ダイダロスは覗けない 2
じわじわとした湿気と暑さによる汗のダブルパンチで大分不快指数が高い。梅雨明けから数日が過ぎたばかり。まだまだ連日の雨の影響が残っている。せめてこのウザいジメジメさえなくなりゃちっとはマシだってのに。
エアコンが効いてることを願いながら、あの日佳蘭に連れてこられた喫茶「TONHNKS」の扉を開ける。ひんやりとした風が顔に当たった。個人店だからどうだかと思ったが、これなら快適に過ごせそうだ。
いつも通り里中のじいさんはカウンターの向こうで新聞を読んでいる。何回か来ているからマスターの名前くらい流石に名前覚えた。
「いらっしゃい。佳蘭さんはいつもの所ですよ」
「オウ。アイスコーヒー。ブラックで」
「ありがとうございます」
パッと注文を済ますと、そのまま佳蘭の待つカラオケルームを目指す。いつもの流れだ。
カラオケルームに入ると佳蘭がソファーに座って紅茶を飲んでいる。いつもなら文庫本を読んでいるところだが、その日は珍しくスマホを弄っていた。
「よう。珍しいな。お前がスマホだなんて」
「わたしだって現代人よ? スマホくらい人並みには使うわ」
「そうかい。魔女なんて名乗ってるんだ。てっきりそういうのは苦手なモンかと」
じとりとした非難の視線をさらりと受け流し、佳蘭の対面に座る。物語で出てくる現代の魔女は大抵機械音痴だ。てっきり佳蘭の奴もそうかと思ったが、あの口ぶりじゃあ本当に使えるのだろう。
「ステレオタイプね。まあわたし自身デジタルよりもアナログの方が好きよ。けれども現代に生きている以上デジタル製品は必須。なにより文明の利器の恩恵を受けないって凄く勿体ないことでしょう?」
「まあそうだな。あるモンは使わなきゃ勿体ない」
俺の言葉に佳蘭は「でしょう?」と薄く微笑み紅茶を一口含む。ピンと伸びた背筋。ゆったりと迷いなく口元へと運ばれたティーカップ。カップをソーサーに置くカチャンという音すら完璧で、ほんの少しだけ癪に障る。
コンコンという扉を叩く音。暫くして里中のじいさんが俺の分のアイスコーヒーを持ってきた。
「ごゆっくりどうぞ」
一礼して部屋から出ていった里中のじいさんを尻目に、適当にストローを突っ込む。鼻孔を突き抜けるようなローストの香りと、キンッと引き締まるかのような冷たさ。爽やかな苦味が口の中に広がる。ベタつく嫌な暑さが洗い流されるようで思わず息が漏れた。とはいえそろそろ頃合いだろう。
「で、今日は一体なんの用だ?」
「そろそろ今後の具体的な方針を決めようと思ってね」
その言葉を聞いて思ったことは、「やっとか」だった。これまで何回か佳蘭と会っているが、そう実りのある会話が出来たとは思っていない。後で必要になるから金を貯めておけやら単位のこと。鉄平の通っていた大学やら学部、それと所属サークルを聞いてきたくらいだ。
「あれから色々と「月光」について調べてみたわ。結果はなんの情報も得られなかった。ネットで検索してみてもそれらしいものはナシ。この路線で調査を進めていくのは現時点では厳しいわね」
「まあそうだろうな」
ネットで調べるくらいは俺でも出来る。同じようにそれらしい検索結果は出てこなかった。そもそもあの「月光」という本はこの世に一冊しかない。出てくるはずもない。
「八方塞がりで無理です。なんてことを伝えるために呼んだんじゃねぇだろ?」
「勿論。だから視点を変えて、高戸の復讐という方向性で動こうと思っているの」
「へぇ……」
正直その視点は全く考えたことはなかった。確かに一歩動き出す予感がする。もしかしたら「月光」についても情報が得られるかもしれない。
「具体的には?」
「あなたの幼馴染、有馬鉄平さん。彼がどうやって「月光」という本を手にすることが出来たのか。気になってこない?」
「確かにな」
言われてみれば気にはなる。どこぞで買ったのか、はたまた図書館とかで借りたものなのか。もしかしたら誰かに譲られたのかもしれない。俺の復讐に、繋がる可能性が高い。
「有馬さんてSI大学の文学部でオカルトサークルに所属していた、で合ってるかしら?」
「ああ。
アイツが高校の時に進学予備校に通っていたのは知っている。そのままマジメに勉強を続けていたんだろう。SI大学っていやそれなりに名前の知れた大学だ。文学部ってのも納得できる。まあオカルトサークルってのはちょいとばかり意外だったが、まあそこまででもない。充分ありえる範疇の話だ。
「よかった。これで違うってなったら流石のわたしでもキレるところだったわ。これを見てちょうだい」
ずいっと差し出された佳蘭のスマホ。覗き込んでみると、話題にしていたSI大学のオカルトサークルのホームページが映し出されていた。大分昔に作られたものだろう。パソコンで見ることを前提にして作られているせいか、スマホからじゃあ若干見にくい。いかにも素人が作りましたって感じのシンプルなデザインのおかげで、まあ見にくいのはご愛敬ってことで目を瞑れる。まだまだ現役なのか、更新頻度は低いものの先月にはヘンテコな動画が一本アップされていた。
「メールフォームがあったからコンタクトを取ってみたの。何通かやりとりしてアポイントを取れたわ。名目上はこのサークルが持っている資料の閲覧という形でね」
「マジか⁉ いや、マジかよ……」
そういや忘れていたぜ。この久留主佳蘭という女、その教授の研究に興味があるっていうだけで、知り合いのいない他所の大学にまで顔を出すアグレッシブさを持っていることに。
「期間は五日。その間に出来る限り高戸の幼馴染の足跡を辿るわよ」
「いや、ここからSI大学まで結構な距離あるぜ。五日間だろ。どうするつもりだ?」
「わたしは近くのビジネスホテルに泊まるつもり。お金貯めておくよう伝えたはずよ。あなたも現地で宿を探しなさい」
「マジか……」
怒涛の展開すぎてさっきから「マジか」しか言えていない。本来なら佳蘭の宿泊代も俺が負担するのがスジってもんだろう。だがここで完全無料で最後までという条件が活きてくる。この依頼にかかる経費の類いは、全額佳蘭が負担してくれるという。以前の話し合いで確認したことだ。
ただあくまで佳蘭の分だけで、俺の分は自分でなんとかしろという。流石の俺もそこまでおんぶに抱っこじゃ気が引けるというもの。幸いなことに、ここしばらくのパチンコや麻雀で多少の軍資金は用意出来ている。最悪俺一人ならネカフェにでも泊まればどうとでもなる状況だ。
あとは大学の出席だけだが、それもなんとかなるっちゃなんとかなる。田畑と加藤に代返頼めばそれでいい。あいつらのことだ。五千円くらい渡せば喜んでやるだろう。
「俺の方は問題ねぇよ。乗り込むか。SI大学によ」
「決まりね」
佳蘭はにやりと口元を挑発的に歪める。大方探偵気分で、どう動くか考えているのだろう。かくいう俺も場違いながらも興奮している自分がいた。鉄平は幼馴染とはいえ大学はおろか高校すら違う。俺の知らない鉄平の人生を知るチャンスに嬉しさと、そしてもう二度と会うことが出来ない寂しさと悲しみがやって来る。幾つもの感情と俺の復讐の行方に、心臓が高鳴るのを自覚していた。
そして時間は過ぎていく。
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