第9話 落雷! 空中戦! 放っておけないんだから!

 翌朝もリッコの手料理で一日の活力を得たふたりは、昨日と同じく体操服を着て修練場で待つミコトの元にやってきた。


「んじゃ、きょうからリティも一緒に訓練やるから。いいわね?」


 珍しく教師ぽいこと言ってるな、と思いつつもアニーリャは冷淡に返す。


「同意しなくてもやるの分かってますから」

「ん。でもリティ。いまのあんたの訓練に付き合わせると絶対事故るから、暫くは端っこアニーリャがどう動くかをちゃんと観察すること。……きょうはそれだけでいいわ」

「はい。わたくしとて自分の実力ぐらい弁えております。ミコトさまの判断に従いますわ」


 ん、と返して膝を抱えた姿勢で座るふたりを立ち上がらせる。


「にしても天気悪いわね。やっぱ可動式でも屋根付けておいたほうが良かったかもね」


 特訓を始めてからきょうまでの三ヶ月間、特訓を行っている時間帯に大きな崩れはなかった。天候を変える魔法もあるにはあるが、制御が難しかったり周辺への影響が大きいこともあってミコトは使用したことがない。


「あんまり雨がひどくなってきたら中断するから、それまではやるわよ」


 はぁい、と雑に返事をしてストレッチを始めるアニーリャ。自分の知らない動きをし始めるアニーリャに驚きつつも、見よう見まねでストレッチを始めるリッコ。


「違う違う。そっちに捻っても伸びないから」

「え、で、でもこっちから見るとアニーリャさんは」

「もう、ほら、こっちをこう伸ばすの」


 見よう見まねでは不格好に踊っているようなリッコの後ろにまわり、文字通り手取り足取り教えていくアニーリャ。あんたも最初はそんなだったわよ、と苦笑しつつ手早くストレッチを終えたミコトは、ふと空を見上げ、やがて一点を凝視する。


「ほら手をこっちに傾けると横っ腹が伸びてく感じするでしょ?」

「や、やん、くすぐったいですわ」

「なにあんたくすぐり弱いの?」

「そ、そもそも他人にからだを触られたことなんていちども……、ミコトさま、どうなされたんです?」


 じゃれあっていたふたりのうち、ミコトの異変に気付いたのはリッコだった。


「見られてる」


 短く答えるとミコトは左手を後ろ腰に回した、と思った次の瞬間には彼女自身の身長もある長大な弓を掴み、流れるように空へ向けて構える。


「え、あの」


 つがえている矢は三本。


「コンファ・ビジョン」


 目を細めつつ照準を細かく定め、弓と矢とからだがぴたりと止まった。その次の瞬間には右手は矢羽根から離れ、風切り音と共に三本の矢は曇天に吸い込まれていく。


「アニーリャ、準備して」


 なにを、と訊く時間などなかった。曇天からなにか落ちてくる。咄嗟に自身の魔力を練り上げ、現象をイメージし、言葉にして放出する。


「パレティウム!」


 透過性のある防御壁を修練場を覆うように展開。一瞬遅れて轟音と閃光を伴って幾重もの雷が防御壁へと降り注ぐ。

 リッコが耳を塞ぎながら身をすくめているが、アニーリャもミコトも上空の一点を見据えている。


「あの指人形みたいなのですか?」


 神殿全体に響き渡る落雷の轟音の中でも会話が成立しているのは、ミコトがかけた静寂の魔法の影響下にあるから。


「うん。あのハーピーみたいなやつが目標ね。じゃあ手、出して」


 この先なにを言われるのかを察して渋面を浮かべつつ、両手の平を上にして差し出す。


「これあげるから、なんとかしてきて」


 手の平に乗せられたのは、二振りの短剣。ずしりと重く、刃渡りも両手から溢れるほどに長い。革製の鞘越しにもこれに殺傷能力があることは感じられた。


「コンファ・ヴォラーレ」


 ミコトの魔法を受けてアニーリャのからだがふわりと浮かぶ。


「わ、ちょ、ちょっと!」

「おへそのちょっと下あたりに力入れて。そこを重心に。魔法の主導権はあんたにあるから好きな方向と速度で飛べるようにしてあるわ」


 説明を聞いている間にも姿勢制御に慣れたアニーリャは、鞘から短剣を抜いて軽く素振りをしていた。


「ご、ご武運を」


 落雷の光と轟音に怯えながらのリッコの激励に、アニーリャは苦笑して手招きする。


「ミコトさんの近くにいたほうが安全だから。怪我とかしないでよね」

「なに言ってんのよ。隙あればリッコにも援護させるから、できるだけ引きつけてね」

「もー、またそうやって無茶ばっかり言うんだから」


 愚痴りながらもアニーリャは渡されたナイフを腰の左右にそれぞれ一振りずつ装備し、重さや抜刀のしやすさなどの感覚を確かめる。

 この三ヶ月で分かったことのひとつに、ミコトはアニーリャが出来ないと思ったことはさせない、というものがある。

 ちゃんと見てくれているのは嬉しいけど、出来なかったことが出来るようになるのは嬉しいけど、課題の難しさにはいつも閉口する。


「ちゃんと帰ってきたら、ご褒美あげるから」

「そういうのいいです。あなたになにか貰ったら、あとが恐いですから」

「言うようになったわね。ま、いまのあんたならあれぐらいはどうにかできるはずよ。怪我しても回復するし、死にそうになったら加勢するから、とりあえずひとりでやってみなさい」


 ぱしん、と背中を叩かれてアニーリャはもう一度渋面をミコトに向け、ちらりとリッコを見やってから上空へ視線を向ける。


「いってきます」


 落雷の隙間を縫ってアニーリャは一気に上空へ。地上のふたりの目にはあっという間に手の平よりも小さくなっていく。


「アニーリャさん……」


 祈るようにつぶやくリッコの肩をぽんぽんと叩き、ミコトはにんまりと笑う。

 他者の笑顔に悪寒を感じたのは、初めての経験だった。


     *     *     *



「この三ヶ月で見違えるようになったね、アニーリャ」


 乱れ落ちる雷を掻い潜りながら速力を上げるアニーリャに、風圧をまったく感じていない様子のウロが右肩から語りかける。


「……あんたいままでどこ行ってたのよ」

「ぼくの心配をしてくれるなんて、成長したね」

「そういうんじゃないわ。顔見なくて清々してたのに、ってこと」

「ミコトの依頼でね、いろいろ調査していたのさ」


 ふうん、と素っ気なく返す。ミコトに関しては、いろいろ訊きたいことはある。この三ヶ月で多少会話をすることも増えはしたが、素性はまだまだ不明なままだ。

 百年前魔王を倒した勇者だとか、神殿の全ての権限を掌握しているとか、信用できない部分が大半だが、いまのアニーリャには一刻も早く魔王を倒して元の生活に戻る、という大目標があるので気にかけないようにしている。


「師匠としては優秀だからね」

「きみのそういう割り切り方、羨ましくもあるよ」


 あっそ、とだけ返したアニーリャの視界に、雷を打ち続けていた敵の姿がはっきりと写し出される。


「なに、あれ。鳥なのに人の頭と胴体?」

「半人半鳥、のようだね」

「うわ。ちゃんと手もあるじゃない。やりづらそう」


 ぼやきつつもさらに加速。ミコトに押しつけられたナイフを二振りとも抜刀しつつ一気に間合いを詰め、相手の顔もはっきりと見ないまま向かって右側を斬りつけつつすり抜ける。手応えはどうでもいい。まずは上か背後を取ることが先決だ。

 ぐるりと旋回しつつ背後を取ろうと飛ぶアニーリャへ、ゆっくりと魔物が振り返る。


「ただの人間かと思ったら、空中戦にも慣れてるみたいね」


 女だ。

 魔物だから雌と呼称したほうが良さそうだが、人語を喋ったので女としておく。


「私はアグレ・ガ・ティオ、邪王ネファリウスさまの、」


 うっとりとした表情で述べていた口上を中断したのは、もう眼前にアニーリャが迫っていたから。


「せっ!」


 逆手に握った右のナイフを、袈裟懸けに斬りつける。胸は羽毛に埋もれてはいるがそのサイズは小ぶりで、そこだけを見れば雄と感じたかもしれない。斬りつけたはずのナイフはしかし胸元の羽根をわずかに掠めただけに終わる。

 有効打を得られず、肩口から背中を晒す後隙をアニーリャは浴びせ蹴りへ移行することで打ち消す。


「あっぶないわね!」


 大きく羽ばたいて後ろに下がって浴びせ蹴りを回避するアグレ。ぐるりと空中で一回転したアニーリャは間髪を入れずに間合いを詰め、まず右で胴を真横に斬りつける。鳥の姿をしていながらもヘソのある腹を引っ込めてぎりぎりで回避。くの字に折れて前に出た顎を左で斬り上げる。ほっそりとした顎の稜線に赤い筋を付けてなお攻撃の手を緩めず、アニーリャは攻撃を続ける。


「だから、なんで、そう、ちょこまかと! ひとの話を、聞けっての!」

「うるさい。そっちが仕掛けてきたんだから、文句言うな」

「わたしは、勇者を殺しにきたの! あんたみたいなちんちくりんを、相手に、する、つもりはないの!」


 アニーリャの連撃を紙一重で回避しつつ、アグレは悲鳴のように叫ぶ。

 アグレからの言葉が浸透するまでそれからさらに時間が必要だった。


「……」


 この鳥女が言うように、ミコトを倒しに来たなら彼女に押しつけてしまえばいいとは思う。けれどそんなことをすればどうなるか、という想像ができないほどふたりの関係は浅くない。

 なにより、あそこにはリッコがいる。

 知り合って二日目だが、放っておけない、妙な愛らしさが彼女にはある。

 理由なんてそれだけで充分だ。


「あたしは魔王を倒すの。あんたひとりに苦戦してられないの。だから、相手をしてもらうから!」


 やれやれ、と首を振ってアグレは拳を握り、構える。


「まあいいわ。邪王さまに捧げる供物は多いほうがいいものね」


 互いの視線が交差する。

 次の瞬間、ふたりは激しく交錯する。

 ウロが「邪王?」とつぶやいた声は、アニーリャの耳にすら届かなかった。


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