呪いと魔女 5

 もう一度板橋という男を見つめる。今回はさっきのガン飛ばすような感じと違って普通に。髭の感じから三十手前か、少し上くらい。別にこれといって特徴があるわけじゃない普通のアラサー。ただその顔は不安そうに曇り、その目は怯えているのか小刻みに揺れていた。

「ご依頼いただいた際、おおよその話はお聞きしました。けれどももう一度、板橋さんの口から直接聞きたいのです」

 ごくりと、テーブルを挟んで向かいに座っているのに、板橋の喉から固唾を飲む音が聞こえた気がした。目玉がぎょろぎょろ動き、明らかな挙動不審。流石の俺でもこれはと思い、心の中で襟を正す。板橋はようやく重い口を開いた。

「気が付くと視界の端に、女の影が見えるんだよ! ここ最近数か月前からずっと。長い髪の女だ。仕事中でもプライベートでも所構わず現れやがる! しかもよく見ようとすると、いつのまにか消えてンだよ。どうしたらいいんだよクソ! あの女が見えるようになってから嫌なことばかり続くし、最近じゃあ最近じゃ夢にまで……」

「右腕。もっと言えば肘の付け根辺り、ですね」

 佳蘭の言葉に板橋はハッと目を見開き左手で抑えた。さっきまで大声で捲くし立ててたくせに、打って変わって怯えた顔つきで佳蘭を見つめていた。

「なんで……?」

「それがわかるからわたしは魔女なのです」

 すっと捲られた板橋の右腕。その肘の辺りに赤黒い痣が五つ。まるで誰かに強い力で握りしめられたような跡がくっきりと残っていた。

 コンコンというノック音。佳蘭の「どうぞ」という言葉で入ってきたのはマスターだった。何しに来たんだと思うも、その手にある注文票を見て、ああと納得した。

「ご注文は?」

「そうですね。わたしとこの方は青を。そして——」

 そこで言葉を切り、佳蘭はちらりとその青い瞳を俺に向ける。思わずなんだ?と疑問の声を上げようとして、それよりも佳蘭の方が早かった。

「彼には黒を」

「……。いいんですか?」

「いいわ。大丈夫」

 マスターは怪訝な表情で俺と佳蘭を交互に見つめ、納得したように頷くと退出していった。マジで意味がわからない。佳蘭の奴が勝手に注文取ってることも意味がわからないし、なんで俺だけ違うのかもわからねぇ。ついでにマスターが変な目で俺を見てきたのもわからん。

「ちなみに板橋さんはお寺でお祓いを受けたりとかは?」

「行ったさ! 行ったけどムダだった!」

 ドン! とガラステーブルを叩く板橋の目は怒りで血走っていた。いや、動揺や不安といったマイナスの感情を無理矢理怒りで誤魔化そうとしているようだった。

 段々と佳蘭の仕事の内容が分かってきた。ようはこの板橋って男に起こっているオカルト現象を解決すればいいってことだ。佳蘭がいうには小物らしい。コイツがどういう風に解決するのか、見ていればいいってことだろうか。横目で佳蘭の白く整った顔を見れば、まるで鉄仮面でも被っているように冷静だった。

「ありがとうございます。板橋さんの現状はわかりました。これならわたしの力でなんとかなります」

「マジか⁉ いやマジでマジか」

「ただし条件が一つあります」

 板橋は興奮し目を輝かせて身を乗り出し、けれども佳蘭の言葉に眉をひそめた。トスリと浮かせていた腰を下ろし、明らかに不機嫌な表情で続ける。

「ナンだよ。あんだけたけぇ金要求しときながらまだナンかあるのかよ」

「ポケットの中」

「は?」

「ポケットの中の物を出してください」

 訝しむような目つきのまま板橋はごそごそとポケットの中の物をテーブルの上に広げていく。趣味の悪いブランド物の財布にスマホ。それとジャラリと幾つかのキーホルダーの付いた車の鍵。

「それ。そのキーホルダーをわたしにくれないかしら」

 佳蘭のほっそりとした白い指がその内の一つを指さす。ブランドのロゴが象られた金属製の小さなそれ。革製品で有名なブランドで、こんなキーホルダーなんて売ってるとは知らなかった。

「わたしそのブランド好きなんです。良ければ譲ってくれませんか?」

「ま、まあ別にいいけどよ。どうせ貰いモンだし」

 板橋は不服そうに唇を尖らせながらも、鍵から取り外そうとガチャガチャ弄り始めた。

 流石に言葉にも態度にも出しはしない。佳蘭のあの言葉は嘘だ。そもそもが佳蘭の奴が条件を出した時には、ポケットの中身を出せだけだった。あのキーホルダーがブランド物だってことはわかっていなかったはず。

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