呪いと魔女 13 了

 佳蘭は空になったピクニックバスケットの蓋を閉じる。喋りながら食べていたからか、今更ながらそのことに気が付いた。食べたサンドイッチはどれも絶品で、もう少し食べたかったという気持ちと、いい感じに腹が膨れたことでの満足感。思わずほう吐息を漏らした。

「あの時カラオケルームでわたしがお香を焚いたの覚えてる? 高戸にはこっちの方が身近かもね。お寺でも線香を焚いているでしょう。教会でもそう。更にフィトンチッドのようなリラックス成分を配合したわたしのオリジナル。それを使うことで厳かさとリラックス出来る空間を演出した。簡単に言ってしまえば簡易的な聖域を創り出したってわけよ」

「なるほどな。それにしてもあのお香ってお前が作ったものだったのかよ、すげぇな」

「言ったでしょう。わたしは魔女だと。とはいえありがとう。他にもあの時飲んだハーブティーもわたしのオリジナルよ。喫茶店のマスター、里中さんにわたしがブレンドした茶葉を幾つか置かせて貰ってるの」

「ああ、あの青とか黒とかって注文してたやつか。で、あれにはどういう意味があったんだ?」

「察しがいいわね。きちんとした意味があるわよ勿論。医食同源という言葉があるように、口に入れるものは健康に影響するわ。勿論それは精神的なものもそう。わたしと板橋さんが飲んだものは冷静さと落ち着きを取り戻す効果があるもの。理由はわかるでしょう?」

「呪いによる負のスパイラル。結局の原因は精神の乱れ。それを整えるためで合ってるか?」

「そういうことよ。そして呪いの核たるキーホルダーを板橋さんから取り上げた。その時点であの依頼の九割は終わっている。ダメ押しであの呪文。それらしい雰囲気の中でそれらしい言葉を言う。板橋さんはあの時確実に信じたわ。多分高戸もそう。だから錯覚を起こした」

 確かにあの時の俺は佳蘭の創り出した雰囲気に吞まれていたかもしれない。あの時感じた世界が割れたような奇妙な音は、確かに気のせいだった、かもしれない。いや気のせいだった。

「いくつか補足するわ。板橋さんがお祓いに行っても効果がなかったのは、呪いの核たるキーホルダーを持ち続けていたから。一時的に良くはなっても大本が残っている以上結局は意味がない。もう一つ。板橋さんの右肘の痣に気が付いたのはわたしの持つ魔女の瞳のおかげね。あそこに意思の残滓が見て取れたわ。まあこんなところね。大丈夫?」

「多分な。にしても魔女って奴は詐欺師みたいなもんだな。結局やったことは不安を取り除いたのと、もう大丈夫と信じ込ませただけ。ああ、呪いの核になってたキーホルダー回収したもあったか。たったこれだけだろ?」

「そういうこと。言ったでしょう、手品magicだって。実際の手品と同じで種がわかってしまえば「なんだそんなこと」っていうものよ。むしろ高戸がそう思ってくれてよかったわ。呪いの影響が消えたってことだもの」

 まあ言っちゃ悪いがここまでの話を極論でまとめるなら自分の気の持ちようってだけだ。呪いの核を取り除いて、変にビビることなく落ち着いて冷静さを取り戻せばいいだけ。くだらないっちゃくだらないが、ここまで種明かしされたからこそ思うこと。まあそれに変な杖魔法の呪文ちちんぷいぷいでトンデモミラクル起こりましたよりかよっぽど納得のいく内容だった。

 俺はとっくに空になっている紙コップを、気合を入れるように握り潰す。そうして隣で澄ました顔の佳蘭を、その宝石のような魔女の瞳を見つめた。

「そろそろいいんじゃないか? ここまでお前の手の平で踊ってやったんだ。板橋が受けていた呪いの影響が俺に来たのは久留主佳蘭、お前の差し金なんだろ? その真意って奴を話して貰おうか」

「やっぱり気が付いていたのね」

「あのキーホルダーを受け取った時からなんとなくな。よっぽどの馬鹿じゃなきゃ気付くぜ」

「まあ、そうね。高戸に体験して欲しかったのよ。呪いとはどういったものなのか。そして理解して欲しかったの。わたしがなんの抵抗も出来ずに怪異に取り込まれたということの異常性を」

 俺と佳蘭を引き合わせることになった原因。俺が持つ『月光』という本に関する怪異のことを思い出す。あの時も異常と言われ、そうだとしか思わなかったが今は少し違う。呪いへの理解度が増したことで、その異常性の一端をわかるようになった。久留主佳蘭という魔女が、無抵抗に怪異に取り込まれるなどありえない。

「知は力よ。知っているというだけでも違うわ。あの時喫茶店で高戸だけが違うハーブティーを飲んだのを覚えている?」

「確か板橋とお前が青で、俺だけが黒だったな」

「そう。効果は二つ。他人の感情に左右されやすくなること。そして精神状態が肉体に影響を与えやすくすること」

「なんつーか呪いの影響もろに受けそうだな」

「寧ろそのためのものよ。だからわかりやすいように黒って名前にしているわ」

 あの時喫茶店のマスターが佳蘭の注文を聞き返していたが、確かにそうするわと納得した。知り合って日は浅いが、佳蘭が他人に呪いをかけるような奴じゃないのはわかる。それにもしコイツが本気で他人を呪おうとした場合、もっとうまくやるはずだ。それこそマスターと口裏合わせるくらいはするはずだし、黒なんて物騒な名前にするわけがない。

「こうして種明かしした今なら黒を飲んだとしても多少の抵抗が出来るはずよ」

「まあヤバいと思ったら深呼吸ぐらいはしようとするわな」

「それだけでも大分違うわ。種明かしを終えた今なら多少理解出来るでしょう。わたしがなんであの『月光』という本をここまで危険視しているのかが」

「ああ。だがそれでもあの本をお前に渡すことは出来ない」

「それはどうして? キーホルダーを海に捨てる時、あなた一瞬躊躇ったわよね。その時の感覚と同じじゃない?」

「それは違う。あれを捨てる時のはなんとなくだったが、『月光』に関しては理由がある。明確に頭で考えた結果だよ」

「もう一度聞くわ。どうして『月光』を渡すことが出来ないの? あれを破棄したくない理由はなに?」

 遠くで海鳥が鳴く声がする。今まで気にならなかった波の音が嫌に耳に残る。理由があると言ったが、あまりに漠然としすぎていて言葉にし難い。ゆっくり慎重に、言葉を選ぶようにして口を開く。

「あの本。『月光』には、悪意が含まれてなかったのを、覚えているか?」

「勿論。それがどうしたの?」

「あの本に、あったのはさ。ただ知って欲しいという気持ちだけだったんだよ。それってさ、おかしくないか? お前の方が詳しいから、何言ってるんだって思うかもしれねえが、こういうのって普通愛とか憎しみだろ?」

「そうね。想いを世界に刻み込む以上、強いものじゃなければそもそもが無理よ。必然的に愛憎というシンプルかつ根源的なものに限られるわ」

「だろ? 俺たちはさ、確かに『月光』という本の中身を知ることが出来た。だがこの本の作者、富永わたるが本当に知って欲しいと思ったことを、理解することが出来たと言えるか? それがわかるまではこの本を残しておかなければならない。そう思うんだよ」

 おそらく俺だけが知っている事実。少なくとも富永弥という男は隠そうとしていた。月の光に導かれるようにして犯した、一夜の過ちを。本当に知って欲しいことはそれじゃない。ときのことだ。だが具体的にときの何を知らなければいけないのかがわからない。

「言われてみれば確かに気になるわね、それは」

「まだ『月光』を消すわけにはいかない。それに——」

「それに?」

「俺は鉄平を死に追いやった存在を許すことが出来ない」

 ただの直観でしかない。だが理解しなければならない『月光』の真実と俺の復讐が、全て繋がってるような感覚があるのだ。

「——そういえば、まだ支払っていなかったわね。わたしの助手として働いた分の報酬を」

「助手ったって大したことしてないがな。どっちかっていうと迷惑料が欲しいくらいだぜ」

 ただボケッと板橋と佳蘭の話を聞いてただけで、仕事らしい仕事をしていない。それよりもむしろ呪いの影響で見た悪夢や、さっきなんて危うく死にかけた。確かに呪いなんてオカルト現象の理解度は深まったし、今ならそれが必要なことだってわかる。わかるが感情は別だ。

「まあどっちでもいいじゃない。報酬でも迷惑料でも。高戸和也さん、あなたからの依頼。魔女たる久留主佳蘭が請け負うわ。『月光』という本の真実と、あなたの親友を殺した相手への復讐。完全無料で最後まで」

「へぇ…。確かにそいつは有難い。だが久留主佳蘭さんよぉ。なんでそこまでしてくれるんだ? お前にメリット、ないだろ?」

「メリットと言われたら確かにないわ。シンプルに好奇心とちょっとした正義感。まあそれとお祖母様からの言葉ね」

「なんだよ」

「全ての物事には意味がある。そして特別な力を持つ人間は、いずれその力を使う運命にある。多分これがそうよ」

 佳蘭の言う特別な力ってやつは、見えないものを見ることが出来る魔女の瞳のことだろう。運命だなんだとかそんなことは知ったこっちゃないが、佳蘭の存在は何も知識がない俺からすれば心強い。

 上を見上げる。すっきりとした青空と気ままに流れる白い雲。答えなんてとっくに決まっていた。

「よろしく頼むわ。頼りにさせてもらうぜ」

「契約成立ね。しばらくの間よろしくお願いするわ」

 佳蘭は堂々とした輝くような笑顔で俺に微笑みかける。柔らかな潮風が吹き、佳蘭の流れるような金髪を巻き上げた。


 こうして俺たちは一歩踏み出した。自分たちの意思で確実に。いずれこの一歩を後悔することになるとは露とも知らずに。


——まだ白滅の月に気が付かない。

                         

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