第13話 魔眼! 支配! あたしは魔王!

 きょうは大変なことがあったから明日の修練は休みにするから、と一度閉じたドアを開けて言われ、ふたりはうやむやのうちに頷いた。

 とくにすることもないのよね、と肩をすくめるアニーリャに、では図書館で一日過ごすというのはどうでしょう、と誘われるままに図書館で本を読んで過ごした。

 読み書きは両親から習っているので本を読むことに抵抗はないが、初めて図書館というものに入ったアニーリャはその蔵書量に圧倒され、適当にとった本に引き込まれてはあっという間に読み干し、すぐさま次を、と繰り返し、閉館時間ですし帰りましょう、と何度も服を引っ張られてようやく名残惜しそうに自室へと帰っていった。

 そして翌朝。

 いつも通りリッコが腕を振るった朝食を、昨日読んだ本の感想をほぼ一方的に語りかけながら摂り、意気揚々とミコトの前にやってきたのに。投げかけられた言葉は予想を裏切るものだった。


「はい、んじゃあ旅に出ます。きょうは準備と親類縁者にお別れを言う日にします」

「……は?」


 唐突なミコトの提案に、リッコでさえ間の抜けた顔で返した。


「なにその顔。あたしだってね、こんなRTAみたいな攻略じゃなくてゆっくりじっくり育成とか探索とかしたいわよ」

「じゃあなんでさ」

「この間言ったでしょ。あたしはさっさと向こうへ帰りたいの。そのための道筋を昨日調べてたのよ」


 へえ、と頷くアニーリャの横でリッコは首を捻るばかり。


「あーる……? ミコトさまはなにをおっしゃってるのです?」


 耳慣れない単語に隣に立つアニーリャに耳打ちするが、彼女も渋い顔で返す。


「あー、ミコトさん時々向こうのスラングみたいなの使うから。分かんなくても特に気にしなくていいよ」

「なによその変な人みたいな言い方」

「あたしからしたら違う世界のひとってだけで充分へんなひとなんですぅ~」


 唇を尖らせて言うものだからミコトは小さく噴き出し、


「はいはい、じゃあその変なひとからお願いよ。旅に必要な物の荷造りとかはこっちで進めるから、あんたたちはこれがなきゃ眠れないとかの大事なものを選別しておいてちょうだい。ここの寮に来るときにやったから慣れてるでしょ? でも持ち運びが簡単なのだけにして。はい解散」


 早口で一気に言い放ち、ぱん、と手を叩いて合図とした。

 言われたふたりは目を見合わせ、どちらからともなく弱々しく頷き、ミコトに会釈してきびすを返す。


「シッ!」


 抜刀と踏み込みは同時だった。

 雷光のような鋭い突きはまっすぐにリッコのうなじへ向かい、事もなげに激しい残響音と共に弾かれてしまった。


「な、なになになに! なにやってるのミコトさん!」

「出てきなさい、アグレ」


 低く、静かに、殺意をふんだんに込めてミコトはリッコの背中へと言う。


「アグレ? おとといの?」


 すっかり混乱するアニーリャをよそにリッコはゆっくりと振り返る。その表情に、先ほどまでのたおやかな微笑は微塵もない。


「うふふ。さすがに気付かれていましたか。それでも不意打ちとは。勇者ミコトの名が泣きますよ?」

「こっちでどれだけ名声上げても向こうでお金もらえるわけじゃないし、むしろ落としたほうがいろんなルートが見れてお得なの。だから、そういうイベントなら嬉々としてやるわ」

「おまけに俗物とは。英雄譚も書き直すべきですね」


 甘ったるく、とても十二才の少女とは思えない口調に、アニーリャもようやく事態を飲み込み始めた。


「リッコになにをやったの!」


 きょうは徒手空拳の修練に当てられる予定だったので、ふたりとも武装は何も身につけていない。徒手空拳の修練は苦手だが、いまはそんなことは言っていられない。教えられたことを思い出しつつ腰を落として構える。


「リッコから、出てけぇっ!」


 一瞬、リッコの顔に視線だけのフェイントを送って、アニーリャはリッコの腹へと拳を振るう。いわゆる半身の姿勢だったリッコの左脇腹へ吸い込まれ、突き刺さるはずだったアニーリャの右拳は事もなげにリッコに手首から掴まれ、腕ごとねじり上げられた。


「魔王の力、とはこの程度ですか? この程度で我が邪王ネファリウス様と同格を名乗ろうだなんておこがましい」


 挑発するリッコの肩甲骨のあたりが盛り上がり、衣服を突きやぶって飛び出したのは漆黒の翼。

 やがてアニーリャを掴んでいる腕も地面を踏みしめる足も、筋肉が激しく発達し、衣服を寸断。鱗がそのきめ細やかな肌を覆い、肩口と太ももを同じく漆黒の羽が覆った。

 これではまるで、あのアグレそのものではないか。

 変貌してしまったリッコにアニーリャは怒りと絶望を同時に味わい、それでも、と左手に魔力を集める。


「リッコから、出ていけ……っ!」


 吊り下げられたままからだを揺すって反動をつけ、その勢いで左手を振り上げ、アグレの右頬を殴りつける。

 しかし、腰の入っていない一撃はぺしん、と軽い音を立てただけに終わり、アグレの失笑を買うばかり。


「そんなふうに殴った程度でさ、なんとかなると思ってんの?」

「あんたとは喋ってない! リッコ! 出てきてごはんつくって!」


 睨み付けるアニーリャの瞳に、魔力が込められていく。


「おお恐い恐い……、んぎっ? な、なにを、してんの……っ!」


 最初は軽んじていたアニーリャの眼力に、アグレは徐々に表情を、からだをこわばらせていく。


「あたしは、あんたの中に居るリッコと話してるの! あんたなんか! 邪王なんか!」


 アニーリャを掴み上げている右手が小刻みに震え、こじ開けられ、そのままずるりと落ちる。それでもアニーリャは片時もアグレから視線を外さない。


「少しわかった。魔眼の使い方!」


 にぃっと上げた口角に浮かぶのは、決して明るいものではなかった。


「あ、っ、や、み、見るな……、むりやり、入ってくるな……っ!」

「リッコに入り込んでるのはあんたでしょ! さっさと出て行け!」


 両手に魔力を込め、からだの自由を奪ったアグレの腹部をアッパー気味に殴りつける。


「ごふっ!」

「そのまま吐き出して! リッコ!」


 動けない相手を殴るのは正直気分が悪い。でも、リッコを助けるためだと割り切って殴る。

 そういう類いのじゃないんだけどなぁ、とふたりを見守りながらミコトは思う。


「いいのかい? あの子たちだけにやらせておいて」


 ミコトの肩口に現れたウロが怪訝に問いかける。


「うん。本当に危なくなったら介入するけど、全部あたしがやったんじゃ、勇者ミコトの冒険になっちゃうでしょ? 今回の旅の主人公はアニーリャ。前作主人公がでしゃばり過ぎるとお客さん興ざめしちゃうから」

「きみのそういうところ、心底恐怖するよ」

「ありがと。クリエイターなんて人間性無くしてなんぼよ」

「でもぼくは、きみを否定できないし、あのふたりも助けたいって思ってる」

「そう。じゃあ助けてあげて。前作ラスボスが主人公と共闘とか胸アツ展開じゃん」


 そうさせてもらうよ、と言い残してウロはミコトの肩口から消える。

 ま、がんばんなさい、と手の平をひらひらと振りながら見送る先では、状況が少し変わりつつあった。


「アニーリャ。アグレは物理的な存在じゃない。そんなことをしてもリッコは戻らない」


 肩口にあらわれたウロに驚くことも怒ることもせずにアニーリャは拳を収める。


「じゃあどうしろっての」

「ぼくが持つ魔王の力のカギ。魔眼を使えるようになったきみになら、預けられるよ」

「……べつにいいけど、あんた消えたりしないわよね」

「心配してくれるのかい? ありがとう。でもぼくは概念みたいなものだからね。消えたりはしないさ」

「知ってるのがいなくなるのがイヤってだけよ」


 それを心配って言うんだよ、と内心ほくそ笑んでアニーリャの頭頂部へ移動する。


「少し苦しいかも知れないけど、がまんして」


 えっ、と問い返す間にウロは自身の趺八本を全てアニーリャの頭へ突き刺す。


「んんっ!」


 痛みは蚊に刺された程度。だが得体の知れないなにかが頭の中に流れ込んでくる感覚は実に不快なものだった。


「すっっごい気持ち悪いけど、見えてきた。アグレがどんな存在なのかも!」


 粉末よりも細かくなって、相手の傷から入り込んで相手のからだを意識を支配する。乗っ取られた側の意識も次第にアグレと同化してしまうけど、いまのアニーリャにはしっかりと見えた。

 魔力の殻のようなものに守られて、子宮の辺りでうずくまっているリッコの魂が。

 これまでぼんやりと感じていたリッコの声のようなものは間違いじゃなかったことに、アニーリャの口角がぐにゃりと上がる。

 そして殻を形成しているのはミコトの魔力だということも見えたが、一体いつの間に、と改めてあの勇者のことが空恐ろしくなる。


「ほんと、あのひとが全部やればいいのにね」

「前作主人公がでしゃばるのはダメ、らしいよ。ミコトが言うにはね」

「でしゃばってくれないと困るんだけど!」


 瞳に込める魔力を強める。


「や、やめろぉっ! お前に、支配、されたくなるぅぅうっ!」

「あたしは魔王よ! 軍門に降り、屈服し、支配されろ!」


 最初は、そよ風だった。

 次第に、風が強くなっていく。

 強くなった風はアニーリャへと流れ込み、吸い込まれ、まるで彼女が引力の中心点のように、風も土塊も吸い寄せられていく。


「あんたの居場所はそこじゃない! でもあたしの中で飼ってあげる! だからリッコから離れろ!」


 うん。それも正解のひとつ。

 腕組みしながら見守るミコトが、ゆったりと微笑んだ。

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