Day3 はじめまして

 毎日毎日大学に行って授業を受ける。特にサボるわけでもなく、しかし考査の点数がいいわけでもない。授業だけは真面目に受ける生徒。平凡。

 大学が終わればバイトに赴く。これと言って仕事が早いわけではないができないと言われるほどではない。そして避けられる面倒ごとは避けるが、誰かから押しつけられる面倒ごとは被るしかない。周りの人からはわずかな憐れみの視線を受ける。平凡。

 友達はいないわけではない。でも、友人には他の友人もいてどちらかというとそちらの方が優先される。遊びに誘われない訳ではないけど最後に回ってくる感じ。集団での遊びには誘われる。平凡。

 平凡と称することができればよかったが、真緒にとってそれは平凡ではなく“冴えない”の方が適切な気がしている。

 また、授業を受けて、バイトで誰かに怒鳴られ、嫌味を言われ、遊びの誘いを断られたり、数合わせで呼ばれたり。授業を受けて、バイトで励まされて、遊びに誘われて、隅っこで囃し立てたり。運が悪ければ、見知らぬ場所に呼び出されて、侮蔑の視線を受けて。

――怪物に襲われたり、


――


「うわぁっ」


 跳ねるように飛び起きた。呼吸は荒く心臓はうるさい。その不快感が生きていることを真緒に知らせる。

――自分は死んだ?いやでもこんなに呼吸も心臓も生きてる時と同じなのに?

 死後の世界でも呼吸をして心臓を動かさなければいけないのならここが死後の世界の可能性はある。真緒が思い出した直前の記憶はそれほど致命的なものだった。

周りを見渡せば叩き付けられた石のそばに横たわっていた事がわかる。体のどこも透けたりしている訳でもなく、体は重力によって地面に寝そべっている。

 しかし生きているにしては、体は衣服の一部に穴が空いて、その周りにべっとりと血がついているだけだった。

――傷が、塞がっている?

 穴が空いた衣服の向こうには無傷の肌がのぞいている。全身の痛みは残っているものの、体を起こすことができるほどには力が入った。真緒が知覚していた限りでも相当の怪我だったのにこんなに早く治るはずもない。ましてや跡も残さずにこんなに綺麗に治るなんて。

――もしかして、俺にも何かしらの能力が?


「状況確認は終わった?」


 真緒が自身の能力について希望的な考えを巡らせていると、頭上から声がした。はっとして声の聞こえた方を見上げる。

 岩の上に人が胡座をかいて座っている。頬杖をついて此方を見下ろしている顔には人の良さそうな笑みが浮かんでいて、粗暴な態度と聖人のような表情の差異に違和感を覚える。


「あんた……」


 恐る恐ると声をかける真緒。

 真緒は覚えていた。気を失う直前、彼の目の前に立っていたのは今自分を見下ろしている黒服の人物だったと。

 その人物の姿に見惚れたのは事実だが、真緒を助けたのか、それとも害そうとしたのかすら真緒には判別がついていない。少しずつ冷静さを取り戻そうとしている真緒は黒服の人物の都合の良すぎる登場に無邪気に喜ぶ気にはなれなかった。

 真緒がこの場で無事な状況を考えれば、黒服は彼を助けた可能性が高いと以前の真緒なら疑うことなく判断していたが、先ほどの都市で散々な扱いを受けた真緒は多少なりとも人を警戒するようになっていた。


「……何なんだ」


 聞くべきことはたくさん思いついたのに、真緒の口からこぼれたのはずっと考えていた感情。それはここにきてから、そしてそれ以前からずっと真緒が胸中に繰り返していた一言。

 しかしこの言葉ではどのような説明が返ってくるかも明確ではなく、今の状況を少しも理解できていない真緒にとって適切な質問であったかと問われれば、微妙と返すことしかできないであろう。

 岩の上に座っている人物は、腕を組んで首を傾げて少し考え込む。

 真緒のとってその仕草はどことなく人間味を感じさせ、間が開くことに疑心を抱きながらも、得体の知れない状況であまり意味のなさそうな安心感を覚える結果となった。

 しかしそんな真緒の感情なんて無視するように、黒服は次の瞬間には先程とは打って変わった小馬鹿にするような笑みを浮かべた。


「なるほど、具体性のない質問だな。お前は何が聞きたいんだ? ワタシの種族? 役職? 地位? それともお前との関係?」


 岩の上から立ち上がり真緒の目の前に降り立つ黒服。目線を合わせることなく、物理的にも真緒を見下しているその視線から、今度は見下しているという意識そのものがありありと真緒に伝わってきた。


「でもね」


 黒服が真緒の顔を覗き込む。

 その顔は同じような笑みを浮かべているが、どこか楽しそうだった。それなのに瞳はなんの感情も映していないように見え、真緒にまた不可解さへの恐怖を抱かせる。

 黒服の突然の行動に驚き、真緒は肩をびくりとはねさせる。


「ワタシに対しては、それは悪くない質問かもしれない」


 細められた赤い瞳に覗き込まれ真緒は何も言葉にできない。

 黒服は真緒の反応など気にもとめずに言葉を続ける。


「魔王、ワタシは魔王だよ」

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