第12話 魔眼! 呪い! 勇者の背中!

「ただいまー。おっ、美味しそうなにおい~」


 この三ヶ月の間、アニーリャは神殿の学生寮でひとり暮らしをていた。学生寮はふたり暮らしが基本だが、ミコトによりひとり暮らしをしていた。そこへ先日からリッコが引っ越し、彼女の手料理がうまいと聞きつけたミコトが食事を摂りに来たのだ。


「おかえりなさいませ。お食事の用意できていますよ」


 おそらくは彼女の家から取り寄せたであろう紺のメイド服とフリルたっぷりのエプロンを着こなし、リッコは粛々とミコトを出迎えた。

 鮮やかささえ感じるリッコの所作に、ミコトは思わずアニーリャに耳打ちする。


「……我写の効力ってすごいのね」

「うん。あたしもほんとにお嬢様なのかなって思ってる」


 深く知り合ってから数日だが、彼女の素性を思い返すたびにこの所作の鮮やかさにアニーリャは舌を巻いている。

 ふたりの会話を笑顔で聞きながら、リッコはふたりを席に着くよう促す。

 三人がいまいるのは、簡素なふたりがけテーブルが空間を圧迫するように置かれているリビング。テーブルには鳥の唐揚げや味噌汁が入った鍋が置かれ、おいしそうな湯気を登らせている。そこへミコトが強引に入り込んだため、リビングはいっそう窮屈になってしまった。

 ふたりが向かい合って着席するのを待ってリッコはカチューシャを取ってアニーリャの隣に座る。


「仮に、従者の我写を引かなかったとしても、リッコの家に産まれた者は勇者さまの随伴をする定めだと厳しくしつけられてきました。スキルはあくまで補助ですわ」

 当初は、素直にスキルだけの効果だと思った。けれど、いま熱っぽく語った内容とリッコの瞳に違和感を感じたミコトは、彼女の頬を両手で掴んでぐいと引き寄せる。


「え、ええと?」


 鼻先が触れ合う距離まで引き寄せられて困惑するリッコを無視し、ミコトは瞳を凝視する。やがて視線はそのままに、


「アニーリャ、あんた魔眼使った?」

「え、なに急に。使ってないけど」

「リッコが、魔眼の影響を受けてる」


 魔眼? とリッコが両頬を押さえられながら口にする。


「でもあれって魔物にしか効かないんじゃなかったの?」

「あほ。魔眼は魔王の基本的な技よ。人間にこそ効くの」

「えー。そんなこと言われてもさ」

「最近魔力使う修練もしてきたから、そのへんで力が漏れ出てるのかもね」


 自分を放っておかれているような感覚に陥ったリッコは、ミコトの手首を掴んで頬から引き剥がし、強く言う。


「わたくしはわたくし自身の意志でアニーリャさんをお慕いすると決めたのです。そこに他の力なぞ関与していませんわ」

「ほらそれ。お慕いしてる、とかそういう感覚は否定しないけど、魔眼はそういう気持ちにさせてから徐々に相手を支配していくの。それでなくてもリッコはスキルの影響でアニーリャを主人と認識してるんだから危険だって言ってるの」


 当の本人であるリッコは、不思議そうにアニーリャやミコトに視線をやるばかりでまるで深刻さがない。


「あのね。あんたは自分の意志だって思ってるけど、本当は先祖からの言い伝えとか我写とか魔眼とかいろんな要素からアニーリャを好きにならされてるってこと。ほとんど呪いよ。こんなの」


 唾棄するように、苦々しく言うミコトにアニーリャが邪気なく言う。


「なんかそういうことされたの? ミコトさん」

「いまの現状がそうなのよ。あたしの場合」

「どういう、意味です?」


 はあぁーーーっ、と長く重いため息を吐いて。


「取りあえずご飯食べよ? 冷めたらもったいない」


 これは長くなるやつだ、とアニーリャは覚悟を決めつつ箸置きから箸を取る。


「んじゃみんな手を合わせて、いただきます」


     *     *     *


 ミコトは我写のシステム以外にもこの世界に深く干渉している。

 どんな文化圏でも衣食住のうちなにかひとつは欠けているものだが、このウィルゴ・ディルス世界ではそれが顕著だった。

 上下水道はもとより食事に関するあれこれをまず改善することに注力しつつ、この世界での五十年後に、魔王の復活に備えた。

 なので食卓には鶏肉の唐揚げと白飯と味噌汁が湯気を立てて並び、三人の右手には箸が握られている。


「だからさー、この間こっちに来たときに養鶏が順調に続いてるって聞いたときは安心したのよ。ちゃんと根付いてよかったって」


 味噌汁をすすりながら熱弁をふるうミコトに、ふたりは曖昧に頷くばかり。


「ミコトさんがいろいろやってくれたのは分かったからさ、さっきの続き聞かせてよ」


 えぇー、と渋るミコト。


「昔つまんない子供だった大人の、つまんない思い出よ」

「で、ですけど、わたくしと重なる部分がある、というのは気になります」


 うぅ、とうめくミコトに、アニーリャがにんまりと口角を上げる。


「ミコトさんのそんな顔、はじめて見た。ちょっと嬉しい」

「趣味悪いわね。さすが魔王」

「ふふん。もっと悪いことしちゃおうかな」


 そういえば、とリッコが表情を切り替え、


「テイラムの家が魔王の力を引き継いでいる、というのは先ほどアニーリャさんから伺いましたけど、ならば「アクヤク」の我写はなぜアニーリャさんが引かなければいかなかったのです?」


 ああそれ? と話題が変わったことに若干頬を緩めつつミコトは続ける。


「我写はアニーリャの、テイラムの家に伝わる魔王の力を解放するトリガーよ。百年前にテイラムの子に魔王の力を預けたあとすぐ封印して、百年後に伝えてもらったの。どっちが欠けても魔王が復活しないようにね」

「では、いまのアニーリャさんは魔王そのもの、ということですか?」

「ま、条件だけで言えばね。でもアニーリャ、あんたいま世界をどうこうしたいとか思ってる?」

「ううん。世界を壊したらお父様もお母様もいなくなるし、リッコのご飯だって食べられなくなるし」

「わ、わたくしの価値は料理だけですか?!」


 哀しそうに大声を上げるリッコをなだめつつ、


「ね、アニーリャが世界をどうにかしたいって思わない限り、アニーリャは魔王にはならないってこと」


 ふうん、と我がことながら興味なさそうに返しつつ、話題を引き戻す。


「で、続き続き」


 もー、とうめき、少し間を置いて。


「あんたには散々話したよね、あたしがこっちでの百年間になにやってきたかって」

「うん。おとぎ話のと違ってて面白かった」

「で、なんであたしの時間で十二年もかけてこんなことやり始めたスタートってのが、さっきのリッコと同じ状況なの」


 疑問符を浮かべるふたり。


「確かにあたしは望んでこの世界に来た。でも、魔王を討伐してくれって頼まれてそれを気安く承けたのもあたし。実際百年前のこの世界ってひどい有様でね、百年ごとに魔王が来るからろくに文化も文明も発達しないし、全部勇者頼みだからみんな貧弱だし」


 ふう、と息を吐いて、あらかじめリッコが用意していた緑茶をすする。


「あたしは向こうで何回も何回も魔王を倒してたから、たぶん生身でも、ひとり旅でもいけるって思ってやりはじめたけど、生身だからやっぱりきつい。死にかけたことも何回だってあるし、帰りたいって毎日毎日思ってた」

「そんなこと、一回も」

「あんたはこれから旅するからね。できるだけきついイメージは持たせたくなかったの」


 もうひとくち茶をすすって、


「でも、約束したし、って思って進んで、倒した魔王に頼まれたの。でもそんなの知ったこっちゃないって逃げ出してもよかった。こっちがどうなろうとあたしの世界にはなにも影響ないし。

 でも、あたしはガキだった。魔王は辛そうだったし、この世界のひとたちが困ってるのを見過ごせなかった。決めたのは自分、って思ってたけど、やっぱり周りに押しつけられてたな、ってだけよ」


 はいおしまい、って手を叩いて話題を打ち切り自分の食器を持って立ち上がり、


「たぶん、魔王をどうにかしたら、この世界はすごく混乱すると思う。でもそんなの今度こそ知ったこっちゃないってあたしは逃げるし関わらない。

 あんたたちが願って、あんたたちの悪意が生み出したものから頼まれたことを果たしたの。その報いは、張本人が受け取るべきだ、って思うから」


 一瞬浮かべた、闇色の笑みをふたりは見逃さなかった。


「ミコトさんのほうがよっぽど、魔王みたい」

「大人は悪いものよ。純粋なままじゃ、生きていけないの。とくにあたしの世界じゃ」


 言いながらミコトの背後にある簡素な調理場まで歩いて食器をシンクに置いて、


「……呪いなのよ。あんたたちぐらいの年齢に交わしてる、真剣な約束って」


 そう言い残してミコトは部屋を去っていった。

 残されたふたりは互いを見つめ、どちらからともなく頷き、取りあえず、と片付けを始めた。

 明日からもきっと修練だ。

 呪いだなんだと言われても、魔王を倒した先の事なんていまは分からない。

 でも、進んでいくことしかできないんだ。

 百年前の、勇者ミコトのように。

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