第10話 中ボス! 激闘! なんでまたこれ?!
こういう相手があの人の言う中ボス、ってやつなんだろうとアニーリャは感じた。
この三ヶ月間、なにも毎日体術の修練ばかりをやっていたわけではない。座学としてミコトが百年前に経験した魔王討伐の旅程や当時の魔王軍の編成などを端的に、実地訓練と称して近所の森へ向かい、近隣の住民から討伐依頼が出ていた魔物などの討伐を行ったりしていた。
その中で、神殿が襲撃された際にアニーリャを逃がしてくれたオーガとも再会し、互いの無事を喜んだり、簡単な宴でもてなされたりもした。
ともあれ、アグレと名乗ったこの鳥女はいままで討伐してきたどんな魔物よりも強い。
「せああああっ!」
体力の続く限り、その体力が切れそうになっても魔法で回復しながらアニーリャは連撃を続ける。
強敵と戦う際は、相手に行動させないことがなによりも重要だから。
ミコトの座学ではフレームとか当たり判定とかヒットポイントとかよく分からない単語が出てくるけれど、質問すればちゃんと教えてくれるから問題はない。それよりも急に早口になるのをどうにかして欲しいぐらいだ。
「ったく、この、鬱陶しい!」
腕にびっしりと硬質の鱗を生やしてアニーリャの猛攻を受けるアグレだが、表情は怒りで満ちあふれている。逆にアニーリャは淡々と、半ば無表情で攻撃を続けている。
反撃を許さない猛攻に、ふたりの高度は徐々に落ち、指人形ほどだった修練場のふたりの大きさも表情まで読み取れるようになっていく。
とくにリッコの表情は一瞬毎に変わるので見ていて飽きない。そんなに心配しなくてもいいわよ、と小さく笑みを零したのは、決定的な隙となった。
ミコトならば十フレームと断じたわずかな時間、アニーリャはアグレから、両手のナイフから意識を外した。
「ふうん。あっちの子が大切、ね」
アグレの口角が上がった、と気付いたときにはもう遅い。アグレは背中の黒翼を大きく開き、強く羽ばたく。目くらましの羽根もまぶされた突風をアニーリャは防御するしかなかった。
「リッコ逃げて!」
腕を交差させて羽根を防ぎつつアニーリャは叫ぶ。
名を呼ばれ、こちらを見上げたリッコの瞳は決然と輝き、全身に魔力を漲らせていた。
「ただの人間がどれだけ魔力を練ろうと!」
まずはアニーリャ、と言わんばかりにアグレはぎゅるりと宙返りを打つ。彼女の両足は猛禽類のそれのようになにかを掴める三本指で構成されており、アグレはかかと側の鋭利な爪でアニーリャを蹴り上げる。
視界を奪われていたアニーリャは交差させていた腕を切り裂かれ、鮮血を散らす。しかしアグレは追撃をせず、宙返りの勢いそのままに地上のリッコたちへ向かう。
リッコはそのまま両手を上げ、魔力を魔法に変換して叫ぶ。
「リムステラ!」
リッコの導きにより彼女の周囲の地面が盛り上がり、無数のこぶし大の固まりとなってアグレへ襲いかかる。
「また数で!」
仰け反りつつ大きく翼を広げ、強く羽ばたく。殺到する土塊たちは乱れ飛ぶ羽根によって次々と粉砕されて周囲に飛散。次射を撃たれる前にアグレは魔力を込めて羽ばたくと、自身とリッコを結ぶ一本の風のトンネルが形成された。
「まず、ひとつ!」
右手の爪を鋭利に、ナイフほどの長さに伸ばし、振りかぶって風のトンネルを突き進むアグレ。
しかしアグレは気付いていなかった。自らが粉砕した土塊たちが、砂礫となって風のトンネルを覆っていたことを。
「リガーレ!」
風のトンネルの周囲を漂っていた砂礫たちが一気にその範囲を狭め、中心を通っていたアグレを縛り上げた。羽ばたきも封じられたアグレは無様に地面に落下してしまう。
「がっ!」
手を伸ばしきった状態で捕縛され、顔をわずかに上げるぐらいしかできなくなったアグレへ近づき、両手を再度掲げるリッコ。
「ここで帰る、というのなら、見逃します」
「は? ただの人間がなに言ってんの」
伸びきったまま雁字搦めになっている右腕、その指先だけは自由に動かせたアグレは、そこに魔力を集めて一枚の羽根を形成し、リッコへ投げつける。
不自由な姿勢からの投射とその角度から少なくとも大けがには繋がらないと判断し、リッコは視線すらもアグレから外すことはしなかった。
投射された羽根はリッコの左頬を薄く薙ぎ、ひと筋の傷を付ける。一瞬遅れて血が流れ落ちる。そのまま通り過ぎるかと思われた羽根は、リッコの形のいい耳のあたりで軽い音を立てて粉みじんに破裂した。
「っ?!」
切られたことよりも破裂したことへの驚きが強くはあったが、リッコは依然としてアグレから意識を逸らすことはなかった。
「この期に及んでまだそのような抵抗をするのですね」
だったら、とため息交じりに掲げた両手の間に魔力を流し、「ペトラ」と魔法を発動。周囲の地面から砂礫たちを集めておし固め、巨大な、リッコの身長ほどもある巨大な岩石を形成する。
「だったら、これを!」
全身を仰け反らせ、アグレ目がけて巨岩をぶつけようとしたリッコの前にミコトが割って入る。
「はいはいストップ。あんたにはまだこういうの早いから」
ぱちん、と指を鳴らすと巨岩はもとの砂礫に分解され、修練場に散乱していく。
「な、なんで」
驚くリッコに微笑みかけつつ、ミコトは上空へ向けてもう一度指を鳴らす。
「ちょ、ちょっとおお?!」
糸を切られた傀儡のようにアニーリャのからだが落下してくる。
「はい、あんたの役目はあっち」
とん、と背中を押されてたたらを踏み、止まったそこへミコトが号令をかける。
「前ならえ!」
言われるまま両手を前に突き出したそこへ、どさりとなにかが落ちてくる。
「ちょっともう、またこれ?!」
リッコの両腕にすっぽりと収まっていたアニーリャが不満の声を上げる。
「お、落ちついてくださいまし。血が、腕が、傷口が開きます」
「あ、ご、ごめん」
言われてすぐに落ち着きを取り戻したアニーリャはじっとリッコの顔を見つめる。思わず見つめ返し、しばし見つめ合ったあと、
「いい加減下ろして。きょうは眠くない、から」
「あ、あああ。すいませんっ。その、抱き心地がよかったもので」
「莫迦! あたしはぬいぐるみじゃない!」
怒鳴りながら乱暴にリッコの腕の中から飛び降り、ん、と両腕を差し出す。
「ああ、はい。少し待ってくださいね。……サナティ」
傷口に触れないようにかざされた手から、柔らかな光がアニーリャの傷口に降り注がれる。すると徐々に傷口は塞がり、やがてもとの染みひとつない肌へと戻った。
す、と手をどけるのを待ってアニーリャは手を開いたり閉じたりを繰り返す。
「ありがと。ちゃんと動く」
向けられた笑顔のまぶしさに、リッコは思わず赤面する。
その後ろでミコトが、捕縛されたままのアグレをどこかへ連れ去っていることにも気付かずに。
* * *
「ふんふふーん、ふふふーん」
鬱蒼とした森に、下手くそな鼻歌が流れる。
アニーリャがリッコといちゃついている間に、ミコトはアグレを魔法で生み出した金属製の鎖で拘束し直して神殿の周囲にある森へと引きずって連行してきた。
道中石や木の根にぶつかったり引っかかったりしてうめき声を上げたり文句を言っていたが、あまりにも鬱陶しいので魔法で声が外に漏れないようにしてからは鼻歌も出るほどに快適になった。
元の世界ではゲームディレクションからシナリオや世界感の監修など多彩な仕事を行う三橋美琴だが、音楽を奏でる才能だけは恵まれなかった。
チームスタッフはもとより家族からも「人前で歌うことはやめて」と釘を刺されているが、こうしてひとりになると遠慮無く歌う。
強引に聞かされるアグレは気の毒だが。
ちなみにいま口ずさんでいる歌の原曲は、彼女がこの世界に来るきっかけとなったビデオゲーム、ウィルゴ・ディルスのラスボス戦で使われている曲だ。
この曲が聴きたくてミコトはゲームを何度も何度も周回し、そのうちにこちらの世界に来る方法を知り、実践していまに至る。
「あんな方法、例え見つけても誰もやらないっての」
いま思い出すととても恥ずかしいのだが、十二歳の思い込みと行動力に自身ながら困惑さえする。
「でも他に転移したひと見かけなかったから、みんな失敗したか、見つけられなかったのかな」
どれだけ複雑に巧妙にそこへ至るルートが隠されていようと、所詮ただのゲームプログラムだ。解析器にかけてしまえば簡単に暴露されてしまう。
初代ウィルゴ・ディルスの売り上げはメーカーが公表している数字で言えば十万本に届かない程度。いわゆる負けハードで発売された、しかも当時無名メーカーの売り上げならば御の字な数字だ。
ゲームとしての完成度は高く、好事家たちはもとよりプレイヤーからの評価も高く、だからこそ六年後に続編がまだ学生バイトの身分だったミコトの立案により制作され、そちらの評価も概ね高く、いまのミコトの立場を作ってはいるのだが。
「十万人に一人しか来ないような物好きに世界の命運託すとか、ほんと頭おかしいわ」
苦笑しつつ、よいしょ、と握っていた鎖を適当な枝に引っかけてぐい、と引っ張り、アグレのからだを強引に立たせる。
「んじゃ、始めましょっか」
言いながらアグレにかけていた沈黙の魔法を解き、顔やからだに付いた傷を癒やす。
「な、なにをするのよ」
持っていた鎖の先端を、同じく魔法で生み出した金属製の杭で地面に打ち付け、ぱんぱん、と手に付いた土を払うミコト。
「そりゃ捕虜にすることなんか決まってるでしょ」
淡々と返す仕草がアグレの全身をこわばらせる。
「楽しい楽しい拷問の時間よ」
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