3章 潜入
1
カトウは儀式をしていた。入信の儀式だ。
回りを見渡すと全員白ずくめ。昔に観た「ミッドサマー」に出てきた宗教団体みたいだ真っ白シャツと真っ白なズボンだ。服装規定に厳しいく。服装は全て白。スニーカーもだ。ピアスやネックレスなどの装飾品は禁止。腕時計はアナログの物だけ許された。なのでユニクロで白い服一式とスニーカーはアディダスのスタンスミスを買った。監視官に会った際に、カトウが履いていたアディダスのスタンスミスを見て、スニーカーのヒールパッチとベロの部分のロゴが緑色なのが規定から外れているらしく、その場でヒールパッチとベロの部分を白く塗るようにと言われ、カトウは監視官に渡されたプラモデル用の白い塗料を筆でヒールパッチとタンの部分を塗った程だった。他にもナイキやコンバースの白のスニーカーを履いていた者たちにもロゴの部分を白く塗りつぶす作業が行われた。中にはホームレスの人がいたが、その場合は団体が白ずくめの服がと靴が提供された。カトウのかけている黒縁メガネも何か言われるのではと内心ヒヤヒヤしていたが、メガネのフレームに対しては特に規定はないようだ。自分合わせて10人いる。下は20代から上は70代までの男女と様々だ。
今はずっと10畳ほどの真っ赤に塗られた部屋で呪文を書道で書かされている。眼の前に見本の書物があり、何ページあるかページ数が書いてないので分からなかったが、スティーブン・キングの新書程の厚さの倍はあるので恐らく1000ページ以上。赤ノ書、青ノ書、緑ノ書の表紙の本が三冊。赤書から始まり青書を経由して緑書を書き写すのがルールだ。それを何時間も写経をしている。腕時計とスマフォは没収され後でこの修業が終わると返してくれるらしいが、何時間、写経しているのか分からなかった。強烈な眠気と戦いながら書いている。トイレは自由に行けた。それに水を飲むことをも自由だった。定期的に休憩時間をもらい眠れるが、スグに指導者が来て起こされ、また写経を始める。眠くて死にそうだ。それに、もう日付を変更してるかもしれない。この部屋の窓ガラスに暗幕かけてあって朝なのか夜なのか想像もつかない。それに、この呪文の様な文字。いったい何語なんだ?まるで、古代の楔形文字のようだ。
カトウは小さい頃、父親がエンジニアの転勤族だった。いろんな国に行った。アメリカ、カナダ、イギリス、ドイツ、ロシア、韓国、香港、上海、台湾、マレーシア、イラン、インド。何処の物とも分からない見覚えのない言語だった。縦に読むのか、横から読むのか、右から読むのか左から読むのか。それすら分からない。一番近いのはペルシャ語かサンスクリット語に近いが気がしたが。それともたぶん違う。それに、言語というのは規則性があるものだ。この書に書かれている謎の文字には規則性が全く無い。いや、書き写し続けている疲れからそう思うのだろうか。全部同じにも見えるし違う事が書かれている様にも思えた。回りを見ると縦書きで書き写している者、横から書き写している者、様々だ。カトウは英語の様に左から右へと横に書き写す事にした。
カトウは入信、いや、潜入の際に面倒くさいと思っていたが、気分を落ち着かせジェームズ・ボンドや、ミッション・インポッシブルのトム・クルーズになった気持ちで挑んだが、今の所そんな華々しい事件に巻き込まれる気配はなかった。
監視官は部屋の左隅で椅子に座って、皆を監視している。威圧的ではなかった。とても良い人そうな印象を受けた。40代の女性だ。まるで幼稚園の先生ではないかと思うくらいだ。
「出来ました!」と急に手をあげたのは、カトウの隣にいた30代くらいの女性だった。びっくりした。カトウも一生懸命フルスピードで写経をしていたが途中の青書の途中までだったからだ。
監視官がカトウの隣の女性に近づき、彼女の写経をチェックした。
「大変良く出来ていますね。スゴイです」と監視官が言った。
「ありがとうございます」
「では、最初からやり直してください」
「え?でも、よく出来ていると言ったじゃありませんか?」
「はい、大変良く出来ております。ですが、そうゆう問題ではないのです」
「どこが問題なのですか?」
「それは、お答えできません」
「わかりました。また書き直します」
カトウは絶望した。この赤ノ書、青ノ書、緑ノ書を写経すれば儀式が終わると思っていたからだ。それに隣の女性が写経した文字をちら見する限りかなりキレイに書き写していた。字の汚さが問題でも無さそうだ。一体何が問題なのだろう。
キレそうになったが我慢した。ここでキレたら意味がない。カトウには金が必要だった。少なくても2年は我慢しなくては。
カトウの父は日本人で、母は韓国人だった。両親は留学先のカルフォルニアの大学で出会った。大学卒業後に結婚して父はエンジニアとして活躍。家族で世界中に転勤した。1年以上同じ土地に居たことはなかった。カトウ一家が日本に定住したのは彼が15歳の時だった。日本語は転機先の現地にある日本人グループが主催する土曜学校で習得していたので対した問題はなかった。「カルフォルニアの大学で両親が出会って、世界中を仕事できるなんて素敵だね」と友人は言った。確かにそうかもしれない。カトウが18歳の時までは。
当時、大学に入学するの頃の事だった。急に父が消えた。会社から帰ってこなくなった。母は「1日くらい帰って来ないくらいで大したことはない」とカトウに言った。カトウもそう思った。きっと仕事が忙しいのだろうと。それから3日経っても連絡がつかなかった。4日後会社から連絡があった。無断欠席をしているが大丈夫かと?それで、父が消えた事に気づいた。事件に巻き込まれたのではないかと警察に失踪者届けを出した。何故消えたのか。全く心当たりはなかった。父と母の関係はとても良好に見えていた。日本人はあまりしないが、月に2回「夫婦の日」があり、両親2人きりで食事を食べに行ったり映画に行ったりライブに行ったりしていた。夏休みは家族で世界中を旅をした。
職場関係かと疑ったが、職場ではムードメーカー的な存在で父の事を悪く言う者は誰も居なかったし、上司からも部下からも好かれ仕事も普通以上に熟していた。次に怪しいと思ったのが浮気による駆け落ちだった。どんなに夫婦仲が良くても浮気はする物だが、浮気をしていた形跡もなかった。次はギャンブルや借金だったが、それもなかった。ギャンブルと言えば毎週ナンバーズを1000円分買うくらいだった。こんなんじゃ夜逃げの理由にはならない。家は、祖父から相続した世田谷区の一軒家で、借金と言えば家の改装費と車のローン程度だった。いわいる中流階級だった。父の財産もそこそこだ。普通くらいだった。全く謎だった。自殺なのか、それとも何かの事件に巻き込まれた他殺なのか。警察も、母が雇った探偵もお手上げ状態だった。
父が蒸発してからが大変だった。父の働いていた企業から結構な値段の退職金をもらったが、殆どがカトウの学費と固定資産税と生活費に消えた。父は多額の生命保険に入っていたが、失踪者の場合は死亡認定になるまで7年かかる。当初、カトウは母の親戚が住んでいるカナダに留学しようとしていたが、お金がないので日本に残ることにした。学費の少ない日本の国立大学に入学したが、学費はバカにならない。奨学金を使い延命した。母は、英語と韓国語が話せるので語学学校の講師になったが、その給料と言ったら微々たる物だった。カトウも英語が喋れるので英語の学校でアルバイトをしたが、自分より英語の喋れない白人の方が給料が高かった。大学3年生の後半から卒業までに就職活動をしたがどれも入社には至らなかった。それからというもの、いろんな会社に面接しては落とされる日々が続いた。その間、英語の教師やコンビニ定員やウーバーイーツの仕事を掛け持ちした。奨学金の返済と固定資産税と生活費を稼ぐためだ。そして半年前、カトウはウーバーイーツでカレーを届けに探偵事務所へ行った。探偵事務所のドアに求人の張り紙があった。しかも正社員で雇い成功報酬も出ると書いてあった。カレーを届けると、張り紙の事を中に居た中年男性に聞いた。その男がオゼキだった。その場で軽い面接をした後連絡先を交換した。3日後、オゼキから連絡が入り入社が決まった。母の反応は複雑そうだった「ヒカル、そのDetective、コェンチャンタ?」母はビックリすると日本語と韓国語と英語が混ざった言葉で話してくるのでカトウは毎回困った。「多分、大丈夫さ」と答えた。
間違っていたと今は思っている。オゼキは正直ロクな人間じゃない。嫌いじゃなかったが威圧的な雰囲気があるし、よく怒鳴る。仕事じゃなければ絶対に付き合いたくない様な男だった。間違えてるだけなのか、意図的なのか、時折に給料の額、残業代を少なく振り込む事があった。なのでいつも給料日にはモメる。それに、今は意味不明の言語を写経を何十時間もしているからだ。それに、この探偵事務所に入って分かったことがあった。アフターコロナの前から謎のナショナリズムがこの国を支配していることに気づいていたが。探偵依頼で、入社希望者の血筋、特に韓国朝鮮系を敵視する企業が多いことに身をもって感じたからだ。それに、自分が韓国朝鮮系の家系だと言うと去っていた友人も何人も見てきた。ファックでシバマラだ。ただでさえ不景気なのだから、余計に他に就職出来るはずもない。それに、イギリスに居た時の歴史の先生がルワンダからの難民でツチ族の女性だった。彼女が言っていたことが思い出される。最初はツチ族に対してラジオやテレビや活字メディアを使ってヘイトスピーチがあったそうだ。最初は先生は気にしていなかったそうだが気づくと大虐殺に発展していたと。最近、日本のテレビやラジオでヘイトスピーチする者が多くなってきた。それにネット上はヘイトスピーチだらけだ。しかも、不景気も重なればスケープゴートを作りたがる。なので、父の失踪まで7年。あと2年は踏ん張りどきだ。2年後、父の死亡認定が降りて生命保険が入ってくる。そしたら、世田谷の家を売って母の親戚が住むカナダかニュージーランドへ移住しようと考えていた。そこで仕事は何をしたら良いだろうか?今はそこまでは頭は回らなかったが、日本よりはマシだろうとカトウは思った。
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急に、3つの外部モニターが切れて映像が映らなくなった。MacBookProをサムスンの32インチPCモニターに繋いで見ていたので、配線が変なのかと思ったが画面の右上にNOSIGNALと表示されていたので恐らくメガネに仕込んだカメラのバッテリーがと腕時計に仕込んだカメラ用のバッテリーも切れたのだろう。オゼキに電話をかけたが留守電に繋がったのでショートメッセージで近況報告をした。腕時計を見ると20時だった。バッテリーの稼働時間が10時間なので朝の10時から夕方まで意味不明な文字を写経していたのかと思うとカトウが可哀想になった。この映像を見ているナカノですら気が狂いそうになったからだ。それと同時に自分があのコミューンに潜入しなくて良かったと思った。
「息子がいるから」と息子のレンをダシに使ったのは我ながら良い気持ちはしなかったが事実だからしかたない。いくら両親の実家で一緒に育てているとしても、自分の子供が第一優先だ。あの、20世紀の生きた化石の様な男。オゼキですら息子のレンが風邪のや病気の時は休ませてくれた。そこに関してはナカノはオゼキを買っている。オゼキのプライベートは知らないが、子供がいるのではないかとナカノは思っている。単なる感だが。恐らく離婚でもしたのだろう。特に関心もないので調べる気にもならないが。
それにしてもこのカトウが書き写していたあの文字はなんなんだ?ナカノはカメラの映像を見ながら予備のMacBookAirでいろんな言語を調べた。楔形文字やシュメール語に似ているが、専門家ではないので断定は出来ない。9時間前に、オゼキから進捗情報を報告を求められた際に「謎の書物から謎の言語を書き写している」と報告すると「どんな、文字か送ってくれ」と言うので画面キャプチャー画像を10枚ほど送った。それから、定期報告をこちらからしても何の応答もない。一体何を調べているのだろうとナカノは苛立っていた。
1週間前に借りた、この隠れ家の家賃3万5千円のアパートの一室だが、人がずいぶん住んでいないせいなのかカビ臭く、しかも、外は35度以上、「クーラーは電気代がかかるからあまり使うなよ」と言って朝に外へと消えていった。最初は我慢していたが、我慢できずにクーラーを付けた。27度の設定にしたが部屋に隙間が多いのだろう、暑くて堪らない。なので20度に設定してようやく快適なワークスペースを確保した。きっと、オゼキに後で何か文句を垂れるに違いないが「パソコンが熱で壊れたらどうするんですか?それに私が熱中症になったら責任問題ですよ」と言って脅すつもりだ。
カトウが送ってくる意味不明な謎の文字の書き起こし映像を10時間も見ているんだ。もう一つのMacBookAirで気分を落ち着かせる為にYouTubeでジャネール・モネイとノーネームとテーム・インパラを聴きながら映像を見ていたが。かなり辛い。カトウはもっと想像以上に辛いだろうが。
Timexの腕時計を見ると20時半になっていた。8時間以上だ。朝の8時からだから4時間の残業代を頂かないと。と考えているとチャイムがなった。ドアを開けるとオゼキだった。
「すまん。情報屋が忙しくてなかなか捕まらなかった」
「連絡くらいしてくださいよ。また、電源付け忘れたんですか?」とナカノが聞くと、オゼキがポケットからiPhoneを取り出した。電源を入れた。いつもこの男は電源を消しっぱなしにする癖がある。それでよく探偵なんてやってられるなと思った。それに、ニンニクとタバコと焼き肉の臭いがした。自分がこの狂った文字の映像をチェックしてる時に呑気に焼き肉を食べていたと思うとイラッとした。
「どうだ、情報は?」
「あの、写経と言うか、書き起こしというか。そればっかです。メガネに取り付けたバッテリーが切れて電波が拾えません」
「そうか、分かった」
「では、私は帰ります。そうだ、ちゃんと残業代の4時間分払ってくださいね」
「わかってるよ」
「今スグに私にメールしてください」オゼキが忘れているだけなのかそれとも意図的なのか分からないが残業代が振り込まれていない時があるからだ。その時の証拠として、ナカノとカトウはメール送らせて何時間残業したかの時間をオゼキにメールで送らせることにしている。
「わかったよ」と言ってオゼキはメールをナカノのiPhoneに送った。
「なあ、この部屋寒すぎるぞ。クーラーを使うなって言っただろう」
「待ってください。今日は30度超えですよ。パソコンが壊れたらどうするんですか?それに熱中症になって倒れたらどうするんですか?誰も居ないのに死んだら保証してくれるんですか?」
「確かにそうだな。でも、そんなに怒らなくてもいいだろう」とオゼキがイラッとしているのがナカノには分かった。
「では、帰ります。明日は9時からでいいんですよね?」
「明日は、お前は朝ここに来なくていい。会って欲しい人がいるから」
「誰にですか?」
「言語学者だよ。明日の朝にまた連絡するから。一応、明日の10時に高円寺駅で会って欲しい。詳しい場所は明日連絡する。それと、この予備のMacbookにカトウが撮った映像のデータ入ってるよな?」
「はい、バックアップ用ですからね。入ってますよ」
「MacBook持って行くのを忘れるな」
ナカノはカバンにMacBookAirを入れて、エアジョーダン1を履いて外を出ると蒸し暑かった。今年の梅雨はスグに終わったが湿度が異常に高かった。帰り道、国道沿いコミューンの金網が見える道を歩いた。まだ、カトウが写経をしているのか?それとも違うことをやらされているのか?何人か会った元信者はあの写経の事を何も言っていなかった。もしかすると記憶から消して喋りたくないくらい写経をさせられるということなのか?今日の出来事を忘れて早くレンに会いたかった。時計を見るともう21時ではないか。とっくにレンが寝ている時間だ。明日の朝、一緒に御飯を食べようと決めた。彼が好きなホットケーキを作り上にホイップクリームを乗せてチョコチップをふりかけた物を作ろうと。
3
ナカノの言うと通りだった。この部屋は暑すぎるし湿気が酷い。クーラーを切って30分もしない内に汗がまた吹き出してきた。確かにこの暑さだとパソコンが壊れるかもしれないし、熱中症になるかもしれない。オゼキはクーラーを付けた。買ってきたハイネケンのビールもヌルくてマズイ。これは冷蔵庫も必要だと思った。事務所に確か車用の冷蔵庫があるはずだ。明日、ナカノが戻ってきた際に持ってきて貰おうかと考えたが「重いから嫌です」と言われそうなのでスキを見て自分で車で運ぶ事にしようか考えた。
MacBookProを見ると相変わらず画面が右上にNOSIGNALと表示されていた。カトウは大丈夫だろうか?
オゼキはMacBookProに入っているワードを開いて今日会いに行った情報屋のニシカワとの会話や情報のメモをワードにまとめた。
ニシカワとは長い付き合いだ。17年前からだ。ヤツはいわゆる情報屋だ。彼は当時チーマーグループの一人だった。そのチーマーグループの中では身分は低かったが、先輩や後輩に可愛がられ顔が広く、他のチーマーグループやヤクザまでパイプを持つようになった。しかし、彼が18歳の頃マリファナでパクられた。前々からニシカワに目を付けていたオゼキの先輩が彼にある提案を持ちかけた。このままマリファナ所持で少年院に行くか、情報屋になるかだ。恐らくニシカワには他にも色々と余罪があったのだろう。情報屋になることを選んだ。オゼキがニシカワに初めて会ったのは彼が25歳の時の事だった。当時彼は髪型は金髪のドレッドで上は革ジャンに下はダボダボのB-Boyスタイルのズボンにエアジョーダン6のスニーカーを履いていた。その時は、資産家が殺された時の事件の捜査だった。本当にこの男が資産家の情報を持っているのか?と疑問だったが、金を渡すといろんな情報が手に入った。どうやらその資産家はヤクザ絡みで揉めていたそうだ。それを手がかりに捜査をした所、見事その証拠を掴みそのヤクザをムショ送りにした。それから、何かある度に奴に話を聞くことにした。彼は顔が広くヤクザから右翼の大物から左翼の大物に大企業の社長や政治家や官僚やマスコミ芸能関係と様々な場所に人脈があった。オゼキが刑事を辞めてからは、ヤクザ絡みや殺人絡みの事件を扱わなくなったので12年ぶりに会うことになった。電話でパズメ教会の事を聞くと「調べておく」と言って2週間後に会うことにした。
2週間後、彼からメールで住所が送られてきた。住所は西荻窪駅から歩いて15分の場所にある古本屋だった。約束の5分間にその古本屋に入ると長い白髪で丸いジョン・レノンがかけていそうなメガネをかけて、白い口ひげを蓄え、上はグレーのYシャツ、下はブラックジーンズにプーマの黒いスウェードのスニーカーを履いていた。一瞬、誰だか分からなかった。まるで大学の教授のような紳士が座っていた。ニシカワの兄貴か父親かと思った。
「オゼキさん。久しぶり」声を聞いて分かった。ニシカワだ。
「おまえ、変わったな」
「まあね。今は実家の古本屋を継いでますよ」
情報屋として彼を利用していたとはいえ、12年ぶりに会ったので古い友人と再会したような気になって仕事も忘れ1時間程、身の上話をした。
ニシカワは12年間の間に生活スタイルを変えた。10年前に父親が他界し、古本屋を売ろうと思ったが丁度、結婚する事になったので西荻窪に引越し家業を継ぐことにしたそうだ。
「おい、古本なんて売れるのか?もう世間じゃ電子書籍だろ?」
「考えが甘いな、オゼキさん。初版本とか結構高値で売れるんですよ。書籍マニアがまだ沢山いるんですよ。それに、レコード。このデビッド・ボウイとアイズレー・ブラザーズのレコード。当時の日本版で帯が付いてるでしょ?これ海外で高値で取引出来るんですよ」と言っていた。店は持っているが主にネット通販で本やレコードや古着や日本限定のスニーカーや海外限定のスニーカーを日本や海外で売って商売しているらしい。なかなか良い商売らしく、同年代のサラリーマンより稼いでいるとか。
「これでチビを余裕で大学まで進学出来るくらいの金はありますよ」と笑いながら言った。店の奥を見ると5歳程の少年がレゴブロックで遊んでいた。ニシカワにソックリだ。
「おい、チビ2階でゲームやっていいぞ。ママには内緒だからな」
「いいの!分かった!」と少年は喜んで2階へ上がって行った。
「なんだか、最後に会った時には想像出来ないくらい幸せそうだな」とオゼキが言った。
「そうですよ。やっと運が回ってきましたよ」
「奥さんは何やってるんだ?」
「妻は看護師をしてます。今日は夜の10時まで帰ってきませんよ」
「そうか、安心したよ」オゼキが最後にニシカワに会った時は、彼は荒れていた。アル中だった。なので、アルコール中毒のカウセリングを彼に勧めて入院させたのだ。勿論、多少は彼が可哀想だとは思ったが情報屋が死ぬと新しい情報屋を見つけなくてはならないからだ。損得勘定で入院させた。
「あの時、入院してなかったらあのチビも妻にも会えなかったから感謝してます」
「ホントかよ」損得勘定とはいえニシカワが幸せそうで良かったと思った。
「そうだ、コーヒーでいいですか?」
「ああ、頼む」
じゃれ合いはこれぐらいにして本題に入った。
「おまえ、まだ情報屋やってるのか?」
「いや、もうやってないっすよ。完璧に足を洗いました。それに、オゼキさんが刑事を辞めてからは誰も来なくなりましたし。でも、情報は色々と入ってきますよ」
「そうか、足を洗って何よりだ」とは言ったが、約10年間情報屋として活躍していない奴の情報なんて役に立つのかは疑問だった。
「パズメ教会についてですが。アレは結構厄介ですよ」
「厄介てどうゆうことだ?」
「パワーが強い」
「何だ、パワーが強いって?」
「3つのパワーですよ。権力、金、人脈ですよ」
ニシカワが言うには、パズメ教会は政財界、金融界、マスコミやメディアに深いパイプを持っているそうだ。パズメ教会に改名する前のフレア教会を立ち上がった際は丁度、「ガウス寺院事件」で世間がパニック状態だった。ガウス寺院はサリンを6つ都市の札幌、仙台、東京、名古屋、大阪、福岡に同時に時刻に地下鉄駅サリンガスを散布し、教祖が隠れていた第49寺院で教団が密造したAR18アサルトライフルとAK74アサルトライフルで警官隊と銃撃戦へと発展し最終的には150人の信者が自殺して終わった。一部タブロイド誌で「第二のガウス寺院」と何回も特集を組まれたが9年前に急にタブロイド誌からもその名が登場することはなかった。
「なんで、20〜30年前に出来たポット出の宗教団体が急に9年前からそんな力を持っているんだ?」
「それが、なんですが。これは都市伝説のレベルですよ。何やら、子供達を使って占いをやるらしいです。その占いていうのが信じられないほど当たるらしいんです」
「占いごときで、そんなに権力をもてるもんかね?」とオゼキは言ったが、確か同期の警官で総理大臣のSPをしていた男が、その当時の総理大臣がよく占いに通っていたという話を聞いたことがあった。他の大臣のSPをしていた奴も似たような事を言っていたのを思い出した。
「それに、その占いで政財界、金融界、マスコミにIT関係者を押さえているらしいです。だから、ネット上でいくら検索しても悪い事が出てこないですよ。オゼキさんも調べたでしょ?ネットで」
「確かに」
「それに、プロテクトが秘密裏に使われているらしいんですよ」
「なんだ、そのプロテクトて」
「ネット上で政権批判するとするじゃないですか?すると自動に消したり、アカウントを凍結したりするシステムですよ。まあ、これは都市伝説レベルの噂に過ぎませんがね」
「俺にはニワカには信じられんが」
「僕だって信じられませんよ。でも、あんなにツッコミどころの多いホームページまであって、あらゆる公式のSNSでアカウントがあるのに、パズメ教会の悪口や冷やかしがないのは、おかしくないですか?」
「でも、そこまで有名じゃない証拠ではないか?」
「まあ、そうとも言えますが」
「教祖様のアカギについては?」
「アカギについても同じです。ホームページに乗っているプロフィール以外は何も。アイツのオヤジは外交官で、毎年世界中を転々としていたみたいで、幼馴染と言えるような奴も国内にいないし、24歳まで日本に生活したことが無い。95年に勤めていたイギリスの銀行が潰れて日本に帰って来たくらいしか情報はありませんよ。ここからは憶測ですが、宗教団体は金になると思ったのでしょう。税金が掛からないですしね」
オゼキもそれくらいは想像出来た。金の為に宗教団体を作る奴らは沢山居るからだ。
「他に分かった事は?」
「このパズメ教会のシンボルの中央に羽の生えてオオカミと回りに龍がいるでしょ?この中央に居るヤツは、恐らくパズズです。」
「なんだ、そのパズズて?」
「古代メソポタミアの魔神ですよ。映画のエクソシストに出てくるやつです」
オゼキは確かナカノがサタン教会での報告書を載っていたの急に思い出した。そんなシーンが有あっただろうかと記憶の中を探ったが思い出せなかった。もう20年近く「エクソシスト」を観ていなかったから覚えているはずもない。
ニシカワはiPadを取り出して、パズズの画像を見せてくれた。確かに似ている。
「でも、この記事だと頭はライオンと書いてあるぞ」
「そのへんは、俺にもよくわかりません。多分、オオカミて神道で出てくるでしょ?恐らく、いろんな宗教をミックスしたんですよ」
「そうか」それぐらいオゼキにも何となく分かっていた。ホームページを見る限りハイブリット宗教だと書いてあったからだ。そこで、急に思い出した。ナカノが送ってきたカトウが書き写していた文字のことだ。あの文字、もしかするとメソポタミアの文字かもしれない。オゼキはiPhoneを取り出しニシカワに見せた。
「これ、何語かわかるか?」
「いや、検討が付きません。たぶん、だけど古代の文字でしょうね。まるでネクロノミコンみたいだ」
「ラブクラフトじゃあるまし。馬鹿げてる」
「オゼキさんがラブクラフトを読むと意外ですね」と皮肉交じりに言われたのでオゼキは少しムカッとした。読んだことは無いがラブクラフトくらい知ってる。テレビドラマの「ラヴクラフトカントリー」を観たくらいの知識しかなかったが。
「まあ、心当たりはありますよ。でも、ここからは紹介料が発生しますけどいいですか?」そうだ、忘れていた。ニシカワのやり口を。コイツは必ず小出しに、たかりに来るのだ。今もたかりに来るほど元気なのを喜ぶべきだろうか、それとも怒るべきだろうか。しかし、オゼキには言語学者の知り合いなど居ない。彼に任せることにした。
後で映像を言語学者に何語か解読してもらうことにした。しかし、この言葉を解読して何の意味があるのか?子供たちの奪還の手がかりになるのかは疑問だった。しかし、予算ならいくらでもある。あの老人達はオゼキがここ3週間で調べた限りだと相当な金を持っていたからだ。2000万円以上の資産はもっている。多少無駄遣いしても怒らないだろう。
「それから、もう一つ。パズメ教会の悪い噂がありましたよ」
「なんだそれ?」
「成仏師ていう連続通り魔事件があったでしょ?」
一瞬、ゾッとした。というのも、オゼキが下北沢で探偵を始めた当初に、家主のイケダ婦人の紹介で近くで探偵をしていた元刑事のモリタさんと知り合った。当時まだナカノもいなかったので一人で探偵をやっていた事もあり、人手が必要な時にモリタさんと合同で依頼を調査する事があった。モリタさんも人手が足りない時にこっちに依頼を回してくれた。そのモリタさんと酒を飲んだ時の話だ。モリタさんが初めて探偵事務所を開いた時の依頼人こそがその「成仏師」と後に言われた男の両親の浮気調査だったと言っていたのを思い出した。今はモリタさんは他界してしまったので詳しいことは聞けないが。
その「成仏師通り魔連続殺人事件」とは、ある青年が被害者をこの世をさまよう幽霊と間違えて成仏させてやろうとし、謎の呪文を唱えながらその被害者達を押し倒し頭が割れるまで地面に打ち付けて殺した事件だ。合計17名の老若男女が殺され当時、大々的に報じられた事件だった。
「覚えてるよ。それで?」
「彼の事件のノンフィクション本にパズメ教会の事が書いてあるんですよ。実は彼の母方の叔母がパズメ教の信者で、コミューンで共同生活していたらしいんです。それが、彼が20歳の時に母親の元にある呪文が入ったカセットテープを送ってきたそうですよ」
「それだけか?」
「いや、これからが面白いと言うか、怖いと言うか。初版本にはパズメ教団の名前が書いてあったんですが、二版からはパズメ教会の部分が匿名になっていたんですよ」
「それは、なにかの間違いだったて事で訂正したんじゃないか?」
「その可能性もありますよ。でも、普通訂正する時は出版社のホームページで訂正のお詫びを書くのが習わしなんですが、それもないんです。しかも、噂だと初版本は大量に誰かが購入したとか。それに、成仏師の男が死刑に日にちが他の死刑囚より早すぎるんですよ。だから、何か力が働いたんじゃないかと噂になってますよ。まあ、あくまで噂ですけどね。それに誰もパズメ教について話したがらないんですよ。しかも、ノンフィクションを書いたライターが現在行方不明になっているんです。怖くないですか?分かり次第連絡しますよ」
話はそこで終わった。時計を見ると17時だった。
「そうだ、久しぶりだから酒でも飲もうか?」
「オゼキさん。俺をまたアル中にするつもりですか?もう12年はアルコールを飲んでないんですよ」
「そうだった。すまん。そうだ、焼き肉でもどうだ?息子さんも一緒に」
「いいですよ。勿論おごりですよね?」
その後、近所のニシカワと彼の息子と一緒に焼き肉を食べた。ニシカワの息子は牛タンに目がないらしい。必ず牛タンを注文した。なんだかケンジの事を思い出した。ケンジも牛タンが大好きだった。臓物系、レバーやホルモンが嫌いなところもソックリだった。
焼き肉を食べ終わると、ニシカワはiPhoneを取り出して言った。
「アポ取れましたよ」
「なんだ、アポて?」
「言語学者ですよ。明日、朝10時に高円寺駅で待ち合わせということで」
「分かった。ありがとう」
「おい、チビ。オジサンに焼き肉ありがとうて言えよ」
「オジサン、焼き肉ありがとう」とニシカワの息子が満足げに言った。
「いいだよ。また会ったら焼き肉たべような」とオゼキは言って稲戸へと電車で向かった。
ニシカワが、言っていた事は本当だろうか?殆どが都市伝説レベルの物だったが。まるで陰謀論者と話をしているようだった。10年近く情報屋をしていないと、感も鈍り頭の回転もおかしくなるのかもしれない。
しかし、不思議だ。依頼を断った4件の探偵事務所に情報の協力を求めた。依頼人が同じであれば多少ボッタクられても守秘義務には甘い。2件は大手のフランチャイズの探偵事務所だったので、無理なのは分かっていた。残り2軒の探偵事務所は個人でやっているので何かしら聞き出せると踏んでいたが「守秘義務」の一点張りだった。その内の1つ。ボッタクるで業界内で有名な「グリーンライト探偵事務所」ですら金をチラつかせても「守秘義務」の一点張りだった。「グリーンライト探偵事務所」の倫理観ときたら、ストーカーがストーカー相手を調べる時に、平気でお金を取り、なんだったら相手の部屋に盗聴器まで付けると言う噂の探偵事務所だった。警察からもマークされているような探偵事務所にも関わらず「守秘義務」と言って、金すら取らなかった。「グリーンライト探偵事務所」のヤツは帰り際「関わらないほうがいいですよ」と怯えて言ったほどだった。
PCディスプレイは相変わらずNOSIGNAL。きっと今日は何も起こらないだろう。寝よう。睡眠薬を飲もうとしたが、コップが無いことに気づいた。あるのは余分に買ったハイネケンだけだ。睡眠薬を酒で流し込むと偏頭痛を伴うがしかたない。ハイネケンの缶のプルタブを空けて睡眠薬を口に放り込みヌルいビールで胃に流し込んだ。寝落ちるまでの10分間。コップを買わなくてわ。くだらない事を考えながら意識が飛んだ。
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