29章 渚の先へ
目を覚ますと、視界は真っ白だった。雪でも降ったのかと思ったが寒くはない。自分は無意識に銃で自殺したか、そのまま甲板で餓死してアノ世に逝ったと思った。それにヨットの甲板の硬い感触とは違う。フカフカしている。これは多分ベッドだ。周りを見るとベッドの周りを白い布が垂れ下がっている。
イシカワは身体の上体を動かすと何かに引っ張られる感触した。何かと思って彼は周りを見ると身体中にケーブルが繋がっている。なんだこれは、引っこ抜こうとすると気づいた。右腕が無い。右腕が無くなって肩な部分が包帯でグルグル巻きになっている。すると警告音の様な電子音が室中に響いた。一体何だ?と思っていると女性の、何処の民族か分からない褐色の女性と白人の男性の看護師がやって来た。2人と何やら話している。最初はなんだか分からなかったが、これは英語だ。イシカワは「リトル・イングリッシュ・オケー」というと看護師の2人がゆっくりとシンプルな英語を話してくれた。だが、彼には理解できなかった。それを感じ取った看護師2人はゆっくりと「Wait」と言って何処かに行ってしまった。待てってどうゆうことだ?最初は混乱していたが、おそらくこれがマレーシア海軍に救助されたのだと思った。
それから10分しない内に、おそらく海軍の軍服を着た2人がイシカワの元に現れた。一人は赤毛の白人女性で、もうひとりは東アジア系の男性だった。
「コンニチワ」と女性の方がいうので、ビックリして発音はシッカリとしていたが、急に日本語で言われたので驚いたので最初それが日本語とは思えなかった。
「私はソフィーです3歳から16歳の時まで大阪にに住んでいたました」と少し関西訛りがある日本語で彼女はいった。
「こんにちわ。イシカワという者です。これはマレーシア軍のノアの方舟計画ですか?」とイシカワは言うとソフィーは首を横に振った。
「この戦艦はオーストラリア海軍の物です」
ソフィーが言うには、北半球にくらべると南半球に飛んできた核ミサイルは少なかったらしい。それにオーストラリアにも原爆や水爆が飛んできたそうだが、殆どはオーストラリアが独自で開発した迎撃ミサイルで迎撃したが、シドニーに広島型と同レベルの原爆が落ちてシドニーは崩壊したらしい。それに、核ミサイルを大気圏で迎撃した時に生じた電磁波の影響でデジタルの製品が使えなくなりインフラを復旧するのに時間がかかった。そしてやっと、インフラが揃ったのでマレーシア軍に続いてオーストラリア軍もノアの方舟プロジェクトに参加。北半球に生存者の救助に出ていた途中だったらしい。
「イシカワさんにお聞きしたいことがあります」
「なんでしょう?」
「イシカワさんはVP9ピストル2丁とマガジン6個に9mmパラベラム弾100発、ソードオフ・ショットガンを持っていました。それに、メキシコ船籍のヨットに乗っていました。どうしてでしょう?海賊ですか?」
「違います。色々と事情があります。そう疑われても仕方ありません。日本の神奈川県にある上ヶ丈山村という場所があり、権力者に乗っ取られそうになったのです。なので身の危険を感じて漁船で逃げてきました。そして、途中でヨットを見つけました。中には自殺したと思われる死体が4体ありました。ちゃんと遺書も残っています。ヨットは調べましたよね?」
「はい、ちゃんとスペイン語の遺書が残っていました。すみません。重武装だったので事実関係を確認する必要があったもので」
「いいんです。僕がアナタの立場だったら同じ事を聞いたでしょう。ところで僕はいったい何処で見つけたんですか?」
「マーシャル諸島沖です」
「そうですか、マレーシアに向かう途中だったはずなのに。やはり素人が船を操縦するのは難しいですね」救助して安心したのか笑いながらイシカワが言うと、ソフィーも笑った。
「イシカワさんの右腕なんですが、壊死していて切断せざるおえませんでした。本来であれば、本人に確認を取ってから切断するのが決まりなのですが、意識が戻らなかったもので」
「いいんです。気にしないでください。僕が意識がはっきりしていた頃には右腕の感覚が無くなっていましたから。ところで、僕は何日眠っていたんですか?」
「1ヶ月は寝ていましたよ。このまま目覚めないかと思いました」
「そうだ、上ヶ丈山村にはまだ沢山の生存者がいます。救助してもらえませんか?」
「申し訳ありませんがそれは今の状態だと難しいです。シドニーだけ原爆が破裂したとはいえオーストラリアも酷い混乱状態で、北半球の住民を全員救助するだけの余裕はありません」
「そうですか。仕方ありません」イシカワは悲しくなった。村民を皆殺しにしてやろうかと思ったこともあったが、何人もの人を殺した自分だけ助かった事について罪の意識があったのだろう。
「イシカワさん。オーストラリア政府はアナタを難民として受け入れる事が出来ますが、どうしますか?」
「是非ともお願いします」とイシカワは言った。
それからオーストラリアの軍艦は北太平洋へと出て無線で生存者達に呼びかけて、200人近くの生存者、ロシア、カナダ、アメリカ、メキシコ、ホンジュラス、ニカラグア、コロンビア、コスタリカ、パナマ、韓国、北朝鮮、中国、香港、台湾、日本からの難民を来た受け入れたてオーストラリアのメルボルンに着いた。オーストラリアに付く前にアズサからもらった英語の教科書を参考に生存者達とコミニケーションを図ったが、この教科書がダメなのかそれとも自分の英語がダメなのか、特に英語がネイティブの国から来た者達、アメリカ人やカナダの人とオーストラリア軍の船員とは話すのに苦労した。
オーストラリアに着いて最初に驚いたのは辺り一面雪だったことだ。40センチは積もっていた。やはり、原水爆で異常気象になったのだろう。拙い英語で近くいたオーストラリア軍の若い兵士に「オーストラリアはこんなに雪が降るのかい?」と聞いたら「オーストラリアでは山以外では雪は降らなかったよ。原水爆以降は豪雪が酷い」との事だった。
難民キャンプはメルボルンの郊外にある広大な土地にあった。一人に付き1ルームの仮設部屋かトレラーハウスを提供してもらった。風呂とトイレもついていたし、ラジオも付いていた。難民キャンプでは様々な国籍や人種の人がいた。アジア系、ヨーロッパ系、アフリカ系、ヒスパニック系。
イシカワは義手を無料でもらた。英語が喋れなかった為、英語の実習校に無料で通わせてもらった。英語が上達すると、難民用のグループセラピーに参加した。難民たちもイシカワと同じように、特にアメリカではアフリカ系やアジア系やヒスパニック系のスケープゴートの被害が酷かったとか。原水爆後に略奪にあったり村や町でスケープゴートがあったりと酷い思いをした者が多かった。
後に8月に世界中で起きた原水爆の相互確証破壊の事を歴史の教科書では「原水爆災害」という名前で載るようになった。イシカワからすれば「原水爆人災」の呼び名のほうがいいと思っている。世界の人口は90億人にから20億人までに減ってしまった。
マレーシア、オーストラリアに続き、ニュージーランド、アルゼンチン、チリ、南アフリカと比較的に被害が少なかった南半球の国々がノアの方舟計画に参加し、北半球の生存者を救助にへ向かった。
その後、北半球で最初に政府として復活したのはスイスだった。それでも1年はかかった。次に、イスラエル、ノルウェー、アメリカ、ロシア、イギリス。核シェルターの数に準じていた。東アジアだと1番最初に1年半後にに韓国が次いで台湾、中国、これも核シェルターの数に準じていた。それでも町中は瓦礫だらけだった。
原水爆災害から2年後、マレーシア、オーストラリア、ニュージーランド、アルゼンチン、チリ、南アフリカが完璧に復興を遂げて、北半球の国々に援助物資を配った。それまでの世界にあった南北格差が真逆になった。
イシカワが村を去ってから1年半後、上ヶ丈山村で巨大船籍を3隻作る事に成功した。殆どが入植者だったが村民を含め700人がノアの方舟計画へ向かいニュージーランドの軍艦に保護されて、ニュージランドへ移住した。残りは村に残った。クリハタも村に残ったとか。
原水爆災害から3年後、アメリカにて所有している銃の数が影響しているのか国は真っ二つに意見が割れてで内戦が起きた。第2次南北戦争という者もいた。内戦が終結するまで4年はかかった。
原水爆災害から4年後、マレーシア、オーストラリア、ニュージーランド、アルゼンチン、チリ、南アフリカの合同チームが食糧危機を回避する為にバッタや昆虫を原料にした食料を開発。世界中に配った。最初はみんな食べるのを嫌がったが、牛肉味、チキン味、豚味、バニラ味など味と見た目を工夫することによって皆が普通に食べるようになった。
原水爆災害から5年後、北半球の国々の残った生存者たちは瓦礫を撤去して建設ラッシュが始まった。
原水爆災害から7年後、マレーシア、オーストラリア、ニュージーランド、ノルウェー、韓国、中国、台湾、香港、インド、アルゼンチン、スイス、イスラエル、イギリス、EU、アメリカの合同チームがデジタル機器を復活させた。アップルはサムスンと合併してアップルサムスンにLGとソニーと合併してLGソニーにマイクロソフトはエイサーと合併してマイクロエイサーにAmazonと楽天が合併しAmazonRakutenに。アリババとソフトバンクはアリババソフトバンクに。ホンダはヒュンダイと合併してヒュンダイホンダに、フォルクスワーゲンと日産は合併してフォルクスニッサンに。マクドナルドはバーガーキングと合併しマクドキングに。コカ・コーラはレシピが消滅しレシピを知る者が全員死んだために、かつての味の違うコカ・コーラとなった。
原水爆災害から8年後、マレーシア、オーストラリア、ニュージーランド、アルゼンチン、チリ、南アフリカ合同チームが比較的飼育が簡単なダチョウを大量に飼育し家畜として北半球の国々にダチョウを配った。昆虫食と違いちゃんとした肉だったので世界的に流行した。現在ではダチョウ肉が1番食べられている。2番目が羊。そして牛、鶏、豚だ。
原水爆災害から10年後、ガンの特効薬が開発されて、白血病やガンに99%の確率で完治する薬だ。これで、放射能によるガンの被害が減った。
原水爆災害から12年後、原水爆時に消えたデジタルデータの復元に成功。当時、デジタルに頼っていた映画やテレビドラマや音楽やゲームや電子書籍が復刻。原水爆前のカルチャーのリバイバルブームになった。
原水爆災害から15年後、世界中でベビーブームが起こった。人口はかつての90億人とまでは行かないものの20億人にから45億人に膨れ上がった。
原水爆災害から20年後、国連が復興した国々の科学合同チームが放射能の除去用の粉末状の薬品を開発。世界中に散布した。これには本当に放射能を除去出来たのか怪しいという研究者の意見もある。
原水爆災害25年後、砂漠の緑化計画に成功し、今まで砂漠だった国々、中東やアフリカ諸国やオーストラリアの砂漠が緑に包まれた。世界の食糧危機を防ぐことに成功した。
原水爆災害から30年後、北半球は再び、かつて先進国だった国々は復興成し遂げ、首都や街は1000メートル級のビルで埋め尽くされることになった。
原水爆災害から35年後、第2次ベビーブームへ。世界の人口は70億人に達した。
原水爆災害から40年後、世界の気候変動が前の世界へと戻ってきた。世界の平均温度は原水爆以前に比べると若干温度は低かったが。氷点下の次の日に、真夏の30度超えのを繰り返してきた気候はなくなり安定した気候へと戻った。今まで四季があった国や地域に四季が戻ってきた。
原水爆災害から41年後、人類は宇宙を目指した。国連主導で月面コロニー建設に成功。今で2万人の入植者達ががアルミやチタンや鉄を採掘し、観光にも力を入れている。
原水爆災害から45年後、中国、韓国、台湾、日本、アメリカ、カナダ、イギリス、EU、スイス、インド、ロシア、マレーシア、オーストラリア、アルゼンチン、南アフリカの合同チームが火星への有人探査に成功。5年後、火星移住計画で建設していたコロニー建設が完成し第一陣の入植者達500人が火星に移住した。最終的には地球で成功した緑化計画を応用して火星を第2の地球にするらしい。
日本は、復興に時間がかかった。カルフォルニア州と同じ面積の場所に水爆が6個、原爆が12個打ち込まれたからだ。米軍の基地が沢山有ったからではないかという専門家もいる。アメリカとロシアと中国に次いで4番目にに原水爆を打ち込まれた。原水爆被害時に人口は1億2千万人から800万人まで減った。日本政府が復活したのは7年後の事だった。それから、国連やオーストラリアやマレーシア、先に復興を遂げた近隣国、韓国や台湾や香港と中国やロシアやアメリカの援助もあり瓦礫は撤去されてインフラも整い、7000万人まで人口が増えて50年後ようやく、かつて以上の発展を遂げた。
これは未だに分かっていない事だが、いや公表されていない事だが。なぜ核ミサイルが発射しどの国が先に核ミサイルを発射したのかということだ。ハッカー説や間違えて誰かがボタンを押した説まで様々だ。今でもネット住民達は陰謀論のネタとしてネット上で酒のツマミの様に議論が重ねられている。
アメリカは、ロシアか中国か北朝鮮だと主張。ロシアはアメリカか中国か北朝鮮とだと主張。中国は、アメリカかロシアか北朝鮮だと主張。核保有国は責任転嫁を相変わらず繰り返している。このまま曖昧にした方がいいのではないかと言う者もいる。それが種火となって第三次世界大戦が勃発するのではないかと言う主張だ。確かにそうかも知れない。イシカワは責任の所在を知りたいと思う半面、それが火種になり政治家達は自分たちの人気取りの為に戦争を始めて、また核戦争や第三次世界大戦が起きる事が怖かった。もう、二度とあんな目に合いたくないし、息子や孫にあんな経験をさせたくないないからだ。
イシカワはというと難民キャンプを出た後、オーストラリア海軍に入隊し日本語の通訳の仕事を5年し除隊。ニューシドニーへ引っ越しクリーニング店で仕事をえた。シドニーは唯一オーストラリアで核攻撃を受けた街だった。広島と同レベルの原爆が落ちたそうだ。瓦礫を撤去して、かつてのシドニーより発展し1000メートル級のビルが立ち並ぶ摩天楼へと発展を遂げた。働き始めて1年後、常連客のソヨンという韓国人女性と恋に落ちた。イシカワの一目惚れだった。ソヨンには申し訳ないが彼女はアズサに似ていた。顔がではなく雰囲気が。キム・ソヨンはその頃、原水爆時にシドニー郊外の農場でワーキングホリデーで来ていて難を逃れた。その当時、韓国の状態が分からなかったので、そのまま難民と申請してオーストラリア国籍を取得した。農場主の息子や親戚は当時シドニー住んでいて原爆でみんな死んだ事もあり農場主から娘のように可愛がられていた。
イシカワはソヨンに、キタヤマ隊長にアドバイスされたようににガツガツしないように。アズサに言われたように「スグ結婚してて言われると女の子は引くよ」という事を思い出しながら、静かに彼女にアプローチした。キタヤマ隊長とアズサのアドバイスが効いたかどうかは分からないが、二人は恋愛関係になり、その2年後結婚しソヨンが働く農場で働くことになった。農場主はチャールズ・ジャックマンと妻ライラだった。イシカワは実家の農業で働いていたこともあったのが幸いしてラクラクと仕事をこなした。農場主にも気に入りられた。イシカワとソヨンを自分の息子夫婦の様に可愛がった。それから10年後、農場主のチャールズが死んだ。それから5年後、ライラが死んだ。二人とも癌だった。イシカワ夫婦はそのまま農場を引き継ぐ事になった。
デジタルデバイスが復旧したことで、SNS上でマキタと連絡が取れた。彼女の話しによれば今はマレーシアで恋人だったイクシマと結婚して幸せに暮らしているらしい。キリシマもアライもアキモトの恋人のヤマザキも元気に暮らしているとか。
ゴトウにもSNS上で連絡をとった。ニュージーランドに移り住んだ村民や入植者達は、当初は殆どが放射能の後遺症に悩まされては居たが、新たな抗がん剤の普及の為に彼女はガンを患ったが今では完治して元気だそうだ。今は羊の牧場で働いているらしい。猫のキコも元気だった。イシカワは引き取ろうと思ったが、ゴトウもキコの事を溺愛している様子だったのでそのままにした。キコは20歳まで生きた。原水爆後の猫にしては長生きなほうだった。
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