第19話 手紙! 帰郷! みんな元気で!

 魔王インフェルヌ討伐の報せはまず、避難していた神殿長へ届けられた。

 リッコ家の後押しというものは絶大で、落ちぶれたテイラム家の言葉だけでは到底信じられることはなかっただろうとアニーリャ自身でさえ思うほどに。

 そしてアニーリャは莫大な報奨金を受け取り、ため息交じりに実家へと帰っていった。


「お帰りなさい。ちゃんと、無事に帰ってきてくれてありがとう」


 母に涙ながらに抱きしめられ、それでも疲労が強かったアニーリャは、悪いと思いつつも雑に対処し、自室に戻った。

 オーガの攻撃で半壊していたはずだった自室は、おそらくミコトからの報酬で直したのだろう、元通りに修繕されていた。


「……」


 軽くため息をついて、そういえば屋敷自体も修繕されていたな、とうっすら思い出しつつアニーリャはベッドに倒れ込んだ。


「ほんとに終わり、だよね……?」


 寝入ったらドアが乱暴に開けられてミコトがたたき起こしに来ても、アニーリャはなにも不思議には思わない。

 魔力の固まりをぶつけた手応えは確かにあった。けれども、ミコトならたぶん無事だろうという確信もある。


「結局、あのひとのいいように使われてただけ、なんだよね……」

 だから、惜別の哀しみなどひとかけらもない。

 すべては、もう、終わったのだから。




「手紙? あたしに? ミコトさんから?」


 ベッドに倒れ込んで丸一日をドロのように眠って過ごした。

 あの三ヶ月の修練の間にもこういう日は何度かあったが、そのたびにミコトが術で勝手に回復してたたき起こしてきたので、ぐっすり眠ること自体本当に久しぶりだ。


『大丈夫よ。ちゃんと八時間は寝かせてるし、あんたまだ若いんだからさ』

 起こされて不満げに睨み付けると、決まり文句のようにこんな返しをされていたのを思い出した。

 母を前に無作法と思いつつもこみ上げるあくびをかみ殺しながら、母に手を差し出す。


「どうせロクなこと書いてないんだろうけど、まあいいや。見せてください」


 三ヶ月前のやりとりに関してアニーリャはもうなにも思っていない。割り切って家を出たしそれからの三ヶ月の慌ただしさに家族のことなどすっかり忘れていたほどだから。

 けれども母はどこか距離を感じているのか、おずおずと便せんを差し出し、アニーリャが受け取るとそのまま食卓をあとにしてしまった。

 いちどちゃんと話合うか、名を捨てて家を出たほうがいいのかも知れない、とそんなことを半ば本来で考えつつ蜜蝋を剥がす。

 中には数枚の紙。そういえばあの人の手書き文字なんて初めて見るな、なんて思いながら一枚目に目を通す。


『あなたがこれを読んでいるということは、わたしはもうこの世界にはいないはずです。

 決着がどうつけられたかは心配していません。どんな形であっても、目的は果たされていると信じて、そうでなければこんな手紙なんか読んでいるヒマはないでしょうし。

 ともかく、これであなたは自由の身です。

 あたしは十二の時に呪いにかかって二十四まで解けなかった。

 でもあんたは十二のままで解けた。

 正直うらやましいです。

 なので、もう少し落ち着いたら、リッコと旅して回るのもいいでしょう。

 あの家は両性なので、第二次性徴が終わったらいろいろごにょごにょしてもらって、あたらしく家を興すのも悪くないかもしれません』


 むせた。

 十二の子供になにを言っているんだあの大人は。

 その頃、ほぼ同じ内容の手紙を読んでいたリッコは、頬をうっすらと染めていたとか。


『一生遊んで暮らせるだけのお金は用意しました。

 でも、勉強はして欲しいです。

 これは個人的な、願いのようなものです。

 どちらにしても、健やかに。

 どうか、あなたの最期が微笑みと涙に満ちていますように。

                            三橋 美琴』


 そこで手紙は終わり、最後の一枚は「たからのちず」と書かれた簡素な地図だった。


「どこよここ。地名とか目印とかなにも書いてないじゃない」


 苦笑しつつ手紙を折りたたんで便せんにしまう。


「あしたにでも、リッコ誘ってみようかな」





 邪王との戦いで神殿関係者を避難させる際に、十日ほどは立ち入り禁止、と念を押しておいたおかげで神殿の跡地は静けさに満ちていた。

 と、風もないのに瓦礫の山に乗る小石がことりと動く。

 からからから、と転がり落ちていく、と思った次の瞬間には瓦礫の山が大きく震え出す。

 地震ではない。

 こぶし大の瓦礫が剥がれ落ちるように落下。その隙間から飛び出してきたのは、小さな蜘蛛だった。蜘蛛は周囲を見回すように軽く飛び跳ねた後、自分が出てきた穴へ向けて何度も前肢を上下させる。

 ややあって、穴から人の手が飛び出してきた。

 蜘蛛は器用に後ずさりして、叩き付けるように動く手を避ける。

 しばらくしてもう片方の腕が飛び出し、踏ん張るように瓦礫に手の平を押し当てる。


「よっっっっ、こい、しょ!」


 気合いの雄叫びと共に背中がおしりが両足が瓦礫を割り割くようにして飛び出す。最後に残った頭に残ったかけらを手で払ってどかりと座り込む。


「あいったたたた。あいつめ、本気でやるから……」

「そうしないとキミの願いを叶えられなかったんだろ?」

「まあね、一回死なないとこの世界との縁が切れないんだからさ」


 ぐるぐると首を回し、いちど大あくびをかいて。


「これで、終わりなのかい?」

「うん。向こうに帰ったら、今回のあれこれを題材にしたのと、第一作と弐作目のリマスターと……、二作目も……最低でも追加シナリオぐらいは入れて発売して、半年ぐらいバグとかバランスとかの調整したら、向こうでも終わり。もうほんとに関わらないから。もし四作目作ることあっても、絶対にこっちには来ない」


 いつものおちゃらけた表情ではなく、その瞳にも声音にも明確な意志があった。


「そうかい。からだには気を付けるんだよ」


 ウロの言葉にミコトは驚いたように目を開く。


「なに他人事みたいなこと言ってるの」

「え?」

「これは、あんたのことなんだけど」


 ずい、と迫られてその圧力に負けて、う、うん。と慎重にうなずくウロ。


「まあそんな神妙なことじゃないんだけどさ、あんた、あたしといっしょに向こうの世界においで」

「……ん?」


 小首を傾げる姿がかわいい。


「あんたは魔王の残滓のかけら。記憶だけだったらむしろあの邪王ってのより上。じゃあこの世界には残しておけないよねって話」

「だけど、ぼくは」

「なに遠慮とかしてんのよ。あんたはこっちの世界じゃ居場所なんてないの」

「でも、そちらに行ってなにか不具合が出たら」

「だいじょうぶよ。そのへんのシミュレートもやったし、あんたにあたしの血とかそういうの分け与えてるし」

「……」

「あのね、たぶん前も言ったけど、あんたの魔王としての記憶、第一作のリマスター作るときに必要なの。んで、こっちに残ればあの子たちの子孫に迷惑がかかる。……選択肢あると思ってる?」


 アニーリャを持ち出されるとよわい。


 小さく苦笑して、ウロはミコトの右肩に飛び乗った。


「わかったよ。三橋美琴個人への報酬としてぼくの昔語りを聞かせてあげよう」

「なにそれ。変なところで素直じゃないわね」


 ぺし、とウロのからだを軽く指で弾いてミコトは立ち上がる。


「まあいいわ。話してくれるならどんな条件でも」


 その瞳に宿るのは、元の世界に帰れる安堵感よりも、全てが終わった開放感よりも、新しい作品を作り出せるという職人としての喜び。

 胸いっぱいに空気を吸い込んで、ミコトは叫ぶ。


「レディトゥス!」


 おそらく、彼女の生涯でさいごになるであろう魔法は帰還のための魔法。

 ふたりの前に光と闇の渦巻く穴のようなものが現れミコトは、にっ、と口角を上げて穴へと飛び込む。

 じゃあね。

 みんな、げんきで。

 魔法にならない程度に魔力を込めた想いを風に乗せ、あのふたりの元へ運んでもらう。

 なにかしら感じてくれればいいな、と願いつつ。

 振り返ることもせず、そんなことを考えながら穴に飲まれ、ふたりはこの世界ウィルゴ・ディルスから姿を消した。












     *


 かくして、数千年と十二年に及ぶ魔王と勇者の物語は幕を閉じた。

 ここから百年後、新たな魔王が生まれたのか、それとも平穏無事なままなのか。

 それを確かめる術をミコトもアニーリャも持ち得ない。

 けれど、それでいいと思う。

 自分たちがどうにかできたんだ。

 あんたたちも自分たちでどうにかしなさい、とふたりは思う。

 そのためのヒントや道具は各地に置いてあるのだから。

 あの子たちがせめて笑って日々を過ごせるように。

 自分がその手伝いを出来たのならば、本当に幸いなことだと思いながら。


「……んで、モノローグ中にスタッフロール流して勇者ルートもエンドマーク、っと」


 エンターキーを軽やかに叩いて美琴は大きく伸びをする。

 ビデオゲーム「ウィルゴ・ディルス」の三作目のシナリオがようやく完成したのだ。


「あーもうこんな時間か。みんな帰っちゃったし、あたしも帰ろっかな」


 気がつけばオフィスはもう真っ暗で、時計も午後十一時を回ろうとしていた。

 ゲーム業界はブラック企業が多いと流布されて長いしそういう企業も多いが、少なくとも美琴が働くこの会社はホワイト寄りだ。

 もういちど大きく伸びをして、書き上げたテキストデータを会社のサーバーに送って、美琴は更衣室へ向かう。

 まだ発売までは時間がかかるが、幸いにして、一作目と二作目のリマスターの発表も含めて今回の美琴たちの仕事はおおむね高評価を得ている。

 あとは期待に応えるだけ。

 野暮ったい事務服から白のTシャツにオレンジ色ベースのチノパンに着替え終え、勢いよくロッカーを閉めて翌日の予定表に「脱稿したので休み!」と書き殴ってオフィスをあとにする。オートロックなので施錠を気にしなくてもいいのは楽だ、とまだ向こうの生活が後を引く。

 ちらりと見た腕時計は終電にはまだ余裕があると告げる。なら適当にお酒とおつまみを買ってひとり脱稿パーティをやろうと決めた。

 高揚した気分で美琴は足早にオフィスの入っている雑居ビルを抜け出す。

 都心部などのそれに比べれば規模は小さいが、このビルは繁華街にある。外はまだまだ喧噪に包まれていて、でもこれがこの世界の当たり前なんだと噛みしめる。

 こちらに戻ってきてもう半年。

 仕事に追われる日々は楽しいし、作品が少しずつ完成していくのは嬉しい。

 あちらへの未練はない。こちらの方が食事も酒類も種類は豊富だし、夜中に魔物に襲われたりしないし、衣食住だって段違いに良質。

 もしあるとすれば、あの子たちにちゃんとした冒険をさせてやれなかったことぐらいだ。


「いまごろは世界見て回ってるのかな、あの子たち」


 あのふたりが四苦八苦しながら、それでも旅をする姿を想像し、美琴はひとりほくそ笑む。


「んじゃ、エンドムービーにそんな感じのやつ入れとくか」


 ぬひひ、と半ば無理矢理口角を上げるのと、信号が変わって十字路に入るのはほぼ同時だった。


「えっ」


 ただのビル風なのか、はたまた誰かが狙ったのか、美琴の両脇から猛烈な風が吹き、美琴へ命中する。


「わわっ」


 パンツスタイルで良かったと思うよりもはやく、美琴はぶつかってきた風のうなりの奥底に聞き慣れた声を聞いたような気がした。


「……なによ。あんたたちが励まそうとか、百年はやいわよ」


 強がってはみせたものの、ホームシックのようなものにかかっていたのは、正直自覚はしていた。無理もない。十二才のときにできた縁で二十四才になるまでほぼ毎日あの世界のことを考え、勉強し、体力を付け、就職し、行動してきたのだ。

 けれど、いまの風で少し元気が出た。

 いまは眠っているけどウロもいる。

 足早に交差点を渡りきり、夜空を見上げる。


「ありがとね、あんたたち」


 ぎゅっと自分の胸を抱いて、息をひとつ吐いて。

 美琴は歩き出す。

 いまの仕事を完遂するために。

 自分の作品を待ってくれているひとのために。

 なにより、あのふたりのために。


                                       

                          《  終  》




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貧乏「アクヤク」令嬢と転移勇者の 月川 ふ黒ウ @kaerumk3

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