第8話 特訓! 友情? お姫さま抱っこなんて無理!
テイラム邸襲撃から三ヶ月が過ぎた。
「ほらほらどうしたの! 反応、遅れてるわよ!」
ミコトの振るう木剣がアニーリャの左脇腹を鋭く叩く。痛みにアニーリャの汗にまみれた顔が歪む。
ミコトはもちろん手加減しているし、アニーリャも革製の鎧を纏っているが、痛いものは痛いのだ。
片膝をついて足りない酸素を少しでも補おうと必死で呼吸しながらアニーリャは文句を言う。
「な、何時間やってると、思ってるんですか!」
アニーリャの言う通り、この稽古は朝から日が沈みかけているいまに至るまで休憩もほとんど取らないままに行われている。
ふたりの足下は雑草一本生えていない土。全周は約百メートルの円形。外縁を等間隔に石柱が並び立ち、それらを結ぶように結界魔法でフェンスのような役割を持たせている。
つまり、他の生徒たちや教員たちによる乱入や制止は、勇者ミコトの魔法力を上回らなければ不可能であり、そんなことができる人員はいまの神殿にはいない。
「あんた魔力はたっぷりあるけど、体力がないって何回も言ったでしょ」
木剣を自身の右肩にとんとん、と当てながら左手で立つようにうながすミコト。
「だから、回復しながら、やってるじゃないですか!」
「魔法は便利だけど万能じゃない。回復使ってる数フレームの間に致命傷負わされたらどうするの?」
言いながら左手に魔力を集め、こぶし大の炎を膝立ちのアニーリャに投げつける。
「このっ!」
咄嗟に手を地面について自身とミコトの間にある土を隆起させて壁をつくり、投げつけられた炎を防ぐ。へぇ、と感心しつつミコトは木剣を振って土壁を破壊。並行して作っていた火球を、
「たあっ!」
右から土の槍が合計五本飛来する。着弾と同時の命中を狙った後頭部への浴びせ蹴りがミコトに迫る。ふふ、と微笑んでミコトはくるりと回転しつつ左脇に五本の土槍をすべて抱え込み、回転の速力も加算してアニーリャへぶち当てる。
「んにゃぁっ?!」
自身の放った土の槍に真横から殴りつけられ、アニーリャは困惑しながら吹っ飛ぶ。
「あの三秒ちょっとをうまく使ったけど、土壁の奥に残滓あったし、それをかき消すだけのスピードも足りない。でもま、及第点よ。きょうは終わり。部屋に帰ってご飯食べてお風呂入ってさっさと寝なさい」
言い終えると同時にアニーリャへ歩き始め、同時に「サナティ」と回復呪文を唱えると、魔力フェンスに絡め取られているアニーリャのからだが淡い光に包まれる。
「っと、忘れるところだった」
そのときには修練場を囲む石柱を前にしていた。つぶやいて魔力フェンスを解除。絡まっていたアニーリャをちゃんと立たせ、駆け寄ってくる少女へ視線をやると特に何も言わずに手を振って自室へと戻っていった。
「アニーリャさん!」
心配そうに駆け寄ってきた少女の名はリティ・リケ・リッコ。
アニーリャと同室の、正真正銘のお嬢様だ。
* * *
ただの祈りの場でしかなかった神殿に、
指揮を採ったのはミコト。五十年ぐらいなら生き残れるひともいるだろうから、と、まだ年若い職員数名に勇者ミコトからの厳命よ、としつこいぐらいに念を押して今回の魔王復活に備えさせた。
「それがなんでこんな惨状になってるの」
テイラム邸襲撃から明けてはすぐにミコトは神殿に駆け込み、責任者数名へ事情調査を行った。
その結果は、ミコトが予想した道筋は同じだったが、詳細は遥かに子ども染みていた。
「は? いずれテイラムの家から魔王が出るなら、早めに潰したほうがいい? だから支援は最低限にして、「アクヤク」の我写引いたからゴブリンに襲撃させて処理しようとした? ……本気で言ってんの? それ」
神殿長セニオ・セージをはじめとした最高幹部が一堂に会した会議室で、ミコトは怒気を隠そうともせず言い放った。
勇者ミコトが魔王インフェルヌを討伐したのは百年前。アニーリャが生きるこの時代はもとより、修学宮の件を提案した五十年前ですら彼女の存在は疑念をもって迎えられ、半ば力尽くで認めさせてきた。
ゴブリンからの襲撃からは偶然被害を免れた、会議室などの一部施設に避難していた幹部たちはしかし、ゴブリンたちが去ったあとも神殿の復旧を指示することすらせず、酒宴さえ開いていた。
呆れと怒りとその他諸々の悪感情がミコトの胸中を渦巻き、それを長く深いため息として吐き出し、それでも沸き上がってくる怒気を無理矢理ねじ伏せて、まだ酔いの残る幹部たちにゆっくりと言い放った。
「ともかく、勇者権限により現時点から勇者ミコトが神殿の全権限と全指揮権を保持します。いいですね」
当然のように沸き上がった不満を、殺意をふんだんにまぶした眼光でなぎ払い、ミコトは自分が成すべきことへ行動を移した。
「まずは瓦礫の撤去ね」
幹部たちがそんなことすら指示していなかったことは、怒る時間がもったいないと即座に忘れ、ミコトは動く。百年前の約束を果たすときは近いのだから。
現場に立つ一般職員や衛兵たちが強い気概を持っていたのは幸運だった。
神殿をいまの形に作り替える際に建物自体も一旦更地にして建造し直している。図面を引いたのはもちろんミコト。ある程度の意見は聞いたが、ベースには彼女自身が使いやすいか、もっと言えば元の世界に戻ったときに作るゲームに落とし込みやすいように設計したので再建は容易だった。
図面を引き直し、健在や人材の手配を終えると、ミコトは酒宴を開いていた幹部たちを一斉に左遷や降格などの処分し、五十年前にミコトが目をかけていたが現在は閑職に回されていた者たちを寄せ集め、自身が動きやすいように神殿を作り替えた。
「さ、て。あとはあの子だけね」
すべての準備を三日で終え、ミコトはアニーリャの特訓へ全ての行動を割り振る。
「せめていつ復活するか分かればスケジュール組めるんだけどな……」
それが分からない以上、詰め込むしかない。
仮に明日、復活してもいいように。
* * *
リティ・リケ・リッコ。
テイラム家よりも古くからこの地に根付く名家であり、テイラム家の数十倍の資産をもつ富豪でもある。
衣服こそアニーリャと同じ、
アニーリャの体操服はどれだけしっかり洗濯しても落ちない泥汚れが目立つ一方、リッコのそれはまだまだ真新しく、汗染みひとつ付いていない。
その真新しい体操服が汚れることも厭わず、リッコは修練場を駆け、アニーリャに手を差し伸べた。
「……なに」
体操服についた土埃を手で払いながら、アニーリャは駆け寄ってきたリッコを鬱陶しそうに睨み付けた。
その鋭い視線にたじろぎながらも、リッコは気を強くもって返す。
「ど、同室ですから。部屋までに転んで怪我でもしたら大変ですから」
むふん、と鼻息荒く力こぶを作って見せるが、アニーリャは何も言わずに立ち去ろうとする。
「ま、待ってくださいまし!」
「なによ。あんたに手助けしてもらういわれはないから」
「同室のよしみがあります!」
「だからなに。お互いいままで深く関わらず来たんだから、もういいでしょ」
「そんなボロボロになってるお姿を見てほうっておけるほど、わたくしは薄情ではありませんわ!」
力強く、というよりは顔中口にして叫ぶリッコに、アニーリャは苦笑する。
「声おっきい。疲れてるんだから静かにして」
「は、はい。ですが、こうでもしないと聞いて頂けないような気がして……」
「なによ。あたしが悪いっていうの?」
言葉ほど悪意はないと声音や表情が語っているが、リッコはすっかりしょげてしまう。
「で、ですけど、、いままでどれだけ話しかけても、相手にしていただけなかったんですよ?」
「……そうだっけ?」
上目遣いに言われ、アニーリャは思わず首を傾げてしまう。
ミコトに連れられて学生寮の狭いふたり部屋に案内され、荷物の整理もリッコとの挨拶もそこそこに引きずられるようにして修練場に放り込まれてからは、この三ヶ月ほどの記憶はほとんどないほどに毎日毎日しごかれてきた。
「昨日だって一昨日だって、わたくしは手を差し伸べようとしました! でも、疲れてるから、とずっとずっと、相手にしていただけなくて……っ」
ついにその大きな瞳からぽろぽろと涙を零してしまった。
「あーはいはい。分かったわかった。んでなに。あたし疲れてるの」
「で、ですから」
言いながら背を向け、しゃがみ込む。
「まさか、おんぶさせろって言ってる?」
「はい! わたくしの第一我写は「従者」ですから。主と決めた方には無限の力が発揮できるのです!」
「あんたの心配なんかしてない。あたしが恥ずかしいって言ってるの」
「ですが、昨日だってアニーリャさんは何度も壁に寄りかかっていました。恥がどうこうの問題ではないです」
お互いがお互いを頑固だと思いつつも、怒りにまかせてこの場から立ち去らないのは、どこかで歩み寄る意志があるから。
押し問答になるかと思われた瞬間、リッコはやおら立ち上がってずい、と間合いを詰める。普段なら手で押し返すなり距離を取るなりしたアニーリャだが、披露でからだがうまく動かせないまま接近を許してしまった。
「こうなったら実力行使です」
うふふ、と意味深に微笑んだ。その愛らしさに一瞬心奪われ、最後まで張っていた警戒心がほどけてしまった。
「えいっ」
だからこんな雑な足払いにかかってしまうし、バランスが崩れたところを抱き止められて気がつけば仰向けの姿勢でリッコに抱き上げられていた。
ミコトが見れば、「お姫さま抱っこなんてやったじゃない」と口角をあげる姿勢にさせられて、アニーリャはそのままの格好で叫ぶ。
「ちょ、ちょ、この姿勢!」
「わたくしにとってアニーリャさんは大事な主。つまりは守るべき姫。そのアニーリャさんをこのような形で抱き上げるのは、ご、ご、ごく自然なことなのです!」
すぐ目の前にリッコの、同性が見ても美しいと思える顔。優しく背中と膝裏をを支える両手は、細いながらも力強さを感じる。
両親以外にこんな姿勢で抱きしめられたことなど一度もないアニーリャは、恥ずかしいやら安堵するやらで混乱し、すっかり目を回してしまう。
「さ、参りますわよ」
「や、やだ。こっちのが、もっと恥ずかしい……」
一度意識してしまえば反論は弱々しく、顔は火が付きそうなほどに赤く染まっている。
「あら。案外乙女ですのね」
うふふ、と笑う顔はとてもとても上品で。
「……ばか」
右手は自然とリッコの首の後ろに回っていたので、左手で顔を押さえて横を向く。
「あら、危ないですわ」
す、と顔をリッコのからだの方へ向けられ、もうアニーリャに逃げ場はひとつだけになってしまった。
「ね、寝るから。あんまり、揺らさないでよ」
それを合図にして、リッコは歩き出す。
スキルのおかげか、リッコの技術なのか、揺れはほとんどなく。ぴったりと寄せ合うからだから伝わる体温がアニーリャから反抗の意志をすっかり溶かしてしまった。
「はい。お夕飯を用意して、お目覚めを待っておりますわ」
「あんたも、寝なさい、よ……」
どれだけ恥ずかしくとも、肉体の疲労を誤魔化すことはできず、アニーリャはすぐに眠ってしまった。
数時間後、美味しそうな香りに目を覚ましたアニーリャは、脇目も振らずにリッコが用意した、テーブルを埋め尽くす料理に舌鼓を打っていた。
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