呪いと魔女 3
*
ゆったりとした静かな喫茶店。掃除の行き届いた店内は、どことなく薄汚れた雰囲気を醸し出している。こういうのを昭和レトロというのだろう。ボックス席に備え付けられた簡素なシャンデリアは橙色で、それがこの独特の空気を創り出しているのだろう。
「で、話したいことってなんだよ」
注文したブラックコーヒーを啜りながら、正面に座る佳蘭をまっすぐに見つめる。鋭く光る青い瞳。俺という存在を貫くような、そんな眼圧を跳ね返すように目を細める。なんとなく佳蘭が話したいことはわかっていた。
「単刀直入に言うわ。わたしに『月光』を譲ってくれないかしら」
「それはできない」
佳蘭の言葉は予想通りで、だからこそ俺の言葉は決まっていた。佳蘭の青い瞳がより一層輝きを増す。
「どうして?」
「……」
答えることが、出来なかった。あの本に書かれてあった内容を知ったことで、『月光』による怪異は終わった。怪異に取り込まれていた時は手が出せなかったが今は違う。手放そうと思えば手放すことが出来る。出来るがそれは出来なかった。
「わかっているでしょ。あれは相当危険なものよ」
「直に体験してんだ。わかってる。その上であれを手放すことは出来ねぇんだよ」
「それは、あなたの親友の形見の品だから?」
勿論それもある。たった一つの鉄平の形見の品。それを手放すのは確かに気が引ける。だがそれだけじゃない。
「ちなみに聞きたいんだが、仮に譲り渡したとして、お前は『月光』をどうするんだ?」
「処分するわ。『月光』は本当に危険すぎる。あれはあってはならないものよ」
「だったら猶更渡せないな」
佳蘭の言う通りあの本はヤバい代物だ。処分出来るのなら、処分しちまった方が後腐れないだろう。けれどもそれは出来ない。絶対に、だ。
ぞわりと全身の毛穴がブチ開き、体中の熱を根こそぎ奪われたような寒気。これは、殺気だ。お前を殺すと、日常生活ではぶつけられることのない純粋な意思の圧力。佳蘭の青い瞳が、魔女の瞳が訴えかけてくる。『月光』をわたしに渡せと。
なんであの『月光』を守ろうとしているのか具体的な言葉に出来ない。おそらくグチャグチャした幾つもの思考が絡み合っているからだろう。それでも、それでもだ。鋭く光る刃のような視線を、もう一度はっきり見つめ返す。あらん限りの意思と、吹けば飛ぶような安っぽいプライドを込めて。
「……はあ。わかった。今は折れるわ、今はね」
溜息とともに強烈な殺気は霧散する。思わずほっと安堵の吐息が漏れそうになって、誤魔化すようコーヒーカップに口を付けた。
「代わりに一つ条件がある。あなたに拒否権はないわ」
「へぇ。なんだよその条件て」
こいつのことだから、変な条件なんて出さないだろう。口の中に残るコーヒーの苦味と酸味のお陰で、俺の中に余裕というものが出てきた。目を細め、佳蘭の次の言葉を待つ。
「この後まだ時間あるんでしょう? わたしの仕事を手伝いなさい」
「確かに時間はあるっちゃあるが…」
元々あいつらと麻雀やる予定だったんだ。時間に関しちゃ余裕がある。余裕があるが、ぶっちゃけ問題はそこじゃない。佳蘭のいう仕事が一体なんなのか、だ。
この雰囲気だ。おそらく佳蘭が魔女であることに関係するのだろう。とはいえ魔女の仕事なんぞマジでイメージがつかない。なんかデカい鍋で怪しいスープでも混ぜればいいんだろうか。
「しばらくしたらここに一人来るわ。わたしが対応するからあなたはただその場にいるだけでいい。簡単な内容でしょう?」
「それだけでいいのか?」
「いいわ。今日の所はそれだけで。わかっていると思うけど、この後の仕事は魔女としてのもの。ただの一般人である高戸に出来ることがないのは知っているわ。大人しくその場にいるだけでいい」
その言葉に安心して、背もたれに仰け反るように深く沈み込み、頭の後ろで手を組む。確かに俺はコイツと違って怪しい目なんぞ持ってない。オカルト知識なんぞネットで聞きかじったか、ガキの頃読んだ怪談集くらいのもん。全くもって役に立つとは思えねぇ。だからただその場にいればいいってのは正直助かる。
すっと伸ばされた佳蘭の右手が彼女の分のカップを掴み、ぐいっと煽るように紅茶を飲み干す。そのままカウンター席の向こうのマスターへと顔を向けた。
「里中さん。またいつもの場所借りるわね」
「どうぞ。好きに使ってください」
大分年食ったマスターがこっちを見てにこりと笑い頷く。思わず「なんだこのジジイ」と訝し気な視線を向けるとどこ吹く風で、惰性でつけてるだけのテレビを見始めた。
「高戸。こっちよ」
佳蘭はすっと立ち上がり、店内の隅にひっそり備え付けられてるカラオケルームに歩いて行った。一瞬反応が遅れて、慌てて自分の分のコーヒーを飲み干して立ち上がる。そのままカラオケルームのノブを回した。
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