカーもルンバも食器洗い機を買ってあげたし、年に一回は有給を使ってレンと父と母で国内外を旅行して恩返ししているつもりだったが。まあ、いい。あんな事を言っていてもレンと毎日居られるのが楽しくて仕方ないようだ。ナカノ家には孫が3人いる。兄貴の方はニュージーランドに移住し、現地のマオリ族と華僑の血を引く女性と結婚してニュージーランド国籍を取得。兄には女の子のクラリスと男の子のジェイだ。毎週のようにZOOMやVRでやりとりをしていた。孫と話すために英会話教室にまで通っている。年に一回、夏休みに帰って来ると大騒ぎだ。父と母は孫に目がない。オモチャや服を買い与えディズニーランドやユニバーサル・スタジオに連れて行くのが恒例だ。クラリスは14歳、ジェイは12歳。二人ともなかなかの美男美女だった。しかし、兄の妻とは表面上は仲良く接しているがそりが合わないらしい。言葉の壁のお蔭で喧嘩にならないのが幸いだ。兄貴夫妻が帰ると、兄嫁の悪口から始まる。「外人は〜」から始まる悪口だ。始まるとレンには聞かせたくないのでいつもナカノは一緒に買物に行った。ナカノから見ると兄貴の嫁さんはとても良い人に見えた。ナカノはあまり英語を喋れないが、彼女はナカノに話しかけてくる時、シンプルでゆっくりに話してくれた。それに、日本語の勉強もしているらしく、毎年会う度に日本語のスキルが上がっていった。スキルが上がる度に、母と兄嫁が言葉の壁を越えて喧嘩になるのではないかと心配な程だった。嫁姑問題は厄介だ。何度か、ナカノは依頼で「嫁の様子がおかしい」という理由で依頼を受けた事が何度かあった。しかし、その場合は大抵の場合は姑の妄想だった。それを思い出す度にまだ家の方はまだましかと思うようにしていた。

 一番最初に起きてリビングに来たのがはレンだった。丁度ホットケーキの粉をかき回している時だった。

「ねえ、ママ。今日はもしかして」

「そうだよ。ホットケーキだよ」

「やったー、ホイップクリームは?」

「もちろんあるよ!」

「本当に。もしかして今日は土曜日?」

「違うよ」

「なんだ、休めると思ったのに」

「ちゃんと、幼稚園に行かなきゃホットケーキ作ってあげないよ」

「うん、分かった」

「今日はホットケーキか」とレンの次に喜んだのは父だった。

 父は、当時アメリカ領だった北海道の札幌出身だ。戦後、アメリカ、イギリス連邦、中華民国からなるGHQは日本を北海道、東北、関東、沖縄がアメリカ。中部、関西、中国、九州までをイギリスからなるイギリス連邦。オーストラリア、ニュージーランド、インドが、四国を中華民国が統治していた。

 歴史の教科書によると、戦後の日本はアメリカ、イギリス連邦、中華民国、ソビエト連邦の4分割統治が予定されていたそうだ。しかし、共産化するのを恐れたマッカーサー元帥とアメリカ大統領のトルーマン、イギリスの首相のチャーチル、中華民国のショウ・カイセキがソビエトのスターリンに天然資源、天然ガスや石油が大量に眠っていると思われる北方領土をを永久に渡す提案を持ちかけた。スターリンはロシア帝国時代の天然資源が豊富のアラスカをアメリカに売却した事を後悔していたらしく合意に至ったと言われている。GHQの3国で日本本土を統治。首都の東京は西側はイギリス領、北側は中華民国、中央と南側はアメリカが統治していた。その後、朝鮮戦争が勃発した事により、マッカーサーとトルーマン大統領がソ連が日本に侵攻してくるのではないかと恐れて、地理的にソビエトに近い北海道をGHQが撤退した後もアメリカ領にした。その後ソ連が崩壊してから4年後に日本に返還された。アメリカ領時代の北海道の日本語の授業以外は英語で行われていが、日常生活では日本語と英語の混じった言葉が使われていて北海道語と言われる事もあった。90年に東京の大学に進学する為に上京した。北海道では徴兵制があったのでそれを回避するためでもあった。北海道から日本に行くのは簡単だった。親戚がいれば尚更、容易に日本に入国して生活ができた。その後、理系の学部を卒業。当時日本はバブルが弾けたとはいえ、今ほど生活に水準も格差も酷くなかった。それに英語と日本語が話せるエンジニアは重宝された。なので北海道出身の理系の学部を出たと言うだけで高い給料で会社は雇ってくれた。そのまま父はエンジニアとして働き60歳で仕事を退職したが今はその会社の顧問として雇われ週二回だけ働いている。それ以外はずっと、部屋でPCゲームに戦車や戦闘機のプラモデルやボトルシップを作るかヘリコプターのラジコンやドローンで遊んでいる。昔、ある依頼でドローンを使わなくてはいけない時に父に協力を要請したことがあった。父は自分をジェームズ・ボンドと勘違いしているのか、とても協力的で楽しみながら浮気調査に参加した。

「ホットケーキか!今日は朝から景気がいいな。レン、良かったな」

「うん。超楽しい」

 父は、現在63歳。年齢の割には若く見えた。甘いものが大好きで目がない。コーラは当たり前、スイーツに詳しく母の目を盗んではレンと一緒にスイーツを食べに行っていた。母は甘い物を小さい時に沢山食べさせると糖尿病になる。と心配したが、ナカノにとってはどうしていいか分からなかった。甘い物好きの代償なのかそれとも歯ブラシの使い方を間違えているのか、父は入れ歯だらけだった。

 ホットプレートでホットケーキを焼いて、レンと父と母の皿に置くと、スーパーで買ったスプレータイプのホイップクリームを噴射した。「もっと、もっと」とレンが言うので沢山かけた。父は、ホイップクリームのスプレーをナカノから奪い取り、ホットケーキの面積より多くホイップクリームを噴射した。

「ねえ、僕も」とレンが言うので、「お爺ちゃんみたいに歯が無くなってもいいの?」とナカノが言うとレンは何も言わなくなった。母は、何も言わずにホイップクリームを拒否するジェスチャーをした。ナカノはホイップクリームを少しかけた。父が大量にかけたせいもあり残りが少なかったからだ。

「いただきます」と言って無邪気にホットケーキを食べるレンを見て、最初は不機嫌そうな母も気づくと笑顔になっていた。

 レンの送迎は主に、母が朝、夕方は父が行っていた。母はレンをと手をつなぎ歩いて20分の所にある幼稚園へと向かった。

 10時まで2時間。駅まで10分。電車で15分。9時に家を出ることにした。

 ナカノはiPhoneを見たが特にオゼキから電話もメールも来ていない。いつもの事だから気にしなかった。リビングでMacBookAirを開いていると父が話しかけてきた。

「その、MacBookAir。いつのモデルだ?」

「わからない。多分父さんが持っているのと同じやつだよ」

 父はパソコンマニアでもあった。MacからWindowsからLinuxまで様々なOSのパソコンを持っていた。それにBTOのパソコン、自分でパソコンを組み立てたりもしていた。母はその事をあまり良く思っていないらしく、部品を買う度に嫌味を言われたが父はめげずにパソコンを改造していた。

「仕事は楽しいか?」

「普通の仕事よ」

「そうか、最近、俺のところの会社に転職してきた男がいるんだがな。そいつの話によると子供が好きらしい」

 また始まった。父は、自分の会社に入ってきた特に転職してきた社員と結婚させようとしてくる。まったく、最新鋭のパソコンを囲んであらゆる最新鋭のデジタル機器に目がないオッサンは、心は昔のままで止まっているらしい。ナカノは父を睨みつけた。

「ごめん、冗談だよ。冗談」と言って笑った。

 本当に面倒くさい奴らだ。私が、結婚したいと思う相手が出来たらするだけの事なのに。ナカノには昔、離婚してから1年後の事。付き合っていた男がいたが、あまりレンが懐かないので別れた。レンの方が大事だから。それに、やたらと金の事や仕事の話ばかりするので、ツマラナイ男と3ヶ月もしない内に別れた。自分も相手も対して傷ついた様子もなかった。ただ、ソレだけの関係だった。

「おい、その映像なんだ?」と父がMacBookAirの画面を見て言った。

「仕事中に人のパソコンの画面を見ないでくれる」とムカッたして語気を強めにナカノは言った。

「すまんすまん。しかし、それ気持ち悪いな」

「何が気持ち悪いの?」

「いや、全く見たことがない言語だ?何語だ?」

「それを調べに行ってくるのよ。これから」


 家を出たのは9時5分前、駅に着いて電車に乗った。相変わらず満員電車だ。コロナパンデミックの影響でリモートワークが定着しつつあるとマスコミは報道していたが、まだまだみたいだ。カバンに入っているMacBookAirが壊れるのではないかと心配になるくらいすし詰め状態だった。いくら、コロナの特効薬が出来たとしても、コロナが無くなった訳ではないし、最近、アメリカ辺りでコロナの新種が出ているのではないかという噂があった。しかも、その新種は特効薬が効かないらしい。みんな、もうマスクなどしていないが、もしその噂が本当で新種のコロナが蔓延したら事だとナカノは思った。

 高円寺に着いたのは9時半。駅前を見渡すと、どこもお店が開いてなかった。開いていたのはチェーン店のコーヒー屋だけだった。喫茶店に入ってブレンドコーヒーを頼んで席に付くとタバコが吸いたくなった。しかし、東京オリンピックの影響で喫煙規制が厳しくなった。チェーン店は全部禁煙になった。しかし、東京オリピック自体が中止になり、何をそんなに世界の目を気にする事があったのかさっぱり理解できなかった。それよりも、長時間労働、自殺の多さ、性差別、人種差別、収入格差の方が問題だろうとナカノは思っている。

 高円寺に来たのは何年ぶりだろうか。店内のガラス窓から外を見ると、あの時より寂れた感じがする。コロナパンデミック前の事だっただろうか?あの時はもっと活気のある街だったと記憶している。今では、シャッターにテナント募集中の張り紙が張ってある建物ばかりだった。最後に高円寺に来たのは、結婚する前、元旦那とだった。今は、元旦那は生活保護を受けている。仕事がなかなか見つからないからだ。約束していた養育費も払えない状態だ。仕方ない。親のコネで入った会社で会社自体がコロナパンデミックの影響で倒産したのだから。こういっては何だが、彼には特別なスキルも話術も無かった。最近ではアルバイトの求人も少なく生活保護を受ける人々が急増している。政治家と官僚の役立たずのせいだろう。あの時ちゃんと補償していれば、沢山の会社が潰れずに、自殺件数も少なかったはずだ。すると、急にiPhoneにメッセージが入った。オゼキからだ。

「相手の名前はスズキ・ヒロミ。言語学者だ。後はよろしく。それと、仕事が終わったら。PS、古い車用の冷蔵庫があっただろ?事務所に?アレを送り届けて欲しい」

 内心、イラッとしたがオゼキが云う通りあの部屋には冷蔵庫が必要だ。実際はどうか分からないが、あんな部屋で熱中症になったら冷たい飲み物が必要だとナカノも思っていたからだ。「了解です」と返信した。

 電話は10時10分前に鳴った。画面表示を見ると、見に覚えのない番号だった。恐らく言語学者だ。

「もしもし、わたくしスズキという者です。10時に会う約束をしている」

「どうも、わたくしオゼキ探偵事務所のナカノという者です」女性だったのか。声を聞く限りでは女性だった。てっきり男だとナカノは思っていた。

「もしかして、もう駅の周辺にいますか?」

「はい、高円寺駅の中の喫茶店にいます」

「そうですか。今改札にいます。もしよかったら、違うところで話しませんか?」

「はい、良いですよ」

 店を出て改札に行くと改札の横で茶髪に染めた30代後半と思われる女性が立っていた。彼女か?と思い、さっきの番号に電話すると彼女はポケットからスマフォを出したので、スズキ・ヒロミだと分かった。ナカノは彼女の元へ向かった。

「すみません。もしかして、スズキ・ヒロミさんですか?わたくし、オゼキ探偵事務所のナカノ・ケイともうします」と言って名刺を渡した。

「どうも、はじめましてスズキ・ヒロミです。よろしくおねがいします。いきなりすみません。ナカノさん、タバコ吸います?」

 一瞬ドキッとした。衣服にタバコの臭いが付いていて嫌がられたのかとナカノは思った。

「実は、私はタバコを吸いながら仕事がしたいので、もしよろしければタバコが吸える喫茶店があるんですがそこでも良いですか?」

「私も吸うので是非そこで」

「じゃあ、行きましょう」

 高円寺駅の北口を歩いて10分の所にその喫茶店はあった。「グルーチョ」という名の喫茶店だった。最近は、ココしかタバコが吸える喫茶店がないもので。とスズキは言った。

 スズキは背は160センチ台。ゴリラズのTシャツにソニーのスマートウォッチを腕につけ、下はデニムのスカートと黒いタイツとコンバースの赤いジャック・パーセルのスニーカーを履いていた。言語学者には見えなかった。自分の中のステレオタイプな部分が浮き彫りになってナカノは恥ずかしかった。「人を見た目で判断しちゃいけないよ」とレンに言っていたのに。自分が恥ずかしくなった。店内は恐らく何十年分のタバコのヤニが付いているだろう壁だった。ブルーの色だったがヤニのせいだろうか水色に見える箇所がたくさんあった。一番奥の席に座り、スズキはアイスコーヒーフロートを頼んだのでナカノも同じものを頼んだ。スズキ曰く「ここのアイスコーヒーフロートは美味しいですよ」との事だった。

 他に客が2人しかいなかったせいもあってか5分としない内にアイスコーヒーフロートが届いた。スズキはカバンからキャメルを出して火を付けた。ナカノもカバンからクールの箱を出してタバコを吸った。スズキ曰く今日は大学の講義がないので時間はいくらでもあるらしい。スズキは、探偵の業務に興味があるらしく色々と話しを聞いてきた。ナカノも相手の気分を害してはいけないので、探偵をしていて面白かった体験を話した。気づくと二人ともアイスコーヒーフロートを2杯目に突入していた。

「すみません。いろいろと、話を聞いてしまって。探偵業の人に会うのは初めてなもので」

「いえいえ、みんなさん自分が探偵だと知ると興味津々みたいで色々と聞いてきますのでお気にせずに」

「ニシカワくんから、この話を依頼された時になんだかウキウキしちゃって。ずっと、大学の研究室や講義してると刺激が足りなくてツマラナクて辞めたくなる時があるんですよ」

 情報屋はニシカワというのか。ナカノは初めて情報屋の名前を知った。オゼキは教えてくれなかったからだ。それに、興味も無かった。

 ナカノはカバンからMacBookAirを取り出し起動すると、カトウが送ってきた映像を再生した。

「例の文字です。これ、10時間程ありますが。まあ、全部は見なくていいので、なにか分かったら教えてください」とMacBookAirの画面をスズキに見せた。

 スズキは食い入るように画面を凝視した。時折タバコを吸いながら見て、メモ帳に何やら書き込んでいた。音がうるさかったのだろう。咳払いが何度か聴こえたのでナカノはスズキにイヤホンを渡した。

「これ、倍速で再生出来ますか?」

「はい」と言ってナカノは4倍速で動画を再生した。

 30分後、スズキが口を開いた。

「全くわかりません。あえて言えば、字の形状はシュメール語に近い。古代エジプト語にも近い。ただ、こんな言語見たことがないです」

「そうですか。じゃあ、ここに書いてある言葉は意味のない誰かが作った言葉という可能性はありますか?」

「その可能性の方が高いですね。言語学者や言語マニアの間で時々、自分が作った言語で遊ぶ人が結構多いんですよ。多分、ソレじゃないかと思いますけど」

 自分で言語を作って遊ぶ人が居るとはナカノは知らなかったので驚いた。そんな趣味を持つ人間がいるのか。

「ただ、全くの適当に書かれた文字ではないようです」

「と、いいますと?」

「一応、規則性があります。この魚の形に似ている文字があるじゃないですか」と画面を指さした。

「言語というのは反復や規則性に基づいて成り立っています。この文字を読む限り一定の規則性と反復する箇所があります。ぱっと見ですが150前後の文字からなる文字です」

「じゃあ、誰かが作った言語ってことですか」

「たぶんは、おそらくは。すみませんね。さっきから推測でしか話せなくて。学者である以上証拠がないとなんとも言えないです。もしかしたら、ワタシ知らないだけで古代の何かの文字かもしれません。ただ、そんな学術的な証拠があって古代の文字であればスグにワタシの耳にはいるはずだし」

 まあ、仕方ない。新興宗教だ。個人で言語を作って遊ぶ趣味がある人がいるくらい何だから新興宗教が新しい言語を作っても不思議ではない。

「そうだ、ナカノさん。これから時間ありますか?」

「はい、ありますよ」

「もしかして、ワタシの記憶違いの可能性もあります。これからラボに行って、スーパーコンピューターで検索をかけたいと思うんですがいいですか?」

「はい、そんな事ができるんですか?」

「できるんですよ」と微笑みを浮かべながらスズキは言った。最近ではAIの力を使ってどの言語か判定し、中には解読することができるらしい。

 2人は「グルーチョ」を後にして、彼女の大学へ向かった。歩いて10分。北に向かった所に大学の校舎があった。中学校の建物だった。スズキ曰く、廃校になった中学校を大学が買って新校舎として使っているらしい。校内に入って3階の一番奥の、昔教室として使っていただろう場所の戸を開けると一人の銀縁のメガネをかけてグレーのYシャツと黒いジーンズとアシックスのオニヅカタイガーのスニーカーを履いた若い青年がiMacで作業をしていた。青年はこちらを振り向いて困惑した様子だった。

「この人、ワタシの助教授のタダノくん。こちらはお客さんのナカノさん」

 タダノは立ち上がり「どうも、よろしくおねがいします」と言って座って作業を再開した。

 部屋の中は壁の右側に中学校の名残だろう、黒板があり何やら箇条書きで書かれている。その下に長机がありiMacが1台とヒューレット・パッカードのPCが1台とBTOの大きなパソコンが1台あった。部屋には300冊以上は入りそうな長くて大きな金属のフレームの本棚が縦に4台あった。反対側の左側の壁には中学生たちがカバン入れ代わりに使っていた棚に本がぎっしりと入っていた。

「タダノ君。これみてくれる?」と言った。ナカノはMacBookAirを取り出し動画を再生した。タダノは画面を凝視すること10分後。

「なんですか?この言語は?シュメール語ぽいような、古代のエジプト文字のような」とタダノは困惑した表情で言った。

 専門家のダブルチェックは見事に同じ見解を導きだした。

「これが、何かを調べるのよ」

 スズキとタダノはアドビのIllustratorというソフトを使って文字をトレースし画像化した。ナカノもIllustratorが使えたので一緒になって数十枚のページの文字を画像化するのを手伝った。途中、スズキがタバコを咥えて火を付けた。

「スズキさん、ここ禁煙ですよ。学生か学部長が来たら」

「大丈夫よ。学生なんて、レポート提出の時以外に来たことある?それに学部長なんて、最後に来たの2年前じゃない。それにアナタだってタバコ吸うし、ナカノさんだって吸うだから問題ないでしょ?ナカノさん、タバコ吸っていいですよ」

 するとタダノがタバコを吸い始めた。ナカノも一瞬迷ったが吸うことにした。空気清浄機が急に回り始めた。

 画像化が終わると、一番左端にあったBTOのパソコを起動した。OSはLinuxだった。このBTOのパソコンはハイスペックでなおかつ、クラウドでIBMの人工知能Watsonとクラウドで繋がっているらしい。これが噂のWatsonかとナカノが思った。彼女がITエンジニアの頃、社内でWatsonを使う使わないで上層部が揉めていたのを思い出した。

「スグに結果が出ますからね」と言ってトレースした画像をUSBでBTOのパソコンに入れた。1分もしない内に結果がでた。

言語不明。文字の種類144。解読不可能。

「やっぱりね」とスズキは言った。

「これ、何かの暗号て事はありませんか?」とナカノが思いついた。

「確かにその可能性はありますね。ただ、暗号にしたって元の文字が分からなければ全く意味がありません。でも、やってみますか」とタダノが今度は暗号解読の解読用にプログラミングを書き換えてWatsonに解析させた。

 結果、解読不可能。

「やっぱり、無理か」とスズキは愚痴った。

「これ、やっぱり適当な言語だって言うことですか?」

「その可能性の方が高いですね」とスズキは言った。

「これ、宗教団体の言語ですよね?たぶん、教祖様か、その取り巻きに言語マニアがいて、シュメール語や楔形文字やサンスクリット語やペルシャ文字を参考に適当に作った言語だと思います。それか、まだ誰も知らない古代の言語をたまたま見つけたとか、或いは異次元の言語かもしれません」とタダノが笑いながらいった。

「あんたね、そういう冗談やめなさいよ。一応この人は仕事のお客さんとしてきているのよ。学者がそんなオカルトめいた事言うもんじゃない。そんなんだから予算減らされたりするのよ」

「すみません。つい、あまりにも謎の言語だったモノで」

「その、異次元てなんですか?」とナカノが言った。

「世界は複数存在するってことです。パラレルワールドてやつです。平行世界とか平行宇宙とかです。つまり、違う時間軸の世界があって、そこから時々こっちの世界に何かが入ってくる事があるて話です」

「あんたね。いつから量子物理学者になったの?言語学者なんだからそんな立証されてないこと言うもんじゃないって言ってるでしょう」とスズキの目が明らかに苛ついているのがナカノにも分かった。

「いえいえ、ワタシが聞いたことなんで。そんなに怒らないでください」

「すみません。お恥ずかしい所をお見せしてしまっって」と言ってスズキはナカノに謝った。

「すみません。冗談が過ぎました」とタダノも謝ってきたのでナカノは逆に気まずくなった。

 それから、3人でコーヒーを飲みながら軽く会話した。タダノも探偵に会うのが初めてらしく、色々と聞いてきた。ナカノはいつもの絶対に他人が聞いて笑う探偵依頼や事件を話した。気づくと15時になっていた。タダノに名刺を渡していなかったのに気づいて彼と名刺交換した。「なにかあればウチの探偵事務所にどうぞ」とすると、タダノは探偵にお世話にならないように頑張りますと笑いながら言った。その通り。探偵にお世話にならないような人生が一番だ。

「すみません。こんなに長く話してしまって。というよりは、ナカノさんの探偵話を聞くのがメインになってしまいました。協力も出来ずにすみません」

「いえいえ、この言語が、意味のないもの或いは誰かが作った物、ソレか異次元の物という事が分かっただけで充分です」とナカノは笑いながら言った。

「異次元のは、違いますよ」とスズキは笑いながら言った。

「では、駅までお送りします」と言って高円寺駅まで一緒に歩いた。

 駅に着くと改札でスズキが手を振っていた。スズキが見えなくなるまでだ。別れ際「ナニカ分かったら連絡します」と言われたが、人工知能を持ってしても分からないのであれば、もうお手上げだ。まあ、今日は言語学者に会えただけでも良しとしよう。言語学者に会う事など普通の生活をしていたら無いだろう。

 結局何の意味の無い或いは誰かの言語をカトウはずっと書き起こしているのかと思うと不憫だった。時計を見ると15時半になっていた。もう少し話していても良かった。なかなかおもしろい話を聞けたからだ。そういえば冷蔵庫を持ってきて欲しいとオゼキが言っていたのを思い出した。後は下北沢の事務所に行って社用車で冷蔵庫を届けて、カトウから連絡がなければそのまま帰る事にしよう。ナカノは電車で下北沢に向かった。


  2


 相変わらずだ。もう、赤ノ書、青ノ書、緑ノ書の書き起こしが4回目に突入していた。今は青ノ書の最初のおそらく50ページくらいだ。いったい、今が何時なのか、何日なのかわからない。カトウは発狂寸前だった。

 あれから、ご飯が出た。パンだったが、何の味も無かった。バターの味も塩っけも甘みもない無のパンだった。何の味もないパンがこんなにマズイものかとびっくりした。信じられないほど空腹なのに。空腹は最高の調味料とは言うが、その言葉を根底から覆す様なパンだった。ただ、物をお腹に詰め込んでいるだけにしか思えなかった。こんなに苦痛な食事は初めてだった。カトウは今は食べれるが、小さい頃、魚が食べれなかった。あの時に無理あり母親に魚を食べさせられた時よりキツイ食事だった。

 気が変になった者は複数いた。最初はカトウの隣にいた女性。あの赤ノ書、青ノ書、緑ノ書を最初に書き写した女性だった。時計を持っていない度で正確な時間帯は分からないが、おそらく十時間前に急に泣き崩れて「もうダメ!」と叫んだ。すると監視員が、携帯電話を取り出し「ドクターをお願いします」と言って電話を切ると3分とかからない内に、黒いスーツと上に白衣を着た60代の前頭部が剥げ上がったオッサンがやって来て彼女を外に出した。それから何時間かして、また彼女は戻ってきた。目が虚ろだったが、また赤ノ書から書き写し始めた。

 他にも、50代の男が泣き出し「無理です」と監視員に怒鳴った。

「本当にいいんですか?よく考えての事ですか?」と微笑みながら言うので逆にカトウは怖かった。

「無理です。入信するのをやめます」と男が言うと。

「分かりました」と言って電話で誰かを呼んだ。すると黒いスーツを着た七三分けの男2人が入ってきて「お宅まで車でお送りします」と言って出ていった。

 今ところ泣き出したり、急に独り言が止まんなくなってドクターを呼ばれた者が3人。3人とも数時間すると戻って書き写しの続きを始めた。入信を断念した者が3人。残りカトウを合わせて7人。休憩は相変わらず短すぎるがあった。その間寝ることにしていたがスグに監視員に「休憩終わり」と言って書き起こし作業に戻された。いったい、これは何の修行だと考えながら色々と頭の中で考えながら書き写しをしていた。するとカトウはある事を思い出した。それは、母の姉貴で自分の従兄弟にジェームズというのがいた。彼のお父さんはアフリカ系アメリカ人、母は姉だ。彼は自分より10歳上でアメリカの海兵隊に所属していた。彼の話によると、海兵隊の特殊部隊では入隊の儀式として意味のないことを永遠とやらせて眠らせないというのだ。眠れないと判断力が鈍る。判断力試すテストらしい。それと、眠らせないで判断力が鈍らせて命令に服従させたり洗脳したり拷問の道具として使うと言っていたのを思い出した。それを狙ってのことなのか?今はジェームズと連絡が取れるような状態じゃないのでなんとも言えない。ジェームズは海兵隊を除籍後、トランプが大統領になった時点で、カナダに移住した。良い決断だと思った。今はバンクーバーでカナダ人の女性と結婚して毎年クリスマスカードを送ってきた。カナダ行きをススメてくれたのもジェームズだ。ここは踏ん張り時。と自分に言い聞かせることしかカトウには考えられなかった。もしかすると振るいにかけているのかもしれない。ある一定の脱落者が出るまで揺さぶりをかけているのかもしれない。だとすると、その定員まで達するまで永遠にこの異様な奇文を書き写さなくては行けないと言うことだろうか?

 母は自分の事を心配してはいないだろうか?「週に一回は家に帰れるから安心して」と最後に言ったが、今週の土曜日、後何日後なのか分からないけど。かつての自分と同じ様にいられるだろうか?この意味不明な書き起こしをすることによって人格が壊れるのではないかと思ってならない。そうだ、軍隊にはまず人格を壊すという行為が自然とシステムの中に組み込まれているらしい。これは何かの本で読んだ。いたい何の本だったか思い出せないが。

 この赤ノ書、青ノ書、緑ノ書を書いていて気づいた事がある。ソレは、文字はだいたい150文字の種類があるということだ。だが、本当に150文字の種類があるのか判断できない。眠すぎて訳がわからない。食欲と睡眠欲、そしてたまに性欲まで出てきた。急に淫靡な妄想で頭が一杯になることもあったが収まるまで待つしか無い。最後にセックスをしたのは確か1年前の事だった。当時付き合っていた彼女だった。彼女とは18歳の頃知り合った。自分が韓国人の血を引いていいると聞いても「ソレがどうしたの?」と不思議な顔して言ったのでこの子しかいないと思った。父が失踪した時も彼女が手伝ってくれたし、就活に失敗した時も彼女は「仕事がないくらいなに?」と言って励ましてくれた。就職先が決まったら彼女と結婚しようと思っていた。だが、両親が勝手に決めた縁談で製薬会社のエリートサラリーマンと恋仲になりフラれた。「結局金かよ」と当時、ヤケを起こして4日間酒を飲んだ。

 そう考えると彼女の事を責められないと思った。自分も金の為に、間接的にも直接的にも人の生活を壊すような探偵業をして、母の為自分の為と割り切って必死にお金を貯めているのは、自分がお金に取り憑かれている証拠ではないかと。自分が嫌になった。それに、寝ていないせいか元恋人の顔も名前も思い出せない。今、彼女は幸せな結婚生活を送っているだろうか?ダメだ。センチメンタルが過ぎると心が狂いそうだ。楽しい事を考えよう。ここを出たら何を食べよう。寿司を食べよう。中トロ、マグロ、イクラ、エビ、サーモン。いや、ステーキがいい。神戸牛のレアのステーキだ。オゼキのクソ野郎におごらせる。ソレが良いに違いない。あのケチなオゼキだって、この体験を教えたら飯ぐらいおごってくれるだろう。イタリアンもいいな、いや最近事務所の近くにロブスター専門店が出来た。あそこでもいいな。

 急に肩を軽く叩かれた。振り向くと監視員の女性だった。

「タナカさん、大丈夫ですか?」

「はい、大丈夫でよ」とカトウは嘘をついた。眠くて仕方なかった。

「ワタシには、そうは見えません」

「なぜですか?」

「鼻血出してますよ」

 カトウが書き写している紙を見ると、血の跡が何箇所かあった。反射的に右手で鼻を触って見ると右手が真っ赤だ。

「すみません」

「謝らなくていいですよ。よくあることなんで。これからドクターを呼んできますね」というと電話でドクターを呼んだ。

 3分もしない内にドクターと言われている男が現れた。

「意識の方は大丈夫ですか?」

「はい、なんとか」

「一応、医務室に運びます」と言ったのでカトウが立ち上がろうとすると足がしびれたのか、ロクに寝ていないせいなのかフラツイて倒れそうになった。

 ドクターに肩を貸してもらって、外に出ると夜だった。蒸し暑い7月の夜。月の方角を見ると時間わかると誰かに教えてもらったことが有ったが、今はそんな余裕はない。医務室と言われている所は隣の部屋にあった。部屋の中は、ぱっと見3LDKで、ベットが2段ベットが5台あった。

「ここに座って」というとカトウは椅子に座らされた。

「鼻をかく癖や、ほじる癖はありますか?」

「いえ、ありません」

 ドクターは小さな棒でカトウの鼻の穴を広げライトで鼻の穴を観察した。

「子供の頃よく、鼻血は出ましたか?」

「はい、12歳の頃まで鼻血はよくでました」

「タナカさん、タナカさん」

 一瞬、誰のことを言っているのか分からなかった。そうだ、今はタナカとして潜入しているのを忘れかけていた。

「はい、なんでしょうか」

「タナカさん、多分、普通の鼻血ですね。ストレスや疲れで鼻血が出るケースがよくあるんですよ」

 マズイ、急に頭がさえた。もしかして、ドクターを呼ばれ診察されるとテストに不合格なのでは無いかとカトウは思った。「あの、先生、もしかして、僕はテストに不合格になったのでしょうか?」とカトウが聞くと、ドクターは大笑いした。

「大丈夫だよ。そんな事、気にしなくて。健康第一ですよ。それに、そうゆうことじゃないから。それから、体調が悪くなりそうだったらスグに監視員に手を上げてください。まあ、一応タナカさん、疲れているみたいだし点滴を打って一時間横になってください」

 カトウは点滴を打たれてベットで横になった瞬間意識がとんだ。飛ぶ少し前に「そうゆうことじゃない」てどうゆうことだろうと思った。一体何を試されているんだ?

   

  3


 朝、8時に目を覚ました。サムスンの外部モニターの右上は相変わらず表示されているのはNOSIGNAL。外面は真っ黒だ。もう、3日になる。カトウは大丈夫だろうか?昨日の夜「もしかすると、公園に無線のハブとして使っていた無線機が壊れているのではないか」と思って確認しに行ったが問題が無かった。バッテリーもソーラーパネルで充電式だ。どこかのガキがイタズラして壊したか、暑すぎて壊れたかと思っていた。

 冷蔵庫を開けると、緑茶のペットボトル出してコップに注いだ。昨日ナカノが持ってきてくれた車用の冷蔵庫は思っていた以上に役になった。冷凍庫の昨日はついてなかったので冷凍食品は保存できなかったが、初日の2日目のヌルい飲み物を飲むのに比べたらマシだ。それと、ナカノは気を使わせてくれてネスカフェのコーヒーマシンまで持ってきてもらった。やはり使える奴だと感心した。

 昨日のナカノから、言語学者の報告を聞いて驚きもしなかった。やっぱり、インチキ宗教だ。これなら、何か突破口が開けるのではないかと安心したが、相変わらずカトウの動向がわからないので、そこだけが心配だ。昨夜に見知らぬ電話番号から電話がかかってきた。取ると、カトウの母親だった。「息子は大丈夫なんですか?」と聞かれた。考えてみたら2日も家に帰らず任務にしかも、電話もメールも出来ないのはカトウにとって初めてだった。「大丈夫です。お母さん。ワタシが保証します。土曜日にはお母様は無事な姿でヒカルくんを会う事が出来るのでご心配なく」と言ってしまったが。本当のところ自信は無かった。

 とりあえず、寝ていた時に映像を受信しているかもしれないので寝ていた8時間の映像を20倍速で再生したが、やはり画面に表示されているのは真っ暗な画面とNOSIGNAL。それからシャワーを浴びて、中継ハブをもう一度確認しに公園へと向かった。なんともなく正常に動いていた。帰りの途中にコンビニでアイスを買った。こう暑いと頭がまわらない。オゼキはアパートに戻ると、ナカノがパソコン画面を眺めながらペプシを飲んでいた。今日はナカノがアパートで見張りをする番だ。

「社長、今日は誰に会うんですか?」

「刑事時代の後輩さ」

「刑事が宗教に詳しいんですか?」

「さあな。一応さ。何かパズメ教会絡みの事件を調べてもらったからな。まあ、昨日みたいに何もわからないかもしれないけどな。なにか動きがあったら連絡してくれ」

「わかりました」とナカノは眠そうな声で答えた。


 オゼキは小田急線に乗って、新宿駅から10分の喫茶店「メトロポリス」へ到着した。なぜ、この喫茶店を選んだかと言うとタバコが吸えるからだ。それに、相手もタバコを吸う。禁煙に成功していればの話だが。

 10分すると彼が現れた。刑事時代の後輩のフジオカだ。今では出世して警部になっていた。初めてフジオカがコンビを組んだのがオゼキだった。オゼキは彼にいろんな捜査のノウハウを叩き込んだ。彼の行き過ぎた行動を嗜めかばいオゼキが責任を取った事もあった。彼は童顔で、とても40歳には見えなかった30代前半に見えた事を利用し、相手を油断させる術を知っていた。そのおかげもあってか今では一課の警部になっていた。

「久しぶりだな。フジオカ。元気してるか?」

「はい、元気ですよ。やっと、子供も俺に懐いてくれましたよ」と笑いながら言った。フジオカは2回結婚していた。1回目の結婚で長女が出来たが、仕事が忙しくお互いのすれ違いという理由で離婚。2回目の結婚の際には相手に3歳の男の子の連れ子のいる女性と結婚。今は、多分長女は4歳くらいで、連れ子の子は6歳位だろうか。フジオカが子供の事を言って、急にオゼキの長男の事を思い出したのか少し困惑した顔になったのが分かった。オゼキは気にしなかった。友人、親戚はよく同じ顔をする。もう、慣れた。

「そうか、子供の写真見せてくれよ」とオゼキは気をきかせて言った。すると、フジオカは最初の子供の長女の写真と、連れ子の少年の写真を見せてくれた。二人とも可愛く元気そうで何よりだった。

「二人ともお前に顔が似なくてよかったな」

「先輩は相変わらず酷いことをいいますね」とフジオカが笑った。

「まあ、二人とも警察と探偵だけにはするなよ」

「分かってますよ。それくらい」

「頼んだ件だが何かわかったか?」

「そうですね。じゃあ、まずタマキ・ソウタの件から行きます?」

 当時の捜査資料によると、交通事故だが不審な点があるそうだ。というのも、国道でリクとサクラの父親が引かれた際に横断歩道に取り付けてあった監視カメラの映像を見る限り、そんなにスピードそんなに出ていなかったと記述されていた。ソレにもか関わらず、5メートル先のブロック塀へ跳ね飛ばされて身体の半分も潰れるのがおかしいと書いてあった。少なくても100キロ以上のスピードでぶつかってないと、ここまでにはならないらしい。

「監視カメラの精度が悪かったじゃないか?」

「確かに、事件当時に12年前に取り付けたの古いデジタルカメラですからね。だけど、車載カメラの記録によると30キロ程度だったらしいですよ」

「それ、車載カメラがバグってたんじゃないか?」

「ソレもありえますね。写真見ます?死体の?」

「うん、見るよ」

「本当ですか?そうとうグロいですよ」

「お前、俺は10年以上死体見てきたんだから大したことないさ。見せろ」

 当時の捜査資料を見ると確かにグロテスクだった。顔の正面がぐちゃぐちゃになっている。頭蓋骨が割れて脳が露出しして目玉は完璧に潰れ下顎は欠損し、舌が胸元まで垂れ下がっていた。それは胸も腕も足もだ。肉が潰れ骨が露出していた。もっとひどい状態の死体を見てきたオゼキだったが、ここ10年近くは死体とは縁がなかったせいか、飲んでいたコーヒーが気管に入ってむせた。

「ほら、言ったでしょ。見ないほうがいいて」

「俺も年だな」

「いや、見慣れていない方が正常ですよ。オゼキさんがやっと普通の人になって安心しましたよ」とフジオカは言った。

「それで、タマキ・リカは?」

「彼女の事なんですが、一度警察沙汰を起こしてます」

「どんな?」

「虐待疑惑がありました。旦那さんが死んでから2年後です。当時の資料によると、至極中怒鳴っていたそうで隣の住人から児童相談所に相談があったそうです。ですが、医者が調べたところリクくんとサクラちゃんに体罰の跡がなく、疑惑で終わったそうです。まあ、今考えれば言葉の虐待っていうのもありますからね。どちらにしろいい感じではないですよね」

「そうだな」虐待疑惑か。まあ、ありそうな話だ。眼の前で旦那があんな形で死んだのだから気も変になって虐待に走る可能性だって多分にあるだろう。

「それで、あのパズメ教団と教祖様のアカギについては?」

「ソレが、不思議な話しで」

「何が不思議なんだ?」

「まず、パズメ教団についてですが、ちゃんと宗教法人として認められてはいますよ。だけど、パズメ教会の前身であるフレア教会は最初は結構、問題があったらしくて裁判沙汰が20件程。殆どが寄付金絡みです。公安もマークしていたみたいです。だけど9年前にパズメ教会に改名してから急に裁判沙汰が起きなくなったんですよ。それに、公安もマークするのをやめたみたいで」

「なんでだ?」

「まあ、ここからは噂ですけど。裁判になる途端に示談になっているんですよ」

「本当かよ?」

「僕もそう思ったんですがね。調べた限りだと、ここ十年の起訴を取り下げている案件が全て子供絡みの物で、しかも、何軒か回ったんですがみんな良い家に住んでるんですよ」

 良い家を買えるくらいの示談金を払ったと言うことなのか?いちいち裁判する度に。

「それと、アカギていう奴は、95年まで日本に住んでいなかったので資料が少ないですが、ここ9年で急に権力を持ち始めたみたいで同期にSPの奴がいるんですが、そいつの話によると総理大臣は必ず彼のパズメ教会に定期的に行って占いをするみたいなんですよ」

「そんなに、当たるのか?アカギの占いは?」

「いや、アカギと言うより、アカギの信者の子供らしいんですよ」

「子供?」そういえば、ニシカワも同じことを言っていた。偶然の一致だろうか。まあ、都市伝説的な事にはよくある事だろうとオゼキは気に停めなかった。

「そうなんです。子供に占いをさせているらしいです」

「またその話か」

「それと、取り巻きの中に怪しい人物がいましたよ」

「誰だそれは?」

「パズメ教団の中で、ドクターと言われている。イシイ・タツオという人物です」     イシイ・タツオは東京都生まれの60歳。ニューヨーク大学でアカギと出会ったらしい。彼は遺伝子学と宗教学を学んで、アメリカ政府で仕事をしていたが、12年前に突然仕事をやめて日本に帰国。その後日本の製薬会社に1年勤め、その後退職し、同級生だったアカギの宗教団体に入信したらしい。

「なんで、遺伝子学と宗教学を一緒に勉強したんだ。そのイシイていう奴は?」

「さあ、わかりません。アメリカの大学は文系とか理系と関係なく講義を受けられますからね。それに、彼の実家は神道の良いところの神社の家系だったみたいですよ」

「お前が何を言いたいのが分からないが。宗教団体の中でそのイシイて奴が子供を使って遺伝子をいじって人体実験をして、子供が占いを出来る力を得た。そして、総理大臣とか金持ちに気に入られたて事か?」

「まあ、そうゆうことです」

「正気か?お前?」

「もちろん、こじつけですよ。それとサイバー犯罪課の知り合いにちょっと前に聞いた話なんですが、最近プロテクトを政府が使っているのではないかと言うんですよ」と笑いながら言っていた。

 前にもニシカワから聞いた話だ。サイバー課の連中の中にも狂った奴が紛れ込んでいるみたいだ。知らないふりをしてフジオカにその話を聞くことにした。

「政府や現政権に都合の悪い情報を自動で削除するシステムの事ですよ。もちろん、全部消すと怪しまれるから本当に都合の悪いモノしか消さないようにしているみたいですけど」

「よくわからないだが、なんでそんなシステムが仮に存在したとして、パズメ教会がそのシステムを使えるんだ?」

「そこが、不思議なんですよ。だって9年前は裁判沙汰を起こしていてタブロイド誌の餌になっていたのに、ネット上に何の痕跡もないじゃないですか?もしかするとプロテクトを使ってデータを消してるのかもしれないです。それくらい、政府や政権と親しいお友達団体かも知れないってことですよ」

 コイツも陰謀論ゲームを楽しんでいるのか。知らない間にフジオカもストレスで狂ってきているのかも知れない。

「Xファイルの見すぎだよ。お前は」

「何だ、先輩もXファイルを知ってるんですね。意外ですね。Xファイルなんて古いですよ」

 どいつもこいつも、オカルトに結びつけやがって。その後、フジオカに仕事が入ったのでそれで終わった。「何か分かり次第先輩に連絡します」と言っていたが本当に何か他に分かる事が有るのだろうか?。しかし、イシイの存在は知らなかった。何かの手がかりになるかもしれない。オゼキは、情報屋に電話した。彼が出ると、イシイの話をした。すると「偶然ですね。今、イシイの情報を調べていたところなんですよ」と言った。イシイが影にいると言うことなのか?

 なんだか頭がこんがらがってきた。プロテクトなんて存在するのか?急に眠気が襲った。眠たくて仕方ない。睡眠薬を飲まなくちゃ眠れないのに。どうしたことだろうか。精神的に良くなったということだろうか?電車の席に座ると睡魔に負けた。そのまま寝落ちた。


   4


 リクとサクラは教室で、ある事を同時に感じた。

 授業は高校3年生レベルの数学をやっている。複素数平面の授業だ。高卒試験を受けるように言われているからだ。10人の他のクラスメイトは上は15歳、下は10歳だ。特別な子供たちは家庭教師をつける事もできたが、前任者の家庭教師はロリコンの気があり気持ち悪かったのでスグにクビにしてもらった。新しい家庭教師も付ける事もできたが、同年代の子達と話すチャンスだと双子は思い教室で勉強する事を選んだ。だが、みんな自分たちの事を少し気味悪がっているのが双子には分かった。監視官のスギモトが子供達に「あの双子は特別だ」と言ったせいだ。そんな事言って欲しくなかった。普通に接して欲しかった。

「よし、休憩」と先生は言うと10分休憩になった。

 リクとサクラは廊下にでた。回りに誰も居ないことを確認した。

「ねえ、姉ちゃん。わかった?」

「うん、分かった」

「今回はどうだと思う?」

「今回は大丈夫よ。きっと」

「この前、姉ちゃんも同じ事を言ってたよ」

「でも、彼はいつもの人とは違うわ。たぶん、大丈夫よ」

「そうかな。俺、トイレ行くから、じゃあ」

「うん、いってらっしゃい」

 サクラは教室に戻った。リクには大丈夫だと言ったが本当のところはわからない。だけど、いつもとは違うのは確かだ。いい方に転ぶか悪い方に転ぶかは別にして。今回こそは。

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