きみのナイト 2

 坂村芽依さかむらめいは薄暗くせまい部屋の中に入った。

 そのとき鋭い猫の鳴き声がした。振り向くと、真っ黒な猫が眼前に迫り、赤い口と牙をむきだしにして、『シャーッ!』『ギャーッ!』と叫んでいるのだ。

 そこで芽依はベッドの上で目を醒ます。スマートフォンで時間を見るとまだ午前4時をすぎたところだ。

 芽依は夢の中に現れた黒猫のことをよく知っていた。そして、その名を呼んだ。


「ナイト。きっと、わたしを恨んでいるんだね」


 芽依が小学5年生のときに、夜に父親が家に小さな黒猫を連れてきた。その猫は父親の腕の中でまるで夜に溶け込んでいるように見えた。だから芽依は『ナイト』と名付けた。


 そんなナイトが交通事故で死んでしまったのは先月のことだった。ちょうどその日、芽依がナイトを強くしかってしまった。芽依が大好きなインディーズバンドの写真を噛んで破ってしまったからだ。


 そのせいでその日はナイトはずっと機嫌が悪く、家の中から出ていってしまったのだと、芽依は思っていた。


 朝になると芽依は身支度をして高校に向かった。そのとき近所に住む中学生の三浦俊樹みうらとしきがいて、「おはよう」と声をかけた。


「あ、おはようございます」


 と、俊樹は照れくさそうに頭を下げて、足早に反対方向へ去っていった。


 学校へ向かって歩きながら、芽依はスマートフォンの新着メッセージを見た。すると白峯孝弘しろみねたかひろからメッセージがきていた。


 『今週の土曜、前に言ったとおり出演するよ! ぜひ来てね。1人でも大丈夫だから』


 白峯は、女友達と一緒に行ったイベントで出会ったバンドのボーカリストだ。彼と話をしているだけで、他の女性たちから嫉妬の視線を感じるし、それが快感でもあった。とても優しくしてくれ、いまでは個人宛に連絡をくれるようになった。芽依はにやけながらスマートフォンをしまった。


 授業が終わると芽依はすぐに学校を出て、通学路から外れた道を行った。夕刻の斜陽の中、プラタナスの街路樹を見ながら歩いていくと、キヌカワビルの看板が見えた。


 芽依は木製の扉を引いて、中へと入っていった。


 正面には白い壁があり、森の絵が飾ってあった。そこで「すみません。予約の、坂村芽依です」と声を出すと、奥から声が返ってきた。


「はい、お待ちください」


 しばらくすると、優しそうな女性――柚木瑠香があらわれた。


「いらっしゃいませ。ええ、坂村芽依さんですね」

「はい……」

「それでは奥へどうぞ」


 芽依はうながされるまま入っていった。


 正面の壁を周りこむように進むと、2脚の椅子と、テーブルがあった。テーブルの向こうには黒いジャケットの青年――凛都が座っていた。


 テーブルには黒いマットが敷かれ、その脇に2組のカードの束が積まれていた。


 芽依は尋ねた。


「す、すみません。念のため。料金は……」


 すると瑠香は言った。


「高校生は、30分あたり500円です」


 芽依は安心して、凛都に頭を下げた。すると凛都は言った。


「さて、芽依さん。座りなよ。そこの、助手の瑠香も聞かせてもらうけど、いいかな」

「は、はい。大丈夫です」

「結構だ。さて、はじめよう」




 芽依は以前の飼い猫のナイトの話をした。おそらく自分がしかったせいで機嫌が悪くなり、外に出て事故に遭ってしまった。自分のことを恨んでいて、夢にも出てきたのだと。

 すると凛都は「わかった。占ってみよう」と言って、タロットカードの束を掴んだ。そこで凛都は目を閉じ、なにかをつぶやいてから、タロットカードの束をマットに置いて、大きく円を描くようにシャッフルした。

 それからカードを再びたばね、最後に凛都は3枚のカードを選び出した。

 1枚目のカードは、空に浮かぶ大きなハートのマークに、3本の剣が刺さっている絵柄だった。

 2枚目のカードは、石の塔に雷が落ちて、人々が墜落していく様子が描かれた絵柄だった。

 3枚目のカードは、馬に乗った騎士が棒を持って駆けている絵柄だった。


「大きな災いがせまっている。行動に気を付けるべきだ。危険なところや、見知らぬところにところに、やたらと行かない方がいい」

「わ、わかりました。それで、ナイトは、わたしのことを、やっぱり恨んでいるんでしょうか?」


 するとそこで凛都は目を閉じ、しばらくしてから言った。


「ああ。いや、恨んではいないだろう。さて、30分だけど、延長するかい?」

「いえ。ありがとうございます。大丈夫です」



 瑠香は芽依を見送ってから、店の前の掃き掃除をはじめた。砂利や葉などを一通りきれいにしてから、ごみ袋に入れて裏手に運んだ。それから、芽依が最後のお客だったはずだから、店を戸締まりしようと思った。前職の同僚たちと食事に行く約束もある。

 ところが、戻ってくるとだれかが来ているようだった。

 店の奥に行くと、椅子に座った少年の後ろ姿が見えた。凛都は少年と話をしていた。


「さて、三浦俊樹だっけ」

「はい」

「飛び込みで間に合ってよかったね。さて、なんの相談かな」

「ええ。ぼくは、護りたい人がいるんです」


 そこで凛都は顔を上げて、


「ああ。瑠香は帰っていてもいいよ。用事があるんだろ?」

「は、はい……。大丈夫ですか?」

「うん」


 瑠香は頭を下げて、店をあとにした。

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