第4話 寝落ち! 勇者! 我は魔王!

「んじゃあ、あんたにやってもらいたいことはふたつ。テイラム家の再興と魔王の討伐。当面はこれを目的に……」


 差し伸べられた手に一瞥くれただけでアニーリャは、部屋の中央にある四人がけの小さな木製テーブルに座り、女を睨んだ。


「あなた、何者なんですか。勇者って百年前のひとなんでしょ? なのに、あなたは、そんな年寄りには見えない」


 女は椅子を引き寄せて壁際に付け、背もたれに手を組んで穏やかに言う。

「あたしはミコト。三橋みはし美琴みこと。年取って見えないのは、あたしが普段いる世界とこっちとじゃ時間の流れが違うから。……これでも百年前から十二年は経ってるんだけどね」


 ウソだ、と言い切れない説得力がミコトの言葉にはあった。


「証拠、とかはないんですか」

「あー、この装備……って言ってもこの反応じゃ無理っぽいか。んー、あ、このペンダントでどう?」


 言いながらミコトが胸元から取り出したペンダントには半楕円にカットされた水色の宝石が輝き、縁取りには金。その深部には蜘蛛が、それもテイラム家の紋章そっくりの蜘蛛が描かれていた。


「確か、貴族の家紋は血縁者か、それと同等の縁者しか持つことを許されないはずよね」

「そう、ですけど……」


 こんなペンダントひとつでは、と眉間の皺が物語る。

 じゃあじゃあ、と困ったように、


「あたしは百年前にこっちに来て、冒険して冒険して、人助けしたり裏切られたり、宝箱開けたり宝箱に食われそうになったり、モンスター何十体も何百体も倒して、魔王を倒したの」


 身振り手振り交えて話す姿に次第に皺はほどけ、やがて、ぷっ、と吹き出してしまう。


「なによぅ。ほんとのことなんだからね」


 若干の恨みがましさも込めてアニーリャをにらみ返し、天井を仰ぐ。


「あーもうなにすればいいのよぉ……」

「信じますよ。あなたのこと」


 え、とゆっくりと顔を戻すミコト。


「勇者がどうとかは一旦置いておきますけど、あなたが悪人じゃないってことは伝わりましたから」


 そこにあった笑顔は年相応の、それでいて貴族としての品も確かに感じられる微笑みだった。


「あ、ありがとう……でいいのかな? まあいいや。あたしの話。少しは聞いてくれる気になった?」

「まあ、聞くだけなら」


 ありがと、と完成度の低いウィンクで返し。


「んじゃもう一回ね。あなたにやって欲しいことはふたつ」

「えっと、家の再興と魔王の討伐ですよね」

「お、あれで覚えてたの。かしこいね」

「そういうとこですよ」

「あ、ごめん。で、家の再興はじっくりやってもらうとして、問題は魔王のほうね」

「でもあたしの家の先祖って魔王なんですよね? いいんですか?」


 えーっと、とあからさまに視線を逸らすミコトに小さく嘆息し、


「あたしの家族に害が及ばないなら、それでいいです」

「えっとそうじゃなくてね、説明するとすんごい長くなるよってことなの」


 ああそういう、ともう一度嘆息して座り直し、


「教えてください。できるだけ詳細に。あたしに知らないことがないぐらいに」

「ん。ありがと。できるだけ分かりやすく話すけど、分かんないところ出たりお手洗い行きたくなったらすぐに言ってね」


 ゆっくりと頷くアニーリャ。

 そしてすぐに、後悔するのであった。





 端的に言えば、ミコトの話術は見事だった。

 十二歳の自分が飽きないよう、物語仕立てにしてくれた説明は、種々の事情から物語に接する機会の少なかったアニーリャには新鮮で、目を輝かせながら聞いていた。

 ならなにを後悔したのかと言えば、睡魔だ。

 きょうは朝早くから我写祭りのために準備をして、大人たちの長い話に耐え、ようやく我写を引けたと思ったら投獄されて。

 いままで気を張って気を張って、目を閉じないことを最優先に行動してきてどうにか座れる場所に辿り着いて。

 ミコトの話す声は柔らかで耳なじみがよく、人心地ついたアニーリャには子守歌も同じだった。


「どうする? 続きはあしたでもいいけど」


 ミコトが区切りを見つけてはそう提案してくれたが、アニーリャは自分が聞きたいと言い出したのだから、と船を漕ぎながらも頑なに拒み、椅子から滑り落ちるのをミコトに抱きかかえられるまで頑張って聞いていた。


「寝てないんだもんね。おやすみ」


 壁に設置されているベッドを引き出して寝かせ、ミコトはそのまま消えるように外へ出た。

「はー、やっぱりきれいね、こっちの星空は」

 屋根の真ん中を渡る梁に立って大きくのびをして。ミコトは誰にともなくつぶやく。


「おや、キミの世界は違うのかい?」


 いつの間にか右肩に乗っていた蜘蛛に、ミコトは一瞬ぎょっと目を見開き、


「ああもう、びっくりさせないでよ」


 ぺし、とウロのからだを軽く指で弾いた。


「ボクをこの姿にしたのはキミだろう」

「ん? 違う違う。五十年前に我写のシステム組んだときにあんたをねじ込んだけど、その時だってあんたが蜘蛛の格好してたからそのままにしたの。覚えてない?」


 ウロはしばし考えるように首らしき部分をかしげ、


「そうだった。あのころはまだどうにか自分の姿を形作れるようになったばかりだからね。ならこれはボクが望んだ姿なんだろう」


 一息置いて、


「でも、違う姿になれるなら、なってみたい気持ちもあるよ」

「んじゃ、製品版じゃ主人公決めるときにデザイン選べるようにするわよ。ヘビとかカエルとかかわいいの増やしてさ。デザイナーさん掴まえないといけないけど」

「でも、現実のボクの姿は変わらないんだよね?」

「そりゃね。あたしが言ってるのは、あたしが向こうに戻ってから作るゲームのことだもん。こっちの世界に干渉するなら時間と手間がかかるの」

「ボクを産生したキミでも、不可能なことはあるんだね」


 冗談とも本音ともつかないウロの言葉に、ミコトもうっすらと冗談を含めて返す。


「あたしはただのゲームディレクターよ。ここには出張費とか取材費とかもらって来てるの」

「ゲーム? キミにとっては遊びだって言うのかい?」


 あはは、と笑って、


「違う違う。あたしの仕事。……なんて言うかな、物語の追体験ができる遊びの場所、みたいなのを作ってるの。百年前のはさすがに別の人が作ったやつだったけどね」


 しかしウロはいまひとつ釈然としない様子でミコトを見つめる。


「どっちにしてもあたしはただの人間。勇者っぽいチカラとか持たされてるけど、向こうじゃ使えないし、こっちの改変なんて夢のまた夢。神様なんかじゃないの。あたしは」

「ボクからすれば先代の魔王を倒し、百年かけてこの世界に多大な影響を残したキミは、神と同義なんだけどね」

「やめてよそういうの。勘違いするでしょ」


 言いながら小屋の周囲へ視線を送る。

 ざっと見て十六。森の木々の隙間から油断なく小屋を取り囲んでいる。

 右目の前で親指と人差し指で円をつくり、その円を広げたりすぼめたりしつつ取り囲むものたちを観察する。


「神殿の衛兵たちか。仕事がはやくて感心するわ」


 衛兵たちが手にしているのは、たいまつではなくランタン。装備も衣服の上から着込んだ軽鎧と細剣のみ。制圧というよりは監視、あわよくば捕縛、という作戦だろう。


「片付けるのかい?」

「ううん。手出ししてくるならとっくにやってるだろうし、あれなら明日あの子にって思って」

「アニーリャはまだ魔眼が使えるようになったばかりの十二歳だよ?」

「あたしのときは誰も助けてくれなかった」


 てっきり恨み言でも言い出すのかと思ったら違った。


「勇者ひとりの旅があんなに辛いって知らなかった。ゲームやってたから大体の流れは知ってたけど、うまくいったのはゲームだからって毎日思ってた。だから、今回は、アニーリャを助けるって決めたの」


 後悔とも慚愧とも、あるいは希望に満ちた言葉だった。


「そうかい。あの子の幸いを願ってくれるのなら、ボクも最大限力を貸そう」

「いいってそういうの。あんたは、アニーリャだけ見て……?」


 違和感。

 反射的に身をかがめ、息を殺す。


「……? ドア、開いた?」


 この小屋は狭さ故にトイレはない。擬装もあって木こり作業の物置でしかないので仕方ないが、年頃のアニーリャにはいろいろ困る造りだ。

 だからミコトもきっとトイレだろうと判断したが、どうやら様子が違う。


『王の前である。出て参るがよい』


 重く響く、アニーリャの声帯から出されたとはとても思えない声だった。


「あの子まさか」

「そのようだね。よく寝ているから油断したよ」


 どうしよう、と不安げな視線をウロに送るが、ウロも困惑しているようだ。


「無理に押さえつけて不具合出ても困るし、最悪あたしが出ればいいから、もうちょっと様子見よ。案外馴染むために必要なイベントかも知れないし」


 イベント、かい。と訝しむような視線を右頬に浴びていたたまれなくなったようにミコトは口を開く。


「あたしがここにいるのは向こうでのお仕事のためでもあるの。出張費とかもらって来てるの。百年前みたいに善意だけで動くのはできないってことよ」

 そうかい、と興味をなくしたようなウロから視線を外し、ミコトはアニーリャの様子をうかがう。

 足取りはしっかりと、いや、重苦しいほど。

 アニーリャの呼びかけに衛兵たちは答えず、木々の間でじっと息を気配を潜めている。


『我は魔王インフェルヌ。我が寝所を侵すというのなら、ここでそなたたちを滅する』

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