Day19 新しい道
音に対して全く来ない衝撃。光を遮るような何かが頭上にある。魔王が顔を上げると生ぬるい何かが降り注ぎ顔を濡らす。倒れこんできたものを受け止めれば、それは大量の温かさを流して冷たくなっていく途中だった。
「……真緒?」
――
真緒は魔王が消えていった闘技場を呆然と眺めることしかできなかった。一度くるりと後ろを振り返るが踏み出そうとする気も起きなかった。先ほどまで動かなかった足は難なく動くはずなのに、ただ地面を眺める真緒。
――ここで後を追ってどうするんだ?
真緒に何もできないなんて明白だ。
――でもここで放り出されても何もできないから。
魔王の最後の言葉がよみがえる。
『良い異世界生活を』
あれは、あの魔王の、彼の言葉だったと真緒は確信を持っていた。全く『魔王』の訳に立たなかった真緒に対してあんな発言をするなんて、彼らしくもなかった。
『じゃあね、真緒』
真緒は別れの言葉すらいえなかった。
――俺は、彼の名前すら知らない。
そう思った瞬間には走り出していた。この建物の中がどれほど複雑かもわからないし、たどり着くことが出来る保証もない。先ほどまで彼と一緒に歩いていた時よりも危険な道なのは確かだ。
それでも足を止めなかった。
足を地面に縫い付けて、後ろに引っ張る力はどこからでも湧き上がっている。
それでも走る足を止めなかった。
この都市を出なくとも、あの場で彼が帰ってくるのを待っている方が最も安全策である。
それでも腕を振って走る足を止めなかった。
もし彼の感が杞憂で、その場に駆けつけても真緒だけが死ぬ可能性もある。
それでも体は前に傾いて、腕を振って走る足を止めなかった。
走り抜けて息はきれる。角を曲がるときには足が滑って転びそうになる。
ようやく開けた場所につながる場所を見つけた。明るく切り取られた景色の中に誰かが誰かの首を落とそうとしているのが見えた。
それは当たり前の致命傷だ。
輝く銀色に首を差し出しているのが誰かを直感した。
「ッ!」
反射神経か火事場の馬鹿力か、剣が振り下ろされる前にその場にたどり着く。こんな時、呑気にやはり訓練は続けていてよかったなんて頭のどこかで真緒は考えていた。
――
「……あぁ?」
声が出た。魔王が受け止めたのは上半身だけで真っ二つになった体は下半身だけは崩れ落ちてより多くの血を魔王に浴びせた。
突然の闖入者に騎士は警戒して距離を取る。
「あ……まに、あったの、か?」
誰に受け止められているのかようやく認識した真緒。
「……いき、てるのか」
「それは、どっちに言っているの?ワタシは一応生きているけど、君の体は真っ二つだ」
正直今しゃべっているのすら不思議だと続く言葉に真緒も同意だった。
「……なんで、ここに来たの?」
「名前。名前を呼べてない」
「……」
魔王は何の言葉も浮かばなかった。
――名前?
――名前なら“魔王”じゃないか。そういえばそのことを言った時彼はなんだか納得してなかったな。
あまりにも混乱した頭はその上から場違いで冷静な思考を持つ。
「……無いよ」
なんて答えればいいかわからなったから事実しか返せなかった。
「だから、名前を呼び、たくて」
「うん」
「かんが、えた、んだ」
「はは。それを伝えるために来たの?」
「……」
「ワタシに名前をくれるんだ?」
「あぁ」
真緒はようやくしっかり彼の顔を見ることが出来た。
赤く濡れて、とても楽しそうに笑っている。
――綺麗だ。
周りの音が聞こえない。客席の大勢の声も、周りの勇者や騎士の声も。
「教えて?」
「……シン。お前の、名前」
真緒の唇に柔らかい感触があった。喉を生臭い血が通り抜けていく。
「ぁ」
その瞬間真緒の体を激痛が走った。しかし体も真っ二つで血もほとんどない真緒にはのたうつ力も叫ぶ気力もない。だが、なぜかないはずの血がどこからか湧き出て煮えたぎって体中をめぐるようだった。
「ふ、はは。あはははは」
魔王の笑い声が響く。誰もがその声に恐怖し注目した。
魔王は上半身だけの真緒を抱え上げ手を取って踊りだす。真緒には何が起こってるか全くわからないが、下半身がないおかげで足はもつれずに済んだ。踊る軌跡は血に染まっていく。
可憐な少女がきれいな踊りを踊っているようだった。しかし踊りのパートナーは上半身しかなく、周りから見れば死体と踊っているようなものだ。無垢で不気味。
一瞬人々は見とれて、困惑して、恐怖してその場を動くことが出来ないでいたが、次の瞬間には阿鼻叫喚へと陥った。
魔王が踊り始めると同時に建物のあちこちがつぶれ、砕かれ、ひしゃげる。もう兵士では押しとどめることもできずに我先にと逃げ惑う人々。
騎士も応戦しようとするが近づくことも許されない。
真緒は嵐の目にいるはずなのに回る視界に何も認識することが出来ない。それ以前に体も血もない状態で魔王に振り回されて意識すらもうじき途切れようとしていた。
「あはは、は。あはははは」
永遠に途切れないのではないかと思えるような魔王の笑い声。目の前の人物――シンはとても楽しそうに笑っていた。
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