第 2 話 ギフト? 脱出?! これだから大人は!

 ゴブリン。

 小鬼とも呼ばれる彼らは、人とは違った文化文明を築き、人とはある程度の距離を保ってそれぞれの安寧を守ってきたが、人がその版図を広げるたびに関係は悪化し、いまではこうして闘争にまで発展することが多々ある。


「ここ、神殿でしょ? なんでゴブリンなんかが!」


 主神メディカオールを祀るこの神殿は、我写を行うだけでなく、いずれ復活する魔王を倒すための戦士を育成する機関でもある。

 当然警備も王宮並に厳しく、このような襲撃があってもすぐに、あるいは警報すら上がらないまま沈静化するのが常だ。

 なのに。

 現にアニーリャが耳にしているのは襲撃の警報と警告だ。

 眠りこけていた衛兵は、警報に跳ね起きると立て掛けてあった槍をどうにか手にすると、こちらには目もくれず階段を駆け上っていった。


「お、お嬢ちゃん! いますぐ逃がしてやるからな!」


 そんな仕事熱心な衛兵と入れ替わるように、すっかりくたびれた年齢の衛兵が転がるように階段を駆け下りてきた。確か、我写を引いて大人たちに取り囲まれ、手錠をかけられて、あれよあれよとこの牢獄へ連れてきたあの時、手錠から繋がれた縄を持って先導していたあの衛兵だ。

 彼だけはアニーリャを何度も何度も振り返りながら、釈然としない表情を他の大人たちに、心配そうな視線をアニーリャを見ていた。


「ありがとおじさん。でもいいの? 勝手に逃がしたりして」

「いいんだ。我写を引いただけで投獄なんてそもそもおかしいんだ」


 言いながら、腰から下げた鍵束からこの牢のカギを探し出し、躊躇なくカギを開ける。


「さ、はやく。今回の襲撃は数が多い。急がないと間に合わなくなる」

「なにそれ。ここって魔王と戦うひとを育てる場所でしょ?」

「そんなのはもうすっかり建前になってるんだよ。神官たちは我写の利権に目がくらみ、勇者学園の運営も、」


 言葉を句切ったのは、背後から猛烈な殺気を浴びせられたから。


「オ、オーガ? なんで、こんなのまで」


 ゴブリンが小鬼なら、オーガは大鬼。

 体躯だけでなく知能も高く、それだけに人とは無闇に接触せず、仮に遭遇したとしてもよほどのことがなければ襲いかかってくることもない。アニーリャもおとぎ話ぐらいでしか聞いたことのない種族だ。

 暗灰色の肌に爛々と赤く光る目は、誰がどう見ても尋常ではない。食いしばった歯と牙の隙間からは何かを堪えるようなうめき声が漏れ、丸太のような上腕が震えながら衛兵をなぎ払った。


「がはっ!」

「おじさん!」


 壁に叩き付けられ、口角から血をひと筋流す衛兵。オーガは衛兵に目もくれず、天井すれすれにある頭部からじろりとアニーリャを睨み付ける。

 ああ、死ぬんだ。

 自分があんな我写を引いたばっかりに、いや、「アクヤク」を引かなくともこんな襲撃があるならどの道ダメだったんだろう。

 でも、なにもせずに死ぬのだけはイヤだ。拳を握り、オーガを強く睨み返す。

 睥睨するオーガの深紅の視線と自分の視線が交わる。

 わずかに意識を取り戻した衛兵が見たのは、アニーリャの漆黒の瞳が紅色に変わっていたこと。そして紅色の瞳は魔族に共通する特徴だということをうっすら思い出し、そしてもう一度意識を失った。

 ふたつの紅い視線が鋭く交わり、どれほどの時間が流れたかも判らなくなった頃、オーガは静かに膝を折り、傅くように頭を垂れた。


「え、え、なに、急に」

「急に、じゃないよ。スキル「アクヤク」が内包するギフト「魔眼」さ。視線を通じて相手を支配できるんだ。キミはもうボクの能力を使えているんだ。すごいことだよ」

「支配とか、そんなこと言われても困る」

「だろうね、でもいまは……」


 ウロが向けた視線の先から、何人もの足音と怒号が響いてくる。


「こっちだ! こっちにオーガが逃げ込んだぞ!」

「相手はオーガだ! 気を緩めるな!」


 駆け込んできたのは全部で十人ほどの槍と軽鎧で武装した衛兵たち。オーガの巨躯もこの狭い空間では発揮しきれないだろうが、それは文字通り肩を寄せ合う衛兵たちも同じだろうことは、十二歳のアニーリャにも想像がついた。


「王に殺意向けたこと、謝りたいけど、時間、ない」


 片膝をついたまま、オーガは静かに言う。


「え、ちょ、なにを?」

「いま、逃がす。生きて、ほしい」


 困惑するアニーリャをよそにオーガは鉄格子を掴み、立ち上がりながら、紙細工のように鉄格子を引きちぎった。


「少し、乱暴、する」


 鉄格子から手を離し、落下音の、幾重にも反射する高音にオーガ以外の全員が耳を塞ぎ、眉をしかめる。オーガはそのままアニーリャの細い胴を優しく両手で掴み、衛兵たちへゆっくりと振り返る。

 視線は天井すれすれのオーガと、殺気立つ衛兵たちの中間ほど。足は当然床に届かないが、恐怖を感じるような高さではない。


「お、女の子? 我写の儀式の礼服で? なんで、こんなとこに?」


 いままでオーガの巨躯に隠れて見えていなかったのか、それともアニーリャが投獄されたことすら知らなかったのか、兵士たちは一様に驚き、すぐさま槍をオーガに向ける。


「その少女を離せ。さもなくば、」


 衛兵のひとりが声を震わせながら警告する。


「二度と、こんなこと、するな」


 ぽい、と無造作にオーガはアニーリャのからだを衛兵たちに投げる。


「ちょ、ちょっとぉ!」


 一番前の衛兵が、咄嗟に槍を捨てて抱き留めるも、驚きと勢いから激しく尻餅をついてしまう。


「だいじょうぶ、ですか?」

「ああ。お嬢ちゃんこそ、ケガはないかい?」

「は、はい。あのオーガにはなにもされてないですから、恐いことはしないでください」


 それは心から出た言葉だった。自分のギフトで支配した、と言われはしたが、危害を加えられていないのは事実だ。


「すまないが、それはできない。魔族には神殿に襲撃した時点で殺処分の命令が出ているんだ」

「でもそれじゃ衛兵さんたちだって無事じゃ済まないです」

「これも仕事なんだ。わかってくれ」


 どうにか立ち上がってアニーリャを立たせ、一番後方、まだ階段の一段目に足を乗せていた衛兵に視線をやる。


「この子を」


 最後方の衛兵が頷き返すと、アニーリャのからだは衛兵たちによりバケツリレーの要領で本人の意志をまるで無視して一気に最後尾まで運ばれてしまう。


「逃げろ。王」

「早く逃がせ!」


 オーガも衛兵も、全く同じ言葉をアニーリャたちへ叫び、対峙する。


「だからあなたたちが戦う理由なんて!」

「それでも、仕事なんだ」


 アニーリャを脇に抱えながら走る衛兵が、辛そうに答えた。

 だから大人はきらいだ。

 だから子供な自分もきらいだ。

 いま自分ができるのは、双方が可能な限り無事にこの騒乱を切り抜けてくれることを、祈るだけだ。


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