第3話 到着! 勇者?! バグってなによ!

 アニーリャが投獄されていた神殿は、主神メディカオールを祀っている。

 そのため素材には陽光を反射して蒼碧色に輝く特殊な石材を使っている。風光明媚なその外観は、意気揚々と我写を引きにきたアニーリャでも目を奪われたほど。

 建物の中央には尖塔がそびえ立ち、神事はここで行う、と聞いている。

 そして神殿の外周をぐるりと取り囲むように壁が張り巡らせられ、外敵の侵入を防いでいた、のだがいまはそれら全てが無惨に崩れ、かつての面影はどこにもなかった。

 なのに。

 最後尾にいた衛兵におぶさりながら階段を登り切った先にあったのは、廃墟だった。

 自分がほんの数時間前まで、我写を引く期待と不安に包まれていた大聖堂も、なにもかもが全て破壊されていた。

 見上げるのにも苦労するような高い天井は、支えとなる柱や壁が無くなったせいで崩落し、星空が覗いている。

 あちこちからは細く煙が立ち上り、衛兵たちの怒号が聞こえてくる。


「うーわ。ひどいわね」


 衛兵の説明によればここは事務作業のための部屋だったそうだが、いま周囲には机や椅子の残骸や焼け焦げた紙片が散乱するばかり。


「ゴブリンがこんなにも大群で攻めてくることなんていままで無かったんだ」

「大群ってどれぐらい来たの?」


 散乱する瓦礫をえっちら乗り越えながら衛兵は出口だった場所へ向かう。時折手を貸してもらいながらアニーリャも続く。ただ黙って進むのもおっくうだったので、特に興味は無かった内容だったが、取りあえず湧いた疑問を投げておいた。


「報告だとゴブリンが百以上。オーガも三体。でももっといたように感じるよ」


 ふうん、と曖昧に返して、


「そういやのんびり歩いてるけど、ゴブリンたちはどこ行ったの?」

「それが不思議なんだ。ゴブリンたちは神殿を破壊し尽くしたあとはまた森へと去っていった。こちらから手を出さない限り衛兵にも参列客たちにも手を出さずにね」


 その言葉にアニーリャは安堵した。この惨事を受けてまだのんびりと神殿に残っているとは思えない。少なくとも襲撃による被害は受けていなさそうだ。


「嵐のようだった。気がついたときには襲撃を受けて、気がついたときにはこの有様だ」

「ああ、だから倒れてる人とかあんまりいないのね」

「ああ、急な襲撃だったけれど、ここは神殿だからね」


 にこりと笑って見せる衛兵だが、声はわずかに震え、頬もひきつっている。


「でも幸運だったのは襲撃が祭りの屋台が撤収し終えたあとだったことだよ。祭りの最中だったら被害はこの程度じゃすまなかったよ」


 後に神殿がまとめた被害報告によれば、衛兵はもとより一般職員にも負傷者は出たが犠牲者は出ず、損害は建造物だけで済んだ、ことになっている。


「そんなに強いひとがたくさんいるのに、誰も襲撃を予想とかしなかったのね」


 それよりも星空の美しさに目を引かれ、それに加えてこんな時間まで起きて家の外にいる、という初めての経験に少しばかりわくわくしてさえいた。


「……ほんとうに急だったんだ。神殿の見張りも、各所にあるゴブリンの巣の観測隊からも、そんな素振りすらもなにも報告がなかった。こちらの油断もあったのだろうけど、あっという間にこの有様だよ」


 そんなわくわくに水を差すような深刻な言葉に、あっそう、と短く返すアニーリャの胸中では父母のことが気になり始めていた。

 我写を引いてから投獄はあっという間だったから、両親と言葉を交わすこともできなかった。投獄に関して両親は抗議しただろう。それでも落ちぶれたテイラム家の言葉がどれほどの効果があるかぐらい、アニーリャにもわかる。

 先ほどの衛兵の言葉を信じれば、ふたりはいま家にいるはず、と決めつけてつぶやく。


「素直に帰ってくれてればいいけど」


 んで、と衛兵を振り返って、


「あたしを牢から出してくれたことは感謝するわ。ありがとう。ここからはあたしひとりで帰るけど、下のオーガにひどいことしたら赦さないからね」

 じろりと睨むその瞳はわずかに紅く、魔眼を使っているよ、とローブの中に隠れているウロがささやいて教える。

 そんなこと言われても、とアニーリャは毒づき、もう一度衛兵を見やる。


「い、いや、きみをここで放免にはしない。けれど……」


 不安そうに周囲を見回す衛兵。つられてアニーリャも周囲に視線をやる。と、遠方から蹄の音が聞こえてくる。


「どうした。オーガは討伐できたのか」


 身なりは衛兵よりも立派な鎧姿。馬はとくに鎧は着けていないが、人馬ともにあちこちに返り血が付着して、激戦をくぐり抜けてきたことを証明している。

 馬は瓦礫が散乱し、火の粉が舞う中を怯えた様子もなく歩き、やがて衛兵の前で静かに止まった。


「い、いえ。牢にその少女が捕らえられていたので、救助を」


 少女? と訝しみつつ馬上からアニーリャを見やる。視線が合うと同時に飛び降り、片膝をついた。


「その漆黒の髪と瞳、テイラム家のご息女ですね」

「う、うん。おじさんは?」

「わたくしの家オフィシアはかつてテイラム家に大恩があります。きょうの投獄、わたくしの力が及ばず、たいへん申し訳ありません」

「そういうのいいから、あたしはやく家に帰りたいの」

「でしたら、馬は使えますか?」


 落ちぶれたとはいえテイラム家は貴族。敷地内にはアニーリャが毎日世話をしている馬が一頭だがいる。


「う、うん。おとなしい子なら大丈夫だと思う」

「では、この馬をお使いください。名馬とはいいませんが、乗り手を選びません」

「そう。じゃあありがたく使わせてもらうわ。この子はあとで返しに来るから、ちゃんと門番のひとに伝えておいてね」


 は、と短く答え、すっと立ち上がる。ん、と返して両手をオフィシアに向ける。


「手、貸してもらえるかしら。台とか使わないと鞍に座れないんだから」


     *


「しかし、魔王として見事な振る舞いだったね」


 神殿の周囲を囲むように広がる森林。そこから都市フォルティスへ繋がる一本の街道が伸びている。

 いまだ騒乱のただ中にある神殿を背に、アニーリャは借りた馬を走らせる。

 都市部と神殿の距離は馬車で丸一日ほど。よく晴れた日にはフォルティスを守護する防壁の頂上から神殿の尖塔がよく見えるが、襲撃を受けたいまとなってはそれも出来なくなってしまった。


「なによそれ」


 気がつけば左肩に乗って、軽口を叩くように言うウロにアニーリャは手綱を握ったままやや憮然と返す。


「キミのような年端もいかない子供が、大人と対等以上の立場で渡り合っていたじゃないか」


 やはり、このウロとかいう蜘蛛は信用できない。


「あたしは貴族で向こうが衛兵ってだけ。貴族は民草のために働いて衛兵は貴族を守る。立場がそもそも違うの」


 まだ十二歳の自分が知っている当たり前のことを、我写の妖精を名乗る存在が知らないだなんて、どう考えてもおかしいから。


「おっと、ぼくは今回初めて我写として引かれたんだ。世情に疎いのは勘弁してくれたまえよ」


 その弁明もどこまで信用していいか。

 どちらにしても我写で得たスキルは生涯付きまとうのだから、あまり邪険にするのもどうかと思い直し、けれど口から出たのは、


「あっそ」


 と雑なものだった。




 夜半を過ぎたころ、ようやく見慣れた風景が出てきた。

 速度を緩め、馬へのねぎらいに頸をやさしく撫でてやると小さくぶふん、と啼いた。オフィシアと名乗ったあの衛兵の言うように人に慣れているようだ。


「だったらちゃんと返さないとね」


 もう一度だけ撫でてゆっくりと足を止める。


 ──我がテイラム家は魔王の血統です。非常事態があれば、ここへ行くのですよ


 幼い頃から繰り返し聞かされてきた言葉が脳裏を過る。

 没落貴族の代名詞ともなっているテイラム家が、それでも貴族の階級から外れることがないたったひとつの理由が「魔王の血脈であること」だ。

 没落貴族として飼い殺し続けることで常に動向を監視し、同時に魔王としての力を弱めようという、消極的な作戦によるもの。

 そこでテイラム家の当主は、いわゆるセーフハウスを造った。

 人がいざとなればなにをやるのか、まだ余裕のあった頃の当主はそれを熟知していたから。

 アニーリャも年に数度はここを訪れ、手入れなどを手伝っていたため、順路は熟知している。


「これがそのセーフハウスかい? 言ってはなんだけど、家というより、木こりの物置小屋だね」

「我が家の領地はフォルティスと神殿の間の森林よ。領民はいないけど、昔はお手伝いさんもいっぱいいて、切った木材で民芸品造ったりそのまま薪として売ったりしてたの。あたしもうっすらとしか覚えてないけど、おじいさまが元気だったころは森からいつも木に斧を当ててる気持ちいい音がしてたんだから」


 腹を立てたように早口で一気に言い捨て、アニーリャは小屋に近づく。


「……それは、すまなかった。ぼくはキミの血統のことばかり気にしていたよ」

「謝ってもらうほどじゃないから黙って」


 声音は淡々としていて、付き合いの浅いウロではアニーリャの真意は測りかね、言われたまま黙るしかできなかった。


「えっと、確か……」


 ドアノブに手を当て、深呼吸を二度、三度。

 ぼうっとアニーリャの手の平が輝き、やがてがちゃり、と音が鳴る。


「よかった。ちゃんと開けられた」


 ほっと表情を緩めるアニーリャに、ウロはなるほど、と得心した。

 単純なつくりだが魔力鍵だ。登録した魔力を対象に照射することで解錠と施錠を行う技術だ。登録してあるのは当然テイラム家の者だけなので、これが破られていないということはここには誰もいない、という証明でもある。

 ゆっくりとドアを開け、ゆっくりと中へ足を踏み入れる。玄関を潜った両サイドは大人がどうにかすれ違えるだけの狭い幅の通路。三歩ほどで右にカーブ。その先にはリビングと呼ぶには狭すぎる部屋があり、この小屋の居住スペースはこれでおしまい。

 テーブルを片付けて壁に備え付けの折りたたみベッドがあるが、アニーリャはいちども使ったことはない。


「さすがにちょっとホコリが積もってるね」


 歩く度にふわふわと舞うホコリに、ローブの裾で口元を覆って。

 右へ曲がれば見慣れたリビングが、


「よっ。遅かったわね」


 見知らぬ女が、片手をあげて部屋の中央のテーブルに座っていた。


「…………は?」

「お、いい顔ね。そういう反応待ってたのよ」


 がたり、と木製の、背もたれの長い椅子から立ち上がってゆっくりとアニーリャの元へ歩み寄ってくる。

 格好は白のシャツとロングパンツ。その上から軽鎧をまとっている。鎧もベースの配色は白だが縁取りには赤が使われていて、左肩のパーツなどは羽根のように幾重にも枝分かれしていて、思わずきれいだと思ってしまった。


「な、んで、魔力鍵かかってたのに」


 魔力鍵が封じるのはドアだけではない。この小屋全体を、いわば結界のような形で外敵の侵入を拒むのだと母から聞かされてきた。

 女は足を止め、小首を傾げて、おそらくは言葉を選んで。


「そりゃ、まあ、すりぬけバグ……的な?」


 なにを言っているのかわからない。


「バグ? 虫がなんだって言うんですか」

「あーそういう風に訳されるのね。まあいいわ。取りあえず自己紹介。あたしはミコト。百年前の魔王を倒した勇者よ」


 困ったように笑いながら、その女は手を差し伸べてきた。

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